縄文時代〜和人との関わり

縄文時代

松前地域への人々の定住は、8000年ほど前である。

当時の北海道はかなり過ごしやすく、動物や植物が育ちやすく、生活がしやすかったという。そのため、耕作の開始がかなり遅かった。

和人との関わり

日本史においての松前の初登場は、「続日本後紀」である。

それによると、養老4年(720年)、渡島津軽津の司従七位上の諸君鞍男ら6名が靺鞨国(中国北東部の北方民族)にわたり、彼らの生活を見たという。

渡島は、北海道を指し、津軽津については、諸説あるが、津軽(青森県)への窓口となる松前の地である。

また、松前という地名が初めて出るのは鎌倉時代の書物「諏訪大明神絵詞」に登場する「万堂満宇伊犬」である。

なお、松前の由来はアイヌ語の「マト・マイ」であり、意味は「婦人のいるところ」で、かなり女性がいることは珍しかったのであろう。

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