第4話 天使の同僚と悪霊退治
「やあ、こんばんは平和ボケ男。残念だったね早上がりできなくて」
知らない声。少女のような、少年のような。突然聞こえた聞き覚えのない声に顔を上げると、視界に飛び込んできたのは二つの大きな白い翼。そして台車にふわりと腰かけるヒト一人。真っ白なスーツを身にまとっている。膝丈のパンツがよく似合っており、そのパンツもハイソックスももちろん、白。
髪も顔も体も、背中から生える翼もすべてが真っ白なその人はゆっくりと瞬きをして翼を揺らした。正確に切りそろえられた真っ白いボブヘアがさらりと揺れる。高草木さんは彼?彼女?の言葉にぴたりと動きを止め、ため息をついた。だるそうに首を回して、じとりと真っ白人間を睨む。
「……なに。もしかして出たの?」
「お前がレジ打ってる間にな」
「うっそ間に合わなかったってこと? 気が付かなかった。あーもう先に売り切れたと思ったのに」
「向こうの惣菜売り場の方に出た。ここからは距離があるから気が付かなかったんだろう。動きはのろいが目玉が多い。ボクじゃ時間がかかる。お前が倒せ」
「ええー俺もう上がる気満々だったんだけど今からそんな労働させる? ……相方は?」
「いない。というかシフトくらい知ってるだろう。わざわざボクが知らせに来たんだ。さっさと行くぞ。……で、」
真っ白人間が俺を横目で見る。その瞳は少し灰がかっているようにも見えるがやはり白色をしており、ガラスのように透き通っている。てっぺんからつま先まで人形のように精巧なつくりをしており、人間離れした美しさを放っていた。俺を鋭く睨む表情にも迫力があり、ありすぎるくらいのそのオーラに言葉を発することすらできない。というか、白い人、ということはこの人も幽霊なのだろうか。あなたは誰ですか。こわばる体を動かして、開こうとした口が止まる。この気配、覚えがある。幽霊……ではない不思議な気配。いつ感じたのか振り返って、ごく最近のことであったためすぐに思い当たった。店長だ。店長から感じたあの気配と同じ。
真っ白い人はただ目を見開いて黙るだけの俺を冷たい瞳で見下ろす。
「このどんくさそうな男は何者だ。部外者なら即刻追い出すが」
「あー、違うよ。この子は新人の雨水令君。鮮魚の遅番配属になった……なる予定の子。将来有望な新人君なんだからそんなのっけから睨んだりしないで。……で、雨水君。この子は天使ちゃん。その名の通り、自称天使」
「て、天使?」
やはり幽霊ではなかったが予想外の正体に驚くばかり。俺の裏返った声が気に入らなかったのか、天使と紹介されたその人は露骨に嫌そうな顔をした。ばさりと大きく翼を揺らし、俺を追い払うように動かす。
「なんだ。もしかして幽霊だとでも思ったのか? このボクを? 心外だな」
「勝手に決めつけて勝手に怒ってるのこっわ。ヤバすぎ。マジでどこが天使なんだよヤクザだろ」
「はあ? なんだとこの野菜男!」
「け、喧嘩は良くないと思います!」
ヒートアップしそうになった言い合いを思わず止める。人が喧嘩しているのを見るのは苦手だ、怒鳴り声を聞いているだけでびっくりしてしまう。先ほどの会話から察するに恐らく緊急事態なのだろう。そちらを優先すべきなのでは、と恐る恐る口を挟んでみると、二人は渋々納得したようだった。こほん、と咳ばらいをして真っ白天使が口を開く。
「そうだな、こんな言い合いをしている場合じゃない。すまんな凡人。だがお前の存在をただ看過するわけにもいかない。名乗れ」
「は、はい。……ええと、雨水令と申します。鮮魚部の遅番担当に配属……予定です。その、不慣れでご迷惑をかけることが多々あると思いますが、何卒よろしくお願いします」
深々と礼をして様子を伺う。正直よくわからない存在すぎて怖くて仕方がないが、挨拶をしないのは失礼にあたるだろう。店長の気配についても聞いてみたかったが、この流れではとてもではないが聞けない。顔を上げるタイミングもわからず礼の体勢で固まっていると、ふわりと頭をなにかが掠めた。恐る恐る顔を上げると真っ白い羽が俺を包むように動いていた。天使さんが真顔で俺を見下ろす。
「ふん。まあ態度は悪くない。……ボクは天使。最も崇高かつ優秀である上に美しさも兼ね備えた、この店の看板天使様だ。せいぜい足を引っ張るなよ、魚屋」
まあ確かにこれから魚屋所属になるのだが。あまりにも馴染みのないかつ雑な呼び名に目が点になってしまう。
「偉そうに。雨水君、あんまりペコペコしなくていいよ。この子調子に乗るから」
「何を言う。八百屋も見習った方がいい。ボクに対する敬意というものがお前には足りていない。まずはそうだな、その無駄に大きい身長をなんとかしろ。邪魔でしかない。ああそうだ、跪けばいいんじゃないか。敬意も表せるしお得じゃないか」
「うっわ最悪~俺のこと虐げて楽しむ趣味でもあんの?」
両者の額に青筋が浮かぶ。どうやらこの二人は仲が悪いようだった。また俺が仲裁しないといけないのか、と冷や汗をかいていると俺の腕を高草木さんが引いた。何事かと目で訴えると、彼は笑顔で売り場の奥を指さした。
「よしもう天使ちゃんは放っておこう。さっき言ったもう一つの仕事、やる羽目になっちゃったから行こうか。ついでに仕事内容も教えるよ」
「ふん。先に行くのはボクの方だがな。早く来い」
天使さんはそう言い残して腰かけていた台車からふわりと浮くと、高草木さんの指さした先へと飛んでいった。
「ったく偉そうに……余計なこと言われる前に俺たちも行こう。惣菜売り場だから、あっちだね。ダッシュ!」
「ええ!?」
手を離し走り出した高草木さんに置いていかれないように俺も足を動かす。彼は見た目の印象通り運動神経も良いようで足も速かった。がむしゃらに走っていると、突然目の前に商品棚が現れて驚き思わず急停止する。高草木さんは慣れているのか驚きもせずに商品棚の横をすり抜けて駆け抜けていく。俺も慌てて後を追った。高草木さんのそばまで全速力で駆け、なんとか口を開いて高草木さんを呼んだ。
「ん? なに? 走りながらしゃべると危ないよ」
「もう一つの仕事って、っはぁ、なんなんですか?」
「えーっと、見てもらった方が早いんだけど……悪霊退治かな!」
「悪霊!?」
驚きに声を上げたところで「あ! あれかな?」高草木さんが指をさす。つられて前を見たところで俺も不可思議な点に気が付いた。惣菜売り場の一角に、黒い影のようなものが見える。なんだろう、汚れか? 凝視していると、次第に体が震え始めた。唐突に感じた悪意と恐怖に体がこわばる。——なにか、いる。
「高草木さ、」
声を出した瞬間、売り場から影がずるりと這い上がって来た。
「な、」
口から声がこぼれた。影はどんどんその面積を伸ばしていき、俺たちの身長をゆうに超していく。動くこともできずただその様子を見上げていると、影の中心がうごめきはじめた。目だ。影の中に目が浮かび、ぎょろりとこちらに視線を向ける。真正面から目が合い、俺の体は完全に動きを止めた。腕や足のような部位もあるが頭はなく、その体はひたすらに真っ黒で、およそ人間のようには見えない。胴体と思われる部分に浮かぶ目が瞬きをした。悪寒がひどくなっていく。ただじっと見上げていると、影にぽつ、ぽつと目玉が増えていく。それは苺の粒のように広がっていき、影の全面を覆いつくす。全ての瞳が、俺のことをじっと見下ろした。視線の雨に俺の視界がブレていく。
「遅いぞ」
平坦な声がして、ふわり、横に気配が現れた。視界の端に映る白い羽。この場には自分一人ではないことに気が付いた瞬間、止まっていた体が動き始める。天使さんはそんな俺の様子を空中から見下ろしていた。一瞬視線が合ったが彼はすぐに意識を影へと向け、口を開いた。
「今のところはあれ一体。やはり狙いは商品のようだが……今日の分の売り切りは?」
「もう終わってるよ。まだ売ってる時に来たんだろうけど、完全に無駄骨だね。かわいそうに。もうお客さんいないんだから売り切ったって察してくれないものかね」
状況が掴めずチラチラと影を見て警戒していると、高草木さんが俺に声をかけてくれる。
「大丈夫? いきなり怖いもの見せてごめんね。……あいつがさっき天使ちゃんもちょろっと言ってた悪霊。こうやって店に来て、さっき売ってた商品を奪いに来るんだ。でも、あいつに商品を渡してはいけない。絶対に」
落とされた声のトーンから、その真剣さを察する。こくりと頷くと、天使さんが淡々とした声で説明を引き継いだ。
「悪霊は、……転生を求めて商品を奪いに来るんだが、幽霊と違って、悪霊はもう手遅れだから商品を食べても転生できない。せっかくの商品が無駄になってしまうんだ。それに、店や生きた者を襲うこともある——だから、ボクたちがあいつを倒す必要があるんだ」
天使さんが翼をゆったりと動かし俺を見る。少しだけ寄せられた形のいい眉と引き結ばれた唇から、その言葉が切実な真実であることが伺える。
「それが遅番のもう一つの仕事! 悪霊退治! 楽しそうでしょ」
天使さんの深刻そうな様子とは反対に、高草木さんはからりと明るく笑っていた。再び飛び出てきた非現実的な説明に理解が追い付かず助けを求めるように高草木さんを見ると、彼はわかっているとでも言うかのように深く頷いた。そしてなぜか俺たちのそばから離れ、影の方へと歩き始める。「あ、危ないですよ!」思わず呼びかけると振り向くことなく手を振った。
「だーいじょうぶ。でもさっきみたいに俺の仕事っぷりちゃんと見ててね。教えるよりその方が早いと思うから! ……で、天使ちゃーん。教えるついでに一緒に戦ってくれない?」
「は? なんで」
「いいからー。たまにはヒグチちゃん以外とも一緒にやっておいた方が良くない?」
高草木さんは背を向けたままそう言うと、エプロンのポケットへと手を入れた。素早く引き出したのはバンダナ。遅番業務開始前に外したもの。この状況でバンダナを取り出して、一体何をする気なのだろう。悪霊はすぐそばにいる、危険だ。ソワソワしながら見守っていると、高草木さんはそっとバンダナを手に取り、軽やかな手つきで右手首に巻き付けた。
「シャキッといきましょー」
きゅ、と手首にバンダナを付け終えた瞬間、緑色の光が溢れる。離れた場所にいる俺の元へも届くくらい鮮やかな光が彼のバンダナを中心に溢れ出していた。眩しさに目を開けていられず、手を顔の前にかざす。指の間から見える高草木さんは穏やかな表情で悪霊を見据えていた。光は彼の体を包み込み、そしてバンダナへと吸い込まれていく。ぎゅ、と高草木さんが拳を握ると同時にすべての光がバンダナへと吸収された。後に残るは笑顔の高草木さんのみ。夢と現実を行き来しているような温度差に目を瞬かせていると、悪霊が高草木さんへとその体を向けた。無数の視線が彼へと突き刺さる。危ない。そう思った瞬間、悪霊がゆっくりと真っ黒な腕を持ち上げ、そして鞭のように高草木さんへと伸ばした。
「高草木さん!」
高草木さんの体を突き刺すが如く伸びる黒い影に思わず彼の名前を叫ぶと、彼はとん、とつま先を鳴らし、——目の前に蔦の壁を作った。
「え?」
瞬間的に「作った」と俺が思ったのは、蔦が彼の足から伸びていたからだ。太く大きな蔦が彼の足から地面を伝い、天高く生えるように壁を作っている。その緑色の壁は悪霊の突き刺しを難なく防ぎ、黒い影の腕は霧散する。悪霊は一瞬怯んだように見えたが、すぐさま次弾を飛ばした。高草木さんはそれを大きく跳躍し躱すと、商品棚の上に軽やかに着地する。同時に蔦も彼の足に追従するように伸びており、ロープのように見えるがどうやらそれは高草木さんの意思によって伸ばせるようだった。意味のわからない特殊能力も気になるがもう一つ気になることがある。
「え!? 商品棚の上に乗っていいんですか汚くないですか!?」
「わあ冷静な突っ込み。どっちかというと商品棚消えるから、落ちないようにそっちを気にかけた方がいいかもー。てか雨水君以外と平気そう?」
「おい! 無駄口叩いてないでさっさと倒せのろま!」
なぜか天使さんがイラついた様子で大声を出す。
「一緒に戦ってっていったじゃーん。しょうがないなあ」
高草木さんが商品棚からひらりと地面へ降りた時、悪霊はすでに動き出していた。数多の目を大きく見開いたかと思うと、その目からどろりと影が落ちていく。重力に従いゆっくりと落ちていく影は、地面へたどり着くと一気に速度を上げ高草木さんの足元へ向かう。黒い水が床に滲むように高草木さんを襲う。
「ああ、壁で防げない攻撃ってこと? 考えたね」
しかし彼は冷静なままだった。左手を素早く握りこむと、緑色の光が再び彼を包む。そしておもむろに手を開くと、ぽん、と軽やかな音を立てて手のひらの上にりんごが現れた。ぴょこりと頭から枝の出ている、手のひらサイズの真っ赤なりんご。
「……りんご?」
緊張感なく突然現れたそれに驚いていると、高草木さんがりんごを放り投げる。瞬間、りんごがみるみるうちに巨大化し、どすん、と地面へと着地した。俺たちの身長の二倍以上はあるだろうか、巨大な悪霊にも匹敵する大きさだ。離れた場所にいる俺の元にも着地の振動が伝わり体がぐらりと揺れる。空中にいる天使さんはバランスを崩す俺を見て鼻で笑っていた。
「しっかり立っておけ。……攻撃を潰すためにあんなに派手にやる必要ないだろうに」
「え? あ、なるほど……」
高草木さんの元へ迫っていた影は無くなっていた。天使さんの言う通り、りんごが影を押しつぶしたらしい。体勢を立て直し天使さんを見上げると、彼は悪霊から目を離さずに口を開く。
「後輩ができたから、見せたいがためにわざと大味な攻撃をしてるんだろうな。単純なやつだ。……そういえば、お前は攻撃しないのか?」
「え? っと……」
「よし。見せるのはもう十分かな。じゃあ倒しちゃおう!」
高草木さんの高らかな声に視線を戻すと、彼はひらりと巨大りんごの上に飛び乗っていた。片膝をついた状態で俺の方を向きそっと手を振ったかと思うと、再び左手を握りこむ。緑色の光が彼を取り囲むように現れる。
「殴ってもいいタイプのお客様は遠慮なく殴らせていただきます!」
にやりと強気に笑い、左手でそっとリンゴに触れる。たちまち緑色の光が強く輝き、りんごを取り囲んでいく。ず、ずず。再び地面に振動を感じた。何が起こるのかドキドキしながら見つめていると、瞬きの後、りんごの枝から勢いよく蔦が伸びた。
「すご、い!?」
目の前の光景に驚くことしかできず目を見開く。蔦が悪霊に伸び、その体を捕らえようと縦横無尽に伸びる。そしてりんごはずず、と鈍く振動し——赤い実を引き裂くように中心に線が現れたかと思うと、がぱりとその実が二つに割れた。いや違う、巨大りんごに、巨大な口ができている。シャキシャキとした真っ白い実が存在するはずのその場所に、口がある。何でできているのか、牙のようなものが鈍く光っていた。高草木さんはその様子を確認した後りんごを一撫でし、ひょいと地面へ飛び降りる。
「え!? 嘘、りんごって口があるんですか!?」
「そんなわけないだろ」
りんごから伸びた蔦は悪霊をみるみるうちに絡めとったかと思うと、その体を吸い込むように勢いよく引き寄せた。抵抗もできず連れられる悪霊の向かう先は、大きく開けられたりんごの口。
「はい、ばくんといっちゃってー」
高草木さんの気の抜けた声が聞こえた。数秒後に、ばくん。終わりはあっけなく、影はその大口へと吸いこまれた。勢いよく閉じられた口から汁が飛び出ている。甘い匂いがあたりに漂い、それが果汁であることに気がつく。りんごは数回咀嚼した後、飲み込むように体を揺らした。そして完全に口が閉じられる。
——すごい、魔法のようだった。魔法のように、高草木さんは俺たちを悪霊から救ってくれた。高草木さんは、こんなに鮮やかに除霊ができるんだ。思わず唾を飲み込むと、俺の様子を不審がったのか天使さんがこちらを見た。そこで我に返った。高草木さんはすごいが、俺はただぼけーっとそれを見ていた無能だ。震える足を抑え、慌てて取り繕うように口を開く。
「り、りんごって咀嚼もできるんですね……」
「だからそんなわけないだろ」
「雨水くーん、見ててくれたー?」
俺たちの元に、大きく手を振りながら高草木さんが駆け寄ってきた。上げた右手につけられたバンダナがふよふよ揺れている。緑色の光は見当たらず、見かけはただのバンダナにしか見えない。何事もなかったかのようにこちらへとやってきた彼を見て、何から尋ねればいいのかわからず
「りんごって強いんですね」
とだけ言った。彼はからからと笑いながら俺の背をぱしりと叩く。
「でっしょ~? りんごって実は結構強いんだよ。しかも俺のは軸が太くてプリップリだから美味しいんだよ~。てか天使ちゃん全然来てくれなかったじゃん! 来てくれないせいで足元狙われた時俺ちょっとピンチだったよ」
「そんなわけないだろ阿呆バレてるんだよ。何度も言うがボクは目玉が多いやつはダメなんだって。というか、そんなに一緒に戦いたいならこいつがいるじゃないか。こいつに戦闘は教えなくていいのか?」
天使さんがボブヘアを揺らし、ちらと俺を見る。思わずびくりと体が揺れた。
高草木さんの役に立ちたいし、レジを通すくらいならなんとかなりそうだし続けてみようかな、などと思っていたのが甘い考えであることをたった今知ってしまったため、完全に怖気づいていた。まさか悪霊退治をやらされるなんて全く思っていなかった。よりにもよって悪霊退治。なんとかして幽霊を祓えないかと無駄なことばかり調べ漁っていた頃の無様な記憶がフラッシュバックする。
「お、俺は……」
そんな胸中を語るわけにもいかない。口ごもる俺を見て、高草木さんがこら、と天使さんを睨む。
「雨水君今日初日だって言ったじゃん。いきなり戦ってとか無茶なこと言わないよ。今日はとりあえず、仕事ができそうか見てもらうことにしてるから」
「ふうん……ということは、お前今日仕事を教えてたのか、こいつに? お前に教育係ができるのか? ちゃんと幽霊の事とか悪霊退治の事は教えたのか?」
「うるさいなあ今から教えるよ。雨水君、さっき見せたのが悪霊退治ね。俺たちのもう一つの仕事。あいつらは商品を狙ってくるんだけど、渡してもただ商品が駄目になるだけだし、おまけに倒しておかないと店を攻撃するかもしれない。だから、倒さないといけないんだ」
先ほども軽く説明はされたが、改めて聞くと本当にファンタジーな仕事である。
「つ、つまり、幽霊には商品を売って転生してもらって、悪霊には被害が出る前にお帰りいただくと……えっと、これ、スーパーマーケットの店員さんの仕事なんですか? もっと本職の方とかに頼むべきでは……」
「そう思うよねえ、わかるわかる。俺たち霊感があるとはいえただの一般人なんですけど」
うんうん頷く高草木さんを横目に天使さんがため息をつく。
「まあ、普通はそうなんだが、霊感がある人間というものがそもそも少ないし、その本職のやつなんてのはさらに少ない。一般人の手も借りないと対処が追いつかないんだ」
うんざりした表情の天使さんの言葉を聞いていると、彼が一番この仕事に詳しいのであろうことが伺えた。
「だがまあ、客が生者だろうと死者だろうと支障はないだろう。店員のやることは変わらないのだから」
支障がないどころかありすぎるくらいなのだが。そもそもなんで一介のスーパーマーケットに天使がいるんだ、というか本当に天使なのか? そう思いながら彼のことをちらりと見ると、ちょうど目が合ってしまう。慌てて逸らしたが、彼は小さく息を漏らすように笑っていた。
「お前が何を気にしているのかわかるぞ。答えてやろう。ボクはただの天使だ。ボクがいる限りこのスーパーは繁盛する、言わば招き猫天使なんだ。だから丁重に扱えよ?」
空中で優雅に足を組む姿は遥かなる美貌を放っているが、言動が不遜でなんというか関わり辛い。結局まともに自分の事は教えてくれないし。どうすればいいのか。ふと視線を動かすと、そばにあった商品棚がゆらりと現れ消えていく。
「この不思議な空間や、さきほどの不思議な力も天使さんが?」
「そうだな。正確に言えば、八十八との契約内容に基づいて力を貸しているんだが……まあ詳しい話はいいだろう」
「詳しい話、俺は聞きたいけどなー。聞く権利あると思うけどなー」
「うるさい。お前には教えたことあるだろ。コイツに教えるには早いんだ。まだ正式に所属してもいないんだろう」
「ケチなやつ。今時そういうの訴えたら俺らが勝つからね?」
「なんでお前が訴えるんだ。天使のことを訴えられるなら訴えてみるがいいさ。そんなことよりも、ボクにも質問をさせろ。このチビを戦わせる気はないのか? 戦力は多い方がいいと思うが」
天使さんの方が頭一つ分小さいからチビと呼ばれる筋合いはない。が、そんな軽口を叩くことなどできず、天使さんからの視線が痛くて目をそらす。
「だから、今日初日なんだって。それに俺は一人でも別に平気だし」
「ふうん。呑気なものだな。こいつが入ればお前が楽できるだろうに」
楽ができる。そうだ、高草木さんはずっと一人でこんな仕事をしているんだ。当の本人は「心配しなくても大丈夫」とにこにこ笑っているが、先ほどの光景がフラッシュバックして体が凍る。出勤のたびに一人で幽霊を相手に商品を売り、そして化け物が出てくれば退治する仕事。もし俺が彼の立場だったら、狂ってしまっているかもしれない。暗い店で一人、およそ現実的でないことをやらされる孤独感、不安。現れるのは目玉の化け物たち。
高草木さんの力になりたいとは思った。しかし俺なんかにあんな化け物を倒すことができるのだろうか。そもそも幽霊を見ただけで体が固まるのに、悪霊相手に仕事ができるのか。直視した現実の恐ろしさに脳内を支配され、俯くことしかできない俺を天使さんが鼻で笑う。
「ふん、ヘタレだな。そんなにあの悪霊が怖かったのか? あれはまだ雑魚の部類だ。もっと手強いやつはいる。それこそ、お前の命を奪うことのできるようなやつもな」
思わず天使さんを見る。彼は俺の視線を受けて意地の悪い笑みを浮かべた。
「え、あ、あいつら、俺たちを殺せるんですか?」
「店長といい、なんで新人君にビビらせるようなこと言うかなあ……大丈夫だよ、そういうやつが来たらさすがに天使ちゃんも戦ってくれるだろうし。俺は全然平気。現にそれなりに長く勤めてるけど死んでないしね」
死というワードにさらに顔が青ざめていく。俺のミス一つで高草木さんの命や俺の命が脅かされる状況に耐えられるか否か。無理に決まっている。そもそもどうして俺ごときが高草木さんの力になれるなどと思ったのだろう。分不相応だ。やはり、遅番として働くのは断ろう。というか、店自体辞めよう。取り返しのつかないことになってからでは遅いのだ。自分の行動には責任を持て。言い辛いが早くここから離れるためにも、勇気を出して断ろう。頭の中でここから逃げ出す言い訳をつらつら並べ立て、恐る恐る口を開く。
「あ、あの……」
何と切り出せばいいのかわからず、とりあえず口を開いた末の言葉は二人の耳には届かなかったらしい。俺の様子に気が付くこともなく会話を続けている。
「お前、かっこつけようとして回りくどいやり方を取っただろ。もっと素早く倒せるくせに……というかボクと組んだときは早くしろとうるさかったじゃないか。差別をするな」
「新人君にかっこいいところ見せたいと思うのは普通じゃーん。余裕たっぷりに倒したかったんだよ」
俺と話している時の先輩らしい様子とは異なり、無邪気で無遠慮な表情と言葉。高草木さんと天使さんは、付き合いが長いのだろうか。なおも文句を言い続ける天使さんから目をそらし顔を左に向け、無邪気さの残る笑顔でくすくすと笑っていた。すると左側に立っていた俺と目が合う。俺はなんとなく目をそらしてしまったが、高草木さんは俺に向き直って笑顔を見せた。
「遅番の仕事は大体こんな感じ。ごめんね、遅くまで付き合ってもらって。疲れたよね」
「え、あ、ああいえ、全然……むしろ何もできなくて本当、申し訳ないです」
「またまたー。売場作り、助かったって言ったじゃん。ありがとうね」
どのように返答すればいいのかわからず、曖昧に頷いた。それが失礼な反応であることは理解していたが、咄嗟に言葉が出てこず黙りこくってしまう。今から仕事を辞めようとしている俺には、お世辞すら貰う資格はない。天使さんは俺たちのやり取りを静観していたが、ふと翼を動かして空中に浮き上がる。
「……やるべきことは終わった。ボクは戻る。お前たちもさっさと帰れ」
「言い方冷たくない? そんなんじゃ友達無くすよ」
「いいんだよ。ボクにはコユキが……」
突然天使さんの言葉が止まり、一瞬気まずそうな顔をしたかと思うと、何も言わずにその場から姿を消した。白い光の輝きに目を瞑って再び開くと、もうそこに天使さんはいない。
「まったく……最近相方と喧嘩してるから余計に機嫌が悪いみたい。嫌になっちゃうよね。まあ悪い子じゃないから、良かったら仲良くしてあげて」
そう笑う高草木さんは先ほど言い合いをしていた姿から一変、大人らしい。相手により、適切な接し方ができる人なのだろう。天使さんについては、俺も一緒に働くのならできれば仲良くなりたいが、すぐに会わなくなってしまうのに時間を取るわけにもいかない。曖昧に笑って返答をすると、高草木さんも眉を下げて笑った。
「……よし。今度こそ退勤だね。俺はさっき裏に持っていこうとしてた台車片付けるから、雨水君は上がっちゃいな」
「いいんですか……? ありがとうございます」
「いいのいいの。今日はありがとね。明日は……また青果売り場に来てくれればいいかな。他にも色々教えたいことがあるから、よろしくね。頑張ろう」
「は、はい」
ここで、やっぱりやっていく自信がないですと素直に言えればいいのに。高草木さんが、俺が一緒に働くことを信じて疑わない表情をしていたから言えなかった。無責任なことこの上ない。こんなことをしたところで、自分に不利にしかならないのに。
店を出て、暗い夜道を歩く。切れかけの街灯がちかちかと瞬いた。思っていたスーパーマーケットの店員業とは、信じられないくらい違っていた。店員兼除霊屋さんというか、なんというか。……高草木さんは、明日もまた、幽霊に商品を売るのだろう。そして悪霊が出てきたら、高草木さんが戦って……俺がいる意味はなんだろうか、彼らは俺に何を期待しているのだろうか。いや、高草木さんは無理をするなと言ってくれたし、実際、俺が仕事を辞めても、きっと受け入れてくれるのだろう。でもそれでいいのだろうか。憂鬱な気持ちで重くなる足取りを引きずって歩く。考えることを辞めたくて無心で足を動かして帰路についた。
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