第3話 邂逅③

 動揺を抑えてラーメンを食べ終える。その後電子マネーを用いて支払いを終え、外に出る。深緋色を残した空の闇から、夏の夜きっての生ぬるい風が肌を打つ。日中のの酷暑とはまた異なる熱が僕を襲っている。


 そんなことはどうでもよくなるほど僕の頭は思考を始めている。しかしなるほど、やはり先ほどの魔術<マギア>事件広報課のニュースがどうにも頭を混濁させる。彼女とは何者なのか。それが僕韮谷の右脳並びに左脳及び前頭葉さらには海馬を行ったり来たりする。更にその思考を運ぶ血管は心臓の右上に搬入が完了し、僕の心を揺さぶり、満足したら左下側からまた混乱のもとを運んでやってくる。まるで不安の堂々巡り、否スタンプラリーである。どうした僕の体、ふざけている場合ではない。

 

 頭の中とは狭い密室のようなものだとふと考える。僕がここで何を考えていようと誰にもわからない。そう、彼女が僕に謎の接触を図ってきたことは。


 七海摩耶、それが彼女の名前である。それを初めて僕が知ったということは、一種の正当防衛の結果であったと言える。よく言えば未来予知、悪く言えば被害妄想、き〇ら風に言えば危機管理である。


 少し前、正確に言えば彼女と会った時のことを反芻する。彼女は―――



「ふはははは、見つけたよ?ニーラ。」


 謎の少女は小さな体を少しでも大きく見せようと手を大きく広げている。あんたはネコかと。ネコのようなくりくりとして大きな目をしているのはネタの伏線か何かかと。否一番重要なのは、


「...えーっと...、どちら様で?」


 一番重要なのは、この少女を僕が全く身に覚えがないことである。僕が美女を忘れることはない。断言できる。僕の心のノートは、綺麗な女子に関することは忘れない。薄汚さを極めるノートであるがゆえに。


 しかし彼女には異質な点が多々あるある。1つは彼女が着ている服に関してである。その綺麗な顔や黒髪に反して、彼女は薄く汚れが付いた白のローブを着ている。彼女に似合うのはおそらく無垢なる白のワンピースやや麦わら帽子であろう。これがいきなり僕にだけ見えるような運命的な出会いだったのであれば、やれ少年たちの思い出や未来への期待とともに消えゆく、儚げな少女との物語が幕を上げたに違いない。もう他の疑問は―――


「あと、僕と会ったことがあるのか?見つけたって...。あと、なんでその呼び方で僕を呼ぶんだ?」


 最も気になるのはその呼び方である。「ニーラ」とは、この僕、韮谷獏良が魔術を使い時や気合を入れる時にひそかに心の中で叫んでいるものである。別に誰につけられたあだ名というわけでもない。唯々自分で自分を鼓舞するときに言いやすかった。それだけである。


 しかし、このあだ名は誰にも言ったことがないことを僕は記憶している。なぜなら自分でつけた自分自身のあだ名というのは、他人につけられた時より浸透させるのが難しいためである。「僕のことはこれからこう呼んでくれ!」と自分から言い出すのは普通に恥ずかしい。センスが悪いやめんどくさいと思われたら自決ものであろう。文字通り自分の墓穴を掘ることになる。おお、怖い怖い。


「会ったこと――と言われても困るな。どこから説明しようか。」


 彼女は言葉通り少し困った仕草をする。目線を少しずらし、右手人差し指を顎につけ、軽く腰をひねる。なるほど、不覚にもかわいい思ってしまった。しっかりしろニーラ!相手は不審なローブを身にまとう不審者であることは絶対不偏の事実である。おっ、と思ってしまっているのはどうなんだ愚人(おろかんちゅ)。


「どこから説明も何も、そんな壮大なストーリーが僕たちの間にあったのか?...すくなくとも、僕は君みたいな少女、会ったことはないと思うぞ。僕は女の子との交流、忘れなたくても忘れられない、ロマンチストにてフェミニズムなんだよ」


 彼女は若干こめかみをぐりっと親指で押した。なんだそのいかにも「ちょっと頭痛くなってきたぞ」という意思表示は。さすがに焦る。お子様には少々難しい単語だったか?でも最近の子供って何かと知恵を得る機会が多いって話ではあるぞ?


 彼女は若干困ったように口を開く。


「...お前はロマンチストじゃなくて悲観的なリアリスト、フェミニズムじゃなくてヘドニズムだよ」


「そんな言う?」


 思っただけのつもりではあったが、さすがに脳が処理しきれず口から率直な感想がまろび出てしまった。僕の鋼の心は、どうやら薄く伸ばした板、そう例えばシンバルと形容するなら、彼女の言葉は大きく振りかぶった丈夫で大きなマレットである。打ち付けられたシンバルは、壊れはしないものの、大きな音を立てて震えている。是非丁重に取り扱ってほしい、いつか壊れるとも限らないのだから。


「まあでも、1つの言葉で表すなら、私がここに来たのは帰省のようなものだよ。ニーラは覚えてないかもしれないけど」


「帰省...帰省かあ...え、ここに?」


 この東海地区1番地こと旧名古屋は、確かに都市と学園と住宅街がはためく場所であり、一見その帰省という言葉に大きな違和感はないように覚える。しかし、1番地という名称のある地区は未来機関に管理された学校、またそれに通う学生たちの街である。魔術の学習機会が多い学生を集めることで、外での魔術被害を減らす。また、ここで得た魔術に関する研究知識をそのほかの地方と共有し、さらなる発展をもたらすことが主な目的である。


「たぶんだけど、番地を間違えているな。ここは東海地区1番地こと旧名古屋だ。帰省の場所になり得ないよ。そこまでの親世代の人がいないのだからな。...ん?」


 そう、東海地区1番地こと旧名古屋には仕事をしに来る大人はいても、住んでいる大人となると話が変わってくる。その原因は魔術が深く絡んでいる。


 魔術の発現期は幼児期、全盛期は高校生から大学生の青年期までであるというのが通説として世に浸透している。その後魔術は安らかに衰退していき、やがて使えなくなるものである、と。


 この期間は、子供が小学校に入学してから大学を卒業する頃に相当する。このことに注目した未来機関は、魔術の最新研究機関としての権力を存分に生かし、2040年から、日本の新しく区分の使用を試みている。


 では新しい区分たる基準とはなんなのか。それは未だ魔術に慣れていない年齢層やまだ魔術が発現していない小さい子を育ててしている層と、これからの魔術を担っていく学生で取り分けるというものであった。


 その目的こそ、これからの世代における、魔術の体系化である。魔術は正しい使い方と手順を踏めば理論上――もちろん得手不得手は存在するが――使えるとされている。近い将来、魔術を正しく使える人間が増えることでエネルギー問題をはじめ、今後様々な課題の解決策の一つとなり得ることを期待していると考えられる。


 しかし、当たり前のことではあるが、問題が山積みなのが現状だ。その最たる例がもちろん学生による魔術の悪用である。魔術の発達によって様々なトラブルに巻き込まれたり、場合によっては法改正も必要となってくるだろう。


 つまり、魔術によるトラブルをまとめるための容器のようなものが必要であり、その容器の一つとして東海地区1番地こと旧名古屋が使用されているのだ。ほかには人口が集める都市に設置されているのが現状である。


 現在、ここ東海地区1番地こと旧名古屋では現在元東海圏の多くの学生が住んでいる。しかしその反対に、魔術などの危険な事件に巻き込まれたくない人々は国の補助のもと引っ越しを余儀なくされた過去がある。


 つまるところ、この少女が帰省する先などは、この東海地区1番地にはないはずなのである。ここは我らが学生の街なのだ。しかしまだ、まだ可能性を捨てきれないものがある。僕の頭に天啓が届く。それは――


「..ん?いや待て麗しき少女よ...。わかったよ...。いま全てがわかったんだ...」


「ほお、面白い。私に聞かせておくれよ。その真実ってやつを...」


 少女が妖しくはにかむ。その瞳は少し細くなり歪む。例えるなら柄本を狙う蛇の眼光である。僕はこの目に負けないぞ。いけニーラ、真実はいつも一つだ。


「お前は...そう!お前はこの町の誰かの隠し子なんだな!!!つまりは学生結婚!!少子高齢化も甚だしくなる今日この頃において何たる勇猛さか!!だからこの町に来たんだな?帰省という言葉が導かれる真実はそれしかない!!」


 僕は先ほど手を横に広げ、歌舞伎や芸者のように大きく手を拡げ、空を見上げて宣言する。先ほど少女がやったように。ある意味意趣返しである。どうだ少女よ。これが大人ってやつだ。


「ぜんぜん違うし、あと気持ち悪いからやめたほうがいいと思うぞ。普通に」


 すべてが終わってしまった。もともと始まってもいなかったのだが、明確な終わりを感じた。見知らぬ少女の前で派手に抑揚をつけながら演説でもするかのように話しかける。それだけで人は死ぬらしい。新たな発見を得た喜びに夢中になるあまり、相手が少女であるということを忘れていた。何たる失態か。まあこんなこと、誰が相手でもしっかりとドン引きされそうではあるが。


 少女の顔が恥ずかしくて見れない。恐怖が背中をよじ登り、口から入り込み僕の呼吸を阻害する。どんな顔をしているのだろうか。おそらく年端もいかない少女にゴミを見るような目で見られているのだろう。これで興奮するなど世紀の特殊性癖野郎である。げに恐ろしきは少女の一刺し。まさに言の葉、否言の刃である。


「...本当にごめんなさい。反省してます。...本当に」


 上を向きながら死んだ目と口で語る。今日は上の口も下の口も何かと水に縁がある日である。こんなにも晴れ晴れとしているのに。


「まあ、ニーラは今にも泣きだしそうなのは置いておいて。だから普通に帰ってきたんだよ、この土地にね」


 打ちひしがれる僕を置いて、淡々と彼女は答える。なるほど。もともとこの土地にいたが未来機関や政府の支援と要望を受けてほかの地方に行っていたが訳があって戻ってきた。そうなると―――


「てことは外から入ってくるときの駅で身元引受人とかと一緒に入って来たんじゃないのか?...迷子?」


 東海地区1番地、ここは前述通り学生たちの魔術が跋扈している土地であるとともに、そのデータを用いて魔術の研究も担っている側面がある。そのため混乱や機密情報の流出を避けるために東西と北に検問の施設がある。これが通称駅である。


 その際に必要となるのが身分の証明と、その学生との関係が第三者から見てもわかるもの若しくは本人(身元引受人)の確認である。そのため電車駅のロータリーなどの待ち合わせに見えることから、その名の通り駅と呼ばれている。


「迷子とは失礼な。ニーラのような鳥頭ではないぞ...多分。万が一この身目麗しき魅惑のレディが迷子だったら、すました顔で”大丈夫ですか”くらい言えないのか。的外れな演説はお願いしなくてもできるのに」


 手を合わせ、祈る。頭に枇杷の生えた庭と特徴的な手拍子、そしてフレーズが過ったためである。


「あと身元引受人がいるなら、お前だよニーラ。早く家に帰ろう」

 




 

 








 

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