第21話 裁判の行方

   裁判の行方


 内村(院長)が東大の講義から戻って来る。

院長室で白衣に着替える内村。

畑(婦長)が院長の上着をロッカーに仕舞いながら、


 「大川さんがとても世間の事が気に成ってるらしいんです」

 「・・・裁判の件だろう」

 「多分」

 「新聞も東条以下六名の戦犯記事以外はほとんど載せてないな。今の所、新聞もGHQの検閲下にあるからね」

 「あの戦争もたった二年で随分遠くに行っちゃったみたい」

 「それで良いんだよ。いつまでも過去の事を引き摺っていても仕方が無い」

 「でも、お国の為に亡くなった方はかわいそうですわ」

 「それはそれだ。しかし今は、日本の復興の為に生き残った国民達が歯をくいしばって頑張らなくては、英霊達に申し訳ないじゃないか」

 「そうですね。主人も生きていたら同じ事を言うでしょうね」

 「畑さんのご主人は海軍の軍属だったね」

 「はい。高千穂丸と云う病院船に乗って居たのですけれど、フリピンのセブという島の沖合いでアメリカの潜水艦に沈められてしまって・・・」

 「そうだったのか。皆んな同じ様な境遇の人ばかりだ。その人達の為にも頑張ろうじゃないか。私達の仕事は健康を取り戻す事も重要だけれど、荒廃した患者の心に、いや国民の心に明るい生きる夢を持たせる事が今一番の使命だ」


畑 は気丈に、


 「はい!」


ドアーを叩く音。

朝倉(看護婦)が院長室に入って来る。


 「失礼します。コーヒーをお持ちしました」

 「おお、有り難う」

 「プディングを作ってみたんです。召し上がれ」


内村は朝倉の顔を見て、


 「君は夢を与えるねえ。実に良い。今は食が一番希望を与えてくれる」

 「有り難うございます。光栄ですわ。それから大川さんが院長とお話がしたいと」

 「そう。じゃッ、これを食べてから・・・」


内村はコーヒーを飲み、美味そうにプディングを食べ始める。


 内村が周明氏の病室を「覗き窓」から見て、ドアーを叩く。

机の前で静座しながらコーランを読んでいる周明氏。


 「はい。どうぞ!」


内村がドアーを開けて顔を出す。


 「ハハハ、いや~、先生、体調は如何(イカ)ですか」

 「おお、院長。すこぶる快調です」

 「それはそれは、何よりだ」


内村が部屋に入る。


 「で、どうしました?」


周明氏は内村の眼を探るように、


 「えッ?! ああ、いや、実はですね。・・・私の事を少し聞きたくて」

 「ほう。先生の事・・・」

 「悪い事でも良い事でも、噂でも良い。何か耳に入った事を聞かせてくれませんか」


内村は周明氏を見て、


 「・・・裁判の件ですね」


周明氏は俯く。


 「先生がここに来られて一年ですね・・・。東京裁判は最終段階に入った観が有ります。・・・今、新聞を騒がせている事は東條以下六名のA級戦犯判達です。判決後の刑の執行がいつになるかがね」


周明氏は黙って聞いている。


 「幸か不幸か、大川先生の法廷での言行は新聞のマンガや『コラム欄』に掲載されているぐらいです」


周明氏は大きく溜息を付き、両手で頭を掻き、


 「マスディア(世間)は私を葬り去ろうとしていると云う事ですな・・・」

 「いや、それは違います。いまだ町は荒廃しきって戦争の傷跡だらっけです。アメリカ軍が交通整理をして居るし、治安は不安定この上なく悪い。新聞も労働者の集会も総て検閲、監視状態にあります。アメリカはこの荒廃の状況の中で、赤(共産党)がはびこる事を一番恐れているのです。いまだに大陸から引き上げて来る者や、シベリアから復員してくる俘虜に成っていた元兵隊が沢山おります。中には敗戦に慣れてない者、『収容所で洗脳』された者も居ます。そんな中で世間は大川先生の言行に 賛同共鳴している国民も決して少なくはない。都会などはまだ良い。田舎は後継者を失って大変な事態に成っています。大川先生は思想家です。今、日本で一番不必要な者は『この思想家』なのです。ですから、もう少しここで時を稼いで下さい。先生を必要とする時が必ず来ます」

 「院長は、これから私はどうなると思いますか」

 「学会で梅毒性精神疾患の件で質問してみました。一般的には実に難病の範疇に属するものです。したがって大川先生が判決に関わる事はまずないでしょう。多分、不起訴、無罪放免でしょう。その後、日本の警察の監視下に置かれる・・・。まあ、ここは治外法権! 病院ですから安心して下さい。ハハハ」


目を瞑(ツム)り、黙って内村の話を聞いている周明氏。 

内村は机の上に置かれた、良く読み込まれた分厚い単行本を指差して、


 「何をお読みですか?」

 「ああ、コーランです」

 「コーラン? ちょっと見せてもらっても宜しいですか?」

 「どうぞ」 


内村は分厚い本を手に取りページを開く。


 「・・・ほう。・・・経ですね。インド語?」

 「アラビア語です。イスラムの経典です」

 「イスラム?」

 「そう。イスラムとは平和を意味します。そしてアッラー。太陽に帰依すると云う事です」

 「なるほど。これからの日本に魅力的な宗教かもしれませんな」

 「凄い宗教です。日本神道に通ずるものがあります。私はこの経典を翻訳し、国民に紹介しょうと思っているんです」

 「ほ~う・・・。素晴らしい! 是非やってみて下さい。私が出版費用を賄いましょう」

 「そうですか。院長が出資者に成ってくれのなら嬉しいですね。ハハハハ」

 「おッ! 先生、笑いましたね」

 「ええ・・・笑いました」

 「先生の笑顔を見たのは始めてだ。一日に三回はその笑顔を作りましょう」


周明氏は内村を見て、


 「うん? ああ、そうですね。肥田君も同じ事を言ってました。一日に何回笑ったか日記に付けなさいとね」

 「それは良い事です。ハハハハ」


周明氏も笑う。

                          つづく


 「ハハハハ」


102号室から二羽の笑い鳥が元気良く飛び立つ。

昭和と云う時代が、少しずつ落ち着いて行く光景である。

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