第42話 先を読む者達

春日山城の一室では、前越後守護代長尾晴景と現在の越後守護代長尾景虎が将棋を指していた。

部屋の中では将棋の駒を打つ音だけが聞こえている。

しばらく盤面を睨んでいたが、お互いに越後を取り巻く情勢に対する見立てを話し始めた。

「兄上、どうやら甲斐国武田晴信が動き出しそうです」

「ほぉ〜、上田原の大敗からまだ大して時が立っていないだろうに、傷もまだ癒えないまま早くも村上義清に再度挑むか。無謀ではないのか、それとも何か焦りでもあるのか」

「どうやら、我らが信濃国善光寺平に城を作り始めていることが影響している様です」

「かなり大きな城で来年の夏までには完成するかもしれないと方々に噂が流れているからな」

景虎は、善光寺平に城を作り始めたことで、武田晴信・村上義清の動きが変わり始めていること感じていた。本来なら、武田晴信は上田原で敗れて2年後に砥石城を攻め、砥石崩れとと呼ばれる大敗を味わう。そしてその翌年に調略により砥石城を攻略。砥石城を攻略した翌年に、村上義清は越後に亡命することになる。だが、このままなら砥石崩れは起きずに、村上義清が敗北する可能性がある。

「武田晴信の狙いは信濃の完全制圧。次に越後の海」

「善光寺平に巨城が出来上がればその野望の邪魔になると考えたか」

「その様です。このまま放置すれば、北信濃は越後に完全に飲み込まれる。その前にどうにかしたいと考えているでしょう」

「だが、村上義清もかなりの戦巧者。武田晴信が望むように簡単にはやられないだろう」

「それは武田晴信が嫌というほど分かっているはず。そのため、かなり入念に調略をかけていると報告が入ってきています」

「調略を得意とすると聞いたが、それほどか」

「多くの村上の重臣に調略に手を伸ばしているとのこと」

「そんなに多くの重臣にか」

「不思議なことに、バレても構わないと考えているのでしょうか、かなり大ぴらにやっている様です」

「ほぉ〜・大ぴらにか・・そうか、そうか、そうなると村上義清の家臣団は、疑心暗鬼で身動きが取れなくなるかもしれん。狙いはそこだろう」

「疑心暗鬼ですか」

「おそらく、武田晴信がわざと調略をかけていない村上義清の重臣にまで、調略をかけたように見せかけている部分もあるだろう。そんな話が方々から聞こえてくれば、村上義清は誰が裏切るのか、誰が味方なのかわからなくなっていることだろう」

「誰が裏切るかわからないか」

「大ぴらにやっていると言うことは村上義清の家中の混乱を狙っていると考えるべきだろう。実際に誰か一人裏切る、もしくは疑った村上義清が家臣を手打ちにすれば、雪崩を打って崩れることになりかねんな」

「そこまで行きますか、ならば介入しますか」

「止めておけ。頼まれてもいないのに勝手に軍勢を送り込めば、何が起きるか分からんぞ。もしかしたら、村上義清と武田晴信が和睦のうえ休戦して、手を組んでこちらに向かってくる事もあり得る。村上義清と武田晴信が手を組むなどという事態になれば面倒なことになる」

「ならば、村上義清に手助けは必要か打診してみましょうか」

「それも危険だ。村上義清は上田原で武田晴信を徹底的に叩いて勝利している。自分が負けるなどと全く考えてもいないはずだ。そんな状態で援軍を申し出ても、我らが何か企んでいると思われることになる」

「ならば、このままということですか」

「我らにできることは見守り待つことだけだ」

「やはりそうなりますか」

「景虎。どんな人間にも心には魔物が住んでいる。傲慢・強欲・色欲・怠惰・嫉妬・憤怒・暴食。人である以上は、これを全て抑えることはできん。どう折り合いをつけていくかだ。だが、人というものは疑い深く強欲なものだ。その人の心の隙を巧みに突いてくる武田晴信は、人の心に巣食う魔物を巧みに操る人物なのだろう。我らは戦いの行方を見守るのみだ」

「なるほど、ところで兄上」

「なんだ」

「王手です」

「何!」

長尾晴景は慌てて盤面に目を向ける。

「ウグググ・・・ま・まった」

「仕方ありませんね。良いでしょう」

景虎は駒を元に戻す。

「ならば、これでどうだ」

晴景が駒を差し直す。

「それで良いですね」

「大丈夫だ」

「これで詰みです」

「えっ・・・ウグググ・・・もう一回勝負だ」

晴景は盤上の駒を両手で掻き回し、再度勝負を始める。

晴景と景虎は日が暮れるまで将棋を指し続けるのであった。


ーーーーー


武田晴信は家中の反対を押し切り村上義清を倒すべく出陣した。

家中には、冬が近いこともあり来春にすべきとの声もあったが、越後長尾景虎の北信濃での体制が整う前に、村上義清を倒さねばならないと思いからの出陣であった。

軍勢は、佐久や諏訪から多くの軍勢を出させ総勢1万6千。

武田の軍勢は、佐久郡を北上して小県郡で村上義清が支配する砥石城を囲んでいた。

砥石城には村上義清に従う家臣・国衆500名が詰めていて、村上義清は居城である葛尾城にいる。

武田晴信は砥石城を見上げていた。

「勘助。砥石城をどう見る」

武田晴信は、隣にいる山本勘助に問い掛けた。

「守っている城兵は少ないですが力押しで攻めるは危険ですな」

山本勘助は隻眼の目で砥石城を見つめている。

「どうしても無理か」

「この砥石城は東西が崖に囲まれ、城門に通じる道はとても狭いため、攻め込むにはあまりの険しさから砥石と評される南西側の崖を攻めることになりますが、ここから攻め落とすには、今いる兵が全滅することを全員が覚悟できるなら落とせるでしょう」

「全滅覚悟ならということか」

「はい、それほどまでに厳しい城です。しかも、この山城の水の手を断つことは難しいと金山衆から聞きました」

「ならば、やはり調略になるのか」

「それが一番被害が少なくてよろしいかと存ます」

「調略の手筈は」

「足軽達を買収してありますので、今夜子の刻に城門が開かれる手筈にございます」

「よかろう。内応してくれた者には十分な黄金を与えてやれ。それと越後勢の動きが心配だ。失敗はできんぞ」

「承知いたしました。お任せください」


深夜子の刻。

砥石城の城門が開かれた。

武田の軍勢は音を立てぬように砥石城に入っていく。

強固な備えを持つ砥石城は外からの攻めには強いが、内側に敵の侵入を許せば脆かった。

瞬く間に制圧され、武田の旗印が風に靡くこととなった。

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