第5話 邂逅⑤
洞院流。僕と同じ私立言ノ葉学園高等部1-Aに在籍するクラスメイトの一人。ミルクティベージュの髪をショートのウルフカットを施し、翡翠色の双眸はまっすぐと僕を捉えている。あとは性格さえ女子女子としていたのならどこぞの令嬢になり得ただろう。しかしその実爛漫にて揚々、俗にいう「陽キャ」というものである。太陽も底抜けのまぶしさから自らの光の意義に自問自答しているだろう。そして学校にて、かの「浮足立った男子諸君ら」に紛れてき〇らジャンプをしていた思春期青春真っ盛りの一人である。
そんな眩き光を放つ陽の使者が、こんな時間に何を急ぐことがあろうか。食パンくわえて運命的な出会いをするには半日ほど遅れているぞ。急げ少女よ、抜錨の時はそぐそこぞ。
そんなことを考えていると、洞院がこちらに歩み寄り、僕の腕をつかむ。
「流石に大丈夫だよな韮谷?こんなもんでいちいち怪我とかしてたら、この学園卒業する頃には4.5回死んでるぜ、お前。」
「そっちからぶつかっておいて、よくもまあ抜け抜けと...。」
「あはははは!それは言わないでくれよ。あたしがこの身を以て魔術の厳しさってやつを教えてあげたんだからさ。リップサービスってやつか?」
そんな飄々とした彼女の態度に辟易する。僕は強打した腰に渇を入れるように、ゆっくり背を伸ばし、状態の確認をする。
よかった。どうにも骨などに異常は見当たらない。それにしても今日は打撲が多い。臀部と腰、また衝撃を受けたという意味では心のそれも計上できるだろうか。いったいどこに確定申告すればいいのだ。僕でも理解できるところに置いておいてほしいものである。
「...んで、なにがあったん?」
彼女の方を向き直し、僕はまた問う。
「ああ、聞くより見たほうが速いな。...こんな話してたらそろそろ来た。走りながら話そうか。ほれ、後ろ見てみ。」
「ん?」
そう言われ振り向くと、僕は蠢く影を見た。否、影という表現は正しくはない。なぜならそれは実態のある人間だからである。しかし如何せん人数が多い。両の手で数えられはするので、大量、という言葉は適当ではないのだが。
しかしこの人数で(曲がりなりにも女子の)洞院を囲おうとしているのは些か野蛮であろう。男女平等に蛸が住み着いたこの世界にも、やはり絵面という印象はぬぐい切れないものである。
なんという非道で卑怯で卑劣漢なのだろうか。僕は真に腹立たしく思うふりをする。それは彼女の悪びれない表情から、こいつがまた何かしでかしたのだろうなと判断したためだ。大方この女に収まる因果関係に、僕の入るスペースはもはやないだろう。容量オーバーだ。そう考える僕は、この場からすぐに退散するべく足に魔術<マギア>を籠める。こういう時のために僕の逃げ足はあるのだ。
「ああ~、また話は今度でいいよ。がんばれって感じだ」
心のこもっていない言の葉だけ残して僕は逃走を図る。今日ほど僕の魔術を酷使した日はない。そもこんなに「逃げ」が必要な場面は起き得てほしくはない。悲しくなるではないか。わが心に多々陰りも見えよう。
そんなことを考えているうちにも怨嗟の声をまき散らしながら人間群は行進をしてくる。魔術も準備万端。いざ鎌倉。
「あ、ちょっと待ってよ。私も連れてけ。便利じゃん、それ」
彼女が準備を終え、空に走りだそうとする僕の腕をつかむ。とても素晴らしい反射神経だ。僕は敬意を払おう。しかし、しかしこの場ではやめてほしい。
彼女がつかんだ瞬間、彼女の手や腕の皮膚が変化し、まるで岩肌のように猛々しくなる。これはさながら、筋骨隆々の屈強な男や某アメコミ風ヒーロー漫画の心根熱き少年のそれと酷似している。
瞬間、空に飛び出すはずであった僕の体は、彼女を原点とした半円の外周をなぞるようにして墜落する。幼少期に授業で扱った、さながらコンパスと呼ばれる文房具の真似事でもしているかのようである。これで何を描けというのだ。
頭から天体的な転回を決める僕が地面につく前に、彼女は自身の魔術を解除する。その捕まえた腕から解放された僕は受け身を何とか取り、ダメージを体に分散する。下手を打てばこの地に真っ赤な彼岸花を咲かせることとなっただろう。
「....マジでごめん。生きてる?」
死んでいることにしておいてくれ。
そんなギャグのネタを披露している場合ではない。蠢く怨嗟の人間群が僕らに追いついたのだ。彼らは苦笑いをする彼女を前に口々に肚の底の怨を吹き出す。彼女はそれに対して言い訳、取り繕い、果ては責任転嫁を繰り返している。やはりこの女、生き生き蠢くトラブルメイカーである。少しはおとなしくしててくれ。
そんなことを思いながら、洞院に一応問いかける。
「お前、本当に何したんだ?何しでかしたらこんな恨まれるんだ?」
「ああ~...説明が難しいな。理由と心当たりが多々ありすぎる」
そう言いながら彼女は指をさす。
「えっと、まず右から。まず金髪のチャラそうなやつは、ゲーセンでボコボコにされたから、リアルのストリートファイトでボコった。」
「お前が悪いな。」
「真ん中の女の子4人は、全員から告白されたから、全員の返事をなあなあにして疑似ハーレムとか言ってたらバレた。」
「お前が悪いな。」
「最後の眼鏡からは、持ち金足りなかったから少し貸してもらっただけだよ。」
僕はその最後の眼鏡氏の方を向き、問うた。
「いくら取られた?」
「一万円です。」
「洞院がやっぱ悪いよな!」
なんという悪逆にて非道、邪知暴虐にて唯我独尊か。我ら学生にとって一万円とはまさに天使の羽一羽と同等の価値もあろう。その羽を捥ぐことは天使を地に落とす悪魔の所業、蛮行である。
性と暴と金、この世のトラブル原因3因子を悉く網羅したこの女、まことに天晴れである。世界の争うの原因はたいていこれらでしかない。ここでしっかりとお灸でも据えて、これ以上の成功体験を積む前に折ってあげてくれ、少年少女らよ。君たちにはその資格もあろう。
「まあまあ、落ち着いてくれよ。ゲーセンでぶん殴ったのは悪かったし、金も後で返すから。」
「そういう問題じゃなくて――」
「あんたのそういう態度が――」
「そもそもといえば私はあなたと――」
そんなことを思っているうちに口論はさらに激しさを増す。特に顕著であったのは告白をなあなあにされた女子4人のうちの1人である。髪を肩まで伸ばし、眼鏡をかけたいかにも文学少女の見た目を呈している。
彼女を見たとき、僕は既視感を覚える。あれは確か――だめだ。思い出せない。ここぞという時に働かない僕の脳は、使ってもいないエネルギーどこに放出しているというのか。
さておき、彼女はそのか細い声で呟く。
「...い。」
「ごめん。なんて言った?」
洞院が聞き返す。何か先ほどとは違う雰囲気を、流石の彼女も感じ取っていたのであろう。先ほどまでのなあなあの空気としようと取り繕っていた彼女の周りの風は、今やピリピリと彼らの肌を刺激していた。
「..もういいって言ったの。私は、私はあなたに失望したわ...。あれほど爛漫としていたあなたが、こんな言い訳がましいことをするなんて...。」
「ああ、ごめんって。あたしもこんな風に4股みたいなことする気はなかったんだよ...。ただ、悪い気分にならなくて、なあなあにしちゃったところがあって...」
彼女もさすがに歯切れが悪くなる。後ろめたさからくる罪悪感ゆえだろうか。
「だから、私とは付き合えなかったの...?私のことを綺麗って言ったのも、一緒の部屋で寝たのも、好きだと伝えたら屈託のない笑顔で返したあの夜も...」
彼女の言葉にさらに熱がこもる。一つ一つの言葉から伝わる熱が脳に伝わり、ダイレクトに脳幹を揺さぶっている。10代女子の魂の咆哮はかくも響くものなのだ。
「全部、全部嘘だったの!?じゃああなたにとって私は何だったのよ!!私にとってあなたは太陽よりも暖かいものだったのに!!!」
彼女は叫び終わるや否や、持っていたソーイングセットのはさみで自身の左腕を立て一直線に裂いた。リストカットと呼ばれる自傷行為である。振り下ろした腕は橈骨動脈に沿った切り後を残し、両脳では力なく垂れさがる。
洞院を除く、彼女とともに怨嗟を吠えていた彼らもたまらず彼女から距離を置く。唯一洞院だけは距離を変えず、しかし動揺した様子で彼女に問うた。
「な、なにをしてるんだ御影!!!!そんなことしたら血が....」
洞院は動揺した様子のまま彼女の腕を見る。病院などに連れていき、適切な処置をしなければ助からない度蝋という思いから、傷口の確認を急ぐ様子だった。
しかし、その考えを根幹から揺るがす事態が起こる。彼女の左腕から、滴る血なぞどこにも見当たらないのである。その事実にさすがの洞院も一歩後ずさる。
御影と呼ばれた少女が、左腕をゆらりと方ほどの高さまで伸ばすと、やっと重力に従って血が垂れてくる。やはり早く病院へ――
「ふふ、ふふふふふ、あは、」
彼女が嗤う。そして優雅に一礼しながら、彼女の血が滴る左手首に握った右手を添える。
その時、ジュクジュクと音を立てながら、血が重力に逆らって形を成す。それは――鋭利なナイフのように、僕は見えた。
空に浮く血で形成されたそれの柄の部分を、彼女は右手でしっかりとつかむと洞院に囁く。
「―――さあ、ここで、一緒に、永遠を築きましょう」
御影が洞院に迫る。と同時に、ここまで話を聞いてきた僕もさすがに距離を取らされた。反面洞院は自身の魔術で応戦する。すると、先ほどと同様手や腕の皮膚が変化し、女子には似つかわしくない隆々とした部分が発生した。硬化、という言葉が最もふさわしい。これが彼女の使用魔術なのだろう。
喧嘩した男子学生がお互いを認め合い、友情を深めるシーンというのは、ヤンキー漫画にて常識といっても過言ではない。僕は勝手に断言する。言葉で語りつくせない感情を拳に乗せて代弁させるのだ。
しかし、この拳はもちろん喧嘩だけのものではない。普段ならば、例えば4本の指をまとめ上げ、それを拳たらしめる親指は、誰かの素晴らしき行いを褒め称えるための重要なパーツである。ほか4本も同様それぞれの役割を果たし、日常を常日頃支えていると言えよう。
その拳を僕たちは、魔術とも呼べる。普段ならば、例えば目の前の御影の魔術を血を操る魔術と仮定する。もしそのような魔術があれば重大なけがをしたとき、誰かの役に立てるかもしれない。しかし使い方を間違えれば悲劇を及ぼす狂刃となる。ちょうど目の前の攻防のように。
御影は血で作ったナイフを勢いよく洞院めがけて突き刺そうとしては彼女に弾かれ、避けられている。なるほど、御影の作ったナイフでは、洞院の魔術を突破は出来なさそうだ。僕は安心してその場を後にしようとする刹那、違和感を覚えた。
洞院には御影のナイフが効かないのなら、持ち前の足でとっとと逃げてしまえばいいのではないか。現に先ほど僕と少女漫画ごっこと勤しんでいた時は彼彼女らから逃げていたはずである。そのせいで今、僕はここで呆け面を晒しているのだ。
「早く!!死んでよ!!私と!!ここで!!!」
御影の攻撃が激しさを増す。かろうじて目に見える速さだ。文学少女がおいそれと某アサシンのようなナイフ捌きなぞ、到底不可能のように見える。反面、それを洞院は腕、肘の関節、手の平などを巧みに使い神妙な顔つきで捌いてる。キィ、ガキンという音は凡そ人体から発していい擬音ではない。そんな部位はない。
「ほら、逃げないの?さっきみたいにさ、逃げちゃえばいいじゃない。そうやって責任も、矜持も、覚悟も持てない人はとっととしっぽ丸めて耳をふさいで!!」
「...」
洞院は御影の問答の一切を口をつぐみ、返答をしない。先ほどまでのなあなあでは済まされないのはもちろんのことであるが、ここまで彼女が黙るのは初めて見た。
常に明るくこれでもかと陽の光を当て続ける彼女は、シリアスパートに慣れていないのか、それとも...
(なんだ...洞院、なんで逃げないんだ。先ほどまでは遁走に前向き姿勢を見ていたじゃないか...。あいつは何を考えているんだ?)
「この機微に気が付けていないようじゃあ、ニーラはまだまだ経験が足りないよ。」
背後から女の声が聞こえる。誰であろう。彼女である。先の魔術<マギア>事件の最重要人物にて処刑対象者。
七海摩耶。彼女は腕を組み、そしてふてぶてしく僕の顔を見上げていた。
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