16 美生ミミミ




 鮎川さんはよく食べる。

 覚醒者というのは人よりも優れた運動能力や、常人とは違う能力を使うだけに必要カロリーが多いのだろう。


「ここ、美味しいですね!」

「それは良かった」


 すでにメニュー二周目だけれど、彼女の食欲は止まらない。

 よく食べる姿というのは見ていて気持ちいい。

 私はニコニコとその様子を眺めていた。


「そういえば鮎川さんは覚醒者と動画配信だけなのかな?」

「ええと、それは?」

「いや、お若いから大学とかに通っていないのかなと」

「大学は、辞めたんです」


 少し、表情が暗くなった。

 話題を間違えたかなと後悔したけれど、いきなり軌道修正するのも変だ。


「そうですか。いくつもしていると忙しいですからね」

「いえ、そういうんじゃなくて……実は、私、人と喋るのが苦手で」

「ほう」

「高校まではなんとか我慢できたんですけど、大学まで来たらなにか、燃え尽きちゃったみたいになって」


 なにもする気力が起きなくなって、大学を辞めてそのままあのアパートで暮らしているのだという。


「高校なんかに比べたら、大学の方が人付き合いは楽だと思いますけど。まぁ、人それぞれですよね」


 百年も昔の淡い記憶を掘り返してみるけれど、狭い教室に押し込まれていた小中高時代に比べれば、大学時代は学校内での人付き合いに関しては、さほど苦ではなかった気がする。

 とはいえ、それはあくまでの私の感想であり、鮎川さんの感想ではない。

 彼女の人生でどのように見えているのかは、私には分かりようもない。


「気にすることはないですよ。それに覚醒者になれたんだし」

「はぁ。……実は、覚醒者になれたのは、大学を辞めた後なんですよ。あの頃はもう、なにもかもが怖くてベッドから出られませんでした」

「でも、いまは出られている」

「はい」

「その頃にはもうお隣さんだったはずですけど、気付けませんでしたね」


 私は彼女が大学生になるよりも前からあそこに住んでいたのだけれど、隣近所のことなど気にしたことはなかった。


「それは仕方ないですよ。そういうものですから」

「まぁ、そうなんですけどね」


 仲良くなった隣人が苦境にいた中で、自分はそうとも知らずに生きていたと知れば反省の気持ちも湧いてくる。

 ん?

 湧いてくるということは、少しは人間性が戻ってきたということだろうか?

 だとすれば喜ばしいのだけれど。


「私ね、自分の名前の通りに生きたいって思ったんです」

「名前の通り?」

「私の本名は鮎川美生です。美しく生きるでみお」

「いい名前です」

「ふふ、ありがとうございます。でも、全然名前の通りにできてないなって」

「そこまで気にすることですか?」

「気にするぐらいに、私はうまくいってなかったんです」


 アルコールの回った笑みの中に、鮎川さんは苦々しさを滲ませる。


「覚醒者として目覚めた時に思ったんです。これで上手くできないなら、私はもう本当に役立たずなんだって。だから、覚醒者の中でも扱いづらいって言われる鉱夫でも、がんばって、人付き合いの苦手を直そうと思って動画配信もして、化粧もがんばって、自分とは真反対になって、でも、なにかちょっと、違う気もして」

「あまり気にしない方がいいですよ」

「そんなことないですよ」

「名前なんて気にしていたら、私なんて次郎ですよ。二番目の男ぐらいの意味です。どう生きろって言うんです?」

「ふ、ぷふ、そんな、あはははは!」


 酔っ払っている鮎川さんの笑いのツボを突いたらしい。


「あなたは十分に、自分に向き合っていますよ。気にすることなく、やりたいことをやればいい」

「……うん、ありがとうございます」


 それ以外にもいろいろと話し、メニュー四周目が終わったところで帰ることになった。

 どうやら鮎川さんは最初から払うつもりだったようだけれど、酔っているので私が支払っておいた。


「お礼するつもりだったのに〜」

「いいんですよ。奢らせてください」


 ぐだぐだに酔っ払った鮎川さんを抱えてアパートに戻る。


「うう〜、重いですよね」

「なに、ぜんぜんですよ。なんなら抱えて見せましょうか?」

「え?」

「ははは、これはセクハラかな」

「いえ、お願いします!」

「は?」

「お姫様抱っこ! されてみたいです!」

「はぁまぁ」


 そういうならと、すでにアパートは見えているのだけれど、私は鮎川さんを抱えた。


「ほら軽い」

「ふえええええ」


 そのままアパートに向かう。

 肩を貸していた時よりも歩きやすくて楽だ。


「これは、やばいです」


 カンカンと階段を上がっていく。


「なにか、こう、やばいです」

「はいはい。もうすぐですから」


 階段を上がり終え、彼女の部屋の前で下ろす。


「はい、着きましたよ」

「む、むう……」


 なにか不満げに唸りながら、鮎川さんは鍵を探り、ドアを開けた。


「では、おやすみなさい」

「あの、八瀬川さん」

「はい」

「よかったら、次からは次郎さんと呼んでもいいですか?」

「? ええまぁ、かまいませんが」

「なら、私のことも美生と呼んでください。あ、配信の時はミミミでお願いしますね」

「あ、はい」

「それじゃあ、次郎さん」

「はい、美生さん」

「おやす「このまま、私の部屋に来たりとかは、しません?」しません」

「早い!」

「ははは、おやすみなさい」


 若い子は冗談が好きだなぁ。

 ドアの前で長話もなんなので、このまま自分の部屋に戻った。

 酔い覚ましに……実際には酔っていないのだけれど、コーヒーを作っていると、隣の部屋からバタバタとベッドの上で暴れているような音が聞こえた。

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