三発目『宇宙の果てまでイッテぷぅ【第二部】誤放出事故』

——宇宙ステーション内、エアロックへ続く機密扉の前にて。


 ステーション内、〇・七気圧。


 宇宙服を着た、マルコ・ヘッポと同僚のスカスキー。今日もこれから、宇宙ステーションの点検作業だ。ちなみに今日の作業は、いつもとは一味違う。というのも彼らは、地球との高速通信用のパラボラアンテナを外壁に取り付ける、大掛かりな作業を任されたのである。床には、重量感のある妙ちくりんな装置が、ふわっと鎮座している。それは、アーチ状の橋を横倒しにしたような形をしており、その両端からは垂直方向に、かなり太めな逆さL字型のフックが伸びている。それを背負えば、アーチ部分が腰を包み、フックが肩にかかる。これは船外活動時、もしもの時に使う、自己救命用推進装置セイファーだ。緊急時、これが窒素ガスを噴射して、ステーションや船へ戻る推進力となるのだ。


「ったくよぉ。今日は朝から腹の調子がどうもおかしいんだ。こんな大事な日に限って、それはないぜ。全く、人類の体は都合が悪いなぁ!」

 マルコは、下腹部をさすりながら、嘆いた。

 ヘルメットのせいで、声はこもっている。

「あれじゃないか、昨日の夜、にんにくのボイル焼き、食べ過ぎたんじゃないのか?」

 スカスキーがマルコを小突いて、そう指摘する。


 ステーション内、〇・五気圧。


 床に垂直に立つマルコの体は、ゆっくりと三〇度ほど傾いたかと思えば、逆さまにした振り子のように、また直立の姿勢に戻る。

「いいや違うな! それに、あれは元気の源だ! スタミナがつくんだよ、にんにくは」

、そうかい。誤放出事故おもらしだけはやめてくれよ? 微小重力空間で撒き散らされると、もんじゃないからな」

「大丈夫。心配するな。スカスキー、お前こそしくじるんじゃないぞ? 今日の取り付け作業はかなりの大仕事だ」

「任せろ、河童かっぱだぜ! 高速通信用のアンテナ、だよな。これで地球の中にいる人との通信が、かなり楽にできるようになる。そうだ、作業が終わったら、お前はまず、誰と連絡を取りたい?」

「そりゃ愚問だな。愛しの妻オナーラに決まっているだろう?」

「そう言うと思ったぜ。もちろん俺も同じだ。ヘレナ! 今夜ウチにテレビ電話をかけるから、待ってろよ!」

「いい心意気だ。じゃあ、念には念を入れて、自己救命用推進装置セイファーを装着といこうか」

「おう。にしてもこれ、やけに大きいな。大変そうだから、手伝うぜ」


 マルコはスカスキーの手を借りて、自己救命用推進装置セイファーを装着する。


「燃料は……九九パーセントか。正確には満タンじゃあないが、これだけあれば、安心だろう」

 マルコは何気なしに、そう言った。

「よぉし。今、ステーション内は〇・三気圧、そろそろ体も慣れただろう。エアロックを減圧するぜ」

 スカスキーは、機密扉の横の壁についた、エアロック減圧のボタンを押した。


 しかし……


 あろうことか、エアロックの機密扉とハッチが同時に解放されてしまった。減圧は完了していないので、ステーション内と宇宙空間には、まだ気圧差がある。つまり……


 空気が吸い出される!!


「うわぁあああ!! 誤作動マルファンクションか!? 俺は確かにボタンを押したぞ? 大丈夫かマルコ!!」

 スカスキーが、壁のくぼみに捕まりながら、叫ぶ。


 一方マルコは……


 体をぐわっと浮かせる。


 ステーションの床を離れる。


 エアロックを通過。


 ハッチのふちにヘルメットをぶつける。


 その音はスカスキーには聞こえない。


 そして……


 外へと放り出されてしまった。


「ぐぁあっ!!」


 というマルコの声が響くのは、ヘルメットの内側だけ。


 気圧、ほぼゼロ。

 重力、極めて微小。

 

 マルコは激しく回転しながら、妻オナーラのいる地球とは逆方向へと、等速直線運動するまっすぐに飛ぶ


 命綱テザーが闇の彼方へと飛んでいく。


 それはマルコとステーションとを繋ぐはずだったが、むなしくも海蛇のようにうねり、今や誰の手にも届かないところにある。


「これはまずい! スカスキー、聞こえるか?」


 マルコは同僚に呼びかける。


「………………」


 だが、返事がない。


「スカスキー! 応答せよ!」


 もう一度。


「………………」


 やはり、届かない。


「くそっ! ダメか!」


 通信機は、吸い出しの時にハッチのふちにぶつかった衝撃で、壊れているのだ。


「落ち着くんだ、マルコ! 僕には、自己救命用推進装置セイファーがあるだろう?」


 そうだ。


 望みはある。


「燃料は満タン、いけるぞ! オラァっ!」


 マルコは、プシュー、プシューと、背後から窒素ガス噴射をする。


 右へ左へ

 上へ下へ

 手前へ奥へ


 マルコの体は、振り回される。


 タイミングよく、運動の向きとは逆方向に噴射することで、力を相殺そうさいするのだ。


「これでもくらえっ!」


 プシューーーーーと、長めの噴射。

 

 かなり噴射した甲斐あって、ようやくマルコの体は、安定した。


 だが依然、ゆっくりとではあるが、マルコは闇の中を進み続ける。


「ハァ……ハァ……よし、なんとか、体勢を整えたぞ」


 マルコは呼吸を整えて落ち着くと、久しぶりに、地球の方へ目をやる。


 距離、極めて僻遠へきえん


「派手に飛んだな。それに……」


 運動の向き、地球とは真逆。


「まだ離れていっている……窒素ガスの残量は?」


 残量、ほぼゼロ。


「クソーーーーっ!! せめてあと、二、三発出せたら!」


 マルコの嘆きは、誰にも届かない。


「なら、できることから……」


 マルコは様々に暴れ回ってみる。


 クロール

 平泳ぎ

 背泳ぎ

 バタフライ


 どれも無意味だった。


「ダメか! ハッ、そう言えば…………」


 マルコは、数分前のことを思い出す。



——燃料は……九九パーセントか。正確には満タンじゃあないが、これだけあれば、安心だろう。



「僕の馬鹿野郎! なぁにが安心だ! どうして窒素ガスを満タンにしなかったんだ!!」


 こうなる前、窒素ガスの残量はパーセントだった。


「しかも、こんな時に限って腹とケツが、なんだかムズムズ……」


 マルコは、下腹部をさする。


「…………待てよ」


 何かに気づいた。


「いけるじゃないか! まだ、あるぞ!」


 マルコは、羊水を漂う胎児のような姿勢をとる。


「前立腺に、炭素10おっさん化炭素たっぷりのガスがよぉ!!」


 下腹部に、力を込める。


「いけぇええええ!」


 マルコの前立腺はポンプのように拍動し、『炭素10』及び空気を、直腸へと送り込む!


「一発目……ウーノ!」


 マルコは、ぷぅ、と、臀部でんぶから屁を放出する。


 少し、進む勢いが弱まる。


「くっさぁ……だが、に腹は変えられない! もう一度!」


 再び、気張る。


「二発目…………ドゥーエ!」


 ぷ。


 甲高く弱々しい放屁音。


「さっきよりもちょっと弱かったか……」


 だが確かに、いくらか、進む勢いは弱まっている。


 もう一度、いきむ。


「三発目……………………トゥレ!」


 ブ。


 渾身こんしんの、三発の、屁。


「クソッ、ほぼ透かしっか。でもこれで……」


 マルコの体は、広大な宇宙空間で、完全に静止した。


「あともう一発、出るかどうか……」


 あと、もう少しで、運動の向きは地球側へと転じる!


「俺の人生は…………まだだ! まだ終わらんよ! 四発目…………」



〈四発目『宇宙の果てまでイッテぷぅ【第三部】マルコ・ヘッポの最後っ屁』続ぷぅ〉

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