4話 「始まり、そして終わり。」


(うっわ、今日厄日かも⋯)


駅に木霊する、おおよそ人間とは思えない金切り声。

私は大袈裟に肩を上げたが、周囲は張り付いたようにスマホから目を離さない。

田舎上がりの私はともかく、都会住みの人間は奇怪な状況に出くわすのに慣れているんだろう。

鍛え抜かれたスルースキルに感心しつつ、私の好奇心が変な方向に働いてしまった。


(ふ、フリルの量すごっ。)


人を舐め回すように見るというのは褒められたことではないのだが、私はまじまじとその人を見つめる。

人より数倍も低い位置に力無く座り込み、毒でも喰らったように悶え叫んでいる。

薄紅色の、それもフリルたっぷりの"いかにも"な服を着た――なんというか、歌舞伎町を生息地としていそうな、そんな女性。

都会にいるとよく出くわすタイプの人種なのだが、こうして動いたり喋ったりを間近で見ることはそう多くない。

珍しいもの見たさで観察していると、キッと邪蛇の目付きで睨まれ、咄嗟に目線を宙に投げた。


(目、合った!目合っちゃった!)

 

謎の緊張感を覚えて、私はドギマギしながら電車を待つ。

喧嘩を吹っ掛けられるのではと内心懸念していたが、あちら側にはそんな余力ないらしい。


(けどまあ⋯駅では大声上げないように気を付けよ。)


――ああはなりたくないし。




 



「ーーーーーーーーーーーああ゙ぁああ゙ッ!?、!」


その痛みを認識するのに、時間はかからなかった。

事実さえ認知しなければ良かったものを、周りの反応から否が応でも察してしまう。

私の体を無情に貫くのは、私が今まで体内に入れたことないような狂気。

それ以上の情報を入れようとしても、頭が"痛い""苦しい""熱い"ばかりを訴えてまともに機能してくれない。

世間体なんて、自分の惨状なんて、どれほど酷い顔をしているかなんて気にならない。

ただこの痛みから逃れるために身を捩る。

刃先が背に刺さった箇所から、流水のように熱が伝導していく。

熱が痛覚を刺激しだしたら、それはもう地獄の痛み。

血が沸騰する不快な音が永遠と反響している。

人生で初めて味わう"死ぬほどの痛み"。

注射に怯えていたのが馬鹿みたい。

小指をぶつけた痛みなんて可愛いものだった。

常識なんて覆る新鮮な痛みが、脳にダイレクトに伝わる。

痛みを遥かに凌駕した"なにか"が内側からせり上がってくるのは不快なんて域じゃない。

ああ、異物が侵入して内臓を潰してくる。

臓器がまるごと持っていかれそうな気がして、"怖い"という感情が顔を出した。


「あ、ぅ」


視界がふやけていく。

頬を伝う生温かいものは、涙か血か。

肌が灼かれ続けて息をする毎に喉奥が痛い。

耳奥から黒板を引っ掻くような音が鳴り続けていて、誰の言葉もすべからく金属音と化す。

最も、なにか聞き取れたとして、どのみちノイズでしかないだろう 。

――今、痛みに抗うので手一杯だから。

爪を床に突き立て抵抗の意志を露にはしたが、腹に力が入るだけで


「がはッ・・・」


枯れた吐息と一緒にマグマが溢すことしかできない。

口元から容量を超えて吐き出された血は、一秒と経たない内に乾いて唇にこびりつく。

血液全体が燃えたぎっているのに、体の芯は怖いくらいに冷え切っている。

体験したことない次元の痛みだったが、本能的に理解した。

先人たちが幾度と経験して、これこそ細胞レベルで刻まれてるんだろう。

鋳た金属の匂いが鼻をつく。

――これが、死の匂いか。


「いやだ⋯」


死が迫るのを感知した途端、"痛い""苦しい""熱い"を"怖い"が上回っていった。

私、死ぬの?

心臓が激しく稼働して、うるさいまでの心音を全身に届け始める。

それにより麻痺していた脳が叩き起こされ、痛覚以外を傍受し出した。

心臓が激しく稼働して、うるさいまでの心音を全身に届け始める。

死ぬ⋯こんなわけも分からず。

あらゆる意味で血の気が引く一言に、


「――死にたくない」


不意に出た本音は、その一瞬痛みすら置き去るくらいには突飛だった。

どれだけ不格好でもいい。この際、臓器や腕の一個や二個惜しまない。

倫理や道徳、全てを投げ打ってもいい。

"死にたくない!"

ひたすら、無我夢中にそればかりを心の中で叫び続ける。

まだ何もなしとげてないのに、こんな、こんな通り魔みたいな男に、いとも容易く人生を終わらせられるなんて。

体に残った微かな力を振り絞り、面を上げる。

人だかりは私を避けるように巨大な円を描いて傍観していた。

多くは私が刺された時に逃げ出したのだろうが、少数派いつでも逃げられるよう階段から恐る恐るこちらを眺めている。

数人からスマホのレンズを向けられ、私の醜態が大々的にばら撒かれるのを覚悟した。

人だかりの中には、駅員らしき人も。

フィクションを目の当たりにしたような顔で静止している。


(まあ、近寄れないのも無理はないか⋯)


多分、私の近くには血まみれの凶器持った男がいる。

私の二の舞になんて誰もなりたくないだろう。

――ぁれ?



 

(なんでこいつ逃げないの?)




私を殺して、この場に留まり続ける意味は?

ここは駅だし⋯逃げ出したとして、駅に出るまでに警察に取り押さえられるのがオチだろう。

だから逃げずここに留まってるの?

余分な思考が水を注がれた水車のように、回り始めれば止まらぬ勢いで溢れてくる。

じゃあ、なんで駅で殺しなんか?

自ら逃げ場のない、かつここら一帯で一番人の多い駅を殺人現場に選んだのは何故?

私なんか、人気のない所に連れ込んだって殺せる。

いや、駅での殺しなら思い当たる節はある。

よく漫画なんかで見るやつだ。

"事故に見せ掛けた殺人"

駅のホーム。

油断しきっている私を、偶然を装い線路に突き飛ばす。

刺し殺すよりずっと単純で足のつかない犯行の筈。

そこに思考が及ばないくらい理性を失った状態だった?

誰でもいいから殺したくて仕方がなくて、衝動的にやったとか。

いや違う、それだけは絶対にない。

彼は聢と私の名を呼び、あらかじめ私の存在を知っていた。

つまり、計画的な犯行――。

だったら尚更、この行き当たりばったりな犯行の意味がわからない。


考えろ。ひたすら考えろ。

血管を擦り切れるほど酷使しながら思考を巡らせる。

最後の悪あがきとして、無駄だとしても情報を得るために。

何だっていい、助かる方法を模索しろ。

死にたくない。死にたくない、まだ生きていたい。

――死にたくない!いやだ、死にたくない!!


「たす、ぇて⋯ ⋯!」


口内が血で塗れて、呂律が回らない。

でもそれは、腹の底から出た剥き出しの私の懇願。

ただ一心に救いの手立てを待ち望む、私の声。


誰だっていい。悪魔だって鬼だって何だっていい。

この命を賭けてでも、この命を長引かせたい。


「だれか⋯ ⋯!!」


喉奥から声を振り絞り叫ぶ。


(誰か、誰か!)


――――――私を、救って。




「ツバキ、起きて。」




――私はその時、世界が透き通った気がした。


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