第11話 雑草だらけの花壇
雑草だらけの花壇
鮫島(看護婦)の弾くショパンの 「ノクターン第二番」 が中庭に流れる。
周明氏と堀田氏が中庭を散歩している。
周明氏が堀田氏に、
「・・・散歩は日課かな」
「そう。頭の体操です」
「アタマの体操?」
「あッ、あそこに僕の作った『花壇』があるんですよ」
堀田氏が指をさす。
周明氏は堀田氏の指(サ)す方向を見る。
「カダン? 何も植わって無いじゃないか」
「その内、花壇に成るのです」
周明氏は堀田氏を見て、
「その内?」
「そう。まず雑草が生えて、次に名も無い花が咲き揃い、そして立派な花壇に成る」
「? 随分、気の長い花壇だね。哲学的だ」
「そう。この花壇の名前は『日本』て云うんだ」
「ニッポン? 面白いね」
「オモシロイ? 爺さん。あ、失礼。大川さん! 僕は面白い事を言った覚(オボ)えはない。僕の新作のタイトルだ。この作品で一儲(ヒトモウ)けしようと思っている」
「ほう、売れるかも知れんぞ?」
「転んでもただでは起きない。こんな所に入れやがってと思ったが、こんな所だからこそ、こんな発想が生まれたんだ。人生と云うモノは在るがまま、流されるまま、ガンジスの流れに乗れば何時(イツ)かは大海に出られるんだ」
周明氏は立ち止り前を歩く堀田氏をジッと見る。
西丸(医師)が、渡り廊下をカルテを持って歩いて来る。
中庭の二人を見て、
「おい、大川さん! 診察の時間だ。部屋に戻りなさい」
周明氏は西丸を見て、
「診察? ああ、私は病気だったね」
西丸が、
「そうだよ。自分の病気が分からないから、この病院に居るんだ。アンタはたぶん分裂病だな。此間(コナイダ)までの日本と同じだ」
102号室で西丸が周明氏の診察をしている。
顔を近づけ周明氏の目を見ながら、
「調子はどうかな?」
「チョウシ? ああ、すこぶる快調」
「そうか。・・・木の芽時は狂う者が多い。気の持方に充分注意しなくてはならぬぞ?」
「心配御無用。私は年が明ければ必ずあの世に行く」
「あの世に? 聞き捨てならない事を言う患者だ。なぜ死に急ぐ。ここは病院だぞ。あの世なんぞに行かせるものか。そんな簡単に楽をさせたら僕の名誉に関わる。苦しむ事が浮世の習わしだ。余命をまっとうするように努力しなさい」
周明氏は西丸をジッと見詰める。
西丸が、
「この病院は、精神の箍(タガ)が緩んでしまって自分で自分を始末する患者が多い。アンタの米軍からのカルテを見せてもらった。梅毒性精神病と書いてあったぞ? 覚えは有るのか」
周明氏は怒って、
「それは無いッ!」
西丸はニャっと笑い、
「満州あたりで姑娘(クーニャン)に移されたんじゃないか?」
「無いッ!」
「そうか。分った。ところで、梅毒性精神病とはどう云う症状に成るのかなね? 僕はあまり聞いた事がないのだが」
「そんな事は私に聞いても分らない。そんな病気は『無いッ!』。 米軍のでっち上げだ」
「戦犯と聞いたが、アンタ、本当は何をやって来た」
「アジアを一つに纏める為に努力して来たのだ」
「アジア? アンタ、ひょっとしたらあの大川周明か?」
「そうかも知れない」
「あやふやな返答だな。まあ、脳病だから仕方ないか」
西丸は鉛筆を舐めて、カルテに周明氏の症状を書いて行く。
書きながら、
「・・・大川周明の名前は満州に居た頃聞いた事がある。国家主義者で大アジア主義の推進者とか云ってたな。あの大川周明が松澤病院で今僕の診察を受けている。と云う事か?」
西丸は書くのを止めて、暫く周明氏を凝視しする。
そして、ゆっくりと話し始める。
「・・・僕が医師に成って初めて勤めたのが満鉄病院でね。今でも思い出す。・・・僕の所に、両親を日本の憲兵に殺されて言葉を話せなくなった子が、叔母に連れられてやって来た。女の子だったな・・・。その子は逃げる時、階段を踏み外し足を折ってしまったそうだ。可愛い子だった。僕は始めての患者だったので、一生懸命、治療してやった。その子はようやく歩けるように成って僕の所にやって来た。そしたら僕に(センセイ アリガトウ)って日本語で礼を言ってくれた。あんなに日本人を怖がっていたのに。叔母が教えたんだろうな。嬉しかった。僕が医師に成って一番嬉しかった時だ。それから仏印に従軍して、ビルマへ、最後はインド進行作戦。・・・僕はいつの間にか、医師が医師ではなくなってしまった。急拵(キュウゴシラ)えの病院のテントの近くに迫撃砲の弾が飛んで来てね。その直後に一人、若い敵兵が突入して来た。僕は咄嗟(トッサ)に銃を取り、その若いイギリス兵を撃ち殺してしまった。今でもあの時のあの顔は、はっきり覚えて居る。人を助ける立場にある医師が人を殺してしまう。戦争だから仕方がないと言ってしまえばそれまでだが。・・・しかし、僕はその戦争と云うものが良く解からないんだ。兵隊の教育を受けていない、人を助ける教育を受けた医師までも一兵卒に成り、銃を取り人を殺す。そんな事が許されて良いものなのだろうか。大川さん、アンタがあの戦犯の大川周明なら『戦争の大義』とやらを聞かせてくれ」
周明氏は西丸を見据え溜め息を吐き、
「・・・大義親を滅すと云うたとえもある。主君や国の大事の為には親をも捨てるもやむをえず。大道義の為に私情を捨てなければ忠義にあらず! しかし、現実を知ってしまえばこの言葉は白けた大義に変わってしまう。知らせない、分からせないために、国民の個々の総てが天皇に帰一するものとの信念を植え付ける。これが大義の裏付けであり国体の護持でもある。女も子供も馬や犬さえも戦ったのだ。また、戦争とはそれまでしなければ勝利しないものだ」
西丸は怒って、
「勝つために戦争をするものか!」
「勝つ為に? そう聞かれたら答えは当然だ」
「その為に沢山の犠牲者を出してもか!」
「日清・日露の戦いは多大の犠牲を出した。その上に大日本帝国が大義名分を保ったのだ」
西丸はカルテを机の上に叩きつけ、
周明氏を睨み、
「人は殺しあう為に生まれて来たのではない。一部の高級軍人や政治家、官僚達の伏せられた言動に迷わされて、奮起させられ、一つしかない大切な命を落とした者の気持はどう購(アガ)う」
周明氏はここで言葉が続かなくなる。
西丸が、
「戦犯とは戦争の犯罪者の事を云うのではないのか? と云う事は戦争とは犯罪だ。何百万人と云う兵隊や軍属、一般市民を殺しておいて、更には日本人を全滅にまで導こうとした戦争指導者ッ! 私は到底許す訳にはいかん」
周明氏は冷静に、そして諭すように西丸を見て、
「アナタの言う事は十分理解出来る。だから私はここでこうして、判決を待っているのだ」
西丸も、ここで言葉が止まってしまう。
周明氏が、
「私は先の戦争の裏側を十分にわきまえているつもりだ。この戦争の方程式を組み立てた男達も良く知っている。彼らが私を利用して私利私欲に走り、数多くの同胞となるであろう隣国の人民達の権利を蹂躙してしまった。だからこそ・・・」
ドアーをノックする音が。
「はい」
鮫島が慌てた表情でドアーを開ける。
「先生! 大変です。ちょっと・・・」
「うッ? 大川さん、この続きはまた後で」
西丸が中座する。
急いで廊下に出る西丸。
西丸と鮫島が廊下で話をしている。
「何を慌てているんだ。院内では慌てるなと言ってるだろう」
「あッ、すいません」
鮫島は息を整えて、
「大川さんに面会人が来てるんです」
「面会人? だからどうした」
「畑 婦長が西丸先生を呼んで来なさいと云われて」
「院長は?」
「今日は大学へ講義に行ってます」
「男か女か?」
「男です。袈裟を着た老人です」
「ケサ? 坊さんか・・・」
「かもしれません」
「カモか。・・・しょうがない。応接に通せ。話しを聞こう」
つづく
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