第9話 岡田 滋

   岡田 滋氏・106号室(戦争病疾患者)


 陽が沈む。

周明氏は入浴を終え、愛用の水色のパジャマに着替え、さっぱりとした感じで病室に戻って来る。

暫くお膳の前で座禅、沈思黙考の瞑想。


すると、病棟の廊下を「独り言」を言いながら歩いて行く男がいる。


 「弾も無い、食う物もない。あの野郎これで戦えと言うのか。クソッ」


男は突然、声を張り上げる。


 「衛生兵~ッ! 俺の左手を持って来い。手が無いと着剣出来ないぞ~ッ!」


男は震える小声で、


 「さ、三分したら突撃だ。急げ・・・、手が無い・・・左手、手、手、手〜ッ!・・・岡田、落ち着け。岡田、オカダ、オカダ・・・」


また悲鳴のような大声が廊下に響く。


 「トツ、ゲ~~キッ! ・・・・・。天、皇、陛、下~、バンザーイッ!」


 静まる東病棟。

周明氏が病室の覗き窓からそっと廊下を見る。

裸電球の灯りが廊下を照らしている。

廊下に、倒れて居る男が居る。

叫んでいた男である。

暫くして鮫島がトレーに注射器を載せて廊下を走って来る。


 「岡田さん! しっかりしてください。大丈夫ですか?」


反応が無い。

鮫島は岡田氏の右腕に、持って来た注射を打つ。

暫くすると岡田氏の眼が開く。


 「気が付きましたか?」

 「・・・う! 看護兵か! 俺は生き残ったのか」


鮫島は岡田氏の眼の奥を覗き、いつもの様に芝居をうつ。


 「ハイッ! 弾は急所は外れています。しっかりして下さい」

 「クソ! 腰の短銃に一発ある。ヤッてくれ」


鮫島は岡田氏の腰元を見て、


 「腰に短銃は有りませんッ!」


岡田氏は腰の周囲を右手で探る。


 「 失(ナ)くしたか。・・・オマエは従軍看護婦か! ここはどこだ。急いで部隊長に報告しなければ。起こしてくれ」


鮫島は気合の入った声で、


 「岡田准尉、自分で起きなさい!」

 「何ッ! キサマ~・・・」


岡田氏は鮫島を血走った眼で睨み付ける。

鮫島は冷静に、


 「さあ、起きてお風呂に行きましょう。さっぱりしますよ」

 「フロ? 状況は厳しい。風呂なんぞに入ってる場合ではない」

 「明日は、観兵式です。閣下が御見えになります。身体(カラダ)を綺麗にしなければなりません」

 「カッカが?・・・そうか。風呂に入らなければならないな」


岡田氏は何も無かった様に立ちあがり、


 「よしッ、風呂に行くぞ!」


岡田氏は肩を怒らせ風呂場に向かう。

鮫島が岡田氏の症状をジッと見守る。


この病院の患者は『これが普通』なのである。

                          つづく

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