応援コメント

第1話 不識庵謙信 再び!」への応援コメント

  • 晴景の次は謙信!
    楽しみにしています

  • 若がったら酒、控えるんですかね?飲んじゃうんですかね?気になる。

  • 上杉謙信ですか……。この人は人によって捉え方が変わるので作者様がどう書かれるのかが楽しみです。上杉謙信の世に蔓延るイメージは、義を重んじ、神仏を尊び、戦が強い。だいたいこんなものでしょうか。ですが、こんなイメージは上杉謙信の表層に過ぎません。裏切りも許す、温厚な一面?もあれば、戦は勝つことだけ、あまり今後の統治のことを考えない戦をします。(略奪など)神仏を尊ぶ織田信長が比叡山を焼いたのは、あまりにも坊主どもが腐りきっていたからですが、実は織田と上杉は手紙のやり取りをするほど仲が良かったそうです。巷では織田が信仰を捨てたから上杉が裏切っただの言われてますが、上杉も坊主どもには手を焼いていますからそんなことはないでしょうね。なぜ裏切ったのか謎ですね。他にも疫病を使った外道ともいえる戦法をとったりしていますしね。さてさて、私は上杉謙信を戦のために神仏を利用し、ただひたすらに戦をする武人と考えています。そこに義などそうしたものはなく、ただの気分屋なのかなとも……。作者様の意見と相反するようですが、歴史とはその軌跡から私たちが何を感じ取るかだと思っていますので、作者様が上杉謙信をどう書かれるのかが楽しみです。上杉謙信は資料が少ないのでなかなか大変だと思いますが頑張ってください。応援しています。


  • 編集済

    高血圧は脳卒中の最大の危険因子である。多量の酒と塩気の多い肴(主に梅干し)により高血圧になっていたであろう謙信は、果たして、元亀元年(1570)年に脳卒中に見舞われる。このときは軽症であり命に別状はなかったが、後遺症として左片麻痺を生じ、以降は左足を軽く引きずって歩くこととなった。

    「これで大酒には懲りただろう」と思うところだが、謙信は禁欲的な生活を送った人物であったから、飲酒が唯一の楽しみであったのかもしれない。
    謙信は「天性驍健≒プライドが高く激しやすい性格」であった。激しい気性とストレスを緩和するために飲酒が欠かせなかったのか、身体的な後遺症に悩まされながらも飲酒は全く控える気配がなかった。

    そして8年後、ある日、謙信は用を足すために厠へ行ったが、いつまで経っても席に戻らない。家来たちが厠へ様子を見に行くと、脳卒中が再発したのであろう、謙信は白目を向いて昏倒していた。その後は懸命な治療が行われ、倒れて3日目には一旦意識を取り戻すも、発する言葉は要領を得ない。

    8年前と違って今回は重篤であり、発病4日後の天正6年(1578)3月13日午後2時頃、謙信は帰らぬ人となった。享年49。現代の医学で考察すれば、死因は再発性高血圧性脳出血であるという。

    まあ、死ぬ前も、関東を平定した後に上洛を果たさんとして、越後の春日山城で着々と軍備を整える。軍備のかたわら、城内では連日のように軍議や酒宴が行われ、謙信は重臣の直江兼続らを相伴させて大杯をあおっていた。

    アルコール依存症で自業自得である。