02 帰宅と退職
おっと。
ピーポーという音が聞こえてきたところで、我に返った。
こんな状態のままでいたら怪獣映画になってしまう。
やられる立場になるのはごめんだし、街を壊す側になる気もない。
いまの私はエクスマニフィークドラゴンとなっている。
姿は中華や和風のドラゴンに近い。
蛇のように長い胴体で翼がなくとも空を飛べるし、いまも飛んでいる。
まずは姿を消す魔法を使う。
気配まで完全に遮断する優れものだ。
まだラスボスではなかった頃、暗殺者みたいなムーブでダンジョン攻略者と戦っていた時に覚えた。
さて、次にすることは?
とりあえず、我が家を確認することか。
私の知っている日本と変化がないようだが、あれからどれほど時間が流れているのか。
ダンジョンモンスターになって、体感的には百年以上だが、それが正しいのかどうかはわからない。
空からの移動で行けるほど、地形を覚えてはいない。
そもそも空路で家に帰ったことはない。
電車での移動はなんとなく覚えているので、人の姿に変身する。
ドッペルゲンガー的な戦いをしている時に覚えた。
適当に見かけた人の姿に変身したものの、手持ちのお金はないので姿を消したまま無賃乗車させてもらう。
すまぬ。
駅の路線図を見ても、うっすらと残っている記憶との違いはない。
知っている駅名を見つけ、乗り換えに苦心しながらもなんとか駅に辿り着き、そこから十分ほど歩くと、かつての私が暮らしていたアパートが見えた。
都内の割に妙に安いのが気になったが、それ以外は特に不満のないワンルームのアパート。
懐かしい気持ちを抱えて近づき、一階にあるポストを見てみると、記憶通りの部屋番号に私の名字である『
「ん?」
なんでまだ私の名字が?
あれから誰も住んでいない?
いや、まさか。
二階への階段を上がり、自分の部屋の前に立つ。
鍵はない。
だが、進化途中でゴーストになった時に覚えた透過の魔法でドアを抜ける。
「嘘だろ」
ドアを抜けてすぐにある狭い玄関と廊下、そして玄関。
その背後にはユニットバスへ通じる中折れドアがある。
玄関にはくたびれた革靴が正面にあり、その横にウォーキングシューズとゴミ出しやコンビニに行く程度の時に使うサンダルが並んでいる。
流しの上にある洗い物置き場には、覚えのある食器がある。
廊下を三歩も歩けばドアにぶつかり、そこを開けるとリビングダイニングとなる。
ベッドに放り出されたスーツ。
折りたたみテーブルに置かれたコンビニ袋にはサンドイッチとつまみ、菓子パン、そしてビールが入っている。
ビールは汗をかいていて、冷たい。
スマホはベッドサイドで充電器に繋がれていた。
スマホを触ってみたが、顔認証に失敗した。
そういえばいまは違う顔だった。
ええと、パスコードはなんだったか。
意外に覚えているものだ。一発でロックが解除された。
日付を確認する。
これではっきりした。
おそらく、いや、まず間違いなく、異世界転生してから一日も経っていない。
「え? だったら?」
もしかして、私の死体もあるのか?
心配になって部屋中を確認したが、なかった。
風呂の湯が張ってあったので、もしかしたら風呂に入っている途中で死んだのか?
ともあれ、自分の死体を処理するという嫌な作業をしなくて済んだのは助かった。
「なにはともあれ……」
部屋を使えるのはありがたい。元々の自分の身分が使えるのだ。
折りたたみテーブルの前に座り、ビールの缶を開ける。
そういえば、まともな食事も久しぶりだ。
ダンジョンモンスターとなって、魔素を吸収していれば死ななくなったからな。
味はわかるのか?
恐々とビールを飲んでみる。
「っ!」
冷たいビールの感触、喉越しを柔らかく刺激する炭酸!
美味い!
続いてサンドイッチを開けてみる。
レタスとチーズとハムのサンドイッチ。
パンのフワッとした食感、レタスのシャキシャキ感、チーズとハムの種類の違う旨味と塩味!
「美味〜い」
よかった。味覚がちゃんとある。
久しぶりの食事を満喫した。
「さて……」
食事も終わり、財布にあったマイナカードとスマホの顔認証を利用して昔の自分の顔を再現し終えると、私はこれからのことを考えた。
「これからどうするか?」
普通に、このまま人間であった自分、八瀬川次郎としての人生を続けるか?
それが一番だとは思うのだけれど、とても大きな問題が立ち塞がっていた。
「仕事、なにしてたかな?」
自分の仕事内容を思い出せない。
なにをやっていたんだったか?
私自身の個人的な情報はだいたい思い出せるのだけれど、仕事のことに関してはまったく思い出せない。
ダンジョンモンスターとして、下っ端だった頃はまだ覚えていたような気がするのだが、いつの間にか忘れてしまったようだ。
それぐらい、仕事にはいい思い出がないということだろうか?
「仕事は辞めるしかないなぁ」
とはいえ、自分で退職を願い出るのもな。
というか、会社の人たちの顔も思い出せない。
幸いにも社員証があるので自分がどこで働いているのかはわかる。
あとは、どうやって辞めるべきか。
「そういえば、なにかサービスがあったな」
スマホで検索してみると、退職代行サービスというのがあった。
オンラインで依頼ができるというので、さっそくお願いする。
数日後、無事に退職できた。
『体調不良で有給使います』というメールを送っただけだったせいか、上司と思われる人物から鬼電されたが、全て無視した。
そして有給消化の日々となったわけだけれど、いままでとは違う名前で着信があった。
佐藤?
なにか記憶を刺激する。
「もしもし」
「おう、八瀬川。元気してるか?」
「ああ、うん、元気だよ」
「いきなり辞めるっていうからびっくりしたよ。しかも退職代行を使うなんてな。課長、顔真っ赤にしてたぞ」
「ははは、すまない」
「まぁ、いい気味だ。しかし、急だったな。どうしたんだ?」
「いや……仕事の仕方がわからなくなってな」
「……そうか」
なにか、返事が重かった。
これは勘違いさせてしまったかもしれない。
「まぁ、そういうこともあるよな。同じ時期に転職してきた仲だけど、もう残ってるの俺たちだけだったし」
「ああ……」
そうだったのか。
ていうか、転職していたのか。
それさえも覚えていなかった。
「俺もそろそろかな。いや、もうちょっとがんばってみるよ」
「無理しないようにな」
「ああ、じゃあな」
通話が終わる。
記憶を刺激するけれどやはり最後まで思い出せなかった。
「悪いな」
ちょっとした罪悪感を覚えながら、私はスマホを使って情報収集を続けた。
仕事を辞めたのだから、なにかで収入を得なければ。
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