第26話 知将長尾晴景
曲直瀬道三による越後守護代長尾晴景に対する投薬治療は2ヶ月に及んだ。
長尾晴景は、曲直瀬道三の用意する薬を毎日飲み続けた。
そのお陰もあり顔色がだいぶ良くなってきたいるように見える。
しかし、朝廷と将軍家に呼ばれていることもあり、そろそろ引き止めるのも限界となった。
「曲直瀬殿、兄の治療をしていただき感謝に絶えません」
「師より受け継いだ医術が晴景様と景虎様のお役に立てて良かったです。それとご希望されていた弟子の育成ですが,お引き受けいたしましょう」
「ありがとうございます。では京に向かわれる時に同行させましょう。よろしくお願いいたします。また越後に来る事があれば当家にお立ち寄りください」
長尾景虎は,家臣で医術の覚えのある者を京に向かう曲直瀬道三に同行させ,曲直瀬道三の医術を学ばせることにする。
曲直瀬道三はいくつかの注意事項を残して、新たな弟子を伴い朝廷と将軍家の待つ京へと旅立った。
越後府中春日山城では、長尾景虎が兄であり守護代でもある長尾晴景の助言を受けながら、政務に取り組んで学んでいるところである。
兄晴景とは協力し合っているためか、重臣達はあまり余計な我儘を言い出すことも無く、政務は順調に処理されていく。
晴景と景虎は、書状に次々と花押を書き入れて処理を続けている。
「そう言えば、景虎。赤龍の評判がかなり良いそうじゃないか」
「赤龍ですか、それは一体・・」
景虎は突如赤龍と言われ、心当たりが思い付かず不思議そうな顔をする。
「知らんのか、景虎の常備兵の旗本衆のことを、越後府中の者たちは赤龍衆と呼んでいるぞ」
「えっ、初めて聞きました」
「旗印が紺地に朱色の龍の文字であるため、朱色の龍の文字がとても目立つから赤龍衆と呼ばれているそうだぞ」
「朱色の龍の文字だから赤龍衆ですか」
「悪くないと思うぞ。炎を司り、南の守護神。水害から人々を守るとも言われる。この越後府中は他国との距離が短い。西の越中と南の信濃が敵対勢力となったらとてつもなく危険に晒される」
越後国の西に位置する越中国は、父為景の活躍で東半分は長尾家の支配の及ぶ地である。
南に位置する信濃国は、越後国と信濃国との国境近くにある飯山周辺を府中長尾家の親戚である高梨家が支配している。
だが、甲斐の武田晴信が力をつけてくると、飯山を除く信濃が武田の支配地となってしまうことになる。
そして武田晴信は越後を狙い執拗に調略や謀略を仕掛けてくる。
景虎としては今回は絶対に同じ轍を踏む訳にはいかない。
最大の問題となる対武田晴信。
その南方を守る存在を意味する赤龍。
その南を守る存在であれば悪くないかも知れない。
「なるほど、南の守護神か・・確かに悪くないですね。雪深い越後国。いざとなればその雪を炎で全て溶かし尽くして戦いに赴く精鋭といったところですね」
「なるほど、炎で雪を溶かし尽くして戦いに赴く精鋭か・・越後の領民が皆そう言っているのだ。その呼び名で統一してしまえ」
「分かりました。ならばその赤龍衆という呼び名に決めましょう」
景虎は確実に生まれ変わる前よりも着々と力が備わってきていると感じていた。
兄である長尾晴景の指示を受け、佐渡国を切り取り金銀を手に入れ、常備兵を整備。
だが、そんなにのんびりと構えているわけにはいかない。
既に、武田晴信の野望が動き出している。
既に実の父親である武田信虎を、今川と共謀の上で駿河に追放。
元々同盟関係にあった信濃諏訪領に攻め込み、和睦した上で諏訪頼重を騙して甲斐に連れて行き自害させた。
将来は、味方であった高遠頼継までも謀略で追い込み自害に追い込む。
そして、嫡男さえ邪魔になれば自害させてしまう。
さらに謀略の限りを尽くして貪欲に信濃国を攻め取っていくことになる。
景虎は、武田晴信があそこまで謀略の限りを尽くせるのか理解できなかった。
家督欲しさに父親を追放。
同盟相手を攻め、和睦した上で相手を騙し討ちにする。
味方であっても邪魔になれば自害させる。
そんな武田晴信には、根本的に仁と義の心が欠けているように思えた。
あれほどの高い政策能力があり、有能な家臣を動かす力があるなら、あそこまで露骨な騙し討ちをして、露骨なまでの欲望を見せなければ良いものをと何度も思ったものだ。
だが、こちらがどう思っても武田晴信が攻めてくるのは確実。
できれば、何度も川中島で戦う愚は犯したくない。
「景虎。急に黙り込んでどうした」
「信濃の南側が甲斐の武田に攻め取られたと聞き及んでおります。将来、武田が北信濃を攻め、次に越後を攻める予感がして、備えが必要だと考えていたのです」
「確かに、北信濃と越後府中の距離は短い。北信濃が敵対勢力の手に堕ちれば、この越後府中が危うくなってくる」
「ですがすぐに打てる手立てがありません」
「景虎。焦る必要は無い。まず、足元を固めろ。そして、北信濃の国衆と
「まずは信頼ですか」
「商人達を使い北信濃の国衆達と越後府中との結びつきを強めることだ。人は利をもたらしてくれる相手を大切に考えるものだ」
「利をもたらす相手を大切に考えるものですか」
「奪い取ろうとする者と与える者。どちらを大切に思うかは明白だろう。景虎,お前はどうも一本気な面がある。人は単純に正邪で判断して動くものでは無い。人というものは利を求め、利によって動くものだ。人を動かすには利をうまく与えることを覚えよ。与える領地は無いがその代わり大量の金銀がある。これを活かすことだ」
「人は利によって動くですか」
「そうだ。国衆は自分たちを守り,働きに応じた恩賞をくれる者に靡くのだ。領地も金銀もくれない者に従うことはないぞ」
景虎は,兄の言葉に反省する。
生まれ変わる前は,家臣や国衆に対して,碌に褒美は出していなかった。
自分の指示に従って戦うことが当然であると考えていたからであった。
「ならば、どう動きます」
「やるべきことは大きく三つある。一つ目は、景虎の直臣旗本である赤龍衆を増やしていくこと。二つ目は越後の国衆達を景虎のもとで一つにまとめ上げること。三つ目は商人達を使い北信濃に景虎の作った銭を流通させていくこと」
「一つ目と二つ目はわかりますが、北信濃に銭を流通させるとは」
「景虎の考えた金と銀の銭は使い勝手が良い。北信濃にこの銭が流通し出せば、商売を通じての越後府中との結びつきがますます強くなる。さらにこの銭で北信濃の米や収穫物を我らが買うようになれば、さらに越後との結びつきが強くなる。結びつきが強くなれば、北信濃の各国衆の顔を見て話もできるようになる」
「なるほど、ですが少々時間がかかりませんか」
「まともにやれば時間がかかる。だから、最初はただ同然で国衆に銭をばら撒け。越後と北信濃の国衆に派手に大量に銭をくれてやれ、季節の挨拶と称して銭を配っていくのだ。佐渡からは金銀が大量に産出されている。気にする必要はない」
「警戒するのではありませんか」
「最初は警戒するだろう。しかし繰り返されれば人は慣れて行くもの。最初は受け取らなくても、他の受け取った者達がそれで得をする姿を見れば、受け取らなかったことを悔しがり、やがてこちらに靡いてくる。そうなればその者達の心は我らが握ったも同じだ」
景虎は兄の話を聞き、改めて兄は名将と言っていい存在なのだと思うのであった。
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