越後の龍 再び!

大寿見真鳳

第1話 不識庵謙信 再び!

上杉謙信辞世の句

 四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒


御実城おみじょう様,間も無く関東出兵が控えております。酒も程々になされませ」

古くからの上杉謙信の側近であり,七手組大将(上杉家精鋭の部隊長)であり,軍事・内政・外交で重きをなす斎藤朝信は,主君上杉謙信に少しきつい物言いをしていた。

斎藤朝信は,謙信に強く意見できる数少ない昔からの側近である。

御実城様とは上杉家において家臣達が主君上杉謙信を呼ぶときの尊称である。

「朝信。酒は百薬の長と言うではないか,梅も体にいいと言われている。百薬の長に梅だ。問題ない。そもそも,上杉家中においては酒は水のようなものだ」

「ハァ〜,昨夜も御中城様と深酒をされたのですか」

御中城様とは、謙信の姉・仙桃院の子であり、謙信の養子となっている上杉景勝を指す尊称であり,数人いる謙信の養子の中で特別な尊称で呼ばれるのは景勝だけである。

謙信が御実城様であり,その次という意味で御中城様と呼ばれていた。

つまり謙信は,公式に言わなくても景勝に対して家臣一同に御中城様という特別な尊称で呼ばせることで,家臣達に景勝が跡取りであると示していたのである。

「ハハハハ・・喜平次(景勝の通称)の奴も儂の相手ができるほど酒が強くなって嬉しい限りだ」

「御中城様と仲がよろしいですな。御中城様が幼い頃は御実城様が字の手解きをされ,よく教えておられましな」

「儂が家族と呼べるのは実の甥である喜平次ぐらいだ。あやつに色々手解きをするのは楽しいものだ。少し自信が無い素振りが問題だが,わざと常に厳しい表情をしながら無口のままで、与六(直江兼続)を前に出して任せれば問題無いだろう」

「なるほど,それなら知らぬ者たちから侮られることもないでしょう。御実城様,念を押しておきますが,深酒は程々になされませ」

「分かった。分かった」

上杉謙信が立ち上がり歩き出そうとしたその瞬間,頭を抱えゆっくりと倒れて行った。

「御実城様!!!」

斎藤朝信の声が春日山城に響き渡るのであった。


ーーーーー


目を覚ますと,とても不思議な光景であった。

「ここは、一体何処だ・・・」

不識庵謙信こと上杉謙信は、目を覚まし体を起こして周囲を見ると,そこは居城の春日山城ではなかった。

春日山城に比べれば簡素な作りの部屋の中で目を覚ました。

まだ,頭の中が霞がかかったかのようにぼんやりとしたままである。

「確か、頭が割れるほどの痛みを覚えて儂は倒れた。そこまでは覚えている。関東への出兵はどうなったのだ」

その頃,上杉謙信に関東から1通の書状が届いていた。

関東下総国の結城晴朝ゆうきはるともから北条氏との仲が険悪になり,北条から離反したため助けてと欲しいと書状であった。

助けを求める声に応えるため,関東に出向いて北条と戦うために領内に大動員令をかけ、5万を超える大軍勢で出発する六日前に倒れたのだ。

倒れる前日には,いつものように梅干しを酒の肴に酒を浴びるほど飲んでいた。

そんな日々が当たり前であり,そんな生活が倒れた原因と言われている。

部屋を見渡していると徐々に古い記憶が蘇ってくる。

なんとなく見覚えのある部屋。

「しかし、ここは・・・まさか!ここは栃尾城なのか」

ぼんやりとした意識を動かしながらこの状況を考え始める。


栃尾城(現在の新潟県長岡市)とは、上杉謙信が元服して長尾景虎として初めて治めた城である。

武将上杉謙信の旗揚げの城とも言える城であった。

上杉謙信はもともと上杉家では無く長尾家の生まれであり,関東管領山内上杉家の後継が亡くなったため,山内上杉家の養子となり上杉の名を名乗った。

その長尾家は相模国鎌倉郡長尾庄(現在の横浜市栄区長尾台)を発祥の地として関東を中心に全国に広がった一族。

そのうち,越後で越後守護上杉家に仕えたのが越後長尾家である。

越後長尾家にはいくつかの分家がある。

有力なのは,代々守護代を務め府中と三条を拠点とする府中長尾家。

魚沼郡を拠点とする上田長尾家。

古志郡を拠点とする古志長尾家。


その中で古志長尾家は、嫡男がいないため断絶するところであった。

そのため,古志長尾家を景虎が継承することで古志長尾家を残し,越後国中央で睨みを効かせるために栃尾城に入ったのである。

城主は本庄実乃ほんじょうさねよりであり,景虎は古志長尾家当主として栃尾城に入り,城主の本庄実乃は景虎を補佐する役割をしていた。

越後国のほぼ中央に位置して、母の虎御前の実家である栖吉衆の集落からも近い城である。

この頃の越後国は、戦いが絶えない。

本来なら越後守護代である兄の長尾晴景の外交努力で、武力を使わず国衆達との話し合いで、荒れ果てた越後情勢を収めることに成功していたはずであった。

それにもかかわらず、越後国守護である上杉定実うえすぎさだざねの余計な行動で越後国を二分する事態となり、再び越後国の情勢は混迷を極める事態に逆戻りとなっていた。

越後守護である上杉定実は、嫡男がいなかった。

そのため、奥州の覇者伊達稙宗の三男を養子に迎え跡目を継がせようとした。

伊達稙宗の越後介入を認める事ができない国衆や上杉家の家臣。

伊達稙宗と関係が深く又は伊達稙宗の力を利用するために、積極的に伊達の力を呼び込もうとする者達。

越後の国衆は、我が強く強欲であり、おとなしく人に従うようなものはいなかった。

皆少しでも己の利を求め諍いを繰り返している。

そんな越後国を二分する事態が兄の心身を苦しめ、元々病弱であった兄長尾晴景の体を蝕んでいく。


兄晴景の正室は越後国守護上杉定実の娘だ。

嫡男がいなくとも娘婿である兄を養子にすればいいはずだが、兄に実権を渡す事が面白くないのか伊達からの養子を強硬に主張してたが,伊達家でお家騒動が起きてから養子縁組が立ち消えとなった。

そういえば,兄はこの養子縁組は伊達稙宗による策略であり,この越後国を血を流さずに乗っ取ろうとするもので,朝廷に父為景の名前で長尾家の敵は討伐して良いとの綸旨をもらい,さらに養子縁組に反対していた伊達家の者達と連絡を取り合っていたと言っていた。

越後の国衆は元々簡単に従わない連中だ。

事態収拾に苦しむ兄晴景を助けるために僧侶の道に進むはずの景虎は、14歳の時に武将として元服することを決めた。

そして15歳になると兄の命で栃尾城に赴いていた。


次第にはっきりとしてくる意識。

見れば見るほどこの部屋が栃尾城にしか思えない、そんな不思議な懐かしさが湧いてきていた。

壁際に少し大きな鏡があった。

そこに映る自らの姿に驚愕して思わず鏡に駆け寄る。

鏡に映る姿は、49歳のときの姿では無く、栃尾城に初めて来た15歳の頃の姿のままで,この城に来た当時そのままであった。

「こんな馬鹿な。儂は何かに化かされておるのか」

自らの手を見て、着ている着物を見て、自分の頬をつねってみた。

「化かされている訳でもなく、夢でも無い。着ている着物は,この頃に好んで着ていたものだ。こんな事があるのか・・・」

景虎が着ていたのは,青苧で作られた紺色の越後上布の着物である。

そこに慌ただしくかけてくる足音がした。

「景虎様、一大事にございます」

部屋に慌ただしく入ってきたのは,若い姿の本庄実乃ほんじょうさねより

この頃の姿であれば30歳ほどであろう。

相変わらず精悍な面構えだ。

本庄実乃を見たら懐かしさが込み上げてきて涙が出そうになるが,意思をしっかりと持って涙を堪える。

「な・何事だ」

「三条の長尾平六郎と黒滝城の黒田秀忠を中心におよそ1万2千の軍勢がこちらに向かっているとの報告が入りました」

「実乃!直ちに古志長尾家の兵を集められるだけ集めよ」

「既に,触れを出しております」

「すぐに備えを固め,できるだけ物見を多く放ち敵の動きを詳細に掴め」

「承知いたしました。直ちに」

本庄実乃は慌ただしく部屋を出ていく。

「これは間違いない。天文13年(1544年)の春。兄上に敵対する国衆が,儂を若輩者と侮って攻め寄せてきたときの戦いだ。攻め寄せてきた国衆は三条の長尾平六郎と黒滝城の黒田秀忠。だが,生まれ変わる前の栃尾城での戦いでは,黒田秀忠は加わっていないはずだが。黒田がいてもいなくても儂を討ち取り,兄上の足を引っ張ってやろうというつもりだろう。兄上を武威がないなどと馬鹿にしている連中だ。兄上もあんな連中相手に辛抱強く交渉などしなくても良いものを,だが辛抱強く粘り強く交渉できるのが兄上の強みでもあるが,儂にはそんなことはできん。儂ならぶん殴って終わりだ」


長尾景虎は独り言を呟きながら腕を組み、目を瞑りしばらく考え込み再び目を開く。

「これは毘沙門天のご加護なのか,今一度人生をやり直せる機会が与えられたようだ。どうせなら戦と関係ない僧侶になるようにして欲しかったが,もう一度武将として生きろという神仏の意思なのだろう。ならば,反省すべきことは反省して,敵であっても学ぶべき点は学び,それらを生かし今一度武将として生き,この忌まわしき乱世の歴史を必ずや変えることを儂は毘沙門天に誓おう」

長尾景虎は両手を合わせしばらく毘沙門天への祈りを捧げ,乱世の歴史を変えることを誓うのであった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 栃尾城の戦いは諸説あり、攻城戦では無く刈谷田川沿いで1万人もの軍勢が衝突したする説。

栃尾城の戦いそのものが無かったとする説。

寺に向かう途中又は帰りに待ち伏せていた軍勢に襲われ返り討ちにした説などがあり、はっきりしておりません。

多くが軍記物(歴史の出来事に架空の話や虚構を加えた物語)の中の話であり、戦った軍勢の数なども含め、はっきりした資料は無いと言われています。

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