第54話 越後上杉家

越後国は雪深く冬の寒さはとても厳しい。

この時代の暖房機器具といえば火鉢や囲炉裏であり、畿内の一部で囲炉裏に衣類をかけた炬燵の原型のようなものが使われている程度であった。

日本の気候が高温多湿のため、この時代の建物は夏の風通しの良さを優先して考えられているため、冬は逆に寒さが身に染みるのであった。

景虎はそんな状況を少しでも変えたいと考えていたが、良い案が浮かばず。蔵田五郎左衛門に何か良い手立てはないか聞いてみたが、良い案がなく火鉢を増やす程度であった。

そんな冬の厳しい季節に越後国守護上杉定実の命が尽きようとしていた。

上杉定実の側室は父為景の妹であり,そのため上杉定実は景虎からすれば義理の叔父になる。

景虎が生まれ変わる前の人生においては,そんな叔父がこの頃に死去していたため,医師たちには兄・晴景と越後守護上杉定実を常に重点的に診察する様に指示をしていた。

そのためなのか,先月まではすこぶる元気であった。

そのため景虎もほっとしていたところであった。

しかし,冬の寒さが影響したのか天文19年2月になると容態が急変。

やがて食欲もなくなり,起き上がることも出来なくなった。

そして7日前からは意識も無くなっていた。

体はすっかり痩せ細り枯れ木の様である。

医師たちはあともって数日の命だと言っていた。


上杉定実は景虎の父為景と共に越後国で下剋上を起こし,自らの正室の父であり義理の父でもあった当時の越後守護・上杉房能うえすぎふさよしを倒し越後守護となった。

景虎の父為景と共に乱世を生き,時に敵対し,またある時は協力し,乱世の越後国を駆け抜けた人物であった。

越後守護上杉定実には嫡子がいなかった。

上杉定実が仕掛けた伊達家からの養子は,長尾晴景と伊達晴宗により防がれ,それ以降は養子を取ることも諦めていたため,越後上杉家の跡取りはいない。

このため越後上杉家は,定実の死と共に断絶の道を辿ることになる。

越後国は上杉定実の死ぬことで越後国は守護不在となり,事実上の越後国最高権力者は守護代である長尾景虎になる。


春日山城内と越後府中は慌ただしく人々が行き交っていた。

景虎直属軍となる赤龍衆も万が一に備えて厳重な警戒体制を敷いている。

越後国衆は景虎の下でまとまりつつあるが,まだ安心はできない。

葬儀となれば,その最中を狙って謀反が起きる危険性があるからである。

景虎は厳重な警戒体制となっている春日山城を見て,幼い頃の父・為景の葬儀を思い出していた。

「兄上」

「景虎どうした」

「春日山の警戒ぶりを見ていたら,父上の葬儀を思い出しました」

「あの時は,葬儀の最中にいつ敵が攻め込んでくるか分からず,非常に緊張して葬儀をとり行った。あれからもう8年ほど経つか」

為景が死去したのは天文10年12月(1542年)の出来事で、為景の死を好機ととらえた敵対勢力が活発に動き出していた。

「まだ甲冑をきたこともなかったですから、兄上から甲冑を着せてもらい。兄上から兜の紐を縛ってもらったことを思いだしました」

晴景と景虎は遠くを見るような目をして昔を思い返していた。

元服前の景虎は,兄・晴景に甲冑を着せてもらい、甲冑姿の兄と共に甲冑姿で父の葬儀に参列をしている。

為景の葬儀に参列していた国衆や家臣も甲冑を着込み,全員がいつでも戦えるように備えた状態で葬儀が行われた。

参列者が全員武装した状態での葬儀。

異様なほどの緊迫感に満ちた葬儀であった。

「確かに物騒な葬儀だったな。親父殿と敵対していた国衆たちが葬儀の時を狙って,いつ攻め込んできても不思議ではなかった。あの時は,それほどまでに事態は切迫していた」

「今思えば,越後国内で武勇で鳴らした父上の葬儀ですから,物々しい葬儀も,ある意味父上の葬儀らしいとも言えますよ」

「親父殿らしいと言えば,確かにその通りだな」

「今のところここに攻め込んでくるような動きはないと思います」

「確かに今のところ越後国内におかしな動きはないようだ。だが,のんびりしてはいられないぞ」

晴景は厳しい表情をしている。

「何か起きましたか」

「景虎。すぐに幕府に景虎を越後国主にしていただくように申し入れよ。銭をいくら使ってもかまわん。急いだほうがいい」

「兄上。もうしばらく待ってからでも良いのでは無いですか」

「定実様はもはやもたん。すでに意識がなくなり7日。体はすっかりやせ細り,もはや枯れ木のようだ。医師たちの見立ては今日明日にでも,いつ亡くなっても不思議では無いと言っている。いま,越後国内には上杉姓を名乗っていなくとも越後上杉家の血を引く縁者は多い。その中から勝手に上杉を名乗り,国主になろうとするものが出てくる恐れもある。時間をかければ会津の蘆名が越後に介入してくる口実を与えることになるぞ。蘆名は以前から蒲原郡を狙っている」

「会津の蘆名ですか」

「越後上杉家の縁者が会津の蘆名と手を組めば,何が起きるか分からん。下手をすれば再び騒乱状態となりかねんぞ」

軒猿衆の報告でも蘆名が越後国蒲原郡を狙っているとの報告が入っていた。

「軒猿からの報告でも蘆名が動こうとしているとの情報が入っています。伊達稙宗を真似て,蒲原郡菅名庄(現在の新潟県五泉市付近)の菅名家に家臣の子を養子として送り込もうと画策しているとの報告が入って来ています」

「蘆名盛氏の奴か,小賢しい真似を」

「他の国衆にも家臣の息子を使って養子として送り込み国境の国衆を乗っ取ろうと考えているそうです」

「尚更急いだほうがいい。まずは1日も早く幕府の後ろ盾を得るべくだ」

「分かりました。神余親綱かなまりちかつなに命じてすぐに動く様にしましょう」

景虎は,すぐに京に在住している在京雑掌である神余親綱かなまりちかつなに命じて,幕府に景虎を国主として認めてもらうように働きかけるように指示することにした。

在京雑掌とは,京の都における越後国の出先機関的な役割を持ち,畿内における情報収集・朝廷や幕府との交渉・特産品の売り込みなど幅広く活動してる者達であり,外交官に近い役割を持っている。

そのため,神余親綱たち在京雑掌は武士ではあるが,どちらかと言えば内政の役人に近い存在であった。

「それだけでは足りん。朝廷や幕府に顔の効く僧侶たちを使い,幕府と朝廷の根回しをさせよう。そこにも銭を撒いたほうがいい」

晴景は,神余親綱の補佐をさせるために,幕府や朝廷に顔の効く僧侶たちを使い幕府と朝廷関係者への働きかけを提案した。

「分かりました。ならば朝廷にも根回しをしましょう。上様には,銭30貫文(記録では銭三千疋),太刀一振りでどうでしょう」

生まれ変わる前の時と同じ条件を口にする景虎。

「いや,それでは少ない。上様も驚いて腰を抜かすほどのを寄贈をしてやれ,そうすれはこの先も何かと景虎に利便を図ってくれるはずだ」

「ならば,思い切って黄金千両(四千貫文)としましょう」

景虎の言葉を聞いた瞬間,晴景は笑い始めた。

「ハハハ・・・そいつは思い切ったな。儂の考えの倍か。きっと上様も度肝を抜かれるぞ」

景虎の指示で急いで京への使者が送られることになった。


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