第10話 看護婦・朝倉みち子

   食事担当看護婦 朝倉みち子


 静かに成った廊下。

周明氏は部屋の一画に戻り、座禅を組み直す。

すると、ドアーをノックする音が。


 「どうぞ」


引き戸が静かに開き看護婦が顔を出す。


 「夕食をお持ちしました」

 「おッ、有り難う」

 「食事などを受け持つ朝倉と申します。宜しくお願いします」

 「ああ、あなたが朝倉さんですか。あのドーナツの?・・・」


周明氏はまじまじと朝倉を見る。

真面目そうで少し田舎の香りがする『可愛い看護婦』である。


 「あら、召し上がりました? あれ私の十八番なんです」


朝倉は、周明氏の食事を机に配膳して行く。

周明氏は置かれた盛り付けに驚き、


 「ええ! 牛皿ですか。随分豪勢ですねえ。市ヶ谷や巣鴨とは大違いだ」

 「ここは刑務所ではありませんから。でも、カロリーの計算が大変なんです。いつも同じ物では患者さんが飽きちゃうし。あッ、オカワリは有りませんから悪しからず」

 「それはそうでしょう。旅館でもあるまいし」

 「それがね、隣の患者さんは酒が無いとか味が薄いとか、うるさくて」

 「隣の患者? 堀田くんの事ですか」

 「あら、ご存知で?」

 「ああ、さっき風呂場で一緒でした」

 「慶応出の売れない作家です。ただのボンボンですよ」

 「ボンボンですか。ハハハ。彼は、幾つですか?」

 「二七歳ですって。いろんな作家の批評ばっかりしていて。でも、私は全然興味はありませんので」

 「なるほど。頭は良いみたいだが、器(ウツワ)が小さい様ですね」

 「まだ、子供ですよ。甘チャン・・・」

 「アマチャン。・・・ところで岡田さんと云う方は大変なようですね」

 「オカダ? ああ、あの患者さんは重症です。南方のニューギニアと云う島で戦って来たみたいです。ヒルとか虫にいっぱい刺されて・・・。頭がおかしく成ったのもそのせいもあるかもしれませんわ。でも、可哀想な人です。ようやく生き残って帰って来たのに、家族は皆んな、空襲で亡くなっていたそうです。あの方はずっとこのまま、ここで戦って居た方が良いのかもしれませんわ」


周明氏はため息交じりで、 


 「終わらない戦争か・・・」

 「先生」

 「うん?」

 「先生は本当に東條さんの頭を叩いたんですか?」


周明氏は暗い窓を見て割りきれない返事をする。


 「うん? う~ん・・・」


朝倉は執拗に迫る。


 「なぜですか?」

 「ナゼ?」


周明氏は大きく溜息を付き、


 「・・・私は軍国主義者では無い」

 「シュギ? 主義で戦争をしたのですか?」

 「うん?」


朝倉は鋭い質問を周明氏に返す。


 「私は頭が悪いから主義なんて言葉は分かりません。隣の堀田さんも君は何とか主義か! とか言って私を蔑むのですが、主義と云うものはそんなに大切なものなのですか?」


周明氏はその質問には答えられない。


 「東條さんは何でそんな主義に成ったんですか? 私は岩手の山奥で育って大好きだった兄が兵隊にとられて・・・。だから私も看護婦に成ろうと思ったのです。看護婦に成ればいつかは兄に会えるかと思って。・・・でも会えませんでした。母は今でも兄の帰りを首を長くして待ってます。ちょうど今頃は田植えの時期です。男手が必要なんです」


朝倉は考え込む。


 「・・・兄の主義って何だったのでしょう」


周明氏は硬く眼を閉じる。


 朝、六時。

周明氏は布団を畳んで日課の座禅を組む。

蝉の声が騒がしい。

屋根の樋(トイ)で二羽の雀が何かを話している。

突然、中庭の電柱に備え付けた拡声器から声が響く。


 「ラジオ体操第一~!」


いつ出て来たのか院内の医師達と看護婦達が並んで体操を始める。

前に出て音頭を取るのは、あの足の悪い? 西丸(医師)である。


 「オイッチニーサンシー、オイッチニーサンシー、ハイ! 胸を大きく広げてー・・・」


内村(院長)が畑(婦長)の後ろに隠れるようにして身体を前後させている。

院内の各部屋から患者達が大声で号令を掛け始める。


 「オイッチニーサンシー、オイッチニーサンシー」


岡田が106号室の窓から薄笑いを浮かべて覗いている。

突然、岡田が怒鳴る。


 「キサン、気合が入っておらん。こらッ! そこの衛生兵!」


 賑やかな朝の「精神病院」の風景である。


 朝、九時。

周明氏が朝食を摂り終え一休みしている。

ドアーをノックする音が、


 「はい」


引き戸が開き、畑 と内村が入って来る。


 「いや~、先生、ご機嫌よう。夜はグッスリと?」

 「え? あ、まあ・・・」

 「それは良かった。私は先生をこんな所に閉じ込めてしまって心苦しくて。ハハハ」

 「気にせんで下さい。これも修養です」

 「いや先生、ここは収容所では有りませんよ」


畑 が口を挟む。


 「院長、そのシュウヨウではありません。精神の修養の方です」

 「ああ、そちらの方か。実に漢字と云うモノは、ハハハ。ねえ」


内村は周明氏を見る。


 「あ、そうだ。昨日、先生が部屋に行った後、病歴を見たんです。米軍はひどい診断をするものだ。先生の病を『梅毒性精神障害』と書いてありました」

 「梅毒!? やっはり梅毒の方を採りましたか」

 「ヤハリ?」

 「東大病院で赤月と云う担当医が、突発性精神障害と書き直したんです。最後の抵抗だとか言ってね」

 「ほう。赤月君が・・・」

 「ご存知ですか!?」

 「うッ? あ、まあ」


内村は言葉を濁す。

内村は赤月の過去の経歴(関東軍防疫給水部本部満州七三一部隊)を知ってる様である。


 「で、米軍病院ではどんな検査をされました」

 「検査? そんなものはしていません。あッ! 歯の検査をしました」

 「ハ?」

 「私は昔から胃と歯性(ハショウ)が悪くて。口臭が・・・」

 「口臭? それは梅毒とは関係ないなあ。・・・米軍は先生を梅毒と云う事にして社会から隔離、抹殺したかったんじゃないかな。でもそのおかげで命拾いをしたのかもしれませんよ? ハハハ」


周明氏は命拾いと云う言葉を聞いて、


 「命拾い? 私は命なんかに未練は持っていませんッ! 私は日本経済の糧を大陸に求め、アジア圏を日本を中心にした一つの共同体に纏(タバネ)、共存共栄にしたかったのです。私はきっかけを、あえて求めるような厭(イヤ)しい根性など持ち合わせていませんッ! 満州三角同盟の『参スケ』どもと一緒にされては心外です! 総て日本国民の経済的繁栄と精神の安寧の為に方向を指(サ)して来たのです。自由、平等、友愛、共存。これが無くて国家の繁栄など有り得ません」


内村は声を張り、


 「その通りッ! だから私は先生を米国の茶番法廷から救いたいんです。アイツ等はイタリアを腑抜けにしてドイツを解体し、日本の伝統的精神を葬ろうとしている」


周明氏は気を静めて、


 「院長、・・・もう良い」


深く溜息を付く周明氏。


 「・・・。私はA級戦犯で思想犯です。私を絞首刑にしなければ連合軍は結論が出せないのです。少ない余命を此処で楽しく過ごさせて頂きます」

 「そう悲観なさるな。私がたくさん病名を見つけて進駐軍に提出してやります」


内村院長は畑 を見て、


 「ところで・・・、この部屋に居たあの患者は無事に退院出来たのかな」


畑 は突然の質問に、


 「あ、いえ」

 「いえ?」


内村は畑 の顔を凝視して、


 「何か遭ったのか?」

 「えッ? まあ・・・」

 「そうか・・・。まあ、そんな事はこの病院ではよくある事だ。私は先生が長生きしてくれればそれで良い。じゃ、そろそろ行こう。他の患者達も診ないとね」


内村と畑 が部屋を出て行く。

ドアーは開けっ放しである。

周明氏はだらしない二人に少し苛立(イラダチ)ち、立ち上がり戸を閉める。

ふと、鉄格子の窓の向こうを眺める周明氏。

堀田が中庭を散歩している。

周明氏はガラス戸を開け鉄格子越しに、


 「堀田くん!」


周明氏の突然の呼び掛けに驚く堀田。


 「!・・・何だ、大川さんじゃないか」

 「何をしてるんだ」

 「見ての通り、歩いているんです」

 「散歩か?」

 「とも云うね」


堀田は理屈っぽい。


 「そうだ! 私も散歩でもしょうか。どうせここに居ても何もする事がない。仲間に入れてくれ」

 「仲間? 若い女性の方が良いなあ」

 「そう年寄りを邪険にするものではない。ちょっと待っとけ!」


周明氏は急いでワイシャツとズボンに着替えて部屋を出て行く。


 「参 考」

満州七三一石井部隊

「当時、GHQでは七三一部隊に所属経験の医師達を別の意味で捜していた」


参スケ

「① 鮎川義介(あいかわ よしスケ)満業社長(満州重工業開発株式会社) ② 岸信介(きし のぶスケ)離満前役職(総務庁次長)③ 松岡洋右(まつおか ようスケ)離満前役職(満鉄総裁)通称(満州三角同盟)と呼ばれ岸信介は安倍晋三氏の曽祖父である。そして三人は全て姻戚関係でも ある」


弐キ参スケ「弐キ」とは、

「① 東条英機(ひでキ)② 広田弘毅(こうキ)である」

                          つづく

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