第27話 北信濃詣

暑い日差しが照りつける季節。

真田幸綱は、額の汗を拭いながら信濃国上高井郡の妙徳山の麓にある井上城を訪れていた。

ここは信濃井上氏の惣領家にあたる井上清政が治めている領地になる。

信濃井上氏は川中島の戦いでは常に上杉謙信側に立ち、常に先陣切って戦うのが井上氏であり、常に最前線で戦い続けるため大きな被害を受け続けることにもなる一族であった。

井上城の広間で隠居した前の当主である井上清忠と現在の井上家当主である井上清政が待っていた。

井上清政は精悍な顔つきで30歳前後のように見える。

「越後国守護代長尾晴景様と次期守護代である長尾景虎様の使いとして参りました真田幸綱と申します」

井上清政は,真田幸綱の顔をじっと見ていた。

「儂が井上清政である。見覚えのある顔,そして真田・・・お主は確か海野の分家で滋野家の者ではなかったか」

「よく覚えておいでで、忘れておられると思っていましたぞ。小県に居りました滋野家のものでございます」

「そうか、お主は無事であったか。海野平戦いで海野一族は散り散りになって多くが命を失ったと聞いた。今現在、小県は村上義清に握られ、佐久は甲斐武田に支配された。今度は村上義清と甲斐武田の戦いがこの信濃国で始まっている」

数年前に村上義清・諏訪頼重・武田信虎らが手を組み、佐久と小県に攻め込んだ。

抵抗する海野一族は敗れ、佐久と小県は奪われ,佐久は武田,小県は村上と諏訪となっていたが,関東管領上杉憲政との関係を疑った武田晴信により諏訪家が滅ぼされていた。

信濃国衆は,既に信濃守護小笠原家は頼りにならないと判断。

それぞれ勝ち馬に乗るべく,村上義清と武田晴信の戦いの行方を見守っている。

「小県を奪われて上野国に居りましたところ越後守護代長尾家よりお声をかけていただき、今は越後守護代長尾家に仕えております」

「お主は実に運がいいな。一族を抱え故郷を追われると仕官先を探すことが大変だ。仕官が叶って良かったな。伝え聞く噂では、越後で金銀が大量に出るようになり多くの人々が越後府中に集まるようになって景気が良いとか」

「一族の者たちを抱え、この先どうしたものかと考えておりましたから助かりました。思っていたよりもかなり良い待遇で召し抱えていただけました。それと越後府中の賑わいは,仰る通り大変な賑わいとなっています」

「ホォ〜,それほどの賑わいとなっているのか。それはそれは大変結構なことだ。それで、越後長尾家から何のためにここに」

何か探るような目で真田幸綱の様子を伺う。

「越後守護代長尾様は、甲斐武田の動きと信濃の情勢を常に気にしております。それゆえ、

北信濃の国衆とは親しくありたいと考えておられます」

「親しくありたいか」

井上清政は,越後長尾家の力の伸びと勢力拡大が早く,数年で広大な越後を長尾景虎がまとめ上げると見ていた。

しかも,越後と信濃の国境になる飯山には,長尾家の縁戚になる高梨家いる。

長尾家と高梨家の関係も良好。

長尾家と関係を強くしておけば,井上領に近い飯山の高梨家が脅威になりそうなら,長尾家が抑えてくれる。

ならば,村上義清と武田晴信・さらに高梨家を牽制するには,越後長尾家を信濃に引き込むこともありだと考え始めていた。

上手くいけばお互いに牽制しあって動けずに信濃が安定するかもしれない。

井上清政は,混迷する信濃情勢の中で長尾景虎の可能性に賭け,長尾家を信濃北部に引き込み抑えの柱に利用することにした。

「はい、何かを強要するつもりはございません。それで長尾家より挨拶がわりの贈り物を預かって参りました」

真田幸綱が目配せすると、供回りの者達が木箱を二つ用意して井上清政の前に差し出した。

一つは長さ5寸5部(約16、5センチ)ほどで深さは1寸半ほど。

もう一つは長さ1尺(約30センチ)ほどで深さは七寸程度。

さほど大きくは無い箱を二つ差し出してきたことに不思議そうな顔をする。

贈り物と聞き,太刀か甲冑,もしくは越後の酒でも持ってきたかと思ったからだ。

「挨拶がわりか・・開けても良いのか」

「どうぞ,それは全て井上殿のもの」

井上清政は,恐る恐る小さい方の木箱の蓋を取る。

白い布に何かか包まれているのが見えた。

その白い布を開いていくと,黄金色の輝きが見えた。

表面に京目十両と刻印された大判の金でできた銭が1枚入っていた。

京目十両と大きく描かれた上側に【越】の文字。

その下側には何やら梵字らしき物が一文字刻印されている。

手に取るとズッシリした重さが伝わってくる。

裏を見ると中央に【九曜巴】が大きく刻印され,上と下には表と同じ【越】と【梵字】が刻印されていた。

「こ・これは金の大判か・・これ1枚で金10両になるのか」

「京目で間違いなく10両の価値があります」

井上清政は大判にしばらく見入っていたが,そっと箱に戻しもう一つの箱を開ける。

黄金色に輝く京目壹両と刻まれた小判。

大判と同じように京目壹両と大きく描かれた上側に【越】の文字,下側には梵字。

裏面にも同じく【九曜巴】・【越】・【梵字】が刻印されていた。

京目壹部と刻まれた壹部金。

銀色に輝く京目壹両と刻まれた銀の銭。

京目壹部と刻まれた壹部銀。

「これほどの金銀を・・」

「全て越後国内で使える新しい銭でございます。全部で100両ございます。長尾様からは全て井上様に差し上げろと言われております。どうぞお納めください」

「100両だと・・いいのか」

「はい,お好きなようにお使いください。北信濃に入ってきている越後の商人たちは既に使用しておりますので,越後からの商人相手ならばこの銭で物の売り買いは簡単にできます」

「いきなり100両もの金銀をくれるとは」

「今の長尾家からしたら100両は大した額ではありません。お気になさらずに」

「100両が大した額でないとは,それが事実ならば長尾家の財力は恐ろしいほどだ」

「日に日に長尾家の財力,武力は高まっていきます。誼を通じておくことは損ではないかと思いますぞ。一度,越後府中をご覧になると宜しい。その発展ぶりに驚くでしょうな」

「それほどか,よかろう。折を見て越後府中に参ろう。その発展ぶりとやらをこの目で見てみよう」

「承知しました。お待ちしております」

この後,真田幸綱は北信濃の国衆を勢力的に回って,同じように金銀を配っていくのであった。

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