第5話 そして最後は東病棟102号室へ

      『東病棟102号室』


 病院中央の渡り廊下を渡ると一般病棟である。

更に奥に進むと病棟が二つに振り分けられる。

右側は『東病棟(男子病棟)』、左側は西病棟(女子病棟)である。


 誰が弾(ヒく)のかショパンの「ノクターン(第一番)」が中庭を静かに流れる。

渡り廊下を畑(婦長)と周明氏が歩いて来る。

周明氏が、


 「誰が弾(ヒイ)てるのですか?」

 「ああ、うちの看護婦です。音楽は患者の精神を休めますから」


畑 が立ち止り、


 「こちらが東病棟です。足元にお気を付け下さい」


畑 に言われるがままに付いて行く周明氏。

右に曲がって最初の部屋から二つ目。

畑 が立ち止り右手を広げ、


 「こちらが周明先生のお部屋です」


鉄格子の覗き窓の付いた引き戸に『大川周明』の名札が挿してある。

周明氏は戸の番号を見て、


 「102号室ですか」


畑 は施錠を解き引き戸を開ける。

八畳ほどの畳部屋に小さな机が一つ、隅に布団がたたんで置いてある。

病室は以外に明るい。

が・・・、窓は総て鉄格子が噛んである。


 「どうぞ」


周明氏は一瞬、躊躇して、


 「私はここに入るのですか?」

 「そうです。最初は戸惑うかもしれないけれど、慣れれば先生には最適のお部屋です。誰にも邪魔されないし」

 「それは、・・・そうですが」

 「あ、鍵は開けときますから。いつでも外出は出来ます。でも、病院の外には出ない方が。先生は監視されていますから」

 「カンシ? あ、う、う~ん」

 「読みたい本、ノートの類は鮫島と云う看護婦に言って下さい。東棟の担当です。さっきのピアノを弾いてたのも鮫島です」

 「ああ、あの」

 「鮫島は沖縄で従軍看護婦をしていたのです。ご主人は硫黄島で亡くなりました」

 「沖縄で? イオウトウ」


周明氏は得も言われぬ顔をする。


 「そうです。ご主人は帝大の立派な方でした」

 「ほう。学徒ですか」

 「いいえ。志願したらしいですよ」

 「シガン」


周明氏は深く溜息をつき、目を瞑(ツム)って話始める。


 『私は、戦争までは望まなかった。当時、参謀長だった東条の満州に対する政権獲得と軍閥勢力拡大の為、大陸を蹂躙してしまい。・・・まず、大陸との経済同盟を確立する事が先決である。関東軍は「東洋平和の実現・五族協和」などと 「満州新国家の建設」 を逆手にとって、ただ侵略する事のみに逸ってしまった。東条くんも、もはや私の意見など全く聞かなくなってしまうし、私の言葉は総て大本営のスローガンとプロパガンダに変わってしまった。・・・大東亜戦は大亜細亜主義に真っ向から対立する手法だ。米国に宣戦布告するなど持ってのほかである。我が国だけでも三百万以上もの、大変な犠牲者を出してしまった。米国に対して宣戦布告など・・・』


畑 は周明氏を諭(サト)すように、


 「先生、自分を責めても仕方有りません。戦争はもう終わったんです。歴史は変わったんです」


周明氏は力説する。


 『違う! 戦争に終わりは無い。戦争とは、すべて始まりである』


 突然、中庭に叫び声が響き渡る。


 「衛生兵~! 岡田准尉負傷~。衛生兵~!」


周明氏は驚く。

畑 は周明氏を見て、


 「ああ、お気になされないで下さい。あの患者は『戦争病』です」

 「センソウビョウ?」

 「ええ。あの方はまだ戦地に居るのです」


周明氏は声の方を見る。

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