第2話 邂逅②

 19時少し前、僕こと韮谷は行きつけのラーメン屋の前に立っている。

 ラーメン屋「花丸亭」は夕餉の書き入れ時だというのに店の中はおろか、店の周りにも人の気配がまるでない。この東海地区1番地こと旧名古屋でも、大通りから一歩横道歩けばこのとおりである。日本の三番目の都市と豪語していたその裏がこのありようでは、まるで表面をブリキで取り繕ってダンスでもしている、滑稽な機械人形にも見えよう。雑多にくれた日々たちには早々にご退陣していただこう。


 ガラガラと音を立てる旧時代の遺物のようなドアを開けると「いらっしゃい!」と店内に響く大きな声で店主が迎え入れてくれる。僕は出迎えてくれた声に恥じぬよう「こんちゃー!!」と返す。これこそ現代における日本人武士の魂における鍔迫り合いといえよう。なめられたら、負けである。


 店内に入ると左手側には4人掛けのテーブルが2つ縦に鎮座しており、右手側にはカウンターが8席並んでいる。まさに平成、否昭和まで時が戻ってもやっていけるだろう。


 そんな心配をよそに僕はいつもの席に着く。カウンター掛けのテーブル、奥から3番目の席である。ここは携帯端末用のコンセントが一番近い席であり、スマートフォンの背面越しに充電が可能なのだ。僕はドカッと腰を掛けポケットから携帯を取り出した。その後液晶画面のフロートスクリーンモードをオンにし、スマートフォンをテーブルの上に置く。するとスマホの液晶画面がミラーリング化されたホログラム映像を宙に出す。その後小さなバイブレーションとともにスマホの画面が消え、ホログラムを残しながら充電に取り掛かった。


 宙に浮かんだホログラムからニュースアプリを立ち上げる。すると今日の経済状況や芸能人のスキャンダル、政治、果ては宗教の情操まで様々なニュースが自由に飛び交っている。情報取得と配信の自由ができてからというものの、日夜濁流のような情報が流れ込んでくる。さらに19時とは情報の更新が一斉に入る時間であり、ニュースはまさに目にもとまらぬ更新を続けている。さながな日本のセーヌ川。むやみに入り浸ると病気になることまで原作再現とは恐れ入った。


 そんななかでもやはり僕を含め、多くの人が目に入れるニュースがある。それは「未来機関から発表される魔術<マギア>事件」である。魔術を用いた事件、事故などを詳細事細かに発信、そして注意喚起を促すことを目的としている。今日も僕はその項目をホログラムの液晶に触れて内容のチェックに勤しむことにする。


 そも「未来機関」とは何なのか説明する必要がある。簡潔に言えば今の日本を取り仕切る団体である。その力は政治や経済はたまた宗教にまで及んでいると実しやかに囁かれている。そのような上位機関があるからこそ情報所得と配信の自由が報道機関及び個人に確約され、様々な人間が自由に「知ること」が出来るのだ。更に未来機関は日本の魔術<マギア>における大部分の情報、権力を一極化させている。


 魔術<マギア>と呼ばれる現象が初めて現れたのは2028年のアメリカである。当時道路にて人身事故が起きた。道路付近で座っていた女性と車を走らせていた男性とで激しい言い合いになり、その際車を当てられた女性がこう叫んだ。

「ああもう!本当に信じられない!!頭から火が出てしまいそうだわ!!」

 叫ぶや否や、周囲の人間はゴアっとという腹の底が震えるような重低音に身を震わせることになった。それはその中心である彼女とて例外ではなく、彼女も同じく身を大きく震わせただろう。頭部が燃えているので、それどころではなかったかもしれないが。


 過去の世界の常識で測れば、その女性は即死であっただろう。何せ発火の爆心地。人の頭部がろうそくのような造形をしている。皮膚が爛れ、顔は誰とも判別がつかないようになっていただろう。


 しかし、その女性は自分の身に何が起きているか把握こそしていなかったが、足の力を抜かず立っている。人が亡くなるとき、全身の力なぞは抜け去り立っていられなくなるものであるのにもかかわらず、だ。


「...何が起きているの?これじゃあ私が地球を汚染しているじゃない!」


 泣きながら彼女は叫び続けたという。其の慟哭の最中、彼女の心を代弁するかのようにろうそくの火は火力を増していった。


 かくして人体発火現象が起こってからというもの、世界は一変した。様々な不可解な現象が散見されることになったのである。例えば顔を洗おうとして両の手に溜めた水がなかなか手から離れなかったり、公園で泥団子を作る子供が妙に精巧な親の像を作り上げたりとしたり、はたまた女子のスカートをのぞこうとしてばれたとき妙に逃げ足が速かったりすることなどが確認されている。


 その謎の現象に魔術<マギア>という名前を与え、研究、管理しようと最初に着手したのがこの未来機関である。2030年までは研究成果と呼べる代物は何一つとして確認されなかったが、その後2033年に東雲に頭が変わってからというもの、目まぐるしい進化で多くの魔術研究結果を残したらしい。僕から見れば疑ってくださいと言っているようなものである。それはさておき未来機関が発表した中で僕たちの生活を大きく変えたのは―――


「おい兄ちゃんや!注文はいつものでいいんかい!?」

「あ、しゃーせんぼーっとして!!いつものお願いします!!」


 ラーメン花丸亭の親父が元気に「あいよ!」っと返事をしてラーメンの準備にかかる。なるほど思考しているあまりラーメン屋に来たというのにラーメンを頼んでいないことに気が付かないほどラーメンの存在を忘れていた。これで腹の虫が暴れていようものなら僕は「ラ」が「ア」になっていただろう。ありがとう腹の虫の居所。感謝感謝に幸福笑顔である。


 ラーメン屋の親父はラーメン用の麺を袋から取り出し、若干粉を振る。その後用意しておいたどんぶりに右手の人差し指と中指を立て、指揮棒を振るうように一瞬かざす。ご機嫌おやじのルーティーンではない。これには歴とした理由があるのだ。麺をゆで、その際にどんぶりにかえしを入れる。その後スープ、麺、葱、玉ねぎ、メンマ、煮卵と順番に乗せていく。最後にちょこんと花丸型に盛り付けたチャーシューを加えて特性ラーメンの出来上がりである。


「ハイお待ち、冷めねえから麺だけ気を付けてゆっくり食ってけ!!」

「あざっす!うっす!」


 いつものあいさつに適当な相槌。そんな感じでいいのだ。行きつけのラーメン屋との距離感とは近すぎず離れすぎず、偶にサービスがもらえる。そんなものなのだ。


 さて、ラーメン屋の親父が言った「冷めねえ」とはなんなのだろうか。そう、これが未来機関が発表した私たちの生活を変えた魔術の一端である。魔術は様々な形で管理され、正しい使い方と手順を踏めば理論上誰でも使える――らしい。


 未来機関は、それら魔術の権力が集中している社会の重要な根幹を担っているため、現代の人々、特に若者から注目を浴びている。それほどの力と支持を得ている原因は様々あろうが、僕としてはやはり「特権」が特に若者の支持を集めるのではないかと、同じ若者ながらに考えている。


「お、そろそろニュース始まるぞ。やっぱ悪いことってやっちゃダメなんだなぁ。まあ、当たり前だけど。」

「...すね。」


 ホログラムのモニターを流し目にしながらラーメンをすする。魔術関係のニュースは僕たち学生にとっては単純な興味の対象であり、友人たちととの会話に必要な知識であり、明日わが身に降り注ぐかもしれない裁きであるかもしれないものだ。同年代の少年少女たちで見ない者はいない。


「こんばんは。未来機関、魔術<マギア>事件広報課の神原です。19時になりました。魔術に関するニュースをお伝えします。本日は魔術による爆破事件とそれを教唆した人物を...」


 ニュースキャスターが今日のニュースについて大まかな概要を説明する。その中に未来機関の特権に関することが一つ、そして特殊な注意についての項目が一つあった。


 僕は少し顔をしかめる。その原因は未来機関の特権に関する項目があったことにある。


 未来機関の特権とは、凶悪犯罪者や麻薬などの事件において、特に日本に危害をもたらすと考えれらる凶悪な事件については特例の放送の許可というものである。それは、年齢制限や閲覧制限付きで処刑の動画の放送を指す。十字架に張り付けられた凶悪な犯人を、未来機関理事代表である東雲阿頼耶が処刑を施すのだ。その放送では、選ばれた僧たちによる祝詞とともに巫女が舞い、修道服を着たシスターが祈り、最後に東雲が罪状を読み上げ魔術<マギア>を使う。その熱は他に類を見ない火力であり、刹那の高温と衝撃波による火柱が上がる。


 このような異端審問のようなことをまかり通らせる機関も、それを是とする若者も僕は心から嫌悪する。世界単位で病んでいるとさえ考える。それが例えきちんとした裁判を執り行ったのち死刑が言い渡されたようなものであっても、いやはや野蛮にして下衆、まさに死刑と私刑の境界線である。抑止力となることまでは理解ができる。さながら顔と名前以外にも令状の取得や裁判などの様々な手順が必要なデスノー〇である。


「次に魔術審問放送についてのお知らせです。未来機関代表のもと、魔術審問にかけられる人間が一人決定いたしました。」


 魔術事件放送課は先ほどの事件と声のトーンや抑揚に大きな変化をつけずにつらつらと放送する。彼女の仕草や豪胆さがその姿勢から現れており、感心してしまう。今から彼彼女を処刑します、と言える人間はこの世にどれだけいるのだろうか。一昔前の極刑においても、それを行う人々には様々なケアが施されている。まあ、もちろん実際に執り行うのと宣言をするとでは天と地ほどの差はあるだろうが、それでも気分は清々しいものでないだろう。


「日時は9月31日、21時より審問開始です。また、今回もこの時間における未来機関東海地区1番地支部大聖堂は封鎖いたします。予めご了承ください。」


「ほぉ、東海地区1番地の大聖堂っていやぁこの近くじゃねえか。なんか久しぶりだなぁあの教会使われるの。いつぶりだ?」

「もう覚えてないっすよ。結構前だったとしか...。いつも旧東京か旧大阪でしたからね。」


 未来機関が所有する大聖堂は3つある。この東海地区1番地こと旧名古屋はささしまライブ周辺、旧大学跡地に建てられたもの。そのほかは旧東京や旧大阪にあるが、詳しい場所はぼくはしらない。離れた場所にあるのはあまり興味がないし、進んで調べようとも思ったことはないためである。


 大聖堂の用途は未来機関の職員しか詳細はわからない。風のうわさで様々な怪しい実験をしているだの、地下で罪人たちが片足に重りをブラさげながらゴリゴリと大木の周りをまわってエネルギーを集めてるだの耳にしたことはあるが、どれも信用するに値しない情報である。僕たちがわかっていることはただ一つ。あの場所が処刑台である十字架を祀る安置であるということである。其れ以外の情報は事実確認が取れてから議論を行おうか。


「また、処刑執行者は予定通り未来機関代表である東雲が執り行う予定です。」


 いつもの流れの説明である。ここで執行責任者、受刑者、確定している罪状を発表し、審判の日までいったん情報が封鎖される。


「また、受刑者についてですが、警察並びに検事との相談によって鮮明な写真が入手できなかったため、代わりの写真を提示いたします。ご理解の上ご視聴ください。」


 おや、いつもとちがうではないか。僕は少し片眉を浮かす。本来であれば正面並びに横のを向いた囚人服姿の受刑者が映し出されるものである。何かの異変であろうか、まあ僕には関係がない。強いて言えば先ほどの通りあまりいい気分はしないだけで—――


 写真が写る。監視カメラの映像であり、完全には姿をとらえていないが――


「名前は七海摩耶。確定している罪状は...」


 ネコのようなくりくりとして大きな二重。くせっけのある髪を伸ばしているがぼさぼさとした印象を与えない黒髪。おそらく北欧系の血が少し混ざったような端正な顔をした小柄な少女であった。


 かくして僕は数時間ぶり、さらにモニター越しに彼女と再会をした。魔術がかかったラーメンとは反対に、魔術のかかっていない僕の体はドクンドクンと音を立てて、徐々に熱を持ち始めていた。



 





 



 

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