第一章①

 神奈川県、鎌倉。

「天霧屋」が本拠地とする天成寺は、偽りの寺であるためご本尊はなくそうりよもおらず、緑地の中に広大な敷地を持ちながら、地図にも載っていない。

 山門を抜けてしばらく歩くと、まず本堂と呼ばれる集会場があり、その裏手には渡り廊下でつながっている三善家の自宅、さらに奥には鍛錬の場となる道場、そして天霧屋の門下たちが生活する三階建ての宿舎がある。

 社会から隔離された、いわば閉鎖的な環境だが、天霧屋に身を置く門下たちのほとんどは、持って生まれた能力のせいで過去に様々な苦労を経験した者たちばかりであり、だからこそ仲間意識が強くきずなも深い。

 おまけに現在は若者が多く、宿舎での食事風景なんかは、一見すれば男子学生寮のようなにぎやかさで、時折年長者の怒号が響き渡ることもある。

 そんな天霧屋の現当主は、天馬の祖父にあたる三善しようげん

 御年九十七歳と相当な高齢だが、百八十センチの身長に加えて年齢をいっさい感じさせない鍛え抜かれた肉体から、不死身の豪傑として名が知られている。

 ただし決して良い意味ばかりではなく、正玄は普段から怒鳴るわ殴るわ命令するわと、指導という名目の暴力をさくれつさせ、現代社会のパワハラ撲滅の波に逆行しているような男だ。

 だが、閉鎖されたこの組織の中で、そこに異論を唱える者はいない。

 大昔から受け継がれてきた方針に物申しても無駄であることは明らかであり、なによりはらいかいわいで生き神としてあがめられる〝天霧屋の三善正玄〟に口出しする勇気を持つ人間なんて存在しないからだ。

 つまり、不満を抱いた者は静かにここを去るため、このパワハラ社会は誰にも乱されることなく続いている。

 そんな天霧屋が今もなお存続できている最たる理由は、悪霊祓いに十分な需要があり、その報酬という大きな収入源のお陰と言える。

 とはいえ一般人とは交流を持たないため、天霧屋に依頼を持ってくるのは、主に警察組織。

 世間では妄想や幻覚のような扱いを受けている悪霊だが、警察組織内の公安のごく一部には、天霧屋と認識を同じくする部門がある。

 なにせ世の中には、祓師の手を借りなければ解決できない不可解な事件が多く、警察側もそれを認めているため、神奈川県警と天霧屋は数十年前、世間に隠れて協力関係を結んだ。

 現在、鎌倉警察署には鹿ぬまという名の公安警察官が在籍しており、ちなみに彼は、元天霧屋の祓師。

 そのお陰もあって、天霧屋には滞りなく依頼が届き、謝礼という形で報酬を受け取っている。

 ただし、それらは原資が税金であるため決して多額ではなく、それよりも収入源として大きいのは、ごくまれに届く、いわゆる〝権力者〟と呼ばれる部類の人間からの依頼だ。

 ただ、正玄の秘書兼世話役を担うどころという男が交渉役となって極秘で進めているため、詳細は天馬たちにはほとんど知らされない。

 唯一知れ渡っているのは、その場合の報酬が法外な額であるという噂のみ。

 その噂の信ぴょう性は、田所が仲介した依頼を終えるたびに正玄の部屋に増えていくこつとうひんや、次々と入れ替わる車を見ればいちもくりようぜんだった。

 ともかく、──天霧屋はこうして、令和となった現代までなんとか祓師の家業を続けてきた。

 順当に行けば、やる気はなくとも末裔である天馬が、これから天霧屋を守っていくことになる。の、だが。

 天霧屋は今、切実な問題に直面していた。

「──三人逃げた……?」

「ああ。気付いたときには荷物ひとつ残ってなかった。おおかた、昨晩の悪霊を見て心が折れたんだろう。必死に会得した気配を消す術をこんなところで役立てるとは、皮肉なものだな」

 それは、妙な女に会った日の午後。

 軽い仮眠を取った天馬は、正玄からの「全員集合」という急な呼び出しに応じるため、宿舎から本堂へ向かっていた。

 その道中に同僚の慶士から聞いたのが、先の通りの頭の痛い話。

「ついこの間二人逃げたと思ったら、また三人も……。ということは、門下は俺らを入れてたった八人……」

「ついに十人を切ったな。今や、祓師よりも世話役の方が多い」

 慶士が言う通り、世話役は正玄専属の田所以外にも、多く雇われている。

 雇用に関しては田所がすべて管理しているが、その面々は定期的に入れ替わる上に宿舎も分離されているため、天馬たちは人数も名前もほとんど把握していない。

 唯一わかっているのは、皆、こんな特殊な場所を働き先に選ぶくらいに、事情を抱えた者たちであるということ。

 なにせ、ここに住み込みで働いてさえいれば、万が一なにかに追われていたとしても見つかることはまずない。あくまで、たとえ話だが。

 田所は、そういった訳ありの人物に交渉して雇用を提供し、秘密保持の観点から、一部を除いて定期的に入れ替えを行っているらしい。

 それはともかく、もはや世話役の人数の方が多いというのは、さすがに問題だった。

「やっぱり、お前が昨晩、悪霊のもとに仲間を全員引き連れて来たのが良くなかったんじゃないのか……?」

「だとすれば、貧弱すぎるだろ。それにしても、かつてはうちの宿舎に百人近い門下が暮らしていたというが、八人とは。……時代だな」

「時代、ねえ」

「そういうことにしておいた方が無難だろ。かねもうけが好きで門下の命をものともしない当主の下では命がいくつあっても足りないなんて、安易に口に出せない」

「出してるじゃないか」

 天馬がけんしわを寄せると、慶士が可笑おかしそうに笑う。

 慶士は、天馬と同じく二十四歳であり、物心ついた頃から兄弟のように過ごしてきたため、会話は気安い。

「別に誰も聞いちゃいないよ。……それにしても、慌てて逃げなくとも、当主ももう九十七だし、もう少しの辛抱だと思うけどなぁ」

「仮にも俺の肉親の死をサラッと望むな」

「いやいや、さすがに望んではいないよ。なにせ生き神様だからな。……ただ、お前だって息が詰まるから宿舎で寝泊まりしているんだろ?」

「……答えづらいから、聞かないでほしい」

「はは」

 慶士に指摘された通り、天馬には正玄と同じ邸宅内に部屋があるにもかかわらず、あえて宿舎で寝泊まりしている。

 その方が門弟たちとの距離が近いというのが体裁上の理由だが、正玄の近くでは息が詰まるという理由も、あながち否定はできなかった。

「……で、今回の呼び出しはつまり、門弟が減った件か」

 天馬はひとまず話題を変えるため、そう言っておおめ息をつく。

 慶士もまた、やれやれといった様子で肩をすくめた。

「とんでもない悪霊をはらったっていうのに、苦言を聞かされるなんてな」

「いや、祓ったのは……」

「ん?」

「……いや、いい、後で話す」

 あのときは場が混乱していたため無理もないが、どうやら慶士は妙な女のことを覚えていないらしく、悪霊は天馬が祓ったと思い込んでいるようだった。

 すぐに訂正しようと思ったものの、すでに本堂が目の前に迫っている今ややこしい話をするのははばかられ、天馬はいつたん言葉を収める。

 やがて本堂に着くと、すでに六人の門弟たちが全員揃っており、天馬たちに深く一礼をした。

 三人減ったという話はさっき聞いたが、広い本堂にたった六人が並ぶ姿はあまりにこころもとない。

 見れば、門弟の中には最年少である七歳のれんも残っており、ふいに、なんとも言えない気持ちが込み上げてきた。

 いなくなってしまった三人のように、逃げ場所がある者はまだ恵まれていると天馬は思う。

 なにせ蓮には、突然変異的に生まれ持ってしまった特殊な霊能力が災いし、様々なトラブルに見舞われた末、ついには両親から気味悪がられて施設に預けられ、その後きよくせつあって天霧屋の門弟になったというせいぜつな経歴がある。

 七歳では大人から一方的に与えられた場所にいる他生きるすべはなく、当然逃げ場などない。

 唯一幸いと言えるのは、蓮本人がここをずいぶん気に入っていることであり、やってきて一年になる今は天馬にすっかり懐いていた。

 ただ、天馬としては、ここが安全な場所であるとはとても言い難いぶん、複雑な思いもある。

「……怪我はないか」

 つい気になって通りがけに声をかけると、蓮は大きくうなずいてみせた。

「うん。……僕、昨日のことをあまり覚えてないんだ」

「そうか。その方がいいよ」

 こういうときの子供の無邪気な表情は、大人の胸をえぐる。

 もし、あのまま天馬が死ぬ様子を目の当たりにしていたなら、とんでもないトラウマを抱えていただろうと、想像しただけで肝を冷やした。

 天馬は自分に空けられた最前列に慶士と並んで腰を下ろし、様々な感情を振り払うため、ゆっくりと深呼吸をする。

 すると、間もなく、三善家の自宅につながる右手奥の障子がスッと開き、先に正玄の世話役の田所が顔を出して皆に一礼した後、正玄が悠々と姿を現した。

 着物の襟元から黒光りした胸筋がのぞき、天馬はどこか白けた気持ちで形式的に一礼をする。

 正玄は門下たちをぐるりと見回すと、正面の壇上にある定位置には腰を下ろさず、まっすぐに天馬の前へ来てひざをついた。──瞬間。

 ゴン、という鈍い音が鳴り響き、脳がぐらりと揺れる。

 飛びそうになった意識をなんとか繫ぎ止めながらも、天馬は、どうやら頭をこぶしで殴られたらしいとどこか冷静に考えていた。

 それも無理はなく、これはいちいち過剰に反応するまでもないくらい、ごく日常的なことだからだ。

 現に、慶士をはじめ誰一人として、動揺する様子はなかった。

わしに、なにか言うべきことがあるだろう」

 正玄は天馬の前にドカッとあぐらをかいて座ると、頭をさする天馬をにらみつけ、そう問いかける。

「言うべきこと、ですか。……あえて言うなら、九十七歳が繰り出すてつけんとは思えません」

「やかましい。真面目に答えろ」

「ですから真面目に、あと百年くらい生きそ──」

 ふたたび鈍い音が響いたのは、その瞬間のこと。

 隣から、慶士のやれやれといった視線を感じた。

 ただ、どう答えてももう一撃はらうだろうと予想していた天馬は、むしろこれで一段落ついたくらいの気持ちで、改めて正玄と視線を合わせる。そして。

「……門下が減った件ですよね」

 ようやく本題に触れたものの、正玄はまゆに深い皺を寄せ、意外にも首を横に振った。

「違う」

「……はい?」

「お前は、なにもわかっていないんだな」

「なにを、でしょうか」

「儂が本当にあと百年生きられるなら、こんなことは言う必要はないが」

「はあ」

「お前はもっと──」

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