房
変汁
歪み
残業を終えて帰って来ると、同棲中の彼がブロッコリーになっていた。ブロッコリーと言っても彼の全てがブロッコリーになっていたわけじゃない。
彼の一部分がブロッコリーに変わっていたのだ。
何故そのような事が彼の身に起きたのか、そんなの私にわかるわけがなかった。
私がその事に気づいたのはリビングに入った時だった。彼は私が帰って来た事も気づけない程、ゲームに夢中のようだった。
彼は胡座をかいて必死にコントロールスティックをあらゆる方向へ動かし続けていた。
胡座の体勢に疲れたのか、彼は右足の下に敷いていた左足を交互に入れ替えた。
その時、私は彼の左足の小指が見事なまでに青々としたブロッコリーになっているのを見つけてしまったのだ。
小指がブロッコリーに変わってしまっているのに、彼はその事に気づいていないのかゲーム中に足の裏を掻き始めた。
その手が段々と上にあがり親指に触れた。
その瞬間、私は唾を飲み込んだ。
彼は親指を摘んでクルクルと回し始めた。親指が終わると次は人差し指だった。
どうやら彼は足指のマッサージをしていると思われた。
続いては中指、その又次は薬指をマッサージしていく。次は小指の番だった。再び、私は唾を飲み込んだ。
口の中がカラカラに渇き何か飲みたかった。
彼の小指、否、ブロッコリーに彼の手が伸びた時、私は思わずヒィと声を出し両手で口を塞いだ。
その時、仕事帰りに立ち寄ったコンビニで買ったスナック菓子やスイーツ、お茶などが入った袋を落としてしまった。
その音に彼がびっくりしたようで、コントローラーのpauseボタンを押しこちらへ振り向いた。
「大丈夫?あ、ごめん。お帰りなさい。お仕事お疲れ様でした」
彼はいい立ち上がった。私は、ただいまと言いながら、視線は彼の左足の小指から離すことが出来ずにいた。
頭の中では、口に出したいが出せずにいる言葉が、絡んだ毛糸のようにまとわりついている。
「あ、待って。歩いたら小指のブロッコリーが取れちゃうじゃない。お願いだからじっとしてなよ」
頭の中の言葉は尚も絡み合い両手で押しつぶされたようにギューと小さくなって行った。
そうなったのは、私が帰宅したら彼が必ずしてくれるハグによって、私の頭の中の言葉は縮こまったのだと思われた。
それに小指がブロッコリーに変わっているよ、なんて言ったらせっかくゲームを楽しんでいる彼の気分を損ねてしまう。
そんな彼を私は見たくないし、それ以上に、私は彼の小指のブロッコリーが今後どうなって行くのか、その過程を見てみたいと思う気持ちの方が強かった。
だから彼のハグにより、言葉が私の口をついて出なかった事にホッとした。
私を抱きしめる彼はまだ自分の小指がブロッコリーに変わっている事に気づいていないようだった。
まるで彼の身体がブロッコリーを受け入れているようだった。
それならそれで仕方ない。いや寧ろ良いのではないかと思える程だった。どうせ彼は一日中この部屋にいるのだから。
抱きしめていた腕を解くと彼は私に微笑んだ。そして再びTVの前に座りコントローラーを手に取った。
そんな彼の姿を見て私は前屈の姿勢で落とした袋を拾い上げた。
朝になると彼の両足が大きなブロッコリーの房に変わっていた。
小指の時は単独のブロッコリーだったのが、ものの数時間で両足がそのように変わってしまっていた。
彼の足は、まるで怪獣の足の形をしたスリッパを履いているように可愛らしかった。
少し丸っこい所もポイントだ。
ただ布団が野菜臭くなるのは難点ではあった。
私は寝ている彼を起こさないようにベッドから出た。
仕事の支度を終え、部屋を出た。
残業が無ければ18時過ぎには帰って来れる。
たった数時間で小指だけのブロッコリーの筈が、今朝には両足がブロッコリーに変わっていたのだ。
私が仕事をしているその間も、彼の身体がブロッコリーに変わって行くのは当然の事のように思われた。
私は今日は彼のどの部分がブロッコリーに変わっているのだろう?と楽しみで仕方がなかった。
そのお陰で今日は仕事を頑張れる気がした。
帰宅すると彼は普段通り、コントローラーを握っていた。けれど昨日と違うのはその手がブロッコリーに変わっていた事だった。やっぱり変わっていた!
それを見た時、仕事で疲れた身体が癒されていくのを感じた。
彼はブロッコリーの両手を器用に動かしながらゲームに夢中のようだった。そんな彼を見て、私は思わず頬が弛んだ。
私の存在に気づいたのか、彼は動かしていた手を、
いやブロッコリーを止めてこちらへ振り向いた。
「お帰りなさい。お仕事、お疲れ様でした」
彼は私の目を見てそう言った。
そして立ち上がり、ブロッコリーの両足で歩きブロッコリーの手で私を抱きしめた。
私は直ぐに夕食を作り2人で小さなテーブルを挟んで向かい合った。彼の両手のブロッコリーを眺めながら、
私はこれほど好奇心をくすぐられる瞬間は人生でそうはないと思った。
仕事中、私は何度も想像した。彼の手がブロッコリーに変わっていたら?と。
想像は飛躍していった。どうやって箸を持つのだろう?スプーンは?ナイフやフォークは?
想像は止まる事はなかった。そして私がきっとこうだと思ったのは、手の部分だった場所のブロッコリーの真ん中がパカッと割れ、半分に分かれたブロッコリー同士で挟むように箸を持つのではないか?と結論した。
これが私の中での本命だった。
その時が今、私の前に訪れようとしていた。
「頂きます」
彼が言った。音が聞こえそうな程、ゴクリと私は唾を飲み込んだ。彼は箸をブロッコリーに突き刺した。
その手でコロッケを摘んだ。口に運び一口食べた。
「美味しい」
私はガッカリした気持ちを顔に出さないよう気をつけながら、
「良かった」と言った。
浮かべた笑みは間違いなく引き攣っていたに違いない。
コロッケは私の手作りじゃく惣菜だけど、手作りだとかコンビニで買った物だろうと彼は間違いなく美味しいと言うのだ。不味い、あんまり好きじゃないとも口にした事もなかった。
きっと私の気分を害したくないと気遣っての事というは私にだってわかった。
3日目の朝には彼の下半身が大きなブロッコリーの房になっていた。かぼちゃパンツのような形をしていたけど、やはり彼は男だ。しっかりあそこの部分には単独でブロッコリーが生えていた。
そんな彼を横目に私は又、静かにベッドを出た。
私は歯を磨きながら、今日は何処がブロッコリーに変わるのだろうか?と考えた。
私が仕事をしている間に、彼はどれだけの変化を遂げるのだろうか。順番的に考えたら、やはり上半身だろうと私は予想した。
予想が当たるというのは、こんなにも胸踊る程、嬉しいものなんだと、帰宅して彼を見た時に思った。
珍しく彼はゲームをしていなかった。代わりに掃除機を使い部屋の掃除をしていた。
「お帰りなさい。お仕事、お疲れ様でした」
その後のハグはお預けのようだった。まぁ掃除中なら仕方ないと私は諦める事にした。ゲーム中ならコントローラーを置いて直ぐにハグしてくれるのに、掃除機の場合はしないんだ?と口に出かかった。だがそれ以上に私の目は彼の身体に釘付けとなった。
今の彼はまるで2つのブロッコリーを重ねたような体つきだった。ようやく掃除が終わったのか彼はスイッチを止めて掃除機を片付けた。そして両手を、いや、両ブロッコリーを広げ私に近づいて来る。その匂いは、いつも使っている香水の香りではなくやっぱりというかブロッコリーの香りがした。野菜臭かった。
この時、私は思った。こつして私に微笑む彼のその笑顔も、きっと朝にはブロッコリーに変わってしまうかも知れない。
今夜が彼の人としての顔との別れになるかも知れない。きっと今夜がこの顔の見納めになる筈だ。
だからだろう。普段は絶対にしない事をしようと私は決断した。夕食後に一緒にお風呂に入ったのだ。
裸に直接触れられるブロッコリーは何だか奇妙な感触だった。ザラザラとして余り気持ちの良いものでもなかった。彼は裸の私を後ろから抱きしめた。男を示す独立したブロッコリーがピクピクと動き私のお尻にあたる。
首を傾げたくなるほどの違和感があった。これを受け入れられる?私は無理だよなぁと考えながら、彼の身体から離れた。
翌朝もしっかり目覚ましで目が覚めた。私は横になったまま彼を見た。
予想通り彼の顔は変わっていた。頭全てが変わっていた。私はその彼の顔をマジマジと見たかった。半身を起こし顔を覗いた。その時、私はまだ寝ぼけているのかな?と思い目を擦った。
いや見間違いではない。彼の頭は、顔はブロッコリーではなかった。
カリフラワーに変わっていた。
スヤスヤと可愛らしい寝息を立てている。
私は無言でベッドから出た。寝室を出て真っ直ぐキッチンへと向かった。包丁を取り出し寝室に引き返した。
寝ている彼を見下ろしながら、私はまさかと思った。カリフラワー?あり得ない。
私は彼のカリフラワーになった頭を、額にあたる部分を手で押さえつけた。そして包丁を茎の部分にあてた。
茎が硬いのか中々、切り落とせなかった。両手で包丁を押さえ全体重をかけて押しつけた。
それでも簡単には切り落とせなかった。仕方なくノコギリを引く要領でカリフラワーの茎を時間をかけて切り落としていった。
余程、新鮮なのかカリフラワーの切り口からは大量の養分が噴き出す程だった。
全てを切り落とすと同時に寝息が止まった。
私はカリフラワーを鷲掴み、寝室を出た。
キッチンへ入りゴミ箱の前に立った。
ペダルを踏みゴミ箱の蓋を開けた。
私はそこへカリフラワーを捨てた。
包丁と手を洗って歯を磨いた。
シャワーを浴びて仕事へ向かう準備を始める。
彼はまだ起きて来ない。いつも昼過ぎまで寝て起きたらゲームをする。それが彼の1日だ。
私が週5で働いているように、彼は週7でそのルーティンを守っている。
メイクを終えて時計を見る。少し早いが、出かけるとしよう。帰って来たら彼が又、言ってくれる。
「お帰りなさい。お仕事、お疲れ様でした」
そして私をハグしてくれる。
これが数年間続いている私達カップルのルーティンだ。
私は出かけようとして、足を止めた。
今日は燃えるゴミの日だった。慌ててゴミ箱からゴミ袋を取り出す。カリフラワーが、ゴミ袋の開いた口から私を見上げていた。私はゴミ袋を縛り、部屋を出た。
降りて来たエレベーターに乗り先客の住人に頭を下げた。
「おはようございます」
「お、おはよう、ござ、、い…」
その住人は驚いた風に私の顔を見ていた。
あまり睡眠が取れなかったせいで、メイクを濃くしたのが不味かったのかなと思った。
けど、構わない。この人は私の彼じゃない。どうでもいい人間に過ぎないのだ。
一階につくと私は先にエレベーターを降りた。
ゴミ収集場にカリフラワーの入ったゴミ袋を置いた。
駅に向かって歩き出した。
風が吹き、何処からかカリフラワーの匂いがした。
私が一番嫌いな野菜の匂いだった。
房 変汁 @henjiru-is-dead
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