広報さんと魔王さま

碧ヰ 蒼

第一章:いま、なにしてる?


 【報告】

 私は魔界にて遭難中にとんでもない景色を見ることとなった。

 その凄まじさたるや、人間界の屈強な冒険者たちが一堂に会し、彼らの強力な一撃を合わせ撃とうとも、かなわぬ迫力がそこにはあった―――。

 


 六月中旬の昼頃。

 高層ビルが立ち並ぶ東京都心から電車で小一時間ほど移動すると、そこは緑が生い茂る平原が広がっている。平原の横には穏やかな川が流れ、その土手の道端に咲いたアジサイが、雨に打たれ元気を取り戻している。

 そんな光景には脇目もふらず、傘を差してひた歩く男性の姿がひとつある。

 角川春すみ かわはる。よく角川までが苗字と間違えられがちなこの男性、スーツに包まれた体躯は平均的サラリーマンと言った様子で、顔つきと言えば平均よりは整った容姿をしているが、それも寄る年波には勝てず、二十八歳の肌は少しカサつきがちである。今日は湿気のおかげで幾分かマシのようだが。

 「やばいやばい。待ち合わせの時間過ぎてんじゃん!」

 唯一平均的ではない高身長が台無しになるほど残念な猫背が特徴的な彼は、外見とは反してイキイキとした眼差しで目的地へと向かっている。

 「おーい!遅いぞ、かわはるー!」

 川春が声のする方へと視線を飛ばすと、待ち合わせ場所である高架下には大剣を携えた爽やかな青年と、身の丈ほどもある杖を地面に突き刺し、仁王立ちしている威圧的な女性の姿があった。

 「どうもすみません。会議が長引いてしまって」

 「大丈夫だって。律儀に電話までしてくれたんだから、礼節としては通ってると思うぞ」

 透き通るような声で川春のフォローをするこの男は神鳥谷五月雨ひととのや さみだれ。川春とは同い年で、そのモデル並みに整った容姿と凝縮された筋肉による肉体美に虜になる女性ファンは多い。

 彼はAランクの冒険者であり、ルックスでその地位まで上り詰めたと一部からは非難がある。しかし、彼は実力も圧倒的だ。戦闘スタイルはオールラウンダー。肉弾戦から魔法戦まで卒なくこなし、彼が戦った場所には血しぶきのみが残る。

 「遅い。待ちくたびれた。早く行こう。私は帰ってゲームの続きがしたい」

 五月雨に続くように無機質な声を上げたのは、同じくAランク冒険者の鴻巣美月こうのす みづき。二十七歳。小柄な体躯からは想像もできない程の迫力が、彼女の目には宿っており一瞥だけでオークの群れを退散させたと噂も経つほどだ。

 メインの戦闘スタイルは支援系統だが、自分自身もバフの対象であるため、一部の冒険者からは「殴れるバッファー」と呼ばれている。

 「本当にすみません。今日は密着取材をさせていただくというのに、こちらの都合で大変申し訳ないです」

 「やめろって。俺たちの仲だろ?敬語も使わなくて良いって」

 「いえ、ですが、一応仕事なので」

 「魔界に行くにあたって、いつどんな危険がどうやって降りかかるか分からない。もしもの時に敬語を使っていたらそのコンマ何秒かが無駄になって命取りになる。分かったら敬語はやめて」

 「りょ、りょうかい・・・っす」

 ちなみに五月雨と美月は、その実力と容姿から日本の代表とまで言われる冒険者パーティ『ウィング』を組んでいる。

 パーティメンバーが二人しかいない理由は、大抵のことは二人で出来てしまうかららしい。と、先日の取材で川春が突き止めた。

 実際に両人とも前衛も後衛も同時にこなせてしまうので、これ以上人数を増やしたところで、連携が乱れたり、攻撃パターンを変えたりする必要が出てきてしまうため、現状の最善として二人で活動しているのだ。

 「ところで川春。今度はどこに遊びに行く?俺、ちょっと気になるところがあってさ」

 美月が少し重たくした空気をどうにかしようと、五月雨が気さくに話しかけてくる。理由は単純で、コミュニケーションの不和を無くすためである。

 冒険者にとっては当たり前な話だが、命を預ける場面で『重い雰囲気のパーティ』と『明るく信頼のおけるパーティ』のどちらが生存率が高くなるのかと言う、至極真っ当で簡単な問題なのだ。

 「え~、俺は次の休みは寝てたいんだけど・・・」

 「寝てばかりだと運動神経が鈍るんじゃない?たまには私とパルクールでもしに行こう」

 「美月も休日は寝てゲームして寝るだけだろ。今でも昔のインタビュー通りなら」

 「そんなことない。流石に寝る前にお風呂は入る」

 「じゃあ変わってないじゃねえか・・・」

 美月はただ単に現場では徹底した合理主義なだけで、こうして話してみると普通に会話が通じて面白い人間である。

 ただ、その姿だけを切り取って甘い気持ちで近づこうものなら、機械の如き冷たく無機質な声で罵られて終わりだ。多くの冒険者が彼女の可愛さ目当てに撃沈していく様を、川春は何度も目撃している。

 では、なぜ川春には気軽に話しているのか。これも現場では先の理論に基づいた徹底した合理主義ゆえの行動ではある。ただし、現場では。という話だ。

「まあまあ。そこらへんにして、そろそろ行こうぜ。今日中に魔界の森に行きたい」

「うん。じゃあいつも通り進んでいこう」

「二人のカッコイイところ、バッチリ撮っておくからな」

 五月雨の一声に和やかながらも空気がひしと締まるのが、鈍感な川春にも感じ取れる。それほどまでに今から行く魔界は危険なところだ。

 三人は埼玉県のとある草原に存在する三つのゲートのうち、真ん中の禍々しいゲートに入っていく。

「毎回この魔界に続いてるゲートを通るけど慣れないよ」

「まあ、川春はビビりだからな」

「そんなんじゃなくてさ。ゲートって普通は入ったらすぐ目的地ってなるだろ?でも、この三つのゲートってどれも入ってから、このなにもない白い空間を歩くのがどうにも不思議でさ」

「たしかに。魔界に通じてるなら、もっと洞窟っぽくても良いのにな」

「そういう話じゃなくてさ・・・」

 川春は不意に覚えた疑問に対して、五月雨には通じそうもなく感じてしまい、なかば諦めるように口をつぐむ。

「じゃあお化け屋敷だ。うわ、なんか遊園地行きたくなってきた!今度三人で行かない?」

「いやいや、どんな理屈で魔界に向かう途中で遊園地に行きたくなるんだよ・・・」

「そうだね。私も川春と遊園地行きたい」

「おい、美月まで悪ふざけにノッたら収拾がつかなくなるんだよ。っていうか、生きて帰れる保証も無いだろう。遊びを考えるのは仕事の後だ」

「りょーかい!」「別にふざけてないのに」

『生きて帰れる保証もない』というのは、あながち間違いではない。低ランクの冒険者がゲートから帰還すると、腕を無くしたり、半身不随になったり、という事例は実際に多いのだ。

 そんな低ランクの冒険者よりも力を持たない一般人である川春には、魔界というのは文字通り命をかけて臨む場所であるわけだ。

 三人が雑談をしながらしばらく歩き、真っ白な空間を抜けた先には一面が紫色の草原が広がっており、たいていの冒険者はこの草原でギブアップを余儀なくされる。

 理由?そんなものは簡単だ。

「おいおい。いきなりゴブリンの群れかよ」

 魔界は全体が魔物や魔族の住処だからだ。

 魔界の小鬼の喧騒にイヤそうな顔をしながら、五月雨はガントレットに包まれた手で後頭部を掻くと、その流れで背中に装備した大剣を抜き取って構える。

「美月は全力で川春を守れ。これくらいなら俺一人で十分だ」

「言われなくとも」

 美月は言葉の通り、五月雨から指示が飛ぶよりも早く川春に防御魔法を施していた。それだけなら、下位の冒険者でも練習を積めば出来るのだろうが、彼女はそれと同時に五月雨に対してバフを幾重にも発動しているのだ。

「ナイス支援魔法!じゃあ、一発で終わらせるわ」

 五月雨は支援魔法の内訳を体で感じ取ったのか、そう吐き捨てると大剣を体の左に位置させると、腰を低くして攻撃の構えを取る。

「閃」

 一瞬にして大剣を振り抜く。と、辺りに構えていたゴブリンたちは、瞬く間に崩れ落ちていく。ある者は腰から。ある者は首から上だけ。

 ゴブリンたちの喧騒が一振りで静寂へと変わってしまった。これが国内で十組しかいないAランクパーティの実力だ。

 ちなみにの話だが、冒険者には個人のランクとチームのランクが存在する。

 ランクは下がEから上はSランクまであり、個人のランクは個々の実績に応じて、チームのランクは有事の際の貢献度で判断される。

 ちなみにここで言う有事とは、魔族などが人間界へと侵攻を行った際の事を言っている。

「よーし、こんなもんだろ。さあさ、アイテムの回収だ」

「私の出番だね」

 美月はそう言うと、ゴブリンの真上にゲートにも似たようなダークホールを作り出す。と、次の瞬間には数百はあっただろうゴブリンの死体は、どこに繋がっているのかも分からないホールに吸い込まれていった。彼女お得意の収納魔法だ。

 ここまでざっと20秒も経っていない。

 他のAランクパーティでは攻略に一分以上は掛かるであろうゴブリンの群れを難なく倒した二人を見て、

「Sランク手前のパーティはやっぱり凄いな」

 と、川春は漏らす。

「まあな!」

「どや」

 そんな川春の独り言を聴き洩らさなかった二人は、ここぞとばかりにドヤ顔を決めている。美月に至っては『どや』と、言ってしまっている始末だ。

「とはいえ、今日は開始から荒れてるから、気を引き締めて行こう」

「そうだね。ゴブリンがこんなに多かったのは初めて」

「俺も初めて見たけど、おかげでさっそく良い写真が撮れたよ」

「どれどれ?見せて」

 美月は川春が手に持っているスマホに顔を近づけて、先刻の自分たちの戦いの履歴を見ようとする。が、

「ダメダメ。これは記事になってからのお楽しみだから」

「え~、ケチ~」

 川春の隣で美月がぶー垂れているが、そんなものはお構いなしにと言わんばかりにスマホをポケットにしまう。

「いいじゃん。どうせギルドの公式サイトかツイッターで見られるようになるんだからさ。それより早く進まないと。ゴブリンが大量に発生してるのは少し気になる」

「そうだね」

 五月雨の言葉に同意を示した美月は、自分たちの写真には興味を無くした風に、彼の後を素直についていく。ゴブリンの喧騒が過ぎ去った平原は、嫌気がさすほどに閑散として、彼らの足音を鮮明に記録している。

「そういえば、川春はなんで今の仕事やってるの?死ぬかもしれないのに、こんなところにまでついて来てさ」

「俺が死んでも悲しむ家族はいないし、冒険者になれるならなってたよ。でも、魔力量もそんなに無いし、運動神経も良くないからな。俺は俺にできることを、ってやつだ」

 角川春は、国営機関である冒険者ギルドの広報部所属の広報課長兼SNSの中の人だ。本来であれば、彼は一線に出る必要は無くデスクワークに専念する立場であるのだ。

「それに課長になったとは言え、自分で書く記事は自分で取材しないと気が済まないんだよ。あとは、あれだ。職業としての冒険者がどれだけカッコよくて、平和に貢献しているのかを知ってほしいからかな」

「そのスタンスだけは最初からブレないよな。本当に凄いと思うよ」

「じゃあなんで聞いたんだよ」

「コミュニケーションだよ。いつ死ぬか分からない職業だからね。俺は最後まで親しい人と喋っていたいんだよ」

 冒険者。テレビやSNSから雑誌まで、各メディアで俳優よりも目立つ職業となって久しい。が、その華やかさとは裏腹に任務に当たれば、死が首筋をなぞって止まない、勇気のいる職業なのだ。

「おい、やめろよ。遺言みたいじゃねえか」

 気まずそうな顔をしてはいるが、口調だけは明るくして川春が言う。実際に川春が取材中に何人かは体のパーツを失ったり、亡くなったりしている。

 プライベートでも親交がある友人がそんなことを言ったら、複雑な面持ちになるのも当然と言えよう。

「死ぬならさっさと死ね。川春といつまでもイチャつきやがって」

「あれ~?なんか暴言吐かれた?」

「気のせいじゃない?」

「そうかそうか。これは訓練施設でバトルだね。帰ったら久しぶりに本気出しちゃうぞ」

「仕事終わったら帰ってゲームするから今日はパスで」

 やんやと楽しそうな雰囲気で歩を進める一行だが、周囲に視線を配り常に警戒を絶やさないところを見ると、さすがに一流の冒険者と言わざるを得ない。

「ストップ。え~、さすがに見間違いだと思うんだけど、五百メートルくらい先にジャンボスライムの大群がいる」

 先ほどまで穏やかな雰囲気で話を進めていたというのに、美月の言葉に五月雨に緊張が走る。

 スライムは単体であればそこまで脅威ではない。核を剣で貫いたり、火球魔術を一つ放つだけで簡単に倒せるチュートリアル的な魔物だからだ。

 が、ジャンボスライムは物理耐性が異常なほど高く、魔法も下位のものでは効きもしない厄介な相手に様変わりしてしまうのだ。それが群れを成しているとは、厄介この上ない話である。

「まだ森までだいぶ距離があるよな?なんで今日に限ってそんなにいるんだ」

「理由なら私も知りたいけど、あれを突破しないと森には進めないよ。完全に森までのルートを塞がれてるもん」

「どうやって攻略するんだ?さっきみたいな五月雨の攻撃で良いんじゃないか?」

「ちっちっち~。ダメだよ、川春くん。0点だ」

 そこはかとなくウザい演技染みたセリフに、少しばかり苛立ちを覚えた川春だったが、これが五月雨なりに雰囲気を穏やかに保つためのものだと気付く。

「こういう時は私の範囲爆撃魔法を使う。私が私にバフを重ね掛けしてね」

「そうそう。この脳筋魔法使いに任せるって話さ」

「あー、今日だけ手元が狂いそうな予感がしてきたー」

 美月は五百メートル先に向けていた殺気を五月雨へと照準を変え、今にも爆撃魔法を放ちそうな雰囲気を醸している。

「やめろやめろ!川春まで巻き込まれるだろ!」

「川春が巻き込まれるならやめる」

「人を引き合いに出して命乞いするとか、やってることヤ〇ザと同じだからな?」

 五月雨が美月の言葉に安心していたのも束の間、ジャンボスライムたちがこちらの気配に気づいたのか、凄まじいスピードで迫って来る。

「おいおいおいおい!なんであの図体であんなスピード出せるんだよ!」

「川春、さてはスライムが遅いと決めつけてるな?残念!奴らはゴブリンより速いんだよ!」

「ちょっとうるさい。私がやるから少し離れてて」

 川春がその目に捉えたジャンボスライムは、目方四メートルは優に超えていそうな個体ばかりだ。それが轟音を携えてこちらに向かってくるとあらば、一般人からしたら恐怖体験に他ならない。

「えい」

 そんな中で美月が身の丈ほどの杖をスライムたちに向けて、冷静に一言だけ発した次の瞬間。川春の眼前にはクラスター爆撃をも思わせるほどの爆破の連鎖が起こる。

 前方にいる敵からその奥にいるものまで、全てを破壊しつくさんとする爆破は数百メートルほど進んだところで止む。

「まあ、こんなもんだね。じゃあ、スライムの核の回収を・・・」

「おい、なんかあっちから爆発が迫ってきてないか?」

「え、うそ・・・?」

 五月雨が異変に気付き美月が反応するよりも早く、明らかに美月のものとは違う爆破は彼らを巻き込んだ。

 この間、約一秒にも満たない僅かな時間であった。眼前に迫った危機に対して、人間ができることは案外にも少ない。それが一秒以内とあらば、身構えることしかできないだろう。

 それは不幸な事故だった。

「おい!大丈夫か!美月!川春!」

「私は大丈夫!」

 五月雨が爆破の影響で舞い上がった土煙の中で、メンバーが揃っているのか確認を取るため呼びかけを行うが、美月以外の返事が返ってこない。

「川春!居るなら返事を!」「川春!」

 二人の呼びかけも虚しく、この日、ギルドの殉職者リストに新たに一名の名前が刻まれることとなった。


 川春が殉職者リストに載ってから二日経った頃。

 暗雲が立ち込める魔界の森の最深部。

 人類の未到達地点でもあるその場所は、古くから人間界に根差す伝承に聞く通り、禍々しい建物が鎮座している。

 人呼んで『魔王城』。その名の通り、魔王の住む城であるのだが、人間界の伝承によれば『遠い昔に勇者が魔王を討伐し、世界に平和がもたらされた』とある。

 つまりは、魔王不在の魔王城。ただの城のはずだ。

 しかし、城の玉座には二つの影が見受けられる。一つは横たわり、もう一つはそれに寄り添うように座っている。

「おい、起きろ。人間。起きないと食っちゃうぞ~」

「ん~・・・」

 座っている方をよく見てみると、丸顔に闊達そうな目がくりっとついて、とても愛らしい様相を醸し出している。まるで人間のような姿だ。肌の色が紫色ということを除けば。

「仕方ない・・・一度殺してみるか」

「ぉおい!なんでそうなるんだよ!」

「なんだ。起きてるじゃないか」

「そりゃ、熟睡してる赤子でも飛び起きるようなセリフが聞こえたからな!」

 即座に飛び起きた男はその場から逃げようと試みるが、どうにも上手く立てない。右足に上手く力が伝達していない様子だ。

「ぁぁぁぁぁぁああああああ!脚が!」

「も~、うるさいやつだな~。あの爆発に巻き込まれたんだから、脚の一本くらい消し飛ぶだろ~。傷口を塞いでやっただけでも感謝しなよ」

「それはありがとう・・・・・・脚がぁぁぁあああ!」

「情緒が忙しいやつだな。しばらく放っておくか。どうせどこにも行けないし」

 男は自分の右脚、とりわけ膝から下が無くなっていたことに驚いた様子で、のたうち回ったり奇声を発したりしている。が、それも徐々に収まり、段々と平静を保てるようになってきた男に女性の声が降りかかる。

「落ち着いた?コーヒーとか飲む?」

「ああ、だいぶ落ち着いたよ。コーヒーは別にいらないけど」

 未だに状況が呑み込めないでいる男に対して、女性の声は「そっかぁ」と少し寂し気な色を放っている。

「それで、お前の名前は?」

 女性は興味の対象を、男性自身に向けているようで、彼が一定の落ち着きを保てるようになったところで、質問に入る。

「あ、俺は角川春。キミは?」

 そう答えたのは、確かに、猫背が特徴的なサラリーマン角川春本人だ。

 が、自己紹介だけで終わるなど今の彼にできるはずもない。ここはどこなのか。目の前の少女は誰なのか。なぜ助けてくれたのか。疑問点を挙げればキリがない。

「私は魔王だ」

「マオ?」

「いんや、魔王。ま・お・う」

 彼は願った。『彼女の名前がマオウであってくれ』と。もしくは『自分の聞き間違いであってくれ』と。

「人間に分かるように言うと、その昔に勇者と戦った魔王だね!」

 しかし、現実は彼の願いをいともたやすく打ち砕いてしまった。勇者と戦ったマオウなんて魔王以外に存在するはずも無い。少なくとも彼の常識の中では、そう結論付けることしかできない。

「う、うそだろ?」

「なんで嘘をつく必要があるんだ?私、魔界の王様。ドゥーユーアンダースタン?」

「ふー。一回落ちつけ、俺」

「魔王様」というよりは、「魔王ちゃん」と呼んだほうが幾分かしっくりくるような見た目。人間でいえば健康的な十五、六歳の少女の様相を醸しており、喋り方も元気いっぱいで闊達な声色が目立つが、時々妙な色気を放っているようにも思える。

 色気に関しては確実に服装が原因だろう。健康的な肉体を極部だけ隠すようなデザインで、服と呼んで良いのかも分からないような闇色の鉄のようなものを纏っている。

「その様子だと、先に川春とやらの疑問を聞くに限るか。疑問が重なり過ぎて新しい情報が受け入れられないと見た」

 まったくその通りだ。異界の地の見知らぬ場所に突如として連れて来られ、知りもしない少女と同じ部屋にいるだなんて、誰が即座に状況の整理ができるだろうか。

「それじゃあ、ありがたく質問をさせてほしい」

「うんうん。なんでもいいよー」

 魔王を自称しているというのに、まったく圧もへったくれも無いような返答に少しだけ拍子抜けしてしまう川春だが、気持ちを切り替えて言葉を続けることに集中する。

「まず、ここはどこなんだ?」

「え?私んち」

 なにも分からない相手に対して、これほどまでに素っ頓狂な答えが許されるのだろうか。もはや、なんらかのギャグのようにも思えるが魔王は真剣な様子だ。

「そうじゃなくて、えーっと公称的なやつだ」

「そういうことね!人間界では魔王城って呼ばれてる所かな?」

「え!ホントか!?すっげー!初めて来た!けど、なんていうか地味だな」

 川春が改めて内部を見渡してみると、様々な骨を組みあわせた玉座以外には、シャンデリアと少し高級そうなフロアマットが敷いてあるだけで、内部の広さを活かしきれていないような印象を受ける。

「初手から失礼な奴だな。それでー?他に質問はー?」

『地味』と言われたのがショックだったのだろうか。魔王は少しだけ落ち込んでいるようにも見える。

「キミは魔王ってことで間違いないんだよね?」

「そうだよ~。いえ~い」

 そう言ってピースサインを繰り出す魔王は、無邪気そのものといった風体だ。これが伝承に伝え聞く『勇者に討伐された魔王』なのだろうか。

「じゃあ、なんで人間である俺を助けたんだ?人間は敵だろ?」

「え~~~・・・なんとなく?私が跳ね返した魔術が、一般人っぽいのに当たっちゃって、罪悪感から手当てしたとかじゃないよ?」

「・・・・・・?」

 川春が疑問に思うのも無理はない。『魔族と人間は敵対関係にある』というのは、人間界の常識である。

 が、彼女は、そんな人間を『罪悪感から治療した』と言っているようなものだ。仮にも魔王という立場にある彼女が、だ。

「えーと、待ってくれ。つまり、美月が撃った魔法を、キミが跳ね返してそれが運悪く俺に当たったから治療してくれたってこと?」

「そうだって言ってるじゃん」

「俺は人間だぞ?」

「え?あ、そうだね。それで?」

「治療するなんて変だろ。そのまま見殺しでも良かっただろうに」

「いや~、見殺しにするのは夢見が悪いよ~」

「まさか・・・せめて自分の手で殺そうということか!」

「なんでそうなるの!普通に助けただけだってば!別に殺そうだなんて考えてないよ!」

 川春の考えとは全く異なる答えが返ってきたために、彼の脳内の混乱は先ほどよりも勢いを増しているようだ。

「いや、ならなんで助けたんだよ!俺はその理由が知りたい!」

「だから!怪我人がいたら治療くらいするでしょって!それに事故とは言え、冒険者たちにお返しした魔術を当てちゃったんだから!」

「・・・・・・」

 彼女の返答を聞き、より一層の沈黙を余儀なくされる。

 魔王を名乗る少女は嘘を言っていない。いくら鈍い川春にもそれくらいは分かった。分かってしまうほどに、彼女の実直な考えと感情が感じ取れてしまったから。

「・・・続けて聞いても良いか?」

「まあ、いいよ」

「魔族と人間って敵対してるんだよな?」

「違うね。私は人間と争う気はさらさら無いよ。これは君たちが一方的に仕掛けてきていることだ。今までの話を聞く限り、色々と認識の齟齬があるようだけどね」

「え・・・?それは、どういうことだ?」

 川春は魔王の口から出た言葉を信じられない様子だ。それもそのはずだ。

 人間界に深く根差している伝承。その名も『勇者伝説』。

 この一説には―――

 かつて勇者は、魔の王と戦いこれを打ち滅ぼした。しかし、魔の者たちの怒りは収まることなく、勇者が人間の世界と魔の者の世界を隔てたゲートの向こうからは、今日も足音が聞こえてくる。

 ―――と、記されている。

 これは伝承であって神話でもお伽噺でもない。事実だ。幼児向けの絵本にもなっているし、歴史の教科書にも載っている事実であるはずなのだ。ゲートは残っているし、現に魔界からの侵攻は今も続いている。

 と、川春は魔王に説明をするが、

「ふーん。人間界にはそう伝わってるんだね」

 そっけない返事が魔王の口から零れ落ちる。

「人間界には・・・?魔界では違うってことか?」

「そりゃ、私生きてるし。現に川春のこと助けてるじゃん?」

「た、たしかに。言われてみれば・・・」

「それに、魔界からの侵攻が止まらないって、先に約束破ってきたのはそっちなんだからね。私はやられたらやり返す主義なの」

(どういうことだ?俺たち人間は魔界からの侵攻を止めるために、魔界を攻略しようとしてるんじゃないのか?)と、川春の心の内で疑問が生じる。

「ふふ。じゃあ、話を聞かせてくれたお礼に、私と勇者の関係を聞かせてあげよう!」

 ゴクリ。と、固唾が喉を鳴らすのが分かる。それほどまでに川春は、自分自身ひいてはこの世界自体を疑問視し、興味をそそられているのだ。

「簡単に言うなら友達かな!」

「簡単すぎるだろ!っていうか、信じられるか!」

 拍子抜けな回答が魔王の口から放たれたことにより、川春のツッコミが炸裂してしまう。

「信じるも何も本当だも~ん!」

 動じない魔王の口ぶりから察するにおそらく事実なのだろうが、川春としてはこの世の常識を覆すような話であるため、なんとか証拠が欲しいところだ。

「あ~、これは信じてない顔だよね。わかるわかる。じゃあ、昔の世界を川春に見せてあげよう」

 魔王はこの展開を予想していたかのように手際よく、なにも無い空間から一メートルほどの姿見を取り出して自立させる。

 と、次の瞬間。川春の目にはとんでもない光景が飛び込んできた。

 ごく普通の中世風の街並みの中を、魔王と人間が談笑しながら歩いている。

 いや、魔王だけではない。魔族と人間に神や妖精たち。様々な外見をした者たちが、争いもせずに街中を闊歩しているではないか。

 平和。鏡に映った光景を表すなら、それだけで十分だった。

「な、なんだこれ・・・」

 川春の口から自然と漏れ出た驚嘆が部屋に充満して溶けていく。

「なにって、ゲートで分断された直後の世界だよ?」

「そ、そうなのか。なんで、みんな楽しそうなんだ?敵同士のはずだろ?」

「それは人間の考えでしょ~?今の人間界って『魔族は全員敵!』みたいな風潮があるっぽいじゃん?たしかに昔、戦争はあったけど勇者が世界を創ったあと、少しの間だけど、たくさんの種族が足並み揃えて色んなことしてたよ。今よりよっぽど平和だった」

「そう、なのか・・・いや、そうなんだな・・・」

 川春は酷く落ち込んでいる様子だ。それもそのはずだ。生まれた時から信じて疑わなかった事実を眼前で打ち砕かれたのだ。

 今まで世界の平和のために奔走していた意味を、失くしてしまったのだ。

「はい!じゃあ、昔の世界も見せてあげたことだし、今度は私が質問する番ね!」

「わかった・・・って、え?」

「ほら、ギブアンドテイクってやつだよ!私にも川春のことを教えて!」

 爛々と輝くその瞳には、その言葉以上の期待と興味のきらめきが存在しているように思える。

「まあ、良いけど。聞いてもつまらないことの方が多いと思うぞ」

「そんなことないよ~!だって、そんな服は見たこと無いもん!どうやって作ってるの?やっぱり手作り?」

「これは衣服量販店で買ったやつだ。良いものはオーダーメイドできるが、そこに金をかけるなら、って話が逸れ過ぎじゃないか?」

「え~!いいじゃ~ん!五百年ぶりの人間だし、テンション上がっちゃうんだもん!」

 川春はその後も渋ってみるが、魔王は一歩も引かずに「ね?いいでしょ?お願~い」と非常に可愛げのある仕草で迫って来る。

「わかったよ。じゃあ、他になにか知りたいことは?」

「これ!これなに?前はこんなもの無かったんだけど!」

 魔王がどこからか取り出したスマホを川春に見せる。

「おい!それ俺のスマホじゃねえか!かえせよ」

「ほほ~!スマホというのか!この前の戦闘の時に冒険者二人に向けていたのを考えると、あの鏡と同じような機能のある魔道具ってことなの?!」

 川春の言葉もむなしく、魔王はスマホを返す素振りを見せることも無いまま、自身の目の前にある新しいものを興味深そうに見つめるばかりだ。

「それは魔道具じゃないし、カメラは機能の一部分にしか過ぎない」

「ぇえ!?なになに!?カメラって!?他にもできることがあるの!?」

 川春の言葉に反応し、魔王がずいと体を寄せてほとんど密着状態になる。濃密で鼻に染みこむような妖艶な香りが川春の身体を包み込む。

「近いって。ちょっと離れろ」

「はぁ~い」

 魔王が少しだけ寂しそうにしながら川春の対面にちょこんと腰を下ろす。先ほどの自分がこれ以上のテンションで狼狽えていたことをその瞬間に悟り、気まずくなってしまうのを咳払いでなんとか押し込める。

「これはスマホと言って、メールから通話にカメラとしての役割も果たし、さらにはアプリケーションを入れればゲームもできる画期的なアイテムだ!」

 叱責ついでに魔王から取り返したスマホを、無造作に触りながら説明を開始する。

「メール?アプリケーション?ゲーム?」

 どうやら魔界にはその手の類に属するアイテムは存在しないようで、新しい単語を咀嚼するように魔王が呟いている。

「充電は・・・お、残ってるな。よし。今から色々と見せてあげよう!」

「やったー!って、なんでスマホをこっちに向けてるの?」

 瞬間。フラッシュがたかれ、女の子座りをしている可愛らしい魔王の姿がスマホに記録される。

「見てみな。これがカメラ機能だ。写真のモードと動画のモードがある。動画って言うのは・・・さっきの鏡と同じような機能だな。動く写真とでも思っておいてくれ」

「ほほ~!私が!私が写ってるぞ!すごい!」

 宝物を見つけたかのような反応をする魔王を見て、すっかり気をよくした川春は、

「他の機能は!はやく見せてくれ!」

「おう、じゃあ次はこれだ。アプリケーションの説明でもするか!」

 と、魔王のテンションに追随して、饒舌に語りを進めていく。が、ここで一つ問題が発生してしまった。

「うわ・・・電波が通じない・・・魔界だってことをすっかり忘れてた」

 が、魔王はお構いなしに好奇心満タンな眼差しをスマホと川春に向けている。

「悪い。魔界だとこれ以上の説明は出来ないや。なにか他の質問にしてくれないか?」

「え~、そんなこと言われたら気になるじゃ~ん!」

「そう言われてもなぁ。魔王を人間界に連れてくことなんて出来ないし・・・」

「じゃあもういいです~。川春の仕事とか、趣味とかちょっと教えてくれるだけで」

 スマホに対して異様なまでの興味を示していた魔王は、その詳細を知れないとわかると急激にテンションが下がってしまった。が、これに関しては電波が通じない魔界という環境が悪かっただけだ。

 同じような技術的発展を遂げていれば、少しスマホのシステムをいじれば済んだかもしれない問題。いや、そもそもスマホも存在していたかもしれないのだから。

「そんな嫌々として聞かれると、さすがに腹立つ」

「だって~」

「だっても何も無いだろうよ。こっちに無いものを知らなきゃ、人間界には当然あるものの説明に特別感が無くなるんだから」

 物の希少性というものは何で決まるのだろうか。値段?流通数?知名度?プレミア的価値?ジャンルによってそれは変わってくるだろうが、魔王がスマホに惹かれたのは、そもそも目新しいものだから、という点が大きい。

「う~ん。それは確かにそうかも。じゃあ、あれだ。ちょっと街でも見てく?」

「街中って魔族とかいるんだろ?俺、殺されない?大丈夫?」

「大丈夫!少なくとも川春が想像してるような治安ではないと思うよ!」

 魔界の治安、と聞かれたら誰もが等しく『悪い』と想像するだろう。川春もその例に漏れないのだが、その不安を断ち切るように魔王はスッパリと言い切った。

「いや~、でもな~」

「なにをそんなに渋ってるのさ。あ、脚か!それじゃ歩けないもんね!」

 と、魔王は言うと、川春の方に手のひらを向ける。瞬間、川春の欠損部位である膝から下が、まるで種を破る芽のように生え延びてくる。

「うーわっ!なんだこれ!」

「なんだこれって、ただの再生魔術じゃん。魔力があるなら誰だってできるんだから、そんなに驚くようなことじゃないでしょ」

「普通は出来ないから驚いてんだよ!」

「え?じゃあ、人間は腕を気分で生やし替えたりしないの・・・?」

「そんなネクタイ感覚で変えられるものじゃないんだよ!」

「ネクタイ?」

 スーツすらも知らなかった魔王が、ネクタイという単語を知る由もない。わざとらしい程に傾いた顔がそれを物語っている。

「は~。なんか疲れた」

「え~!お出かけしようよ~。美味しい食べ物もあるんだよ?」

「・・・ん~。そうだな。脚を治してもらったお礼もあるし、もうちょっとだけ付き合ってやるよ」

「ふ~ん?素直じゃないんだから~」

 そうだ。この男、せっかく人類の未到達地まで来たからには、写真や音声、動画などを記録しておきたいと、意識が戻った時からうっすらと考えていたのだ。

 しかし、そうするには何分大義名分や安全を保障するものが何一つない。だが、目の前に魔王と名乗る少女がいるし、治してもらったお礼に付き合うという理由が出来てしまったからには乗るしかないのだ。このビッグウェーブに。

 すこしばかり楽し気な雰囲気に包まれながら、魔王に手を引かれて川春は魔王城の外へと踏み出すのだった。


 魔王城を出た川春はその光景に目を疑うしかなかった。

 彼の目に映るのは、燦燦と照らす太陽を遮る雲の下、煉瓦や木材を基礎として建築された建物の数々に、出見世と称するに相応しい露店の数々が立ち並ぶ商店街だ。

 そんな街並みを見てしまっては、川春の感想としては一つしか思いつかず、かつ多少の旅行気分になっていることもあって、つい口が開いてしまう。

「文明レベル低すぎん?」

「なにを言うか!こんなに賑わってる魔界の何が不満だ!」

「だって、ほら」

 川春はスマホの写真フォルダの中から、自身が撮影した数々の街並みを魔王に見せる。鉄筋コンクリート造の建物は勿論のこと、自動販売機、巨大な電波塔から送電線に、巨大スクリーンに流れるCMなど。目の前の光景からは想像もできないような街並みだ。

「な・・・なんということか・・・もしかして、魔界って遅れてる・・・?」

「人間の歴史の教科書には載ってそうな街だと思うぞ」

「それは古いってことだよね!バカにしないでよ!魔法技術が発展してるから、無駄に開発とかをする必要がないだけだもん!」

「それはもう敗北宣言すぎるだろ」

「ぬ~・・・」

 魔王のふくれっ面と言ったらそれは可愛らしいもので、自身の頬を目いっぱいに丸めて、もともとの丸顔がよく強調されている。

「ま、まあ、でもこっちの食べ物はユニークなものが多くて面白いな。キメラの尻尾焼きとか、マンドラゴラチップスなんて初めて見たよ」

 さすがに魔王のことがかわいそうになった川春は、自身の大人げなさを実感しながら話題の転換を試みる。川春は魔王を馬鹿にしたわけでは無いが、事実を突きつけるという行為は時にイジメの範疇に入るのだ。

「そうでしょ、そうでしょ!実はそうなんだよ!魔界は食べ物がおいしいんだよ!」

「そうだな。さすがに出店スタイルっていうのもあって、実演販売が主流だからか祭りみたいな特別感があってさらに美味しく感じるよ」

「うんうん!美味しいなら良かった!」

 ここでおさらいしておこう。角川春の仕事は冒険者ギルドのSNS公式アカウントの中の人であり、公式サイトのウェブライターでもある。この仕事を新卒から初めて早六年。誰かが為した実績を、事実はブラさず言葉巧みに飾り立てるのが得意になるのは当然のことだった。

 ここまで話せば勘の良い諸氏はお気づきだろう。この男が、事実だけを述べて解釈を読み手にゆだねる話し方が染みついてしまっていることに。そして魔王がまんまと川春の話術に嵌っていることにも。

「というか、こんなに人間に対してフレンドリーだなんて思わなかったよ。街に出たら一瞬で死ぬかと思ってたのに」

「だから言ったでしょ?魔族は人間に対して基本的に無害なんだよ?」

「ああ、それはこの光景を見ればわかるし、むしろみんなが友好的に接してくるから、俺の固定観念はもうぐちゃぐちゃだよ」

 川春が魔王と雑談をしながら歩いているだけでも、他の魔族たちは「人間なんて久々に見たな!これはサービスだから持ってけ!」と串焼きをサービスしてくれたり、「魔王様~、あのバチバチってなる魔術見せて~!」と魔王に気さくに話しかける子供とそれに応える魔王を見たりと、とにかく治安も活気も良いシーンに出くわしたものだ。

「今までどんな価値観で生きてきたかは知らないけど、私としてはこれを機に川春だけでも魔族に対しての印象が変わってくれたら良いな、と思ってるよ」

 子供にリクエストされた電気系統の魔術を指先から放ちながら、魔王がにこやかな表情で言う。

 川春の脳裏にあった今までの概念。

『魔族は須らく悪である』

 という思い込みは、魔王の笑顔と爛々とした瞳によって完璧に打ち壊された。

「ところで魔王なのにやけに民衆に対して親切なんだな。王様ってもっとこう、ふんぞり返って自分が世界の中心って態度なイメージなんだが」

「あははっ!それってどこの王様?」

「日本の歴史に残ってる魔王のイメージだ」

「ちょっと、なにそれ~!私がそんなに悪者に見えるってこと?」

「俺はもう完全にそんなひどい奴には見えないし思えないけど、人間の世界だと常識みたいなイメージになってるよ」

「へ~。じゃあ、魔界のことを川春が広めてくれたら、そのイメージも覆ったりするかな?」

 魔王が串焼きをひと口頬張りながら、なんの気なしに口走る。

「ん~、それは難しいかもな。俺一人じゃ権限も発信力も話題性も限られてくるから」

 川春の行っていることは正しい。

 魔界での行方不明から生きて帰ったとなれば、一躍話題の人となるのは想定できるのだが、話題の信ぴょう性などを世間が議論している間に、他に新しいトレンドが生まれてしまい話題は移り変わってしまう。

 つまり、一瞬の爆発力で言えば大火力なのだが、継続性と言う点においては弱火も弱火なのだ。しかし、

「じゃあ私も一緒に行くよ。そうすれば一人じゃないでしょ?」

 魔王に川春の考えが伝わるはずもなく、素頓狂な返事が彼の耳に届く。

「いや、そういう問題じゃなくてな・・・そもそも魔王が人間界にくるなんて、大惨事以外の何ものでもないし・・・」

「そしたら魔王だってバレなきゃ良いんじゃない?」

「・・・もしかして、人間界に来たいのか?」

「むっ。べ、別にさっきの写真とやらを見て、あの建物のところを実際に見てみたいとか、美味しそうな食べ物の数々を実食したいとか思ってないんだから!」

「すっげえ思ってそうな言い方だな、おい」

 川春がため息まじりの返答をしているところで、先ほど魔王に魔術のリクエストをした子供の魔族が「魔王様どっか行っちゃうの~?」と無邪気に聞いてくる。それに対して魔王は笑顔で「すぐ帰って来るから安心しなよ」と答えている。もはや、川春の意思などは関係ないようだ。

「いやいやいや。普通に考えたらこっちの世界に来たら、一瞬で取り囲まれるのは確定だからな?」

「私が魔術と魔法の区別もついてない人間に負けると思ってるの?」

「え?そうなの?」

「ほら~。その反応が一般教養として浸透してない証拠だよ。私たち魔族にとっては常識中の常識だから、さっきの子どもですら即答できると思うよ?」

 魔王は簡単に言ってのけるが、それは彼女自身が発見して定性化および定量化をしたからだ。人間界だったらノーベル賞ものの発見である。

「え、すっごい気になるんだけど教えてくれたりするか?」

 魔王にとっては常識であることに対して、広報部のとしての人格が顔を出す川春を見て彼女は笑みをひとつ溢す。

「そうだな~。人間界に行かなきゃ喋れないような気がしてきたな~」

「ぐっ・・・」

「ふふ。まあ、無理にとは言わないよ」

 少しだけ寂しそうに笑う魔王に心が揺さぶられる。過去になにがあったのか、川春には歴史の資料でしか知るすべはない。だが、それ以上に彼女の表情が物語っているような気がしてならないのも事実だ。

「ま、私たちは勇者との約束を守って、こっちの世界で平和に暮らしてるのに、こっちの世界に攻め込んできてる人間側に、断る権利があるのかと言われたら、微妙なところだとは思うけどね?」

 感傷的になったのも束の間で彼女は、川春に対して断りづらくなるような物言いを繰り出す。が、

「勇者との約束ってなんだ?」

 これ以上は魔王のペースに持ち込まれないように、冷静を装った川春が問いかける。内心では良心が痛みまくっているが、それとは別に知らないことを知りたいという欲求が強いのも事実であった。

「ちょうどウチに戻って来たし、長い話になるから私の部屋で話そう」

「もうそんなに歩いたか。なんか悪い。話したくないこともあるんだろうけど、魔族側の事実も知らなければ判断ができないんだ。ごめん」

「いいって!最初から全部話すつもりだったし、五百年ぶりに人間と再会したのもなにかの縁だから。勇者だったやつもそれを望んでるはず!」

 気丈に振る舞う魔王の背中がやけに悲しそうに見えたのは気のせいだ。そう思うことにした川春は、彼女の後ろを足取り軽くついていくのだった。



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