アニマギア

バター醤油

第1話 邂逅

「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」

 かの高名なSF作家は声を高々に宣言した。

「想像できることは全て現実なのだ」

 誰もが知る有名画家はかく言葉を遺している。

 どうやら僕たち人間は、想像という現象から逃げることは不可能らしい。いわく「想像」から「創造」は作られる、と。あなや誰の言葉なんだっけ?

 ともかくこのような人間たちに「想像」を与えたもうた神、仏、もろもろ上位存在に対して僕は、大きく振りかぶって声を上げなくてはならない。

 おぉ神よ、仏よ、もろもろ上位存在よ!それが人間に下賜されたもうた褒美なれば、私たちはもっと愚かで良いのです!!


2050年7月24日

 私立言ノ葉学園高等部、この1-A のクラスでは、皆、特に男子が解放の鐘を待ちわびている。休業中の所連絡、課題の提出日や過ごし方の注意など彼らの右の耳の穴から風に乗って左の穴へと吹き抜けていく。文字通りどこ吹く風であると言える。


「では皆さん、明日から夏休みが始まります。楽しみで浮足立つ気持ちもあるでしょうが、熱中症にも気を付けて過ごしてくださいね?そこの男子諸君らも、夏におぼれていかがわしい店や深夜のゲームセンターに入り浸らないように」


 1-A 担任である神谷凛月が見た目通りの淑やかな声で注意勧告をする。端正、しかし大きめの瞳で皆を見る。肩甲骨まで伸ばした黒髪がさらさらと揺れるが、ここで一つ咳払い。少し襟を正して続ける。


「それと念のためですが、魔術<マギア>で人を傷つけるのは、学校でも外でも厳禁です。日々の生活での能力の行使は認められています。しかし、使い方を間違えれば凶器にしかなりません。そのことを努々忘れないように。」


 彼女がそう言い終わるな否や1学期終了の合図が響いた。と同時に先ほどの「浮足立った男子諸君ら」が元気よく立ち上がり、


「「「ありがとうございました!!!」」」


と吠えた。瞬間教室の横の壁が半壊した。どれだけ待ちわびてたんだ。解放の気持ちが先走りすぎているが故の能力行使だろうか。だとしても壁が半壊することはないだろう。そんな日はない。有り得ない。


 そんな教室の惨状をよそに「浮足立った男子たち」は次々と教室を飛び出していく。ここが2階だろうが上履きを履き替えることになろうがお構いなしである。教室という牢獄から晴れ晴れと脱出する。その事実だけが彼らに必要だったのだ。その証拠に見てみよう彼らの顔を。思春期青春真っ盛りの喜色満面である。これで仲良く手でも繋ぎようものなら、まんがタ〇ムき〇らのOP映像にもなろう。そう、き〇らジャンプである。


「あらもう、またあの子たちは...みんなけがはないかしら?大丈夫?」


 壁が半壊した教室の中でもかく冷静でいられるのは、けが人がいないことが神谷にはわかっているからだ。これくらいは日常の風景に少し脚色を施した程度に過ぎない。ラーメン屋に行きついでに半チャーハンを頼むようなものである。その歩く証言として、何を隠そうこの教室には彼女がいる。


「はい、何ら問題はありません。」


 彼女こと鞍山千佳は服や手をぱんぱんとたたきながら涼しい顔で答える。緋色を宿した瞳、それにこたえるようなうっすら赤みを宿した髪をシュシュで結んだ髪を携えている。この教室、否この学園において彼女に並ぶものは少ない。”少ないだろう”では収まらない。断言できる理由が存在するのである。それは張り出された期末テストの成績表を総なめしているだの武芸に富んでいるだのという単純な話ではない。


「でもやっぱりすごいわねぇ、魔術<マギア>を2つ使えるのって。助かるわぁ。」


 手を合わせ神谷は朗らかに笑う。なるほど魅力的な女性には魅力的なポーズというものがあるらしい。一般的に”女性らしさ”と呼ばれる概念をふんだんに持つ神谷には言葉通り合っていると言えるのではないか。


「恐れ入ります。ただ—...」


 当たり障りのない返事をする鞍山は横に目をそらし—


「韮谷君が女子のスカートが風圧でめくれるのを期待しているのが見えて、少し不快でした」


 切れ長の流し目と鋭利な言葉で見事に僕を刺してきた。なんということだ。この女、神谷の前でなんて純然たる事実を口走るのだろうか。当方まっこと遺憾である。言の葉とは私たち人類に与えられた最高のツールのひとつであるとともに最低の兵器のひとつでもあることをこの身を持って証明している。「言葉は刃物なんだ。使い方を間違えるともう元には戻せない」かの少年探偵もこう言っている。なのでこれは事実である。そう結論付けよう。ビバ、少年探偵。僕の心はぼどぼどだ。


「そんなことはない。事実確認が取れないからね。僕は認めませんよ。」


 彼女の刺してきた言の葉のナイフをゆっくりと抜くように、そしてこれ以上傷つかないように震える言葉で僕は応戦する。


 僕とは、何を隠そうこの僕、韮谷獏良のことを指す。1-Aの光を鞍山とするならば、影はこの僕になるのではないか。光強ければ影はその分濃くなるとはよく言ったもので、彼女のまぶしさに何人もの人間が焦がれ焼かれてきたのだろう。眉目秀麗、凡そすべてに富んだ才能を持ち魔術<マギア>も2種類使用可能である彼女。反面僕はどうだろうか。中肉中背、凡そすべてに不偏の凡庸な才を持ち、魔術<マギア>は1種類。それも—


「それもあなた、逃げようとしたでしょう?自分の魔術<マギア>を使って。そんなもの”魔術”と呼べないわ。それこそ私は認めない。」


 燦燦たる言い方である。彼女の言葉のブレーキは、僕の散々な無礼極まりない日常においてとっくの昔にオイル切れであった。


 僕の能力は平たく言えば<何かから逃げるときだけちょっと”初速”がつく>

というものである。例えば深夜のコンビニでちょっとスケベな本をのぞこうとしたとき、あるいはゲーセンのフィギュア前をうろうろしているときに店員に声をかけられたとき、はたまた教室でずばずばと物事を言う高嶺の女子に激しい言の葉のカウンターをもらったときに使う魔術である。


「なるほどなるほど。そこまで見られていたのでは、僕自身が事実を認めたも同然だな。そう、僕は女子のスカートが風で揺れないか見ていた。でもまだ待ってほしい。僕は見ていないし、正確に言えば見れなかったんだ。信じてくれ。」


 否、まったくのでたらめである。僕はしっかり女子、というか鞍山のスカートが、彼女の周りを流れる風に耐えきれず悲鳴をあげた瞬間を見逃さなかったのである。黒のぴっちりとしたニーハイのうえ、遙けき絶対領域を飛び越えた先にあった春紅色の楽園を。カナンはここにありけり。心のノートにしっかりと記載しておこう。


 そんなことを思っているのと裏腹に体は魔術の準備を始める。おそらく次に来るであろう言葉は、僕にとって致命の一撃である。


「それも嘘でしょうに。だってあなたはこれまで13回、私のスカートが舞うのを見逃さなかったじゃない?」


 見事なまでに撃沈、そして完敗である。僕がスカートを見ているとき、彼女もその僕の邪な目線をしっかりと見ていたのだ。草原を駆け抜ける美しい白馬のような視界をもちながら、しかし獲物に敏感な勇猛果敢の鷹のごとき獰猛さを持つ。まあ、この場合はもちろん僕に敗因があるのだが。さながら彼女はグリズリーと表現しようか。


 神谷は困ったような表情で両肘を掌で支えるような仕草をしながら「だめよ~?韮谷くん。女の子をそんな目で見ちゃ。」と言わんばかりの困ったそうな表情である。そんな目で僕を見るな。否見ないでくださいお願いします、と心の中で頭を下げる。


「まじかよ、回数までカウントしないでくれ。その日その日のうちに心の中のシュレッダーにでもかけておいてくれ。僕が恥ずかしくて死んでしまう。ので—...」


 足に一瞬力を籠める。最初の一歩とは何事においても肝心である。それが敗走でも遁走でもそんな世の中は諸行無常でも。


「ので僕からはこの言葉を贈ろう!すみませんでした!!!」


 文字通り足早に教室を出る。その後神谷の「一週間後の学習合宿にはちゃんと出るのよ~」という声や、鞍山の「もうあの人生徒指導とかにぶち込んでもいいのではないですか?」といった小言が聞こえてくるが、それで止まるならば逃げ出していない。「廊下を走っちゃだめ」という小言はもはや過去の遺物である。教室だって壊してはならないのだから。


 1-Aの教室をドアから出て1度左へ、その後突き当りを右に、そしてまた職員室前を右に曲がってその後右手が玄関口である。僕は玄関から靴を取り出し、目の前のガラス張りの建物を見る。そこは先ほどいた教室の目の前の廊下に面している。そう、まだ安全領域じゃないのだ。奴らがこの僕を捕まえに来る最後の砦はそこからの呼びかけである。僕はもう一度魔術の準備をすると、大きく息を吸い込む。そして


「見つからない、否見つけられない。そうだ、そうだよ、その通りだ。ここを抜ければとりあえず一週間の夏休みは確約される。いけるぞニーラ」


 自分を鼓舞するかのように自己暗示をしたのち、玄関から飛び出す。彼女が僕を補足してもスルーして逃げればよいのだ。そう心に決めつけ最初の一歩を勢い良く踏み出すと―


「あだば!!?」


 刹那の思考。眼前には足があった。その体は空にあやかしてもらうかの如く45度に傾いており、臀部を起点に90度曲がって完全にくの字を呈した状態で宙を浮いている。なるほど足先がぎりぎり見えたのは僕の足がぎりぎり胴体より長いことを示してるのか。ちょっとした自己憐憫とともに臀部の衝撃に悶えることとなっている。なんだこのざまは。


「な、なにがおきたんだ...?」


 起き上がると同時に気が付くことがあった。僕の臀部はジンジンと痛むだけではなく、びっしょりと濡れているではないか。今日は雲一つない青空であり、雨を嫌うこと僕は逐一転機をチェックしているので間違いない。水たまりなど自然にできる天気ではなかった。つまりは


「女子の下着覗いといて、ぞんざいな謝罪をして逃げるってどういうこと?自分でもなんかおかしいなって思わなかったの?」


 正面からゆっくりと女子が降りてくる。どこぞの天空の城よろしく運命的な出会いをするわけではないのだが。


「聞いてる?返事しなさい?」


 高飛車で自信家、誰であろう。先ほどの鞍山がわざわざ廊下から空を渡って降臨されたのである。その証拠に彼女の足元には小さな小さな風の動き、竜巻のようなものがあり、それを支えとしている。微量な風に触れることである程度操る魔術<マギア>を使えば本来、このような魔術が行えるはずなのである。


「いやだからごめんって...」


 情けなく僕は口に出す。さすがにあれは照れ隠しの一言でもどうにもならなく、彼女の逆鱗にも触れたらしい。仏の顔を3度までとは言うが、よくもまあ13回も持たものである。


「あのね、最悪スカートのぞかれるのはいいわ。それだけの覚悟を持って私はスカート履いて息してる。そも私の下着を見たいと思うのは確かにあなたたち男子からすれば逃れられない本能のようなものかもしれない。けどね」


 鞍山はつらつらとはずかしげもなく言葉を連ねる。普段あまり話したことがなかったが、彼女は意外とよくしゃべるらしいな。あと、スカートってそんな覚悟のもとだったんだ...。


「けどね。私がそんな覚悟でスカート履いてるのに、当のあなたは御免なさいって言って逃げたのが許せない。逃げるな。下着見せてくれてありがとう、くらい言いなさい。魂かけて覗きなさい。」


 緋色を宿した瞳で僕を正面から見る。なるほど彼女が強いわけである。彼女がそんな覚悟を持っているとも知らずに13回も覗いてしまった。


「だから、あなたもスカート履いて帰りなさい。私の予備のスカート貸してあげる。あなたも覚悟を学びなさい。」


 おぉっと?少し話が変わってきたな?本当に助けてくれ。


「ほんとうにごめんなさい!!!!もうしません!!!!勘弁してください!!!」


 濡れた臀部を気にせず土下座をしながら吠える。心よりの謝罪である。これこそ彼女が言っていた「覚悟」である。見たまえ鞍山!完全な黄金比である。この領域に到達するにはあと10年はかかりよう。


「まあまあそういわずにさ?意外といいかもよ?最近の情勢は...」


 じりじりと歩み寄る彼女を止めるには至らない。しかし、僕の足にも十分に溜まった。いまこそ我が魔術の神髄を見せるときである。


「今日はこの辺で失礼します。また合宿でお会いしましょう!」


 叫ぶと同時に足に溜めた力を開放する。すると初速のエネルギーで体が持ち上がる。正面の鞍山に当たらないように吹き飛ぶ方向は安全な真上である。


 僕の初速のエネルギーを用いる魔術<マギア>は、力の向きは可変可能であるからこその芸当である。この点は僕の唯一にして頂点の魅力であると言えよう。遁走のバリエーションを豊富にすることが出来るのだ。


 ジャンピング土下座である。しかしジャンプして土下座するのではない。土下座してジャンプするのである。16年の人生において誰にも負けない特技だ。そもそも誰と競うわけでもないのだが。


 呆ける鞍山を尻目に玄関上のくぼみに着地し、その後走って帰路に就く。本来であれば自転車通学のため駐輪場に行く必要があるが、もたもたしていては鞍山に追いつかれてしまう。学校を出る際には神谷がその魔術<マギア>を用いて、いつものごとく破損個所を修復しているもが見えた。いつもありがとうございます、と生徒一同謝辞を送らせていただきます。勝手に。


 学校の敷地内を抜け河川敷に沿って歩く。今日は良き発見と意外な発見ををして青春としての満足度はまあまあ高いな、と僕は思う。帰って着替えてラーメンでも食べに行けば今日は満点だと考えていると、ふと僕と目が合う少女がいた。


 ネコのようなくりくりとして大きな二重。くせっけのある髪を伸ばしているがぼさぼさとした印象を与えない黒髪。おそらく北欧系の血が少し混ざったような端正な顔をした小柄な少女は、こちらを向くと、体に反して大きな目を少し見開き、


「ふはははは、見つけたよ?ニーラ。」



 


 

 

 

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