第二章:魔王・イン・ダ・ハウス

 魔王城四階へと続く螺旋階段を上り、果てなく続く廊下をひたすらにまっすぐ進んだ突き当りに、先刻に川春が目覚めた部屋、つまり魔王の部屋がある。

「は~。どっから話そうかな~」

 と、思考の整理をしている素振りを見せる魔王は並行して、なにも無い空間から先ほどの姿見と、木目調の円卓と椅子を取り出している。

 ちょうど対面するように席を配置されていたため、魔王が座ったのを見届けると川春もそれに倣って腰を下ろす。それと同時に話す順序を考え終わったのか、魔王がいつの間に用意したかもわからない紅茶を注ぎながら口を開く。

「まず、昔は世界が一つしか無くて、そこに魔族と人間、それから神と妖精の四種族がいたことは知ってるよね?」

「ああ、それなら学校で習ったぞ。それで領地争いをしてたんだろ?」

「そうだね。人間側が圧倒的に不利だったはずなんだけど、いつの間にか形成逆転されたんだよね。まあ原因は勇者なんだけどね」

「伝承に書いてある、勇者はどの種族にも引けを取らない強さだった、っていうのは本当なのか?」

「そうだね~。肉弾戦なら神たちに負けないくらいだし、魔術・魔法戦だったら魔族と妖精に圧勝してたね」

「そうなのか・・・つくづく人間離れしてたってことか」

「まあ、私や神とか妖精のリーダーが戦ったのは一回ずつだったけどね。その一回でそれぞれがあいつには勝てないのを確信してたよ」

 腕を気分で付け替えられる種族にこのようなセリフを吐かせることが出来る勇者とは、いったいどこまでの強者であったのか疑問が浮かぶところだ。

「けど、あいつ自身が力での制圧は望むところじゃなかったらしい。それでこんな提案をしてきたんだよ。世界が狭いなら複製しちゃえばいいって」

「それで魔界ができたのか。でも、住み分けるだけならゲートは要らなくないか?」

「勇者が言うには『あのゲートはもともと無い世界を創りだしたあとに、その世界を安定させるためのエネルギー供給装置だ』って」

「ちょっとなに言ってるか分からない」

「理解が追い付かない君のために、今までの話の解説映像がこちら」

「なんでちょっと棘のある言い方になってんだよ」

 川春の流麗なツッコミを見計らったように、先刻と同じように姿見に映像が投影される。

 ◆◆◆

 その昔、人間と魔族、妖精それから神たちは、小さな地球の中でそれぞれの領土を広げるため、日々争いを繰り返していた。

 そんなある日、四種族の中でも圧倒的に弱者であった人間たちは、多くの命と引き換えに異世界から勇者である悠木和平ゆうき かずひらを召喚することに成功した。

 彼は召喚されるや否や人間の王の言う通りになるしか生きながらえる方法もないため、召喚時に獲得した異常なまでの強さで人間の領土を広げていた。

 しかし、魔王、妖精の王、神たちの頂点。それぞれと兵刃を交えた彼には、ひとつ感じるところがあったらしい。

 ある日、彼はそれぞれのトップを人目の付かぬ場所に呼び出して、力ではなく会話での解決を試みることにした。彼自身が望むものは純然たる平和であり、『一度拳を交え互いの力を認め合った種族たちにも幸せになってほしい』と、心から願っていた。

 そんな真の意味で平和主義な彼が考え着いた案が『世界の複製』だったわけだ。

 いわく、平行世界という概念だと。

 つまりは、そっくりそのまま地球を3つ作り出すということだ。

 しかし、創り出すだけでは元々の世界に溢れていた色々な種族のエネルギーが一気に減ってしまうため、オリジナルの世界も複製の世界も崩壊してしまう可能性があった。

 そこで、それぞれをゲートで元の世界と繋ぐことで、エネルギーの安定化を図った。このようにして、放っておけば崩壊してしまうであろう世界の存続を可能にしたのだ。

 ただ、世界を創りだすなんて都合の良い事象が存在するのだろうか。

 答えは当然ノーだ。

 勇者が自ら開発した魔術と魔法の併用かつ、彼の命と引き換えにそれぞれの世界を分離させることに成功。四種族は見事に住む場所を分けることに成功し、世界からは争いが消え、少しの間だが種族間の交流が行われていた。

 ◆◆◆

 と、そこまで説明を終えたところで、鏡は川春を映し出すだけになってしまった。

「なるほど。理屈は通ってるか。それに世界の安定性とかの説明も信ぴょう性は申し分ないな・・・」

「あ、もしかしてこの鏡に映った映像がウソだと思ってる?」

「正直なところ、八割方は嘘くさい。そこに映ったものが、本当だったとしたら人間側の常識とは違うからな」

「ん~、じゃあこの鏡が映すものが本当だ、って証拠があったらいいんだね?」

「そうだな。できれば原理も教えてもらいたい」

「え~、めんどくさ~い」

「じゃあ、人間界に連れていく話はなしってことで」

「それは嫌だ~!・・・わかったよ、も~」

 さっきの話が本当なら、この世の悪は「人間」ということになる。その仮定が脳裏に過ぎった川春は少しばかり良心を痛めながらも、魔王に対して資料の正当性を追求していく。

 こればかりは記者根性の為せるところではあるが、ひとりの人間として真実を知る必要があると思ったのも事実だ。ならば見て聞いて知るしかないのだ。それがどんなに自分たちに不利な内容だとしても。

「ちなみに川春は魔力があるみたいだし、この鏡にいろいろと映せると思うよ」

「ん?どういうことだ?」

「この鏡ってその人の魔力に残った記憶を読み取って、それを状況に応じて切り貼りして映し出せるんだよ」

「なるほど。カット編集みたいなものか」

「え?なにそれ?」

「すまん。高度文明の話だ」

「はい、カッチーン。もう怒っちゃったもんね~。川春が一番に隠したいと思ってる情報を今から鏡に投影させま~す」

 そう言うと魔王は川春の頭をぐわしと掴むと、鏡から目を背けられないように力強くその場に彼を固定する。と、その瞬間に川春の目にとんでもない映像が飛び込んでくる。

『あ~!赤たんかわちいね~!今日の配信も最高だお~』

 川春が最近お熱であるVtuber、被威赤おどされ あかの生配信を見ている彼の姿が映し出されている。推しグッズで装飾されたデスク周りに、よれたジャージでパソコンの画面に向かう猫背の成人男性が。

『あ~^生まれてきてくれてありがと~。今日も可愛いからスパチャしちゃお~。ここは切り抜き確定~!』

「ぉおい!なに映してくれてんだよ!」

「おやおや~?べつに良いじゃんか~。この映像は次元が高すぎて私には理解できないんだから~」

「それは、文明レベルの話か!?それとも俺の醜態の話か!?」

「さぁ~?どっちだろうね~」

 おそらく魔王は彼が何をしているのかは理解できていないのだろうが、いま映った彼の姿がどれほど羞恥心を煽るものかは容易に解釈できてしまっている。

「それにしても、最近は可愛いものを『かわちい』って言うんだね。頭が悪そう」

「推しを目の前にすると頭は悪くなるからあってるよ・・・」

 バツが悪そうに肯定の首を振るが、表情は今すぐにでも否定したいような苦さを呈している。誰だって推しに対して最高潮に狂っている姿など、たとえ親にでも見せられたものではない。

「で、この鏡が真実を語っているのは分かったかな?」

「ああ。今ので嫌ってほど分かったよ・・・」

「じゃあ、これで人間の世界に行ってもいいよね?」

「いや。お前と勇者が交わした約束について聞いてないからダメだ」

「ちぇ、覚えてたの~?」

「そりゃあ、お前にとってはさりげなく言った一言だったとしても、魔王と勇者の約束なんてキャッチーなフレーズ忘れられないって」

 わざとらしい台詞を吐き出した魔王に対して、川春がマジレスを繰り出す。とはいえ、魔王が勇者と交わした約束というのは、たしかに非常に気になるところではある。

「ん~、改めて誰かに説明するのは恥ずかしいんだけどさ・・・」

 魔王はそう言うと顔を赤らめて、しばしの間を挟んだ後に口を開く。

「これからは人間が攻めて来ることは無いと思うから、存分に幸せになってくれって。あいつはそう言ったんだよね」

 魔王は微笑みながら「ね?ちょっと恥ずかしいでしょ?」と続ける。が、川春は魔王の言葉を即座に「そんなことはないよ」と否定する。

 勇者だった人間は、自分の身と引き換えに誰かの幸せを願えるのだ。おそらく彼の人徳は平和主義者の到着点であることに間違いない。

「いや~、でも冷静に考えると幸せってなんだろうってなっちゃって。人間たちはいまだに攻めて来るし・・・」

「そうだったのか。軽率な発言だった。ごめん」

「ううん、大丈夫だよ。川春が悪い奴じゃないのは分かってるから」

 気まずい沈黙が二人の間に鎮座する。川春は魔王の証言が本当だと信じたからこそ、人間として完全に「悪」の立場にいることになる。ならば、さきほどの魔王の言葉を否定するなど軽率以外の何ものでもない。し、それを自覚して反省できないほど幼稚ではない。

「はい!この話は終わりね!はやく人間界に行く準備しなきゃ!」

「お、おう。そうだな!」

 魔王を人間界に連れて行くことに不安が無いと言ったら、大ウソも大ウソであることに変わりないが、ここまで真実を突き付けられてしまっては、罪悪感からでも使命感からでも行動を起こすのはもはや当然だった。

 川春が魔王に追随して、席から立ち上がろうとしたその瞬間だった。

 魔王の部屋の扉が勢いよく吹き飛んだ。

「川春!助けに来たぞ!」

 舞い上がる煙の中で、凛として筋通った声が反響する。その力強い咆哮は川春には聞き覚えのあり過ぎる声でもあった。

「え?誰~?っていうか、人間だよね?よくここまで来れたね?」

 魔王は動揺する素振りなどは一切見せず、むしろこの部屋に自力で到達した人間に興味を示しているようだ。

「貴様が魔王か!愛しの、じゃない・・・間違えた!川春を返してもらうぞ!」

 大声で『愛しの』までを宣言しておいて、そのままの勢いで訂正をする姿はむしろ潔いようにも思える。が、この一瞬で初対面の魔王に、ポンコツ認定されるのは免れようがなかった。

「いかにも!私が魔王だ!ところで、君のお名前は?」

 自室のドアを吹き飛ばされたというのに、堂々たる態度と飄々としたセリフ選びを見せる魔王には余裕が漲っているように見える。

「あ、すまない。初対面なのに自己紹介を忘れていた。私は皇暖赤すめらぎ はるかと言うものだ!そこの川春とは幼馴染だ!」

「へ~、ハルカちゃんって言うんだ~!可愛い名前だね!」

「そうだろう?私の両親にもそう伝えておくぞ。魔王もなかなか可愛い見た目をしているな」

 これはだめなやつだ。暖赤は完全に魔王のペースにノせられてしまっている。し、なんなら雑談を始めそうな勢いで会話を繋ごうとしている。

「え~?そうかな~?でもハルカちゃんも騎士風の装備がとってもカッコよくて、可愛いお顔と良いバランスだよ!」

「や、やめてくれ!私は可愛くなどない!」

「本当だって!すっごい可愛いよ!」

「なにこの女子会みたいな会話」というセリフを既のところで飲み込んだ川春は、今にもルイボスティーでティーブレイクをしそうな雰囲気の二人の間に割って入る。

「待て待て。ハルカ。助けに来てくれたところで悪いんだけど」

 彼の言葉はそこで中断を余儀なくされた。というのも、

「川春~~~っ!無事でよかった!ホントに死んじゃったらどうしようかと!」

 先ほどまでのお茶会寸前の雰囲気はどこへやら、暖赤は魔王の目も気にせずに川春へと抱き着くと声を上げて泣き始めてしまったからだ。

「まったく大げさだって。・・・とも、言い切れないか。そこまで心配してくれてたんだな。ありがとう」

「いぎででよがっだよぉ~!」

 暖赤はその言葉ばかりを繰り返している。よほど彼の事が心配だったと受けられる。が、川春としてはそろそろ事を進展させたいようで、彼女を泣き止ませようと背中をさすったり優しく語りかけたりしている。

「よしよし。少しは落ち着いたか?」

「ぐすっ・・・ごめん。取り乱した」

 暖赤はすっかり泣きはらした目で、川春の無事を再度確認した後に魔王へと向き直り、姿勢を凛と正す。

「すまない。お見苦しいところを見せてしまった」

「いやいや~。お熱いところの間違いじゃない?」

「な、なにを!?わわわわわわ、私と川春のどこが熱かったのだ!」

「なんか、こう・・・信頼?友情?恋慕なのかな?ハルカちゃんが川春に対して抱いてる思いが熱かったね~」

 映画の感想を語るかの如く、一連の暖赤の行動の考察を重ねていく。

「いや、あれは恋心も兼ねてはいるが、一種親愛のような気もしたな・・・だとすると、二人は相当深い仲ということ」

「魔王。そこらへんにしてやってくれ。暖赤がタコより赤くなっちゃうから」

「おっと。これはうっかりしていたよ。お詫びのしるしにお茶でも飲んでく?ハルカちゃん?」

「結局は女子会のノリじゃんか・・・」

 真っ赤になった暖赤はさておいて、魔王は彼女の返答を聞くよりも早く、荒れた部屋を魔法と魔術で素早く修復すると、円卓と椅子を三脚用意する。

「これだけの短期間で違う人間と喋れるとは思わなかったよ。しかもこんなに可愛い子と!ね、ハルカちゃん!」

「・・・はっ!わ、私はなぜ座っているのだ。それになにか良い香りが」

「それは魔界で採れた茶葉を使った紅茶だよ!別に毒とかは入って無いから安心して飲んでみて!」

 そう言われて一口。暖赤は魔王に差し出された紅茶を口に含む。仮にも冒険者なら初対面の人に差し出されたものは、少し疑ってかかってほしいところだ。が、そのような疑問の余地も無くさせるほどに、魔王の口ぶりからは善意が溢れ出ているのも事実だ。

「ぐっ・・・こ、これは・・・」

「大丈夫?口に合わなかった?」

「とてもじゃないが美味しすぎる。これは違法級だ」

「え?ま、お口にあったなら良かったよ!」

 彼女がここまでの反応を示したのは、紅茶自体の香りは芳醇であるにも関わらず、茶葉の渋みが無く、喉を通過したことを忘れさせるかのような飲み口だったからだ。そんな逸品はなかなかお目に掛かれるものではない。

「うむ。この紅茶はどこで買えるんだ?ぜひとも買ってから帰りたい」

「じゃあ、これはお土産ってことで!持って行って!」

 そう言うと魔王は、綺麗にパッケージングされた紅茶を取り出して暖赤へと手渡す。

「ありがとう!では、こちらからもなにか・・・」

 気付けば魔王と人間の交流会が始まってしまっている。

「待て待て、暖赤。お前は仮にも人間側の最終兵器って言われてるんだぞ?そんな奴が疑いもせずに魔王から貰いものをするのはマズいんじゃないか?」

 そうだ。彼女は人間の世界で最強と称される冒険者。その強さゆえに誰ともパーティは組めない。が、この世界でたった一人のSランク冒険者だ。

 身体能力、魔力量、魔術センスのどれをとっても規格外な存在。それが皇暖赤という存在なのだ。

「疑うも何も、その脚から漂う魔力の残滓を見るに川春は魔王に助けられたんだろ?私の大切な人、じゃなかった。誰かを助けた人を疑うのは良くないだろ」

 暖赤の言う通りではある。川春は魔王に足を再生してもらったし、あの爆発からの被害も最小限にしたもらった。そればかりか、親切に街の案内までしてもらったのだ。これらのどこに魔王の善意を疑う余地があろうか。

「さすがハルカちゃん!やっさし~!強いのは力だけじゃないってことだね!」

 同じ強者で分かりあえるところがあったのだろう。無言の肯定が場を支配する。が、川春がなにかを思い出したように口を開く。

「暖赤が強いのは知ってたけど、そもそも人間でここまで辿り着いたのは、なにげに初めてじゃないか?」

「あ~!たしかに、川春以外だと初だね!おめでとう!」

「ああ。今までは他にやることが多すぎたからな。それに、好きな人。失礼。川春が生死不明の行方不明とあっては駆けつけるほかに無い」

 もはや隠す気など無いのだろうか。そう思ってしまうほどに、好意をうっかり放出している暖赤に対して川春は苦笑いをするほかない。

「ひゅ~!お熱いね~!さすが愛の力!」

「や、やめてくれ!私と川春はまだそんな関係じゃ!」

 なにやら女子二人で盛り上がり始めてしまった会話に入ることなどできず、湿度の高い視線を部屋にばらまくしかない川春。もし仮に首を突っ込もうものなら、魔王の好奇心の餌食になるのは目に見えている。

 が、ずっとそうしていることもできないと決心した川春は、意を決して口を開く。

「なあ、魔王。そろそろ本題を話そう」

「え?本題?なにか話してたっけ?」

「お前が人間界に行きたいって話だよ。なにか策を考えないとだろ?」

 すっかり女子トークに花が咲いていたようで、川春と話していたことを完全に忘れていたらしい。彼女の放心した顔がそう告げている。

「本当!?行っても良いの!?」

 が、忘れていたわけではなく、行けることに対する驚きであったらしい。

「本当だ。聞きたいことはあらかた聞けたし、お前とちゃんと約束したしな。話を聞いたら連れて行くって」

 川春が魔王の言葉を肯定するとともに、自身の考えを補足していく。

「それに、その、なんだ。お前と魔界の良さをみんなにも知ってもらいたい。ってのもあるからな」

「なんだよ~!嬉しいこと言ってくれちゃって~!」

「俺の周りをウロチョロするなって」

 人間界に行けることがよほど嬉しいのか、はたまた自身と自分が統べる魔界を褒められたのが誇らしかったのか。魔王はいろんな角度で川春の顔を覗き込んで止まない。

「待て。川春、それに魔王。説明を求める。状況が呑み込めない」

 唯一として彼らの状況を知らない暖赤は、冷静に場の空気を締めるかのように疑問を呈してくる。

「すまない、暖赤。魔王との会話をいきなり遮って」

「違う。そうではない。魔王が人間界に来るのか?なぜだ?」

 これまで幾度となく魔界の軍勢から侵攻を受けている人間としては、魔王が人間界を攻撃するのではないか?と考えるのは自然なことだ。

「魔王の人柄が良いのは話したら分かったが、人間に対してまったく無害というわけではないだろう。現に川春の脚が修復が必要なほどにされているわけだからな」

「これは魔王が誤爆したのを、彼女自身が治してくれたんだよ。本当だったら膝から下が無かったんだからな」

「そうか。なら私の勘違いは収めよう。疑って申し訳なかった」

「他になにか疑問とか質問は?暖赤の気が済むまで答えるよ。我ながらけっこう勝手なことをしようとしてる自覚はあるから」

「では、遠慮なく」

 暖赤の川春に対する質問が堰を切って流れ出す。

 魔王の安全性に関して。人間への敵対意思の有無。人間界に来ることの目的。その流れで暖赤に対して、魔族と人間が本来は争う必要が無かったことや、それらがどれほど信用に値する話なのかを説明した。

「ふむ。では、人間側に誤って伝わっている魔族のイメージを払拭して、この争いを止めたいということだな?」

「そういうことだ。それに・・・」

「・・・?どうした?」

「いや、なんでもない」

 川春は(魔王の話が本当ならば、人間側に正しい歴史を捻じ曲げて伝えた誰かがいる。しかも、これほど長期的に続いてるなら、代々に渡って引き継がれているものだろう)と、出かかった言葉をひっこめる。

「とりあえず、魔王を人間界にバレないように連れて帰る。これが第一目標だ。それから本格的な活動を始めようと思ってる。口裏を合わせたり、作戦の詳細は帰りながら話そう」

「りょーかい!」「わかった」

 川春の説明に対して是を示す両人。先ほどの女子会で息があったのか、返事のタイミングまでもが合い始めている。

「じゃあ、魔王は身支度が終わったら声をかけてくれ。俺と暖赤はちょっとやることがあるから、先に城門前で待ってるよ」

「おっけ~!魔獣は出ないと思うけど、一応気を付けてね~」

 魔王の忠告を背に受けながら、川春は暖赤を連れて魔王の部屋を去るのだった。


「キミらはなにをしてるのさ・・・」

 魔王城の城門前にて魔王の呆れた声が空気を揺らす。

「なにって、魔王城に到達した記念に暖赤の撮影だけど?」

「先に行ってやることってそれか・・・」

「え?なにか可笑しいか?」

 再三にわたって言うが、川春の仕事は広報だ。こんな歴史的記録および暖赤の勇姿を写真に収めるのは当然と言えよう。だが、その当然はあくまで川春の常識と言うだけで、SNSどころかインターネットすらない文明のものには想像しえないものであった。

「呆れたよ。いかにもな敵地で記念撮影ってどうかしてるね」

「それは私も同意するところだが、川春がどうしてもと言うのでな。すまない」

「いーや、別に謝ることじゃないよ。それにその写真を使って、なにかするってことなんでしょ?」

 女性陣から「どうかしてる」という不名誉なお墨付きをもらった川春は、少しだけメンタルにダメージを負いながらも口を開く。

「ま、まあ、そうだけど。それは魔王が・・・って、そろそろ『魔王』って呼び方をどうにかしたいな」

 川春は先導する魔王の後ろについていきながら、ふと考えていたことを口にする。魔王が人間界で動くにあたって、それに見合った名前は当然必要だと考えたが故だ。

「ふむ。たしかに。私も魔王に名前が無いのか気になっていた」

「え?私は魔王だけど?」

「そういう普通名詞じゃなくて固有名詞だよ。俺に角川春って名前があるように、お前にも名前はあるだろ?」

「ないけど?私は生まれた時から魔王だったし」

「いやいやいや・・・え?本当に無いのか?」

 魔王が平然と放つ言葉はあまりにも説得力にあふれており、それが自然の理とでもいうかのようにその場に鎮座している。

「じゃあ、他の魔族にも名前は無いのか?」

「それはあるよ。だって、誰が誰か分からなくなっちゃうじゃん!」

「それならお前にもあるはずだろ」

「だから無いってば~!魔王は魔王なの!」

 人間の常識では「魔王=俗称」なのだが、魔王曰く「魔王=固有名詞」という認識らしい。そこから認識の違いが生じるとは思っていなかった川春の顔は少し渋くなっている。

「ん~、でも川春が言わんとしてることは分かったよ。じゃあ、私の名前は日乃本真央ひのもと まおってことで!あ、そうだ。あとは姿を変えないとだよね」

 よくもまあ、この一瞬でそれらしい和名を思いつくものだ。と、川春と暖赤が内心で感心しているのも束の間。魔王の姿が見る間に変わっていく。

 健康的な体躯はそのままに、肌の色は紫から透き通るような美しい白へ、ルビーのように燃え盛る瞳の色は、力強さを残したまま落ち着いた茶色へと変化する。

「よし!これで完璧だね!」

 と、言い切る魔王だが、問題点が一つ残っていた。

「いや、お前そのツノはどうするんだよ・・・」

 側頭部を取り巻くように前方へと突き出て漆黒に輝くツノの存在感と言ったら、姿が変化する前よりも、肌色のせいか目立っているように思える。

「あ!忘れてた!ごめん!」

 ブチィッ!

 人間が生活するうえで生涯を通して聞くはずも無い音が、彼らの鼓膜をぞくりと揺らす。

「待て待て待て待て待て!!!グロいわ!急にツノを引きちぎる奴があるか!」

「なんだよ~。別にいつでも生やせるし問題ないって~」

 突如として自身のツノを勢いよく両手で引っこ抜いた魔王の頭部は、出血が止まらないようで噴水のように勢いよく血が噴き出ている。その光景と鉄クサいニオイが醸し出す異様な空気は、一般人であったら吐瀉物を地面に放出しているだろう。

「そういう問題じゃないんだよ!っていうか、姿を変えられるならツノも消せるだろ!なんで引っこ抜く必要があるんだよ!」

「も~、うるさいな~。変身魔術はそんな便利じゃないんだよ~。それに、出血なら治癒魔術で、血だらけの服なら洗濯魔術でなんとかなるじゃん!」

「そんな常識みたいに語られてもな・・・」と、口に出したところで魔王が先刻口にした言葉を思い出す。『人間は腕を気分で生やし替えたりしないの・・・?』。この台詞を吐くような人物だ。ツノくらい引っこ抜くかもしれない、と妙に得心がいってしまう。

「ほら。これで完璧に人間に見えるでしょ!どう?どう?」

「・・・ほお。たしかに人間にしか見えないな」

 魔王が角を引きちぎったことに引いていた暖赤が納得の言葉を漏らすほどに、魔王改め日乃本真央の変身は完璧なものだった。

「なんでスーツなんだ?」

「べ、べつに川春のスーツがちょっとカッコイイから、着てみたくなったんじゃないんだからね!」

 そんなことよりも、そんな健康的な肉付きのシルエットが強調されるスーツが不健全であることを気にした方が良い。真央は自分のポテンシャルを自覚しているのかいないのか、豊満な胸がつくる谷間を強調するように煽情的な決めポーズをしている。

「ツンデレのテンプレが過ぎるって」

「ツンデレ?なにかの呪文か?」

「ただの文化だ。気にするな。それより早く行こうぜ」

「そうだな。みんな川春の帰りを待ってるぞ」

 暖赤が嬉しそうに笑っている。その姿を見るだけで少し幸せな気持ちに包まれたのは川春だけの秘密だ。

 こうして三人は談笑と作戦会議をしながら人間界への道をひた歩くのだった。


 同日、午後十時を回ったころ。三人がゲートをくぐり抜けると、そこにはゲート以外は何もない平原が、夜の群れに溶け込んでいる。

「ね、ねえ、川春?ちょっと恥ずかしくなってきたんだけど。もう下ろしてもらっても良いかな?」

「ダメにきまってるだろ。『爆発に巻き込まれた俺が奇跡的に無傷で帰ろうとしてたところで、魔王城の近くで迷っている真央を発見して、そこに偶然にも俺を探しに来た暖赤が合流した』ってシナリオなんだから。真央が衰弱してた方が信憑性が増す」

 川春は草原のど真ん中で真央を抱きながら淡々と説明する。やたらと信憑性にこだわるのはもはや職業病なのだろう。彼としては万が一人に見られた場合を想定した動きなのだ。

「川春。今度は私にもお姫様抱っこを・・・」

「なんでだよ。暖赤がそこまで弱ることなんてないだろ?」

「その信頼はありがたいが、私だって一応女なんだからな・・・」

「ん?そんなの見りゃ分かるだろ。お前めっちゃ可愛いじゃん」

「なっ!またお前はそうやって平然と・・・!」

「や、やめろやめろ!真央を落としちゃうだろ!」

「いっそのこと落としてしまえ!」

 暖赤が軽くわき腹を肘で小突いてくるが、それはあくまで彼女基準の「軽く」であった。川春にはしっかりとダメージの入る一撃なのである。が、川春とて男だ。少しの痛みには我慢できる。しかし痛いものは痛い。

「まあまあ、二人ともイチャつくのはそこらへんにしてよ」

 真央は抱かれ心地が少し悪くなったのか、上体を揺らしてポジションを整えながら二人に対して口を開く。

「べ、べつに!イチャついてなどない!」

「俺にはそこそこの拷問なんだけど・・・」

 真央の言葉が暖赤の自尊心と恋心を軽く満たしたのか、暖赤はつんけんとした口をきいたままニヤけている。が、川春は真央のイジリ心を見抜いたゆえに、軽くツッコミをいれて呆れる始末だ。

 気まずい沈黙が夜の闇を支配―しようとしたところで、真央が唐突に口を開く。

「でも、なんでこっちに来るのが夜の方がいいの?別に昼間でも良くない?魔界のゲート付近は夜の方がむしろ危険だし」

「昼間は冒険者たちがゲートに入りに来るからダメだ。夜は警察がたまに見回りに来るくらいだからな。目撃者がいない可能性が高いってわけだ」

「え、別に目撃者がいても大丈夫なんじゃない?さっき説明してくれた設定はけっこう抜け目ないじゃん?」

「どう考えてもあるだろ。偶然にも真央を拾って、そこでまた偶然にも暖赤と合流なんて奇跡はかなり無理がある気がしてる」

「でも、部分的には事実じゃん。川春が無事だったのも、魔王城で私と知り合ったのも、そこでハルカちゃんと合流したのも」

「それはそうだけど、本当の部分があるからこそウソの部分が明かされたときに目立つんだよ。今の段階だと人と接触すればするほど、鼻を明かされかねないからな。極力人と関わらないに越したことはない」

「なるほど~。でも、ハルカちゃんは明日も普通に仕事だよね?人と接触する機会ありそうなんだけど大丈夫?っていうか、いつから魔界に来てたの?」

 真央は思いついたことを次々に言葉にしていくため、一息で喋る量がとても多い。が、それこそが彼女の頭の回転の速さを物語っていることには違いない。とにかくキレ者。そういう真央のイメージが彼らの頭の中に完成しつつある。

「今日の昼頃だ。昼までは大臣の護衛をしていたからな。ちなみに、明日は川春の捜索に時間がかかるかもしれないから、念のため休みという扱いになっている」

「そうなんだ!じゃあ、とりあえず明日は全員で観光しようよ!」

 訂正。キレ者、ではなく、ただの好奇心の塊だったようだ。

「却下だ。今日は明日の朝まで作戦会議をして、その流れでギルドに生存報告。そこから真央を発見した報告だ。観光は暇があって、かつ真央がこっちの常識を覚えたらな」

「え~、じゃあ一生いけないじゃ~ん」

「ちょっとは覚える努力をしてくれよ・・・」

 真央は川春の腕の中で「冗談だって~」と笑っているが、平気で自身の身体をもぎ取るような人物だ。信用ならない。

「それより今は、ここからどうやって帰るかだな。公共の交通機関を使うのはまだ危険すぎるだろうし・・・」

「うむ。電車とかバスはやめておいた方がいい」

「あ、おい。バカ、具体名を出すと・・・」

「デンシャ?バス?なにそれ!どんなものなの!?」

 真央の知的好奇心を刺激してしまうからやめろ・・・と言うが早く、彼女の知らない物センサーが察知してしまった。瞳を爛々と輝かせて鼻息を荒くしている。

「今度教えてやるから、今日はとりあえず徒歩な」

「え~!歩くの面倒くさい~!」

「お前は歩かないだろ」

「そうは言ってもさ~。川春の家はどこなのさ。ここから近いなら歩けるんだろうけど」

「ここから歩いて二時間半・・・」

 歩いて二時間半。距離にしておよそ二十キロメートル。数字にしてしまえば単調に思えるが、体感する道のりはまた別の話である。

「ダメじゃ~ん!デンシャとかバス使おうよ~!」

「ダメだ。最悪の場合は暖赤に担いで走ってもらう」

「川春って時々、自分の尊厳とかを投げ捨てる節があるよね」

「うるせ。俺のプライドよりお前の方が大事だってだけだろ」

 彼にとっては「男としてのプライド」よりも「魔王や魔族たちと共存できる未来」のほうが大事だと言っていたつもりだったのだ。が、ほか二名には別の意味に解釈できてしまったようで、一人は真っ赤な顔を、もう一人は破裂しそうなほどのふくれっ面を披露している。

「どうした。なんで暖赤は拗ねてんだ?それに真央も顔が赤いな。熱でもあるのか?」

「ちちちち、違うし!触んなし!」

 反抗期の娘か。と思わず口を突いて出てしまいそうなところを抑えて、穏やかな笑みを携えながら話を続ける。女子はこういう時に刺激するのが一番厄介なのだ。

「ほらほら。暴れるなって。可愛い顔が見えないだろ」

「んも~~~っ!」

 川春の腕の中での動きが増していく真央。そろそろ鬱陶しい、と彼が思い始めた瞬間だった。彼の身体がふわりと宙に浮く。

「は、暖赤?!なんで俺を担いでるんだ?」

「知らん!自分の胸に聞いてみろ!」

 暖赤は真央をお姫様抱っこしている川春をお姫様抱っこすると、そのままの勢いで走り出す。彼女のあまりの移動スピードに体勢を崩しかねないと判断した真央は、川春に抱き着くが、なにぶん場所が良くなかった。

「もがmごあ」

「え?なんて?ちょっとくらい我慢してよ~。まあ、役得だと思ってさ」

 川春は文字通り真央の豊満な胸に口を塞がれているため、上手くしゃべれずにいたがなぜか幸せそうである。

 その様子を見て暖赤の移動速度がどんどんと上がっていったという話は、夜勤に向かう一般人のAさんしか知らなかった。


「いいか?魔王および魔族が無害だと証明するには、真央の存在と俺が無傷で帰ってきた事実が重要だ。それと暖赤が魔王城まで辿り着いたことも」

 川春たちが魔界から帰還した翌日の午前九時三十分ごろ。

 快晴に劈かれる1LDKのリビングでは、川春と暖赤、それから真央の三人が今後の作戦会議を催している。

「それに今、俺が行方不明として報道されているのは都合がいい。魔界から生還したとなれば、ついでに一人ぐらい増えても大々的に報道される心配はないだろう」

「待て。こちらでは川春の行方不明の報道がかなりされている。それこそ朝昼夜のニュースのトップで、だ。下手に真央のことを報告しないがいいのではないか?」

「そ、そうか。っていうか、俺っていまどういう扱いなの?あんまり詳しく情報収集ができてないんだけど」

「川春は『魔界にて行方不明かつ生死不明のため、ひとまず殉職』という扱いになっている。私が突入する前のニュースでもそういう報道だった」

「とりあえずで殉職扱いするなよ・・・」

 とは言え、とりあえずで殉職扱いになるほどに魔界は危ない、というイメージは確実に根付いてしまっているわけだ。

「ねえねえ!テレビつけても良い?ニュースってやつを見てみたい!」

「ああ。良いけど、もう少し落ち着けないか?こっちに来てからずっとソワソワしてるし」

 真央は昨日の夜からこの調子で、川春の一挙手一投足に次々と質問を投げかけてくる。こちらに来て通信が繋がった際のスマホの大量の通知を見て驚きの声を上げたり、電気ケトルで湯を沸かすことには賞賛の声を、そもそも魔力以外で電気を生み出していることには声も出ないようだった。

「しょうがないじゃん!見たこと無いものがこんなにあるなんて思わなかったんだから!私たちより科学技術が発展してるってことだよね~!」

「はいはい。じゃあ少しテレビ見てゆっくりしてろ」

「そだ。お茶もらうわ~」

 自由人か。とツッコみたいのをグッとこらえた川春は暖赤に視線を戻すと、再び口を開こうとする。が、

「ところで川春。これってもしかして大変なことをしてしまったのではないか?」

 川春の声は暖赤の突拍子もない疑問に遮られてしまう。

「これって言うのは?」

「ほら、だって、アレは魔王なんだろ?我々は無害な存在だと身をもって知っているが、民衆にバレたらとんでもないことになりそうだ。というか、普通にギルドをクビになるのではないか?」

 一晩を経て、あるいは川春の自宅に来る時に冷静になったのだろう。

 客観的に見たらとんでもないことをしてしまったという感触が、後になって彼女の精神には広がっているのだ。

「そうだな。だけど、俺は間違った歴史を盲目に信じるほど、国に対しての奉仕精神は無いもんでな。俺の仕事は広報だ。正しいことを伝えるのが役目だ。それだけは譲れない」

「たしかにそうだが。私としては、魔王には魔界に帰ってもらって・・・」

「それをして何になるんだ?また魔界に冒険者を送って、無駄な犠牲を増やすだけじゃなく、無害な魔族を傷つけるのか?」

 川春の瞳と声に熱がこもる。

 昨日に見た光景。魔王と魔族たちが楽しそうに話して交流している。それだけではなく、人間である川春に対して敵意の欠片も無い魔族たち。そんなことを体感してしまっては、川春の信条が燃え上がって当然だ。

「俺は誰に何と言われようと、魔族たちの優しい姿と、勇者にまつわる正しい歴史を必ず人間界に広める。たとえ幼馴染で、人類の最終兵器と呼ばれているお前と敵対することになってもだ」

 彼自身も何を言っているのか、と。これでは完全に魔族の味方をしていると言われ、暖赤のみならず世間から大バッシングを受けるに違いない物言いだ。

「川春の考えは分かった。だが、私も無条件に協力するわけにはいかない。もし川春がその件でクビになったとしたら、誰がお前の面倒を見るのだ!私以外いないだろう!そうなれば金が必要だ!だから私がギルドをクビにならない範疇で協力する!」

「暖赤。俺は・・・って、え?協力してくれるの?」

 暖赤の性格と立場を考慮したら、てっきり断られるものだと踏んでいた川春は、彼女の予想外な返答に目を丸くしている。

「もちろんだ!だが、わ、私にできる範疇だぞ?分かってるな?」

「・・・ありがとう!ホントに暖赤は頼りになるな!」

「そ、それは・・・川春の頼みだから・・・」

「川春~!テレビ飽きた~!スマホ貸して~!」

 暖赤が意を決して放った言葉は奇しくも真央に遮られてしまう。

「別に良いけど、もうちょっと静かにできないのか?で、なにか言ったか、暖赤?」

「な、なにも言ってない!川春の頼みなら、いつでも駆けつけるってことだ!」

 何も言っていないと言いつつ、バッチリと自分の気持ちを考慮に変えて投げるのは、もはや彼女の照れ隠しとでも言おうものだ。

「そうか。それじゃあ遠慮なく超頼りにするからな!ありがとう!」

「なになに~?なんのお話~?」

 真央は川春のスマホにダウンロードされているパズルゲームを、ちまちまと操作しながら興味なさそうに話しかける。

「あのな、お前のための話をしてるんだよ。それで暖赤は立場的に難しいのにも関わらず、俺たちに協力してくれるってさ。お礼を言っておけよ」

「うん!ありがとう!ハルカちゃん!」

「ああ。私とて冒険者をしているからには平和を目指している。真央の話を聞く限り、人間界全体がこのままではダメだと思ったから協力させてもらう」

「うんうん!ありがとう!」

 暖赤の言葉に真央が嬉しそうに頷いている。

「とは言えだ。割と現状の手詰まり感は否めない。いきなり『魔王を連れてきました!』なんて言ったら大騒ぎだし、なにより俺の周りに真央をどう紹介するかですら迷ってるってんだからな」

 川春の真剣な表情に先ほどの真央の嬉しそうな雰囲気はどこかへと去り、真面目に何かを考えているようだ。

 と、しばらくの三人の沈黙の後に、真央が挙手をして元気な声を上げる。

「はい!私はハルカちゃんと川春の子どもってことにすれば良いんじゃない?」

「ブフゥッ!」「な、なにを言っているのだ!」

 あまりにも突飛な真央の提案に川春は麦茶を盛大に吹き出し、暖赤は顔を真紅に染め上げ慌てている。

「それはいくらなんでも無理があるだろ!」

「なんで?お似合いじゃん?」

「そういう問題じゃ無くだな・・・ほら、この動画を見てみろ」

 川春は真央の手からスマホをもらい受けると、某動画サイトにて冒険者ギルドの公式アカウントからアップロードされている『今注目のSランク冒険者 皇暖赤に100の質問』という動画を開いて、真央の前で再生を始める。

 動画では川春がインタビュアーとして暖赤に届いた質問を読みあげ、それに彼女が答える方式になっている。

〈では、次の質問です。えー、暖赤さんは結婚したらどんな生活をしたいですか?というか、そもそも結婚願望はあるんですか?とのことです。これはかなりプライベートな質問ですね~!〉

〈うむ。結婚願望はあるにはある。が、今のところ理想の男性に一人しか出会ったことが無くてな。しかも、そいつが超鈍感で困っているのだ。な、川春?〉

 暖赤が言葉に合わせて川春の方を向くが、動画内の彼は『なぜこのタイミングでこっちを向いてるんだ?』とでも言いたげなキョトンとした表情をしている。しかもテロップで『鈍感野郎』と川春を差すように編集がされている。

「あっははは!川春クソ鈍感野郎~!」

「そうじゃなくてだな・・・」

 バツが悪そうに後頭部を掻く川春は一息吐き出すと言葉を続ける。

「この動画で暖赤が結婚してないのが全世界に配信されてるんだよ。データとして公式に残っちゃってるんだよ。それを今さら撤回すると暖赤の信用にも関わってくるんだよ」

「そっか~。良い案だと思ったんだけどな~」

「そもそも、俺と暖赤じゃ釣り合わないだろ」

「あー。これはハルカちゃん大変だねー。こればかりは同情するよ」

 なぜこのタイミングで自身が責められているのかも理解できない川春は、動画と同じような反応を示している。が、暖赤が真央の言葉に肯定の首を振っているのを見ると、どうやら自分が間違った反応をしたという察しはつくらしく、咳ばらいをしてごまかしつつ話を続ける。

「とりあえず現状のおさらいをするけど、俺たちは人間界に伝わってる間違った魔界のイメージと史実を払拭しなければいけない。それが第一目標だ。真央の観光はできたら、って感じだな」

「え~!やだやだ~!浅草も道頓堀も札幌も行ってみた~い!」

「分かった。だが、手段はどうするのだ?大々的に私たちの口から見たままを言えば良いのではないだろうか?」

 観光をついで、と言われた真央は駄々をこねているが、それを制するように暖赤が意見を放出する。

「それはダメだ。さっきも言ったけど、暖赤に対する民衆の支持が無くなる。これだけは避けたい。世界に一人しかいないSランク冒険者の自覚を持ってくれ」

 暖赤はそれほどまでに人々からの支持を得ているのだ。彼女が発言した言葉は流行語になり、着ている私服は売り切れ続出、各メディアにも引っ張りだこだ。

 そんな彼女が『魔界は良いところ』と言えばどうなるか。

 答えは簡単だ。文字通りの混乱が起こる。彼女自身の発言は、信憑性はともかく影響力は絶大だ。彼女の肯定派と否定派に分かれて、人間たちに混乱が起こるのは目に見えてしまっている。

 それでは、平和とは程遠いものになってしまう。が、

「じゃあ、それでやってみるのは?動画?って言うんだっけ?」

 真央は厳しい物言いをした川春に対しても臆さずに案を出し続ける。彼女の目標に向かって進み続けようとする姿勢は見習うべきだろう。

「なんでだよ。なにをどうやって動画にするんだよ」

「だって面白そうじゃん!」

 訂正。ただやってみたいだけらしい。が、川春がなにやら思案を巡らせているらしく、真央の発言にツッコミもせずにぶつぶつと独り言を放っている。と、急に口を開く。

「いや、アリだな。魔界の動画をアップして、魔界のイメージを払拭したところで俺たちが会見を開けば、ことの信頼度は上がるか。よし。そうと決まれば・・・」

 川春は暖赤の肩を卓越しに掴むと、真剣な眼差しで彼女を見つめる。

「な、か、川春?どうしたのだ?け、結婚なら望むところだが」

 あまりにも真剣な眼差しに狼狽える暖赤。狼狽えすぎて自身の欲がポロリとはみ出してしまっている。

「いや、大丈夫だ。それより早いところギルドに報告に行こうか」

「そうか。では、打ち合わせ通りに、川春が遭難中に衰弱した真央を発見し助けた。その後、救助に向かった私と合流した。ということで良かったんだよな?」

「完璧だな。あとは真央が余計なことを言わなければいいんだけど・・・」

「え?私は日乃本真央、十六歳。魔族の侵攻から逃げたは良いけど、逃げた先は魔界で遭難しちゃった憐れな少女・・・」

「真央も完璧みたいだな。この短時間で設定を覚えてくれて助かるよ」

「へっへん!まあね!」

 こんなにも純粋に賞賛に乗れるなんてもはや才能でさえある。だが、この純粋さこそが彼女が彼女たる所以なのだろう。

 賑やかな夏が始まる。

 そんな予感とともに三人は、クーラーの利いた部屋で今後の作戦会議と駄弁りにふけるのだった。



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