第一章⑤

 このままでは隠すべき本音をすべて引き出されてしまいそうだと、子供の素直さと鋭さに恐怖すら覚えた。

「……一番いいのは、これまで通りの天霧屋を守れる強い者が当主になることだよ」

 とつに当たり障りのない答えを返したものの、蓮は不満げに頰を膨らませる。

「だから、僕はその〝強い者〟っていうのが天……」

「もういいだろ、その話は。……ほら、海が見えてきたぞ」

 なかば無理やり言葉を遮ると、蓮はまだなにか言いたげながらも正面を向いた。

 天馬には、様々な苦労をしてきた蓮が、海を見てはしゃぐような普通の七歳の感覚を持っていないことがわかっていたし、蓮もまた、引き際を察した様子だった。

 微妙な沈黙が流れる中、天馬たちは少しずつ大きくなるしおさいに引き寄せられるように、砂浜に降りる。

 夏場は近寄りたくもないくらいに人でごった返している由比ヶ浜も、三月の平日ともなると閑散としており、やけに広く感じられた。

 辺りをざっと見回して確認できるのは、ジョギングや犬の散歩中の、地元の人間とおぼしき数人のみ。

 ただ、そんな閑散とした中でも、砂浜に和服姿でやってきた天馬たちはさぞかし浮いているのだろう、時折視線を感じた。

 実際、に草履という足元は砂浜との相性があまりに悪く、すぐに足を取られる上、あっという間にはかますそまで砂まみれになった。

「足、ザラザラして気持ち悪いね」

 蓮が素直な感想を口にし、天馬は苦笑いを浮かべる。

「このかつこうは、砂浜を歩くのにまったく向いてないからな」

「スニーカーじゃ駄目なの?」

「さすがに無理だろ」

「どうして?」

「……どうしてって」

 これははらいの正装だからだ、と。

 言いかけた瞬間に頭に浮かんできたのは、スウェットで悪霊ばらいをした真琴の姿。

 これまではなんの疑問も抱かなかったけれど、あれほど軽装ならさぞ動きやすいだろうと、つい考えてしまっている自分がいた。

 しかし、大昔からの決まりに疑問を呈してもどうせ無意味だと、天馬は歩きにくそうな蓮の手を強く握る。

 そして、ようやく波打ち際まで進むと、足元が水で固まっているお陰で幾分歩きやすくなり、天馬はほっと息をついた。

 しかしそれも束の間、蓮が突如立ち止まり、大きくひとみを揺らす。

 その反応から、おそらくなんらかの気配を感じたのだろうと天馬は察した。

 しかし、辺りに集中してみても、今のところ天馬が気になるような気配はない。

「浮遊霊か」

 尋ねると、蓮は小さくうなずいてみせた。

「……うん。……たくさんいるから、びっくりしただけ」

「海にはいろいろ集まってくるからな。大丈夫か?」

「まだ、……平気」

「無理するなよ」

 天馬はそう言いながら、懐から手のひらサイズの羅針盤を取り出す。

 それは三善家に代々伝わるもので、見た目は仰々しいが、要するにただの方位磁針だ。

 ただ、天馬たちのように特殊な人間が持つことで針が霊の気配に反応するため、祓師のひつ道具とされている。

 見れば、針は不自然な揺れを続けており、蓮の言う通り、辺りに多くの浮遊霊がいることを表していた。

「多いが、どれも弱いな。通報された霊ではなさそうだ」

「……うん。普通の人に見える程の気配はないよ。……でも、なんだか、あっちの方にたくさん集まってきてる気がする」

 蓮が指差したのは、砂浜の西側の先。

 天馬は頷き、蓮とともにその方向へ向かいながら、やはり蓮を連れて来て正解だったと改めて思っていた。

 なにせ、羅針盤では気配の流れまでは把握できず、しかし浮遊霊が集まる場所を辿たどれば、大概気配の強い悪霊が潜んでいるからだ。

 天馬は蓮の反応を注意深くうかがいながら、ゆっくりと足を進める。──そのとき。

「天馬……!」

 突如蓮が震える声をあげ、天馬の腕にしがみついた。

 手元に視線を落とすと、羅針盤の針が不自然にぐるりと一周する。

 悪霊の反応と考えるにはまだ少し弱いが、そこそこ気配の大きな霊が近くにいるようだと、天馬は周囲を警戒した。──瞬間、足元から伝わってきたのは、おぞましい程の冷気。

 咄嗟に見下ろすやいなや、真っ黒によどんだ両眼にとらえられた。

 そこにいたのは、砂から首だけを出し、天馬を見上げている女の霊。

 おそらく海で死んだのだろう、その顔は大きくむくんでおり、一部肉がげ落ちて骨が露出していた。

 こんなふうにむごい状態で現れる霊は、自殺や殺人など大きな無念を抱えて死んだ者に多く、さらに、死体がまだ見つかっていないなど、正しく供養されていない場合が多い。

 自らが死んだことに気付かず、もしくは受け入れられずに、肉体が朽ちるまで魂が居座った結果、そのままの姿で彷徨さまようことになる。

 見た目はかなり怖ろしいが、とはいえ、幼い頃から天霧屋当主となるべく育てられた天馬がおびえるような相手ではなかった。

「……まだ気配は弱いが、放っておくといずれ悪霊になりそうだな。なにより、日中堂々と現れる辺り、目撃された霊もこの霊かもしれない。……今のうちに祓っておくか」

 天馬は少し考えた後、懐からじゆを取り出した。

 おんみよう系譜の天霧屋は、元より仏道と神道の両方の影響を受けているため供養という概念があり、こういうときはそうりよに任せるか祓うかの二択となる。

 ただ、こんなに気配の多い場所ではあっという間に悪霊化しても不思議ではなく、天馬は悪霊祓いの呪符を手に、ゆっくりと祝詞のりとを唱え始めた。──そのとき。

「──いやいや、待って! その人まだ全然大丈夫だから」

 突如聞こえてきたのは、この状況にまったくそぐわない、緊張感のない声。

 祝詞を中断して声がした方に視線を向けると、ある意味予想通りというべきか、天馬たちの方へ駆け寄ってくる真琴の姿が見えた。

 真琴はパーカーにデニム、足元はビーチサンダルと相変わらずラフな恰好で、しかし寒いのか背中を丸め、手をこすり合わせている。

 やがて、目の前まで来ると、依然としてのん気な様子で両手に息を吹きかけた。

「ってか、寒くない?」

「……今はそれどころじゃない。邪魔するな」

「ってかあんたの足、砂でドロドロじゃん」

「……この季節に浮かれたビーチサンダルで来たお前よりはマシだろ」

「マシではないけど、これはこれで失敗したと思ってるよ」

「とにかく、下がっててくれ。こっちは今それどころじゃない」

 天馬は真琴をあしらい、ふたたび足元の霊に視線を向ける。

 しかし、改めて祝詞を唱えようとした瞬間、真琴は天馬の手からスルリと呪符を抜き取り、そのまま放り捨ててしまった。

 砂浜に落ちた呪符はあっという間に波にさらわれ、海へ引き込まれていく。

「……どういうつもりだ」

 まさかの行動に、天馬は真琴をにらみつけた。

 かたや真琴は悪びれもせず、天馬の足元の霊を指差す。

「だから、この人は悪霊じゃないし、祓う必要がないんだってば。まぁ見た目はちょっと怖いけど、全然大人しいじゃん」

「いちいち口を出すな。……そもそもお前、なにしに来た。今回の依頼には乗り気じゃなかっただろ」

「乗り気じゃないけど、金福が行けってうるさいから」

 天馬はふと、正玄の前で、真琴にはしっかり働いてもらうと宣言していた金福のことを思い出した。

 マネージャーとして、どこまでの口出しを許しているのかは知らないが、どうやら真琴はあの男の言葉は素直に聞くらしいと、天馬は少し不思議に思う。

「やたらと偉そうに振る舞っている癖に、お前、あの男の言いなりなのか」

「そりゃ、彼は敏腕コンサルタントだから。名刺にそう書いてあったし」

「名刺に自ら敏腕なんて書く奴、よく信用したな」

「自信満々でいいじゃない。それに、面倒な作業やら交渉やらを全部請け負ってくれるし、金福の言う通りにしてた方がいろいろと都合がいいの。……ともかく、早くその人を解放してあげてよ」

 そう言われて視線を落とすと、霊は依然としてまっすぐに天馬を見上げたまま、動く気配はなかった。

 しかし、今のうちに祓うべきという判断に変わりはなく、天馬は真琴を無視してふたたび新しい呪符を取り出す。

 一方、真琴は即座にそれを奪い取ったかと思うと、ぐしゃぐしゃに丸めて天馬に投げ返した。

「お前……」

「いや、人の話聞いてよ」

「こっちは、邪魔をするなと言ってる」

「だからよく見なさいって。彼女はどう見ても悪霊じゃないでしょ」

「今はそうでも、すぐに変わるんだよ」

「そんなのまで祓ってたらキリないじゃん。だいたい、依頼の霊じゃなかったらどうすんの? 祓ったところで一円にもならないよ?」

「こっちはお前と違って、金に踊らされて動いてるわけじゃないんだ」

「金に踊らされてる人間の門下なんだから、同じでしょうが」

「……当主を侮辱するな」

「私は別に、金目的で動くことを悪いなんて言ってないし、むしろ生きる上では正しい行いだと思ってるけど?……逆に、居場所を与えられてる祓師は、ずいぶんのん気でお目出たいこと。ふわっと生きてる間にどんだけ搾取されてるか、一回計算してみた方が──」

「ふ、ふたりとも、もうやめてよ……!」

 みるみる激化する応酬に割って入ったのは、蓮。

 蓮は天馬の背後にぴたりと張り付いたまま、オロオロと目を泳がせていた。

 天馬は途端に我に返り、ひとまず蓮の頭をそっとでる。

「……悪い。すぐに終わらせる」

 しかし、真琴はそのわずかな隙をついて短く祝詞を唱えたかと思えば、霊はあっという間に気配ごと消え去ってしまった。

 足元には黒く変色した砂だけが残っており、天馬は真琴のあまりの素早さにきようがくしつつも、怒りをあらわにその腕をつかむ。

「お前……!」

はらってないよ。いつたん追い払っただけ」

「そんなことを聞いてるんじゃない!」

「とにかく、他もいろいろ探した方がいいって」

 真琴はそう言いながら、天馬の腕からスルリと逃れた。

 そのひようひようとした態度が、天馬の感情を余計にあおる。

「……余計な世話だ。そもそも、俺はお前にとって競合相手のはずだろ。いちいち関わってくるな」

「いや、まずもってお坊ちゃんごときを競合相手だなんて思ってないし、関わりたくなくても気になるのよ。たいして害のない霊まで祓おうとしてるはらいを見ると、効率が悪すぎてイライラするっていうか」

「それはさすがに聞き捨てなら──」

 反論しかけた瞬間、蓮に着物のすそを引かれて天馬は言葉を止めた。

 途端に、こんな言い合いを繰り返しても不毛だと冷静になった天馬は、ひとまず乱れた着物の襟を直して蓮の手を引き、真琴に背を向けその場から離れる。

 すぐに背後から、「どこ行くの?」と間延びした声が届いたけれど、天馬はそれをも無視し、ひたすら砂浜を歩いた。

 やがて落ち着きを取り戻した頃に振り返ると、真琴の姿はもうどこにもなく、天馬はほっと息をつく。

 しかし、集まっていた霊たちの気配もすっかり消えてしまっていて、羅針盤の針にもまったく反応がなかった。

「消えたな。……あれだけ騒げば当然か」

「なんにもいなくなったね」

「ああ、かえって不気味だ」

「ねえ天馬、さっきの霊って……」

「心配するな。あの場で取り逃したことは悔やまれるが、必ず祓う」

「でも、真琴さんはどうして止めたんだろう……。必要ないって言ってたけど、それって、あの霊が浮かばれるって思ってるってこと……?」

「さあな。どれだけ祓ってきたか知らないが、悪霊にもなっていない霊は眼中にないんだろ」

「……そう、なのかな」

 蓮はどこかに落ちない様子だったが、それ以上なにも言わなかった。

 そんな中、天馬の頭を巡っていたのは、真琴が口にしていた「ふわっと生きてる間にどんだけ搾取されてるか」という言葉。

 もちろん、天霧屋に法外な報酬を出す依頼主がいることは知っているし、実際に祓っている門下たちがほとんどその恩恵にあずかっていないことも、依頼を終えるたびに当主から渡される手当の額から嫌という程わかっている。

 それでも、天馬はこれまで、天霧屋は職場ではなく、あくまで家族のようなものだからと自分に言い聞かせ、あまり深く考えないようにしていた。

 当主の部屋に増えていく高価そうなこつとうひんの数々にも、ずっと見て見ぬフリをしながら。

 そもそも天馬自身、実際に天霧屋が依頼主から受け取っている報酬額どころか、コストをはじめ経理状況がどうなっているのかすらまったく把握しておらず、文句を言える程の情報を持っていない。

 結局のところ、自分は与えられた環境に全力で甘え続けてきたのだろうと、その代償が搾取だとすればある意味仕方がないのかもしれないと、最終的に行き着いたのは、情けなくもそういう結論だった。

「そう考えると、あいつはたくましいよな。……もっとも、奴は奴で〝敏腕コンサルタント〟による搾取の匂いがぷんぷんするが」

 思わずつぶやくと、蓮がひとみを揺らす。

「真琴さんのこと?」

「ああ。実力は認めるが、いろいろうつとうしい。おまけにアホだ」

「でも僕は、……なんとなくだけど、あまり悪い人じゃないと思う」

「そんなわけあるか。奴は俺らの居場所を奪う気だぞ」

「それは、……そうなんだけど」

 正直、強く否定した天馬にも、蓮の言葉がまったく理解できないというわけではなかった。

 真琴を目の前にすると、いらちが込み上げる半面、奔放な振る舞いと空気を読まない発言に調子を狂わされ、同時に警戒心も緩んでしまう。

 蓮に言った通り、自分たちの居場所を奪おうとしている相手であるとわかっていながら、それは困った事態だった。

 もちろん、現当主である正玄が、真琴の存在を受け入れているという前提があってこそだけれど。

「……いや、あの女のことを考えるのはやめよう。時間がもったいない」

 天馬はそう言って首を横に振り、ふたたび周囲の気配に集中する。

 しかし、それ以降はどんなに探したところで、さっき真琴が逃した霊はもちろん、目立った気配が現れることはなかった。

 結果、別の日に出直した方がよさそうだと、天馬たちは日が落ちはじめた由比ヶ浜を後にし、天成寺への帰路を辿たどる。

 途中で眠そうにしていた蓮を背負ってようやく帰り着くと、本来は百人収容できるはずの宿舎はしんと静まり返っていて、途端に、門下がまた三人減ったという実感が湧いた。

 玄関のすぐ横にある食堂には、世話役が用意した二人ぶんの食事がぽつんと残されていたが、熟睡している蓮を起こすのは忍びなく、そのまま部屋へと運ぶ。

 ちなみに、宿舎の一階には食堂や、集会所などの共同で使う設備があり、二、三階が祓師たちの自室となっているが、現在三階は使われていない。

 元は天馬の部屋だけ三階にあてがわれていたが、掃除する世話役の手間を考えて天馬が二階に移り、後に閉鎖した。

 天馬は階段を上りながら、三階へ通じる踊り場に置かれた「立ち入りを禁ず」という立て板を見て、このままではいずれ二階の奥半分もそうなるだろうと、ひそかに予想していた。

 やはり、いずれは滅びゆく運命なのだと、天馬は改めて思う。

 どんなにあらがっても、しよせん時代に合っていないのだと。

 現に強い祓師はどんどん減り、天馬に言わせれば、今やただ先頭を切って悪霊のじきになる役割でしかない。

 ただ、そんなひどく冷めたあきらめを抱く一方で、せめて最年少の蓮が大人になるまでは居場所を残してやりたいという思いは捨てられなかった。

 少し前までの自分なら、そういった自分の中の矛盾も、跡継ぎなどの面倒ごとも、すべていっしょくたにして先延ばしにし、だましだまし日々をやり過ごすこともできただろう。

 ただ、真琴が現れてしまった以上、そういうスタンスはもう通用しなくなってしまった。

 天馬は背中にのしかかる大きなストレスを持て余しながら、蓮を部屋に送り届けた後、自分も部屋に戻る。

 そして、布団に体を投げ出し、現実逃避をするかのようにそのまま眠りについた。

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