第一章⑨


    *


「──海の悪霊の依頼は受けておりません。ですから、公安から報酬は出ません」

「そ、そんな無情な……!」

 その日の朝。

 当主からの呼び出しにより、天馬はまったく睡眠が足りない中、一人本堂へ向かった。

 本来、依頼に関する報告は門下全員が集まるのだが、今回はほぼ真琴一人の功績であるため、自分も不要だと思い込んでいた中での急な指名だった。

 面倒臭いと思いつつ、障子を開けるやいなや耳に入ってきたのが、当主専属の世話役を務める田所と、真琴のマネージャーの金福との間で交わされていた、穏やかでない会話。

 なにごとかと視線を向けると、本堂には当主と田所、そして田所に迫る金福、さらに床に転がって眠る真琴の姿があった。

 殺伐とした空気に嫌な予感が込み上げ、天馬は気配を消してこっそりと中へ入り、少し離れた位置に座る。──しかし。

「天馬、来たか。今日お前を呼んだのは、由比ヶ浜で確認した霊の詳細を報告してもらうためだ」

 当主のひと言で、一気に天馬へと視線が集中した。

「詳細、ですか。……俺が確認したのは、悪霊になりかけていた女の霊と、海の中に現れた、地縛霊の集合体のような悪霊ですが」

「女の霊と、集合体の悪霊だな。それでお前は、鹿沼からの依頼の調査対象にあたる〝人とは思えない不気味な女〟を、どっちだと見る?」

 正玄からの問いは、もはや自ら答えを言っているも同然だった。──しかし。

「え? それは、もちろん……」

 天馬が言いかけた瞬間、一見して穏やかな金福の視線の奥が、たちまち殺気を帯びた。

 とても素人とは思えない圧にひるみつつ、天馬はようやく、金福と田所がめていた理由を察する。

 おそらく、鹿沼からの依頼がどちらの霊を指すかによって、真琴の報酬が変わるのだろうと。

 金福から、察してほしいと言わんばかりの鋭い視線が刺さる。

 実際、真琴が祓ったのは海の悪霊のみであるため、一瞬、そう答えれば貸しを作れそうだという考えが頭を過ったけれど、天馬には、そうまでして政治をする利点が浮かばなかった。

「……もちろん、悪霊になりかけていた女の霊の方です。海に現れた悪霊は、さっきも申し上げた通り地縛霊の集合体であり、依頼内容にあった〝女〟という表現に矛盾しますので」

 はっきりそう言うと、金福から、ギシ、と歯ぎしりが響く。あくまで笑みを絶やさないところがかえって不気味であり、天馬は即座に目をらした。

 逆に、正玄は満足そうに口の端を持ち上げる。

「なるほどめいりような答えだ。……金福さん、あんたも納得だろう」

「……し、しかし、真琴様が祓わなければ、そちらの天馬様や蓮様は今頃……」

「それはまた別の話だ。それに、わしは仮定の話は好かん。……ともかく、依頼がなければ報酬は出ない。そこは納得していただきたい」

「では、……せめて、心付けなど」

「ほう、たとえば」

「車ですとか」

「なかなかのタマだな、君は」

 あまりに厚かましい金福に天馬はぜんとするが、かたや正玄は、そのやり取りを楽しんでいるように見えた。

 悔しそうな金福の表情が面白いのか、単純に金を節約できてほっとしているのかはわからないが、正玄がこんなふうに笑うことは滅多にない。

 その後も金福はしばらく食い下がったものの正玄からの譲歩はなく、結局、床で寝ている真琴を放置したまま、渋々本堂を去って行った。

 通りすがりに聞こえた舌打ちがいっそすがすがしく、天馬はやれやれと脱力する。──そのとき。

「なあ、天馬。真琴は天才だろう」

 ふいに正玄が口にしたひと言で、心臓がドクンと揺れた。

「ええ、そう思います。客観的に見て、俺とは比較になりません」

 答え次第では、今すぐ天霧屋を真琴に譲るとでも言い出しそうな雰囲気があり、天馬は必死に冷静を装ってうなずく。

 こういうとき、変にすがるような姿勢を見せるのはもっとも逆効果であると、正玄との長い付き合い上知っているからだ。

 訪れた、長い沈黙。

 それは、必死に繕ったものを少しずつがし取られるかのような落ち着かない時間で、天馬の視線は少しずつ床へ落ちていった。──しかし。

「……お前は、自分のことをまったくわかっていないんだな」

 正玄がようやく口にしたのは、想像のどれとも違っていた。

 思わず顔を上げて続きを待つが、正玄はそのままゆっくり立ち上がって壇上から降り、出口の方へ向かっていく。

「あの……」

 わけがわからず声をかけたものの、正玄は結局それ以上なにも言わないまま、本堂を後にした。

「どう、いう……」

 ひとり言をつぶやくと、正玄に続いて本堂を出た田所が、障子を閉めながらふと動きを止め、天馬に視線を向ける。そして。

「……天馬様も天才であるとおっしゃりたいのでは」

 ぽつりとそう言い残し、スッと障子を閉めた。

「は……?」

 静まり返った本堂に、間の抜けた声が響く。

 人の悪い冗談としか思えなかったが、いつも世話役に徹している田所は、冗談どころか自分の意見を口にすることすら滅多にない。

「天才……?」

 改めて呟いてみたものの、その響きは自分にまったくしっくりこず、思わず笑ってしまった。

「万が一、……いや億が一、田所の予想が当たっていたとしたら、とんでもない孫馬鹿だぞ……」

 ついこぼしたひとり言で、一気にむなしさが込み上げてくる。

 その一方、天霧屋をけて真琴と争い勝利するには、実際にあの天才を上回る能力が必要であるという厳しい現実も、十分に理解していた。

「……いっそ、孫馬鹿に縋りたいものだ」

 天馬はなかば脱力しながらそう呟き、ゆっくりと立ち上がる。

 なんにもない自分にまず必要なのは、たとえ悪い冗談であっても、それを額面通り受け取るくらいの自信なのかもしれないと思いながら。




~~~~~




増量試し読みは以上となります。


この続きは2024年9月24日発売予定の『祓屋天霧の後継者 御曹司と天才祓師』(角川文庫刊)にてお楽しみください。


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祓屋天霧の後継者 御曹司と天才祓師 竹村優希/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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