鎌倉期〜蠣崎家の入植

「福山旧事記」巻頭には、1189年に源泰衡が郎党を引き連れ、蝦夷地に逃れて再興を果たそうとしたが、現在の秋田県大舘市で郎党河田次郎の反乱で全滅したと記されている。こういった伝説が多く残されているが、多くは創作とされる。

 鎌倉時代に入ると、蝦夷地を流刑地としていたため、多くの野党などが流されて、道南地域の和人が増加してとされる。

 なお、後期には津軽の安藤家が松前地域を統治し、アイヌとの交易も行なっていた。

しかし、15世紀に入ると、安藤家内で、戦乱が発生し、そこから逃れた安藤盛季が、蝦夷松前に逃れる。

しかし、その後の戦いで、子孫の義季が1453年に死亡し、断絶してしまった。

その後「新羅之記録」によると、1456年から翌年までに道南地域の和人と、原住民アイヌとの間での戦争が発生した。

この戦いの発端は箱館近くでの揉め事である。

この時、花澤舘主蠣崎季繁の元にいた、若狭(福井県三方郡、遠敷郡、大飯郡)出身の武田信広が少数の兵を率いて、七重浜付近でアイヌ軍の将コシャマイン父子を倒して、アイヌ蜂起を鎮圧した。なお、道南12舘(志濃里、箱館、茂別、中野、脇本、穏内、及部、大舘、袮保田、原口、比石、花沢)のうち、中野、脇本、穏内、及部、袮保田、原口、花沢の舘主は、諱に季がついている。これは安藤家の者が多く蝦夷に移住したからである。

ちなみに、12の舘は、和人居住地に造られており、アイヌとの戦闘に備えている。

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