第6話 長尾政景の怒り
春日山城に続々と越後の有力国衆が集まってきていた。
越後国守護上杉定実からの召集ということもあり、独立機運が強く独自色の強い揚北衆(越後北部の国衆)も春日山城に来ていた。
揚北衆は春日山城から遠いこともあり、春日山城で感じる危機感を感じ取れない為か、なかなか素直に従うことが少なく、独自の利害関係で動くことが多かった。
広間には多くの国衆がすでに集まり、守護・上杉定実と守護代・長尾晴景の登場を待っていった。
守護代・長尾晴景が広間に入り上座手前に着座する。
続いて越後守護・上杉定実が広間にはいり上座奥へと座った。
「皆の者、大儀である」
上杉定実の言葉に国衆は一斉に頭を下げる。
「此度、栃尾城に攻め寄せ謀反を起こした長尾平六郎を、古志長尾家を継いだ長尾景虎が見事に討ち取った。初陣にも関わらず敵将を自ら討つとは、実に見事な働きである。長尾景虎、前に」
景虎が進み出ると、1枚の書状が渡された。
「此度の働きを記録にとどめその働きを褒め称える感状である。受け取るが良い」
「ありがたき幸せ、守護様からのこの感状は末代までの誇りとなりましょう」
景虎は感状を受け取ると広間の隅に下がった。
「さて、今日はさらに皆に申し伝えることがある。晴景」
「はっ!」
守護代長尾晴景が前に進み出た。
「守護代長尾晴景である。本日より、古志長尾家を継いでいた我が弟・長尾景虎を我が養子とする。そして景虎には、数年後に守護代の任を継がせ、儂は隠居することとする」
広間にいた国衆達から一斉にどよめきが起きる。
歓迎の笑顔を見せるもの。
渋い表情をするもの。
戸惑う表情のもの。
半数が渋い表情であり、笑顔を見せたのは1割ほどである。
国衆の表情がそのまま越後国が置かれている状況を示していた。
「確かに見事な初陣であることは認めよう。だが、それと守護代になるのは別の話だ」
するとその場で上田長尾家の嫡男である長尾政景は、長尾景虎が越後国守護代家を継ぐことになるとの発表に怒りをぶちまけた。
長尾政景は父であり上田長尾家当主である長尾房長と共に春日山城に来ていた。
上田長尾家は越後国と関東を繋ぐ玄関口にあたる魚沼郡一帯を支配する長尾家の分家。
長尾房長は、景虎達の父である長尾為景と対立していたが、戦いに敗れ長尾為景に仕えるようになり、これ以降府中長尾家を支え、晴景を支える有力国衆の一人となっていた。
「控えよ。政景。守護様の面前であるぞ」
長尾房長は嫡男の政景に言葉を控えるように言う。
4歳年下の景虎が見事な初陣を飾ったのが、面白く無いのであろうと考えていた。
「定実様はこれを認めるのですか」
越後守護である上杉定実は気だるそうな表情をしている。
越後守護上杉定実は、伊達家から伊達稙宗の三男を養子に迎えて,再び越後の実権を握る計画が失敗に終わり、これ以降政務に関してやる気を完全に失っていた。
「守護代である晴景に嫡男がいないのだ。血縁者を養子にして家を繋ぐのは当たり前であろう。娘の志乃も納得しているというか、志乃が言い出したことだ。そして、晴景とその兄弟達は全員これを歓迎している。問題あるまい。何が問題だと言うのだ。しかも、敵の大将を自ら討ち取るという見事な初陣まで飾るおまけつきだ。これに意を唱える者達の気がしれん」
「ウググ・・」
厳しいまでの眼差しで長尾景虎を睨みつける長尾政景。
景虎はそんな長尾政景に対して涼しい顔をしている。
それがさらに長尾政景をイラつかせていた。
自分なんぞ取るに足らない相手だと言わんばかりの態度に感じられたからだ。
景虎からしたら、長尾政景が本当は何に対して怒っているのか分かっている為、何を言ったとしても反発するだけだと思い、そのまま放っておくことにしていただけであった。
長尾政景にとっては上田長尾家と古志長尾家は、府中長尾家を支える同格の家。
景虎が古志長尾家を継具ことで自分と同格と思っていた相手が、いつの間にか古志長尾だけでなく府中長尾まで継ぐとなれば、自分が格下となり、形として古志長尾家に頭を下げることになる。
それが認められないのだ。
越後守護である上杉定実に問題ないと言われてしまったら、長尾政景にはこれ以上何も言えなくて黙るしかない。
そんな長尾政景を見ていた景虎は、やはり今回も同じことになるのかと思っていた。
生まれ変わる前に府中長尾家を継承した時も長尾政景が反対。
そこで情勢を有利に運ぼうとして、景虎の側近とも言える三奉行である本庄実乃・大熊朝秀・小林宗吉らは、薭生城主の平子房長を懐柔しようする。
平子房長は、三奉行に青苧の一大拠点である宇賀地(魚沼市小出付近)の領有権を主張する。
宇賀地は多くの国衆の領地が複雑に入り混じり、上田長尾家の領地もあった。
そこを勝手に領有を主張して三奉行に認めさせ、三奉行は景虎の名前で宇賀地の平子房長領有を認める書状を出してしまった。
調子に乗った平子房長は、西古志郡の山俣の領有まで主張し始める。
この平子房長を発端として,上田長尾家側国衆や領地を勝手に奪われる国衆を巻き込んでの大騒動となってしまった。
今思い返すと政に疎かったため、三奉行の勝手な動きを防ぐことができなかった。
今回は兄たちが生存しているため、そのようなことにはならないだろうと考えている。
あの時の長尾政景は、戦が終わった後、長期間の和睦交渉で長尾政景が臣従することが決まり、それ以降は一切反抗することもなく全力で景虎を支えてくれた。
上杉定実の謁見が終わると長尾政景はさっさと広間を出ていった。
それとは逆に、本庄実乃ら古志長尾家の重臣達、直江実綱達景虎支持派ともいうべき国衆は、笑顔を見せながら景虎に挨拶にやってきた。
「景虎様、おめでとうございます」
「この実綱。景虎様の父上の為景様に劣らぬ武勇に感服いたしました」
「景虎様の武勇であれば越後国は安泰」
「いや〜めでたき日でございます」
そんな挨拶を聞きながら、この光景も生まれ変わる前と変わらんと思いながら挨拶を受けていた。
好意的な国衆と敵対的な国衆・様子見の国衆とはっきり色分けできるほどにはっきりしている。
しかし、好意的な姿勢を見せている国衆や重臣達も、己の利益とメンツを優先しており、生まれ変わる前の政に疎い時期は、それで何度も困る事態となっていた。
重臣達の暴走を抑えつつこの状況を早期に打開して越後をまとめ上げ、以前とは違い豊かでありながら、さらに強い越後国にする未来を作り上げねばならんと、一人密かに心に誓う景虎であった。
ーーーーー
広間を出ていった長尾政景は、守護代長尾晴景に呼び止めら小部屋へと招き入れられた。
「政景。儂の頼みを聞いてくれんか」
「馬鹿を言うな。俺は晴景殿が守護代だから仕えたんだ。俺にとって晴景殿は気の良い兄貴だ。どんなことでも相談できて力になってくれる。どんな武勇は高くとも、人を動かし策を練ることは別だ。若い景虎では今の国衆の人心掌握は無理だ。策謀好きの古狸の重臣共に良いようにやられることになる。国衆共は伊達稙宗の越後国乗っ取りを、武力を使わずに防いだ晴景殿が邪魔だから、まだ元服したばかりで政に疎く操りやすい景虎を押し始めた。分かりきったことだろう。その動きに、簡単に押されて良いのか」
「だから、それを逆手に取るのだ。今のうちに越後の詳しい情勢を教え込み、政務を教え、古狸共の言いなりにはならないようにするのだ」
「動乱の越後がひどくなるようにしか思えん。譲るにしてももっと先だ」
「政景。そうも言っておれん。儂の体の問題だ」
長尾政景の顔色が変わる。
「何が起きた」
「まだ、何も起きてはいない。だがな、徐々に病に伏せることが増えてきた。気のせいか以前よりも体が弱ってきているように思える」
「待ってくれ、そんなことは一時的だ」
「そうじゃなかったらどうするのだ。守護代である以上は万が一を考えねばならん。違うか」
「俺は認めんぞ」
長尾政景はそう言い残して部屋を飛び出して行った。
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