二発目『宇宙の果てまでイッテぷぅ【第一部】ネオ・カーボン・ニュートラル』

——三三三三年。 


 もはや宇宙は、人類の第二の棲家すみかになりつつあった。地上四〇〇キロメートルの地球低軌道には、宇宙ステーションが次々と建設され、今やおびただしい数が高速周回している。宇宙ステーションの建設作業には、多くのたちが、まるで徴兵されるかのように、駆り出されていた。そしてこの物語は……


 イタリア人宇宙建設作業員、マルコ・ヘッポというおっさんの、ちょっとしたお話だ。


「よぉし、あとは太陽光パネルをチェックしたら完了だ。おいスカスキー、滑走式の留め具スライダーをもう少しこっちへ頼む」

 宇宙ステーションの外壁を点検中のマルコは、ヘルメット内部の通信機で、同僚のロシア人、スカスキーに声を飛ばす。

「了解。おいマルコお前、そんなに手が短かったか?」

「うるせぇ! 延長ストラップが思ったよりも短かかっただけだっての」

「冗談冗談。じゃあいくぜ、そらよっと!」

 スカスキーは、滑走式の留め具スライダーをマルコに向かって投げる。するとそれは、ビーズをするりと糸に通した時のように、ステーションの周囲に張り巡らされたスライドワイヤーに沿って、音も立てずに直進する。

「ありがとう! 助かった!」


 命綱テザーは、海流に揺られる昆布のようにゆっくりとたゆみ、いくらかの移動の余地を得る。


 マルコはそれをしかと目視して、ステーションの外壁から、蜻蛉とんぼの羽のような薄く細長い広がりの方へと、ふわり飛び移る。


「おっ、華麗なる跳躍!」

 スカスキーはそう褒め称える。


 だがそれは作業に慣れた玄人の動きであり、本来推奨される移動方法ではない。


 一歩間違えば、宇宙服や構造物が損傷し、大惨事だ。


「おい! モタモタしてると、命綱テザーをちょんぎるぞー!」

 スカスキーが、手をチョキにして、ハサミのジャスチャーをする。

「おおっとやめてくれよ? 殺すならせめて、地球の中にしてくれ」

 マルコは、冗談に冗談で返す。

「よし、じゃあ地球に戻って殺し合いだ! 今からお互い命綱テザーを外して、大気圏突入! 飛び降りるぞ!」

「馬鹿言え! そんなの殺し合いする前に死んじまう」

「だな! ガハハハ!」

「アッハッハッハ!」

 二人は、暗黒の冷たい宇宙を背景に、ヘラヘラと笑う。


 本人たちは陽気に振る舞っているが、彼らが今、死と隣合わせの危険な船外活動の最中であることには変わりない。


「そうだマルコ、単身赴任し始めて早三年。お前もそろそろ、奥さんワイフの顔が見たいんじゃないか?」

 スカスキーが、マルコに尋ねる。


「そうだな。ああ、我が妻オナーラよ、お前は今、地球のどこで、何をしているんだ? だが、スプゥトニク・ヘコキ社との船外活動の契約は五年だ。地球への一時帰還は馬鹿みたいな金がかかるし、我慢かなぁ……」

 マルコは、妻の待つあおい地球を眺めながら、そう言った。


 だがその頃、地球内では……


「うちの旦那、ウチにいると、すぐ屁をこくのよねぇ。宇宙ステーション建設の仕事で単身赴任してくれているおかげで、あの忌々いまいましい『ぷぅ』という音と、吐き気をもよおすほどのくっせぇ臭気に悩まされずに済むのよ。スプゥトニク・ヘコキ社には、感謝しないとだわ!」

 などと、マルコの妻が、愚痴を吐いていた。


 悲しい、現実だ。


 そんなことも知らずに、マルコとスカスキーは仲良く、地球にいるそれぞれの妻へと、思いをせる。


「ま、それもそうか。周りのみんなも、我慢してるもんな、俺も、頑張るとするか……待ってろよ、マイワイフヘレナ

 スカスキーが、しみじみとそう言った。

 

 周りを見れば……


 至る所に、男! 男!! 男!!!

 

 宇宙開発事業に携わる男性の数は、を超えていた。


 そのため、地球の中では男性不足に……


 なっていなかった!


 むしろ地球では……


 のだ!!


  地球では、男性が宇宙に駆り出されて減りだしてからというもの、男児の出生数が、女児の出生数を大きく上回るという、異常現象が起こっていた。元来出生時の男女比は、およそ一〇五対一〇〇(男性の方は女性よりもやや多い)をキープし続けていたのだが、これがなぜか、一五〇対一〇〇ほどにもなり、地球を出た男性の分だけ、男性は多く、地上で生まれたのだ!


 それはなんと、『炭素10』の働きによるものだった。


 一体、どういうことなのか?


 稀代きだいの天才おなら学者、太郎・プーは、こう解説する。

 

「確かに男性は、一般的に女性よりも腕力が強いので、古来より、戦争に駆り出されるなどして、露骨に危険な環境に身を置くことは多かった。えー、一つ断りを入れておくと、もちろん女性にも出産時の死亡リスクなどがあったには違いないし、その事実を無視するつもりはない。で、とにかく男性は、その数をかなり大きい単位で減らすのが、常だった。これを考慮すると、男性の総人口が減ってしまうことを防ぐために男児の方が生まれやすいように人類の遺伝子がプログラムされている、と解釈するのも、ありかもしれない。しかし実際には、『炭素10』の均衡バランスが崩れてしまうことを防ぐための仕組みだった。人類という地球の大きさからすればちっぽけな存在といえど、その数は百億を超えている上に、そもそもの『炭素10』の地球内での存在量が極めて少ないため、あまりに多くの男性が宇宙での作業に駆り出されると、地球内の『炭素10』の量が極端に減る。つまりは、十五種類の炭素のバランスが崩れるわけだ。そこで『炭素10』は、まるで意思を持つかのように、『炭素10』の増加のかなめである人類の男性を増やそうとして、受精卵の性別決定機構に働きかけたのだ! 地球へ出る『炭素10』と、地球で新たに生まれる『炭素10』に均衡バランスをもたらし、流出量を『実質ゼロ』にする。つまりは、新時代のカーボン・ニュートラル、なのである!」

 

〈三発目『宇宙の果てまでイッテぷぅ【第二部】誤放出事故』続ぷぅ〉

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