第51話 武将の器

駿河国今川館。

東海一の弓取りと呼ばれる今川義元の居城である。

今川家は足利将軍家に連なる名門の一族。

そんな名門今川家の当主である義元は,幼い頃に仏門に入れられ生涯僧侶としての一生を送るはずであった。

本来なら今川家は長男であり嫡男の実兄・氏輝が継ぐことになり,次男の彦五郎が氏輝に万が一が起きた時のための今川家に残された。

そして,実の兄が二人いるため四男の義元は継承権が無く4歳で仏門に入れられた。

しかし,その二人が相次いで亡くなると,正室・寿桂尼の子であるため今川家の後継の座が義元に回ってくる。

三男の庶兄との激烈な家督争いの末に庶兄を打ち破り,今川家当主の座を掴み取っていた。

そんな東海一の弓取りと呼ばれる今川義元は,甲斐国守護武田晴信と越後国守護代長尾景虎の戦いに関する報告の書状を読んでいる。

読み進んでいく義元の表情に時々驚きの表情が見てとれた。

そんな義元の前に武田信虎と僧侶の姿をした太原雪斎がいた。

「信虎殿。晴信殿が若き越後守護代・長尾景虎に連敗。大敗したそうだ」

今川義元の言葉に武田信虎は驚くこともなく笑みを浮かべた。

「驚くこともあるまい。一生勝ち続けることはあり得ないことだ。武家である以上は,勝つことがあれば,負けることもある。連敗も珍しいことでは無い。戦とはそんなものだ」

甲斐国前守護であり,甲斐国武田家の前当主であった武田信虎。

実の息子である嫡男武田晴信の計略により駿河国に追放となった身であった。

しかし,髪がすっかり白くなっても,その目にはいまだ衰えぬ武将として気迫が漲っている。

「心配することもないということか」

「奴よりも弟の信繁の方が当主に向いている。事にあたっては,常に冷静沈着で豪胆。そして誰よりも人望がある。晴信とは雲泥の差だ。晴信に任せておけば,どんなに力を付けようとも,やがて武田の家を滅ぼす事になる」

「ほぉ・信虎殿の目から見てそれほどまでに違うのか」

「晴信は上辺を取り繕い泰然自若を装っているが,実際は猜疑心の塊であり,誰も信用していない。身内も兄弟も誰も信用していない。邪魔になれば身内であっても、我が子であろうとも躊躇わずに羽虫を潰すように簡単に殺すだろう」

信虎の言葉に今川義元は驚いていた。

「意外だな。弟である信繁殿はかなり信用されていると聞いているが」

「逆だ」

「逆?」

「晴信は誰よりも弟の信繁を警戒している。信繁に少しでも疑念を抱けば躊躇わずに殺すだろう」

「まさか」

「信繁もそのことを誰よりも分かっているから股肱之臣の如く振る舞っている。晴信は幼い頃から信繁の武将としての圧倒的な才能に嫉妬し,昔から劣等感を抱えていた。儂は晴信の性根が変わることを期待して待っていた。きっと,変わってくれるものだと思っていた。だが,晴信は変わることがなかった。儂は甲斐武田のために晴信を諦め,信繁に家督を譲ることを考えていた。しかし,そのことを感じ取った晴信とその取り巻きたちに先手を打たれ,儂は駿河に追放されてしまった。油断大敵と言う奴だな。義元殿も晴信の性根を薄々感じていたのではないか」

信虎は,義元の目をまっすぐに見つめる。

「クククク・・・なるほど。言われてみれば,晴信殿の行動には納得できる部分があるな」

「奴の,目的のためには信義さえも踏み躙る生き様は,やがて行き詰まる時が来る」

厳しい表情をする武田信虎。

信虎自身は,信義を大切にする武将である。

相模北条の前に劣勢に立たされていた関東管領を,あくまでも支えるべきだとしていた。

それに対して武田晴信は,落ち目の関東管領は切り捨てるべきと信虎に主張している。

「勝つためには手段を選ばず。最後まで生き残ったものが尊いというのが晴信殿の本心だろう。信虎殿を追放して,己の正当性を宣伝するために信虎殿の悪評を作り広める。和睦した相手を宴席に招いて騙し討ち。流石の儂もこれには驚いた」

「それで今川家はどうするのだ」

「武田晴信殿は,とりあえず放っておいていいだろう。いまは,越後守護代長尾景虎という男を見定める必要がある」

「見定める?」

信虎は訝しむような表情をする。

「どれほどの器か知らねばならん。南蛮渡りの火縄銃を大量に揃えて戦いに運用し,短期間で佐久郡まで攻め落とし,甲斐の国境まで脅かす。戦においては常に大将自ら率先して敵陣に切り込む。儂はその男の武将としての器を知りたい」

今川義元は,華やかな装飾を施した扇子を開き,ゆっくりと扇子を動かし自らに風を送る。

そして,興味深くとても面白いものを見つけたようなそんな表情をしていた。

「ほぉ・越後国守護代長尾景虎か。大将でありながら自ら率先して敵陣に切り込むか。その景虎とやらは,神仏の化身を気取っているのか,それとも単なる狂人なのか。まともな神経とは思えん。ならば,その男の武将としての器をどうやって見定める」

今川義元は不敵な笑みを見せる。

「和睦を斡旋してやろうと思っている」

「和睦だと。放っておけばいいだろう」

「放っておければ簡単なんだが,そういうわけにもいかん。北条は河越の戦いで仕掛けた計略がハマり10倍の敵に勝てたはずの戦を,長尾景虎一人にひっくり返され敗北した。そんな相手が甲斐国を挟んで迫ってきている。このまま武田が崩れれば,北条も今川も大変な事になる」

「東海一の弓取りが随分と気弱なものだ」

「乱世の世は,少し気弱なくらいがちょうどいいのだ」

「確かに、慎重なのは良いことだ。それで,誰に行かせるのだ。重臣の朝比奈にでも行かせるか」

武田信虎は,今川家中の名門であり重臣の朝比奈を送るのかと考えていた。

「いや,雪斎を行かせる」

「何,太原雪斎殿だと」

驚いた信虎は,一言も発しないまま静かに控えている太原雪斎を見る。

太原雪斎は,義元が仏門にいた時の師匠でもり,義元が仏門から武家の世界に還俗した時も義元と共に生きることを決め,そのまま義元に仕えることを決めた。

そして,現在の太原雪斎は義元を戦略・戦術において支える今川家の大黒柱であり,今川義元の右腕でもある。

そんな太原雪斎を人々は黒衣の宰相と呼ぶ。

「わざわざ雪斎殿を向かわせるほどの男なのか」

「それはいずれ分かることだ。雪斎が長尾景虎をどう評価するのか,興味深いと思わんかね」

「お主にそこまで言わせる長尾景虎。儂も興味が出てきた」

義元は,雪斎の方を向く。

「雪斎。さっそくだが甲斐武田と越後長尾の和睦のため向かってくれるか」

「問題ございません。長尾景虎。どれほどの男か,この雪斎がしかと見定めて参りましょう」

「なら,雪斎殿が戻ってきたら,ぜひ長尾景虎とはどの様な武将か聞かせてもらうとするか」

三人の男たちは,意味深な笑いを浮かべていた。

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