第4話 邂逅④
...この少女は何と言った?この謎の少女の身元引受人が僕だと?いよいよもって話がわからなくなってきている。彼女が語ることには、聞けば聞くほど不審な点が増えていく。まこと不可思議マトリョーシカのような話術である。つまりは終わりが見えないのだ。
ここで不可解な点を脳内の余白に書き出してみる。
① 少女に似合わない謎のローブは?
② 僕の(自分で考えた)自称を知り得ているのは?
③ 魔術<マギア>と東海学生の地、地区1番地に”帰省”?
④ 駅に必要な身分の証明、それらしきものはローブには見当たらない
⑤ 身元引受人が(おそらく今日初めて会った)僕?
⑥ 家に帰ろうって、僕の家?
なるほど。わからないということがわかり始めてきた。これは西洋道徳哲学を極めるための第一歩であると言えよう。かの高名な先人と同じ視点を持てたことを、僕は心の中で誇らしげに決めポーズを決める。ピースピース、ってやつである。
そんな僕の心とは裏腹に、彼女から放たれた視線で我に返る。初めて会った時の彼女の目を、光彩を原点中心とした球を描く図形とするなら、今はX座標が若干しぼみ、平坦になりつつある。言ってることは訳が分からないというのに、表情はまっこと分かりやすい。訝しんでいるのだ。旗から見ればいたいけな少女が僕を訝しんでいるのだ。この状況は非常によくない。絵面的に。
そんな危険な状態から少しでも脱却するべく、まずは直近の疑問から、順番にで解決していこう。まずは初めの第一歩。
「おいおいおいおい、身元引受人が僕だと?いや有り得ない。断言できるね。...僕は駅にはここ数年いった覚えなぞないからだ。行く用事がない。必要もない。何より家に帰るって、僕の家か?帰省って――」
「待て待て、なんだなんだ。いきなり喋るなよ。びっくりするだろうに。」
しまった。順番に一問一答してもらうつもりが早まってしまった。心の疑問について、口から濁流のように押し寄せ、彼女に襲い掛かる。こんなことなら心の堤防を設置しておけばよかったのに。予算オーバーである。
その僕の早口特盛、疑問符てんこ盛りの暴走列車の風体に、彼女は少し驚いた様子を見せた。どうやら僕の言葉の濁流に面食らったのだろう。僕も大人気がないが、彼女にも説明がない。これは50:50である。お互いの傷を持って引き分けとしたいところだ。
しかし、彼女は「ふう...」と一息つき、すぐさま先ほどまでの堂々とした風貌を身にまとう。僕はこの時点でおそらく完全に敗亡を喫したといってもいい。無様をこれでもかとまき散らした僕。一方で冷静に対処する少女。無様にして珍妙、道化師と同化している僕を見て皆々様はどのように思われるだろうか。
しかし僕は引き下がれない。先の話の如何では、彼女はどうやら僕の家に来るつもりらしい。不審者が可愛い少女であるならなおさら、最もな理由がなければ誘拐と変わらない。彼女が一言嘯くだけで僕の世界はひっくり返る。「このよくわからない人に連れていかれそうになりました」と。僕の話は悉く遮られ、星の光も当たらぬ場所で、いと臭き飯を全霊で味わうこととなろう。それだけは避けなくてはならない。
「いや僕は訳が分からないよ!いきなりいろんなこと言われて混乱甚だしいというのに、それを君は最後に何と言った?”家に帰ろう”だと?それは僕の社会的立場というものを、存分に考慮した上での発言なのか?」
びしっと彼女のほうに指を差し出して、吠える。
「教えてやろう可憐な少女よ。この世にはやってはいけないことがある。それは自分の立場と権力の濫用である、と!僕と君とでは対等ではない!!僕は圧倒的に劣勢なのだ!!見逃してくれ!!」
無様に無様の重ね塗り。どこまで落ちればいいんだ僕は。しかし、しかしこれは敗北ではない、と心の中で呟く。このままではなあなあと話を遮られ、結局彼女の予想通りの行動をしてしまうだろう。質問には答えてくれているが、そのたびに心にクエスチョンマークが生まれる。そしてこれ以上はおそらくクエスチョンマークがエクスクラメーションマークになることはないだろう。平行線ではない。樹形図と表現したほうが適切であろう。
回数を重ねるごとにクエスチョンマークが増える奇怪な樹形図を終わらせるには、元を断ち切るのがよいだろう。そう、これは正に正当防衛、敗北を糧に男は強くなるのである。
感情の高ぶりとともに足に力を籠める。僕の体が魔術<マギア>発動の準備をする。正直使わなくてもいいのでは、と一瞬ためらったが。僕だって16歳健全な男子高校生。走力で追いつかれる道理はない。
しかし、一瞬にして駆け抜け、少女から距離を離さないと、また面倒なことに巻き込まれかねない。それが魔術というものである。人の数、否それを優に超える魔術回路が存在する以上、どんなことが起きるかわからないのである。
加えて彼女の年齢的に全盛期たる高校生の前、やけに大人びていたところから中学生くらいだろう。この年齢あたりから魔術による事故事件が増加傾向にあるという、未来機関の報告がある。ただでさえよくわからない状況に巻き込まれているのに、これ以上面倒な状況を作って混乱させてほしくはないのだ。
「いや、まだ話は終わってないからは...」
彼女が初めて僕に動揺という新しい姿を見せてくれた気がする。しかし僕の足の筋繊維は準備万端、はちきんばかりに溢れるエネルギーの放出先を今か今かと待ち望んでいる。
「めちゃくちゃ急用を思い出した!僕はスペシャル綺麗なお姉さまと夜をご一緒する予定だったんだ!!!いやはや危機一髪!それでは可憐な少女よ!!またどこかでお会いしましょう!また逢う日まで!!」
苦し紛れの弁明としては、下劣もいいところである。相手が少女ということもかけ合わされば、まるで弁解の余地はない。僕は今、少女に敗走及び遁走を実行する男子高校生。妄想の嘘を正論で洗われ、雄弁な演説を真顔で諭される。どんな面をして生きていけばよいのだ。
羞恥が心を埋め尽くす最中、せめて彼女がどんな顔をしているのか気になった。目の前にいるのは近年でも類を見ない珍人であったはずだ。ここまでの醜態を彼女に晒したのだから、最後のリアクションくらい見ておきたい。芸人、芸能人と呼ばれた人たちは、その反応を何より重要視してきたのだ。次に生かすためにも、自己満足のためにも見ておきたい。
そう考える僕は、魔術が発動する直前ちらりと彼女のほうを見る。ほほを膨らませて目を吊り上げ、今にも無礼千万な僕に怒号を飛ばすような表情だろうか。其れとも唯々この奇人を不可思議極まりないと嘲るだろうか。どのように顔を歪ませるのか想像もつかない。
「...え?」
その顔は慈愛に満ちた、それでいてどこか物悲しいような微笑みであった。ネコのようなくりくりとして大きな二重を柔らかく滲ませ、髪は風と共に凪いでいる。北欧系の血が少し混ざったその端正な横顔をすこし斜めに倒し、ローブから伸びた細く白い手を前で結んでいる。ここが運命の桜の木の下や、カップルが結婚成就を願って訪れるような鐘の前であれば、熱い青春の1枚となる。そんな表情であった。
その瞬間僕は文字通り飛んだ。体がその全身を持って空を切り、放物線を描きながら風を滑り流している。
その後、前にかかっていた高架橋の手すりにしがみつき、歩道に体を戻す。大して高いわけではないが、ここからはもう彼女の表情や声は聞こえない。僕は思いを引かれる後ろ髪を、通りの千円カットで切り崩し、その場所を後にする。気にするなよニーラ。おそらく面倒ごとである。飯食って風呂入って寝よう。さらに面倒な合宿も控えてる。
「......ふう。やっぱり変わらないな。ニーラは」
この後彼女が囀っても、僕の鼓膜に届くころには学生たちの喧騒でかき消えているだろう。そんなことを思いながら僕は道端の石を蹴る。
回想終了。これが僕と彼女のファーストコンタクトである。端的にまとめると、ごちゃごちゃ言って面倒ごとに巻き込まれそうであったために、いろいろかっ飛ばして逃げてきたのだ。
だから名前すら尋ねなかった。引き込まれれば引き込まれるほど抜け出すことが難しくなると判断し、早々に切り上げたのだ。あの時点での判断は間違っていない、と僕は断言する。あのままことが進んでいたらラーメンを腹に入れる代わりに、腹に一物抱えることになっていたであろう。
しかし、僕は人のいない路地から右折、大通りに合流し、人の気配が増えた中でも考える。しかし彼女は何者であったのか、と。上記の疑問もさることながら、最も謎な部分が最後の最後に現れた。
彼女が最後に見せた、聖女の如きやさしさを持つ微笑みは、凡そ奇人や変人に見せるようなものではない。なぜ笑わないんだい?僕(彼)は立派は変態だ。嘲られ、辟易され、日常の不可思議に疑問を持つ小学生男児のように数奇な目で僕は見られていると思っていた。常人の反応はそれであろう。僕が僕を客観視した場合、小さな空が鼻腔をくすぐり、その後微笑みを表すだろう。もちろん侮蔑の表情で。
否、それを丸ごと更地に戻すような爆弾が投下されているのが現状である。疑問の芽を悉く粉砕し、育つはずもない豊かな緑を蹂躙する。その後にはぺんぺん草も生えないと、僕の中で実しやかに囁かれているものがある。
何を隠そう、それは先の放送である。魔術<マギア>事件広報課が発表した処刑対象の少女。解像度が低く、さらに正面ではなくこちらを軽く振り返るような向きをしていたためわかりづらくはあったが、僕は確信している。それは先ほど会話をした彼女と同一人物であると。そして、その彼女がとんでもないことをやらかして未来機関から狙われているという事実が僕の心を焦らせる。
七海摩耶、それが彼女の名前であった。僕はそんな彼女の名前を先ほどのニュースを見るまで知らなかったが、どうやら彼女のほうは僕な名前を知っていた。しかも僕の自称まで詳しく。
(わからないことだらけだ......彼女と僕には何があったんだ。少なくとも僕は知らない。あの少女、僕が物心つくときに生まれたくらいか。それ以降に出会っていればおそらく覚えている。そもそも彼女は僕に対して「覚えていないかも」という言葉を使ったということは...っと。)
目の前の信号で一度足を止める。その時僕は、思考と体の足並みを合致させることに成功し、僕の頭を水冷式のCPUクーラーで排熱するかのように、ペットボトルの水を一口。
ぷはっと息を吐きだす。これが体にピースな乳酸菌飲料でもおそらく僕にはCMは来ないであろう。彼彼女らとはあふれ出る汗の種類が違うのだ。コマーシャルに出ている少年少女の汗を青い春の空から滴る一滴と形容するなれば、僕のは言わば排熱処理水である。頭の熱を冷ますように滴る水を腕で拭い、思考の迷路から抜け出すように自己解決の弁明を始める。
(...まあ、あの少女がなんにせよ、早々に切り上げて逃げてきたのは本当に最適解ではあったな。あの時は彼女の言うままに一緒に家に帰る行為は拉致誘拐の罪に当たると思っていたけど、実際罪にかけられるとしたら共謀罪...とかか?よかったよ。面倒ごとに巻き込まれる前に逃げきれて。)
僕の特技はジャンピング土下座だけではない。多々ある特技の中で僕の精神を一定に保つ役割を担っているのがこの釈明。通称”よかった探し”である。どんな困難から逃げてきても、傍からみれば情けなくても、僕の中ではそれには理路整然とした訳がある。
それを心の中で整理し、自分だけを納得させる。そしてその恥を袋にくるんでどこぞのゴミ箱に放り投げれば、証拠隠滅完了である。まさに完全犯罪。君たちは僕に罪を背負わせることは不可能であろう。そもこれは罪などにはもちろんなり得ないのだが。
信号がやっとこさ青になる。と同時に僕はあることを思い出した。
(あ、自転車学校に置きっぱなしじゃん...取りに戻んなきゃな。今日じゃなくてもいいけど...)
そんなことを思いながら一歩踏み出す。その足取りは先ほどもやもやと考えていた時よりも、少しだけ軽くなったような気分でさえいた。瞬間――
「あーーーマジでごめん!!!どいてくれーーー!!」
悲痛な叫びとともに僕たちの体は坂道を転がる雪玉のように転がる。そのあと二手に分かれ、僕は電柱に、片方は街路樹になだれ込む。それぞれの防波堤を以てして、雪玉はこれ以上の進行を止めた。
「あべっ」
僕の間抜けな声が口から洩れる。本当に今日は散々ことが多々起きる。もうおなかいっぱいなのだ。さっきもラーメン食べたしな。
「...マジで何してんの?洞院...」
「...いやマジでごめん。あたしもわからん...」
頭を押さえながら僕が尋ねると、彼女はすくっと立ち上がり、パンパンと土を払いながら答えてくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます