第2話 栃尾城の戦い(1)

長尾景虎が籠城する栃尾城は,越後国のほぼ中央にある古志郡(現在の新潟県長岡市)の中にあり、鶴城山かくじょうざんの険しい山中に造られた大規模な山城である。

大規模な堀切・空堀をいくつも備え,数多くの曲輪が作られていた。

三条の長尾平六郎と黒滝城の黒田秀忠は,公称1万2千の軍勢を率いて栃尾城の麓に着陣した。

長尾平六郎や黒田秀忠ら国衆達は,堅固な備えを持つ栃尾城を見上げる表情に緊張感が見られる。

しかし,長尾平六郎らに召集されやってきた農民兵である足軽達には,戦に臨む悲壮感や緊迫感はまるで感じられない。

足軽達の表情は,完全に弛緩して緊張感が無い表情をしている。

皆,戦よりも戦の後に乱取りと呼ばれる略奪行為の許可を待っているのだ。

足軽達は,既に戦に勝ったつもりになっていて,どれだけ乱取りで奪えるかを考えていた。

戦においては乱取りは当たり前の時代。

田畑の作物はもちろん。領民の家財道具。果ては領民まで攫い商人に売り飛ばす行為までごく普通に行われていた時代である。

特に貧しい地域の農民兵が精強な兵が多いと言われるのは,乱取りにあると言われることがある。

土地が貧しい地域で生きている者達は,戦による乱取りを期待して戦に我先に出てくる者達が多い。

戦の乱取りでとことん稼いで生きて帰るために,貪欲なまでに精強なのだとも言える。

「平六郎殿。栃尾城はかなり備えが堅固な城だ。大丈夫なのか」

猜疑心が強く狡猾な笑みを見せる黒田秀忠は、隣にいる長尾平六郎を見上げてに声をかける。

上背も高く腕力があり,力に自信がありそうな長尾平六郎。

「病弱で軟弱者の晴景の弟だ。しかもまだ数え15歳と聞く。それにまだ初陣すらしたことも無い。そんな奴に我らが負ける道理が無いだろう。我らの勢いに恐れをなして逃げるのがオチだ。どうせ,栃尾城の片隅で震えているのに決まっている」

「なるほど,それもそうだな。戦は大将が腑抜けなら,勝てる戦も勝てぬもの。確かに初陣すらしたことがなければ,まともな指揮なんぞ取れまい。初陣すらしていないなら,戦場の殺気に当てられ呼吸もままならんであろう。そんな景虎なら逃げるのが当たり前か,ならば本庄実乃ほんじょうさねよりしだいか」

「当然だ。我らは数え切れぬほど戦を経験して来ている。そんな我らが初陣すらしていない餓鬼に負けるはずがない。本庄実乃が指揮をとったところで倍以上いる相手に勝ことはできん。甲羅に閉じこもる亀のように籠城するしか手がなかろう。ここで若輩者の長尾景虎を血祭りにあげ、府中長尾なんぞ取るに足らん存在だと越後中に知らしめてやる」

長尾平六郎が自信たっぷりに言い放ち,栃尾城を見上げていた。

黒田秀忠は,緊張感の無い足軽達を見て言いしれぬ不安が湧いて来ていたが,必ず勝てる楽な戦いであるという長尾平六郎の考えに同意して,余計なことを考える事をやめ,栃尾城攻めの準備をさせるのであった。



ーーーーー


栃尾盆地を見渡せる本丸で長尾景虎は押し寄せてきた敵の軍勢を眺めていた。

「ホォ〜,よく頑張って集めではないか。倒し甲斐があるというものだ。実乃,そう思わんか」

長尾景虎は嬉しそうな笑顔で本庄実乃に話しかける。

「景虎様。何を呑気なことを言っているのです。敵は我らの倍以上。油断は禁物ですぞ。籠城の備えをしっかりと固めてあります。すぐに春日山城の守護代様に援軍をお願いしましょう」

「敵の数は」

「敵は盛んに1万2千と吹聴しておりますが、実際は半分程度の7千から6千ほど」

本庄実乃は上杉謙信が長尾景虎の頃の軍学の師と呼ばれる戦巧者の武将である。

その本庄実乃は,古志長尾家の若き当主である景虎を,何が何でも守らねばならんと考えていた。

守護代である長尾晴景にお願いして,やっとの思いで古志長尾家に守護代殿の末弟である景虎に古志長尾家を継いでもらえた。

景虎がもし死ぬようなことになれば,今度こそ古志長尾家は終わりである。

そのため,戦の策の中で最も手堅い手段を選んで進言していた。

本庄実乃からしたら本来ならもっと楽な戦で初陣をさせたかったが,そんなことを言っている情勢ではない。

越後府中からの援軍が来るまで,栃尾城の守りをどのように維持して城を守り抜くかを必死に考えていた。

「わざわざ兄上を呼ぶまでもない。我らだけで倒せる」

景虎の言葉に本庄実乃は驚く。

「しかし,我らは3千。敵は少なくとも我らの倍おります。ここは籠城して援軍を待つのが上策」

「実乃。それではダメだ。そんな当たり前の策。誰でもが考える当たり前の戦いであれば,数の多寡が勝負を決めることになる。それではダメなのだ」

「何がダメなのです。栃尾城は備えが堅固な城です。あの程度の連中では問題ありません。そして,守護代様を待てば負けることはありません」

景虎は、手堅く安全な策を進める本庄実乃の目を覗き込む様して笑みを見せた。

今回は古志長尾の兵だけで敵を完全に叩き潰すつもりであった。

「よく聞け実乃。多くの国衆は,儂と兄上を若輩者・軟弱者と侮っている。ここで籠城して援軍を待つ消極的な策では時間がかかり,逆に周辺の国衆にさらに舐められる結果になる。ここは我らだけで敵を圧倒して,奴らを完膚なきまで打ち破らねばならん。そうすることで兄上と我らの力を越後の国衆に示すことができるのだ」

「それでは如何にして戦うのです。まさか野戦ですか。野戦ならそれこそ数の多寡が勝敗を左右いたしますぞ」

「我に策ありだ」

景虎は自信たっぷりに笑って見せる。

「どのような策でございますか」

「敵本陣はどこにある」

「物見の報告では、この栃尾城の南側にございます常安寺と栃尾城の中間付近に本陣を置いているとの報告でございます」

「常安寺手前・・同じか・・」

「同じ?」

「いや、何でもない。常安寺か,すぐ近くだ問題なかろう。敵の士気はどうだ」

「報告では、敵陣内では軍勢も多いことからこの戦は楽勝であろうとの声が大半であり、足軽たちは戦いよりも乱取りの許可を待っている有様で、緊張感のかけらも無いとのこと」

「そうか、さらに油断までしているか、これなら行ける。実乃」

「はっ」

「栃尾城にいる城兵を二手に分け,そのうち一隊を深夜に夜陰に紛れて城の裏手より城外に出し,夜が明けきらぬ暗いうちに敵本陣を背後から急襲させよ」

「敵本陣への夜襲でございますか」

「そうだ。空が暗く夜明け切らぬころがもっとも油断しやすい時刻。その時を狙い背後から敵本陣を急襲させ,敵が混乱状態となったところに,残りの城兵全てで敵本陣に向かい突撃する。夜襲で敵本陣に突撃した兵は、敵本陣に入りしだい敵将・長尾平六、黒田秀忠を討ち取ったと口々に叫ばせ、敵兵の動揺を誘え。狙うのは敵の大将首のみ。長尾平六郎と黒田秀忠の首以外は不要である。我らが敵を圧倒するにはこれ以外に無し。全ての兵にしっかりと言い含め、直ちに準備をせよ」

毅然と言い放つ景虎の姿勢に圧倒された本庄実乃は,しばし呆然としていた。

「どうした。直ちに取り掛かれ」

「はっ,承知いたしました」

栃尾城の城兵たちは景虎の指示を受け,夜襲のための支度に取り掛かるのであった。

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