第一章④

「今回の現場は、はまだ。県警や鎌倉署に、人とは思えない不気味な女が現れるという通報が日々増えているらしい──」

 正玄が語った依頼内容は、いわゆる、霊の目撃談の調査。依頼の中では、もっとも一般的であり、単純なものだ。

 ちなみに、今回の依頼を天霧屋に持ってきたのは、元祓師で現公安の鹿沼。

 依頼書には、目撃談が急激に増え、噂も広がりはじめているため、できるだけ急いでほしいと追記があるとのこと。

 由比ヶ浜といえば、夏になれば海水浴客でごった返す、しようなんを代表する場所のひとつだ。

 今はまだ三月と比較的人が少ない時期だが、にもかかわらずすでに目撃談が多いとなると、早めに対処しなければ収拾がつかなくなってしまうだろう。

 鹿沼はさぞかし困っているに違いないと、天馬はかつてのどうぼうのことを思う。

 そんな中、真琴はさも物足りないといった様子で、けんしわを寄せた。

「で、被害状況は?」

 普段、正玄の説明中に口を挟もうものなら、怒鳴られるか殴られるかの二択だが、正玄はまゆひとつ動かさずに首を横に振る。

「深刻な被害は、今のところない」

「え?……ないの?」

「……が、少し前までは目撃のみだった通報内容が、日を重ねるごとにより不穏なものに変化しつつあるらしい。今はまだ〝肩に触れられた〟や〝声を聞いた〟という程度のものだが、そういった変化を無視するのは危険だ。お前らも知っての通り、大人しかった霊がいきなりひようへんし、無念の矛先を人に向けることは多々ある」

 正玄の説明の通り、霊の変化については、はらいたちがもっとも注意を払うべき点と言える。

 ほとんどの地縛霊や浮遊霊は、彷徨さまよう中で自然に魂が昇華され消えていくものだが、中には、彷徨う中で逆に無念や怒りを増幅させていってしまう者も一定数存在するからだ。

 それらこそまさに、天馬たちがはらうべき悪霊と呼ばれるたぐい

 その変化を見過ごし放置してしまえば、いずれは手が付けられない程の強力な存在になり、しかも悪霊は力を付ける程にこうかつになるため、容易に見つけられなくなってしまう。

 昨晩天馬たちが遭遇した悪霊こそがその最たるものであり、長い年月をかけて人知れず力を増大させた、わかりやすい例だ。

 そういった知識は祓師にとって基本中の基本だが、真琴は正玄の言葉を聞いてもなお不満げな表情を浮かべた。

「海なんて、そもそも悪霊のそうくつでしょ? いちいちそんな雑魚まで祓ってたら、キリがなくない?」

 昨晩の悪霊を一撃で祓える程の実力を持つ真琴からすれば、まだ深刻な被害もないのに動くなんて非効率に感じるのだろう。

 天馬は込み上げる腹立たしさをみ殺し、真琴の言葉を無視してゆっくりと立ち上がった。

「でしたら、今回の依頼は俺が。……昨日のような悪霊はそうそう出ないでしょうから、には控えてもらい、こっちは数で稼ぎます」

 やたらと含みを持たせた天馬の言葉に、正玄はどこか満足げに笑う。

 しかし、頷く前に、真琴の方に視線を向けた。

「ところで真琴よ。天霧屋の当主争いに参加するということは、お前はうちに届いた依頼の中から祓う霊を選ぶということだな」

「うん?……まあ、実力を比べるってことなら、そうなるね」

「ならば、天成寺に滞在する必要があるだろう」

「そりゃ、その方が効率いいし。そもそも、しばらく放浪してたから、家がないっていう」

「そうか。ならば、そうしなさい。ただし、その場合は当然家賃を納めてもらうが、いいな?」

「は?……家賃?」

 急に顔色を変えた真琴を見て、どうやら正玄も完全に言いなりというわけではないらしいと、天馬は少しほっとしていた。

 正玄は慌てる真琴に、威圧感のある笑みを浮かべる。

「お前は門下ではないのだから、当然だろう。本来なら、依頼の仲介費も請求すべきだと田所が──」

「は、払う! 家賃は払う。家賃だけは」

「そうか、それはなによりだ。ならば田所から請求させてもらうが、鎌倉の家賃相場はなかなかのものだから、しっかり働いてくれ」

「なんか、められた感じがするんだけど……」

「頼んだよ、真琴」

「わかったって。……まあ、私が当主になってこの土地を売り払えば、結局戻ってくるわけだし……」

 最後のひと言はかなりの小声だったけれど、どんな悪口も聞き逃さない地獄耳を持つ正玄が聞き逃すはずはなく、余裕の笑みを浮かべていた。

 一方、真琴もただでは終わらないとばかりに、勢いよく立ち上がって正玄の正面に立ちはだかる。──そして。

「じゃあ、ちょうどいい機会だからこっちも交渉させてもらっていい?……かねふく、出て来て!」

 突如、大声で誰かを呼びつけたかと思うと、障子がスッと開いてスーツ姿の中年の男が顔を出した。

 男はずんぐりむっくりした体にいかにも仕立ての良いスーツをまとい、妙に胡散臭い笑みを浮かべて皆に一礼をする。

 そして、ギョッとする田所を他所よそに素早い動作で正玄の横にひざをつき、そつない仕草でニコニコと名刺を差し出した。

「真琴様のマネージャーをしております、金福と申します」

 金福と名乗った男は、正玄が名刺を受け取るやいなや胸ポケットから電卓を取り出し、目にも留まらぬ速さで数字を打ち込みはじめる。

「では早速ですが、──前提として、真琴様が門下でないとなると、こちらに届いた依頼に対する真琴様の労働については、業務委託という扱いになるかと思います。よって、昨晩真琴様が行った悪霊祓いに対する報酬を請求させていただきたいのですが、金額はこちらでいかがでしょうか」

 金福はぜんとする面々の前で早口でそう言うと、計算を終えた電卓を正玄の前に掲げた。

 正玄はそれを見て一瞬顔をこわらせたものの、とくに迷うことなく頷いてみせる。

「昨日は異例中の異例だった。……言い値で構わん」

「それはそれは、ありがとうございます。後ほど正式な請求書を準備させていただきます」

「……だが、普段の調査はそうはいかない。公安からの依頼は税金で賄われているぶん、報酬が低いからな」

「なるほど。でしたらそちらは利益の分配割合を設定するレベニューシェアとさせていただきたく、改めて配分率の交渉をさせていただけると」

「……了解した。それは田所とやってくれ。……ただ、言うまでもないが、報酬は出来高だ。真琴が手を出さなければ、一円たりとも払わん」

「当然、そのように理解しております」

「しかし、本人にはあまり安い仕事をやる気がないようだが」

「その点に関してはご心配なく。なにがなんでも、しっかりもう……働いていただきますので」

 金福が満面の笑みで口にした返事に、真琴はわかりやすく嫌な顔をした。

 天馬はそのやり取りを聞きながら、内心、ほんの少しだけ感心していた。

 古いしきたりの中、世間から外れた場所で生きている絶滅寸前の祓師であっても、こうして報酬の交渉ができるマネージャーを付けることで、近年の風潮に漏れずフリーランスとして成立する例もあるのかと。

 ただ、昨晩の真琴の、ビニール傘が汚れたくらいで文句を言う小ささや、かなり強引に天霧屋の〝財力や太客とのパイプ〟をりに来た時点で、財政状況が潤っているとはあまり思えなかった。

 一方で、マネージャーを名乗る金福はやけにはだつやが良く、そでからひと目見てわかる程に高価な時計をのぞかせている。

 余計なせんさくだと思いながらも、天馬の頭には搾取という二文字が浮かんでいた。

「あの女、実力はともかくアホそうだからな……」

 無意識につぶやくと、真琴が耳ざとく振り返る。

「なんか言った?」

「いや、なにも」

 天馬は目をらし、黙って正玄と金福の交渉が終わるのを待つ。

 すると、間もなく話がついたのか、田所と金福が一緒に本堂を後にし、こんとんとしていた場がようやく静まり返った。

「……では、俺は由比ヶ浜に向かっても?」

 天馬が立ち上がると、正玄がうなずく。

 真琴はまだ渋っているのか動く気配がないが、もちろん天馬にも力を借りようなんて気はさらさらなく、先に本堂の出口へ向かった。

 すると、蓮が慌てて追いかけてきて、天馬の袖を引く。

「ねえ、僕も行っていい?」

「お前が?」

「うん。話はよくわからなかったけど、天馬はあの真琴さんって人に勝たないといけないんでしょ?」

「まあ、……そうだな」

「僕は、天馬を応援してるよ。だから協力する」

「蓮……」

 普段なら危険だからと断るところだが、天霧屋崩壊の危機が迫っている今、いつまでも過保護に守り続けるのも正しい判断とは思えず、むしろ成長させる良い機会かもしれないと、天馬は蓮の手を取る。

「……構わないが、勝手に動くなよ」

「大丈夫。邪魔しない」

「そういう意味じゃない。お前がいると助かる」

 決して、喜ばせるための噓ではなかった。

 当の本人にはあまり自覚がないようだが、蓮は突然変異的に備わった能力がことのほか高く、中でも、霊の気配に対する鋭さがずば抜けている。

 それは、今回の依頼のように目撃談があいまいなときにはとくに重宝する特性であり、蓮がいてくれるのは天馬にとって明らかにプラスだった。

 やがて本堂を出て山門を抜けると、すでに世話役が正面に車を用意しており、天馬を見てうやうやしくドアを開ける。

 すっかり見慣れた光景だが、それを断るのもまた、いつも通りの流れだった。

「車はいい。歩いて行く」

「しかし、由比ヶ浜までは徒歩で一時間程かかりますが」

「まだ時間も早いし、それくらいは問題ない。何度も言ってるが、俺の外出に毎回車を用意する必要はないよ」

「いえ、私が𠮟られますので」

「……そうか」

 天馬はこの世話役の顔を、このタイミング以外で見ることはない。

 おそらく、天馬の専属の運転手として雇われているのだろう。

 だからこそ、この男は契約期間満了まで自分の仕事を守るため、何度断っても必ず同じように車を用意する。

 天馬としては、こういう明確な無駄は省いてもらいたいところだが、世話役たちの業務管理は田所が、しかも正玄の代理という名目で担っているため、口出しすることはできない。

 しかし、天霧屋の未来が大きく変わりかねない状況にある今、天霧屋のあり方について考えてしまうのは当然であり、無駄を省くべきという真琴の考え方も一理あると、共感してしまっている自分がいた。

「──とはいえ、俺と真琴とでは無駄の基準が違いすぎる……。全部売り払われたら田所も路頭に迷うだろうに、当主はそれも納得しているのか……?」

 考えていたことがつい口からこぼれ、蓮がふいに天馬を見上げた。

「それ、さっきの話でしょ? 真琴さんが当主になったらなにもかも終わりだって、みんながコソコソ話してたよ」

「……まあ、そうだな。ただ、その場合、天霧屋の名前は確実に残るだろうが」

「名前が残るって、どういうこと?」

「これまでつなげてきたものを、もっと先まで残せるってことだよ」

「残したら、どんないいことがあるの?」

「いいことか。……説明が難しいな」

「天馬は、名前が残るとうれしい?」

「嬉しいというより、……当然そうすべきというか、三善家の血を引いた者の責任というか……」

 滅びゆく家業であるなどという本音は当然言えず、天馬はそれらしい言葉を並べて誤魔化す。

 すると、蓮は小さく首をかしげた。

「でも、中身が全部変わって名前だけ残った天霧屋って、ほんとに天霧屋なの?」

「…………」

 七歳の発言にしては妙にしんを食っており、天馬は戸惑う。

 冷静を装って「そうだ」と言うこともできたけれど、なんとなく、そのときはそんな気分になれなかった。

「……俺も、名前さえ残ればいいなんて思ってないよ。少なくとも、今すぐ真琴の手に渡ろうものなら、それこそ天霧屋は名前以外の全部を失う。それを阻止するために、こうして動いてるんだ」

「やっぱり、天馬が当主になればいいってことだよね」

「まあ……、実力だけが基準なら正直厳しいが……、それでも、抵抗しないわけにはいかないからな。ひとまず争う姿勢を見せて時間を稼いでいる間に、真琴との間で折衷案を模索できれば一番いいと思ってる」

「せっちゅう案?」

「天霧屋をどんな形で残すか、こっちの意見も聞き入れてもらうよう交渉するってことだよ」

「……それって、真琴さんが当主になってもべつにいいってこと?」

「…………」

 痛いところをかれ、天馬はまたも動揺する。

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