第22話 河越夜戦(1)

北条勢三千が籠城する武蔵国河越城見つめる真田幸綱。

真田幸綱は関東管領率いる軍勢に対して不満を募らせていた。

関東管領上杉憲政率いる軍勢は、関東の諸大名や国衆たち合計8万の大軍勢になる。

その大軍勢で河越城包囲を9月末から始めて、すでに3ヶ月以上を経過していた。

しかし、包囲はしていても何がなんでも攻め落とす気迫が全く感じられない。

漫然と包囲しているだけで、緊迫感のかけらも無い。

つい最近、越後国守護代長尾家が若い武将に1万2千もの軍勢を付けてよこしたが、直接包囲の輪に入らず少し離れて陣を張っている。

真田幸綱からすれば、それではやる気があるかどうか疑わしいと考えていた。

それに対して敵の北条家には五色備えと呼ばれる精鋭部隊がある。

籠城しているのは、その中の黄備えを率いる北条綱成が城代としてわずか三千で籠城している。

真田幸綱は歯がゆい思いで河越城を見つめていた。

相手は北条の名将ではあるが、数に物を言わせて一気に攻めれば1日で終わるはずだ。

9月末に包囲を始めて、まさか正月を包囲の陣営で過ごすとは思ってもいなかった。

北条氏康は、どう見ても戦いを引き延ばしているようにしか見えない。

関東管領様の陣営も完全に緩んでいる。

関東管領様の集めた関東諸大名や国衆は、本気で戦うつもりが無いのだろう。

本気で戦うつもりの無い烏合の衆の集まりにすぎん。

自分に指揮を任せれば1日で蹴りがつくのに自分にはそんな権限は無い。

実に忌々しいばかりだと考えていた。

だらだらと無駄に時間だけが過ぎていき、多くの陣営では昼間でも酒の匂いが充満して、遊女達が出入りするようになっている。

故郷信濃国小県を追われ、上野国箕輪城主・長野業正殿を頼り関東管領様の麾下に加わっているが、このような馬鹿馬鹿しい戦を見せられるとは思ってもいなかった。

こんな緩み切った戦にうんざりしていた。


真田幸綱は一族を率いて長野業正の陣から少しだけ離れて陣を敷いている。

日が暮れてくると篝火の用意をさせ、流石に冷えてくるため焚き火で暖を取る。

そこに真田家が抱える忍びの一人が現れた。

真田の忍びは大した数がいるわけでは無い、十人にも満たない。

しかし、その働きは非常に重要だと認識していた。

「風介どうした」

「越後守護代長尾家の総大将である長尾景虎様がおいでです」

「長尾景虎殿だと、儂に会いにか」

「はい、お会いになりますか」

「良いだろう。失礼がないように、ここに案内せよ」

真田幸綱は焚き火に当たりながら長尾景虎を待つ。

しばらくすると長尾景虎が一人で入ってきた。

「遅くに突然の訪問失礼する。儂が越後守護代家総大将である長尾景虎と申す」

「真田幸綱と申します。それで、越後守護代家からわざわざなんのために」

「真田殿はこの戦い。どの様に見ておられますか」

「この戦い・・・」

「言いにくい様でしたら、この景虎と越後にいる我が兄晴景の見解を先に述べましょう」

真田幸綱はゆっくりと首を縦に振る。

「河越城にはわずか三千の城兵が籠城するのみ、それに対して関東管領様の軍勢は、当初は8

万。急遽参陣を決めた我ら越後勢を含めたら9万2千。多少の犠牲を覚悟すれば1日から数日でけりがつく。それがすでに数ヶ月。関東管領様の軍勢は命懸けで戦う意思がない。命懸けで戦う意思が無い者達がいくら集まろうが無駄。勝てる見込みは無い。そのため、我らは巻き込まれないため少し離れて陣を置いているのです」

その言葉を聞いた真田幸綱は驚き、そして慌てた。

「長尾殿。それは他で言ってはいけませんぞ。関東管領上杉憲政殿が知れば激怒されますぞ」

「この話は真田殿だけです。真田殿はどう考えているのです」

一瞬、言葉に詰まるが話し始める。

「ハァ〜、ここだけの話にしてください。長尾殿の考えと同じです」

「ほほう、ならば真田殿はこの決着はどうなると予想しますか」

「関東管領様とその軍勢は、大軍であることに酔いしれている様ですから、さらに油断し切った頃に北条に攻められ、烏合の衆はバラバラになり逃げるのみでしょう」

「流石は真田殿、儂らの読みと同じ」

「ならば長尾殿はどうされるので」

「ここから先は誰にも言わぬと誓えますかな」

「良いでしょう。誰にも言いません」

真田幸綱は真剣な表情で応えた。

「我らは北条氏康が勝負をかけ、夜襲を仕掛けてくる時を待っています。その時が来たら北条氏康を討ち取る所存。真田殿も加わりませんか」

「夜・夜襲ですか」

「関東管領様の軍勢の油断が、もはや隠しようもなくなったその時に仕掛けてきます。もう2〜3ヶ月と言ったところ。真田殿もこの戦に飽き飽きしているでしょう。共に北条氏康を討ちましょうぞ」

「・・よろしいのですか・・」

「真田殿だからこそお話ししているのです。共に戦いましょう」

「分かりました。北条氏康を討つ戦いに加えてください」

「その時が来ましたら、お伝えします。このことはくれぐれも内密に願います。北条の間者も多数動いているでしょう」

「その時までこの幸綱の胸のうちにしまっておきましょう」

長尾景虎は満足そうに頷いている。

「真田殿、実はもう一つ話があります」

「もう一つですか・・」

「真田殿。一族全員で越後府中に来ませんか」

「越後府中」

突然の提案に戸惑う幸綱。

「現在、真田殿は箕輪城主長野業正殿の下に身を寄せている状態であり客将の扱い。立場も知行もあやふやであり、肩身も狭く、一族を養っていくことも苦しいのではありませんか」

「・・・・・」

「この景虎は数年のうちに守護代を兄から譲られ守護代となります。これはすでに越後国衆に周知されたことです。この景虎の下に来て欲しい。侍大将として扱い、貫高で年1000貫文出しましょう」

その言葉を聞くと腕を組みしばらく目を瞑り考え込む。

この頃,無名の武将である真田幸綱に千貫文は超破格の扱い。

武田晴信が無名であった山本勘助を雇いれた時,百貫文で重臣達に破格の扱いとして反対が出たほどである。

その眉間には深い皺が刻まれているのが見える。

焚き火の炎が眉間の皺をより一層深く見せていた。

「それともう一つ条件をつけましょう」

「条件」

「すぐには無理ですが、この先、村上義清と武田晴信が幾度も戦い雌雄を決する時がやってきます。もしも小県郡を取り返せる機会が巡ってきたら、取り返して真田殿に小県を任せましょう。いかがかな」

「できるのですか」

「すぐには無理でしょう。まだまだ先の話です」

「承知しました。小県のことをお約束いただけるなら、越後府中に参りましょう」

「真田殿の決断嬉しく思いますぞ。共に力を合わせれば小県は取り返せます」

「よろしくお願いいたします。ならば長野業正殿には越後行きの件だけは話してよろしいですか」

「問題ありません。真田の一族が楽に暮らせる広さの屋敷と知行地も与えましょう。生活の心配は無用ですぞ」

「ありがたいことです」

「宗弦」

景虎は猿倉宗弦を呼ぶ。

景虎の背後に一人の忍びが現れた。

「我が配下の者です」

その忍びから背負子の荷物を受け取るとそれを真田幸綱の家臣に渡す。

「これは何が入っているのです」

「越後で取れる砂金を用意しました。砂金100両になります。これはこの景虎からのほんの挨拶がわり。ご自由にお使いください」

「砂金100両」

砂金100両と聞き驚く幸綱。

1両は約4貫文と言われる。

1貫文は現代にすると10〜15万程度の価値と言われているので、1貫文10万と仮定したら、約4000万円ほどの価値になる。

信濃を追われた真田家を,上野国箕輪城主長野殿は快く受け入れてくれているが,やはり不自由なことは違いない。

かなり厳しい生活を強いられている真田家にとっては貴重な砂金であり、幸綱はありがたく受け取るのであった。

「夜戦の時がわかったら知らせましょう。それと、河越の戦いが終わったら箕輪城下の幸綱殿の屋敷に迎えの者を向かわせます。それでは失礼いたします」

長尾景虎と猿倉宗弦は真田幸綱の陣を後にした。

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