第一章⑧

「どういう意味だ。普通に考えて、知りようがないだろ……」

「知りようがない?……いや、知ろうとしてないだけでしょ。あんたは、すべてを気配だけで判断して、問答無用で祓いまくってるだけ」

「危険な気配なら、祓うのは当然だ」

「うわ、名家のお坊ちゃんはこれだから嫌いだわ……。なんか、日本からはらいが滅びつつある理由がわかった気がする」

「……皮肉はいいからはっきり言え」

「じゃ言うけど、悪霊だって、元は人間なんだよ」

 そんなのは当たり前だと言いかけた瞬間、ふと女の霊の姿が目に入り、思わず言葉が止まった。

 女の霊はただ静かに子供の魂を抱きしめ、一度は悪霊になりかけていたというのに、すでにその気配に危うさはまったくない。

 それどころか、姿はすっかり薄くなり、浄化に向かっているようにすら見えた。

 おそらく、こんな形であっても、捜し続けた子供との再会がかなったお陰なのだろう。

 途端に、天馬の心の中で、自分がこれまで信じて疑わなかったものがわずかにほころんでいくような、なんとも言えない不安を覚えた。

「悪霊にも普通に生きていた時代があって、あんたと同じく感情もあるわけ。この人はギリ大丈夫だったけど、悪霊になるにはそれ相応の理由があるの」

「そんなことはわかって……」

「──ない。あんたには寄り添う気なんてさらさらなくて、救える可能性を一ミリも考えてない。現に、過去を知ろうともしてないんだから」

「だから、どうやって……」

「なにもかも教えてもらおうなんて甘いのよ。それに、頭でっかちの祓師に必要なのは、知識よりも経験でしょ」

「…………」

 腹立たしくも言い返せず、なんだか眩暈めまいを覚え、天馬はその場に座り込む。

 すぐ傍には砂に埋もれて眠る蓮の姿があり、天馬はその頰に触れ、砂をそっと払った。

 さすがに今の天馬には、真琴が女の霊を祓うなとしつこく言っていた理由がわかる。

 真琴には、子供の魂が無事であるという根拠があり、それを救い出すことで女の霊が浄化することや、それどころか蓮を我が子と重ねて守ろうとすることまでも、すべて想定していたのだろうと。

 かたや天馬には、どれひとつとっても到底考えが及ばないことばかりだった。

「お前の能力も、知識も、俺とはけたちがいだ。……とてもかなわない」

 力なくつぶやくと、真琴はさもうつとうしそうに手で額を覆った。

「そりゃ、敵わないだろうね。じゃ、負けを認めて当主争いから降りる?」

「……それは」

「一応言っておくけど、天霧屋を私一人でやるってのは脅しじゃないよ。あんたがあらがわないなら、あのおじいちゃんが当主を降りた途端に門下は全員解散。なにせ、今回のことで天霧屋の最低な未来が見えたし。……まあ、別によくない? お坊ちゃんにだって、別にたいしたやる気もないんでしょ?」

「……やる気、か」

「その有様で、まさかあるなんて言わないよね?」

「というか、……確かに俺は、祓屋はいずれ滅ぶべき商売だと思ってきた。……俺には正直、守るべき〝世の中〟ってものが、ピンとこない」

「……なに、急に」

 冷ややかな真琴の反応を受けながら、確かに自分はいったいなにを語っているのだろうと、心の奥の方では妙に冷静に考えていた。

 けれど、さっき生まれた心の綻びの隙間から、とどめておけない様々な感情が勝手にあふれ出し、自分では止めることができなかった。

「……世の中から大きく外れている俺のような人間に、世の中を守るべき気概を持てなんて無理だろう。正直、なんの感情も湧かない。これまで数々の悪霊を祓ってきたが、いつもただむなしいだけで、良かったと思えたことはない。むしろ、大切なものを失ってばかりだ。……年々、祓屋なんて滅びるべきだという気持ちが確かなものになっていってる。……にもかかわらず、今の俺はなにもせず、いろんな言い訳を並べて流れに身を任せているだけだ」

 みっともないと思いながら口にした告白に、真琴は、一度もあいづちを打たなかった。

 おそらく聞いてもいないのだろうと、別にそれでも構わないと天馬は思う。──しかし。

「祓屋を滅ぶべき商売にしてるのは、あんた自身じゃん」

 ぽつりと返された言葉で、天馬は思わず顔を上げた。

「は……?」

「悪霊も人間だってわかっていれば、もっと救いのある商売だと私は思うよ。あんたもあんたの仲間もいずれは死ぬんだし、中には、死んだ後の方がずっと長い人もいるだろうし」

「……それは、どういう」

「だから、全部聞こうとしないでってば。そもそも、あんたが当主争いを降りる宣言しない限り、私たちはライバルなんだから」

 真琴の言葉の端々が確かに心に刺さっているはずなのに、凝り固まった考えがしっかりと染み付いている天馬には、理解するのに時間が必要だった。

「……じゃ、帰る」

 固まったまま返事をしない天馬に、真琴はひらひらと手を振って背を向ける。

「……待て」

 なかば衝動的に手首をつかむと、真琴はうんざりした表情を浮かべ、天馬に冷たい視線を向けた。

「いや、待てないんだってば……。見てわかんないの? 寒いのよ。この時季に海に入って、こっちは凍えそうなの」

「……着替えは」

「忘れた」

「忘れた……? そのかつこうじゃ、寺を出た時点ですでに寒かったはずだろ。……やっぱりアホなのか、お前」

「あんたにだけは言われたくない」

「まあ……、今日に限っては、言い返せないな。俺の方がアホで、おまけに間抜けだ」

 すっかり平常通りの憎まれ口をたたく真琴に、天馬は自分の羽織をバサッと投げつける。

 真琴はキョトンとしながらも、即座にそでを通した。

「いいの? 返さないよ?……なんかこれ、高く売れそうだし」

「いいよ」

「いいのかよ」

「あと、……一応言っておくが、俺は当主争いを降りない。というより、今は仲間のために降りられない。……でも、お前を見ていたら、そういう言い訳じゃなく、自分が納得できるような理由がほしくなった」

「……なに? どういう意味?」

「俺にもまだわからん。ただ、今後、お前の祓屋としての考えや悪霊との向き合い方を知るうちに、わかるような気がする」

「……なにそれ。なんか、私がすごく迷惑を被りそう」

「こっちも散々迷惑を被ってるんだから、お互い様だろ。……それに、これはまだ自分の中でも上手うまくまとまっていないが……、俺はこれまで、重要なことを見過ごしていたような気がするんだ。お前のせいで、今日、突然そう思った。それがなにかを、ちゃんと知りたい」

「私のせい? じゃなく?」

「お陰……、と、言ってもいいのかもしれない」

「肯定されたらされたで気持ち悪……」

「とりあえず、もう帰れ。……風邪ひくなよ、俺のせいにされたらたまらん」

「自分が引き留めておいてその言い草」

 真琴はわけがわからないといった様子でけんしわを寄せ、ブツブツと文句を言いながら天馬に背を向けた。

 正直、結局なにを伝えたかったのかは、天馬にもよくわからなかった。

 ただ、真琴の影響を受け、心の奥の方でなにかが変化をはじめたのは事実であり、それが思いの外心地よく、もしかしたら感謝しているのかもしれないと思っている自分がいた。

 もちろん、相手は天霧屋を崩壊に導く競合相手であるため、素直にそんなことを伝えるつもりはない。

 一方、真琴は突如立ち止まったかと思うと勢いよく振り返り、天馬を見つめる。──そして。

「天馬」

 やけに意味深に名を呼ばれ、天馬は思わずまゆひそめた。

「……なんだよ」

「いや、あのさ、……はらい集団がよくやってる朝の修行みたいなやつ、私は付き合わなくていいんだよね」

「なんだ、そんな話か。お前はものなんだから好きにすればいいだろ」

「よかった、朝から地獄じゃんって思って。……あと」

「……あと?」

ひねくれ者でえんせい的なクソ野郎かと思いきや、ライバルに泣き言言ったり、教えをいまくるそのプライドのなさ、意外と嫌いじゃないよ」

「は?……悪口か?」

「いや、褒め言葉。じゃ、また!」

 今度こそ去っていく真琴に天馬は首をかしげつつ、──ふと気付いたのは、呼び方が「お坊ちゃん」から「天馬」に変わっていたこと。

「……すぐ死ぬ奴の名前は覚えないんじゃなかったのかよ」

 天馬は聞こえないように悪態をつきながら、今のは、金目のものをもらって機嫌を良くした真琴の気まぐれであると、──学ぶべき点はあっても決してれ合ってはならないと、自分に言い聞かせた。

 ただ、寒そうに背中を丸めて歩く真琴の後ろ姿は、悪霊を前にしたときと別人のように頼りなく、本当に凍え死ぬのではないかと早速心配が込み上げてくる。

 しかし、ふと道路の方を見れば、天馬の車の隣にハザードを点滅させて停まる一台の車が見えた。

 おそらく、マネージャーの金福が真琴を迎えに来たのだろう。

 その車体は夜中に遠目に見てもわかる程にいかつく、明らかに高級車だったが、今の天馬には下世話なせんさくをする程の気力がなかった。

「それにしても、よくわからん女だ」

 天馬はすっかり疲労した頭で今日のことを思い返しながら、ふと、真琴のことを考える。

 しやべりさえしなければ規格外に美しく、きやしやな体からは想像できないくらいの高い能力と知恵を持つ真琴に、天馬はたった二日で二度も圧倒された。

 いろんな意味で自分より勝っていることは明白であり、天霧屋の今後さえ守られるならば、いちいち争うことなく次期当主の座を譲っていただろうと天馬は思う。

 ただ、結局争わなければならなくなったこの現状を、さほど煩わしく思っていない自分もいた。

 むしろ、しくも強力なライバルの登場によって、滅ぶべきだとはすに構えていた祓師の未来に、小さな可能性をいだしてしまっている部分もある。

 まだなにもかもがあいまいだけれど、少なくとも、天馬が祓師という役割に向き合ってみようと考えるには、十分なキッカケだった。

 やがて真琴は車に乗って去り、天馬はほっと息をつく。そのとき。

「天馬……?」

 ふいに名を呼ばれて視線を落とすと、蓮がうつすらと目を開け、天馬に向かって小さな手を伸ばした。

「蓮……! 大丈夫か? 気分は?」

 慌てて手を取り抱き起こすと、蓮は小さくうなずく。

「……僕は大丈夫。ねえ、あの女の人の霊は……?」

「ああ、あの霊は……」

 尋ねられて辺りを見回してみたものの、その姿はもうどこにも見当たらなかった。

 おそらく、無念が浄化し、そのまま消えてしまったのだろう。

 真琴が子供の魂を連れ帰った時点ですでにその兆候はあったけれど、一度は悪霊とほぼ同等の気配を放っていたことを考えると、天馬としては信じ難い気持ちだった。

「祓屋の概念を覆すような話だが、……どうやら、消えたらしい」

「浮かばれたってこと?」

「状況から考えると、多分。なにせ、真琴が子供の魂を見つけてきた瞬間に、気配が変わったからな。……そういうのは坊さんの専売特許だと思っていたが」

「そっか。でも、良かったね」

「良かったって、……お前は捕まって散々怖い思いをしただろ」

「ううん、最初は怖かったんだけど……、なんだかいい夢を見てたような気がするんだ。それに、あの人の腕の中、なんだか温かかったし」

「……相手は霊だぞ、あり得ないだろ」

「でも、本当なんだよ」

 その言葉が噓でも強がりでもないことは、穏やかに笑う蓮の表情を見れば明らかだった。

 不思議ではあるが、怖がっていないのならまあ良いかと、天馬は立ち上がって蓮を抱き上げる。

「とりあえず、俺らも帰るぞ」

「うん」

 そして、ようやくその場を後にしようとした、そのとき。

「……お母さんって、ああいう感じなのかも」

 蓮がふいにこぼしたその言葉で、天馬の胸に小さな痛みが走った。

 なにせ、蓮は優しい母親というものを知らない。

 そのぬくもりを霊から知るなんてあまりに皮肉だと複雑に思いながらも、天馬は結局頷いてみせた。

「まあ、そうかもしれないな」

「あんなに温かいんだね」

「……ああ、多分」

 曖昧な返事をした理由は、天馬にもまた、母親がいないからだ。

 とはいえ、蓮のような悲しい別離を経験したわけではなく、物心がついたときからすでにおらず、記憶にもない。

 過去に母親のことを知りたいと思ったことは何度かあるが、今は亡き父親も母親についてはあまり語りたがらず、思い出話どころか、まだ生きているのかどうかすら知らされなかった。

 幸いというべきか、似た境遇の仲間たちの中で育った天馬は、それを特別であるとも、寂しいとも思ったことはない。

 ただ、子供に強い執着を持つ霊の姿を見てしまったせいか、今日はつい、なにも知らない母親に思いをせてしまっている自分がいた。

「……子供への執着、ねぇ」

 頭で考えただけのつもりが声に出てしまい、蓮が首をかしげる。

「執着……? なんの話?」

 天馬は慌てて首を横に振り、気を取り直して車へ向かった。

「いや、なんでもない。また悪霊が出る前に帰らないとな」

「え? 悪霊が出たの? ここに?」

「そういえば、お前は見てないのか。昨日と同じくらい厄介な奴が出たんだが、真琴が暴れて一瞬ではらったよ」

「そっか。また真琴さんが来てくれたんだね」

「来て、くれた……まあ、そうだな」

 つい感情が顔に出そうになり、天馬はとつせきばらいをして平常心を保つ。──しかし。

「でも、昨日みたいな強い悪霊は滅多にいないってみんなが言ってたのに、また出るなんて、……どうしちゃったんだろうね」

 蓮が口にした疑問で、海の悪霊を見た瞬間から覚えていた違和感が、心の中で一気に存在感を増した。

 実際、天馬でも手に負えないレベルの悪霊が立て続けに現れるなんて、極めて異常な事態だ。

 そもそも、強大な力を持つ悪霊程、むやみに動かず静かにしているものであり、派手に暴れ出したこと自体が不自然だからだ。

 やがて、導き出されるかのように頭をよぎったのは、作為的なものである可能性。

 もし誰かが悪霊をわざとあおっていたなら、──と。

 つい怖ろしいことを考えてしまい、天馬は即座にそれを頭から追い払う。

「……やめよう。事実ならさすがに俺の手に余る」

 自分を落ち着かせるためゆっくり息を吐くと、蓮がキョトンと首をかしげた。

「……天馬ってさ、ひとり言が多くない?」

「悪い、少し考え事をしてた」

「天馬がブツブツ言ってるときは、僕に聞かせられないような妄想をしてるんだって、前に慶士が言ってた」

「……そんなしょうもない話を真に受けるな」

「ねえ、どんな妄想?」

「…………」

 黙る天馬を見て蓮は笑うが、その表情はどこか無理しているようにも見え、今は余計なことを考えまいと、天馬は蓮を抱く腕にぎゅっと力を込める。

 その一方、──この日常が当たり前に続くことなんかないのだと、自分が守ってこそ手に入るものなのだという危機感は、常に心の重要な位置に留めておかなければならないと痛感していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る