甘く熟して

幸まる

蜜芋

「ねえ、ハイス。サシャの恋人が誰か知ってる?」


領主館の厨房で、子供用の茶菓子を用意していた製菓担当料理人のハイスは、茶菓子を待っていた侍女のコリーが身を乗り出して放った問いに、ドキリとした。


厨房の下女であるサシャの恋人は、ハイス自分なのだ。



ハイス達の主人である領主は、使用人同士の恋愛を禁止しているわけではないし、他人に咎められるような付き合い方もしていない。

だがハイスは、二人の関係を周囲に言いふらしたりはしていない。

厨房の仲間内ならともかく、それ以外の使用人にまで知れるのは避けたいのだ。


なにせ、使用人というのは狭い世界で日々を過ごす為か、ゴシップに飢えがちだ。

やれ誰が誰を好きだとか、誰が誰と別れたとか、どうでもいいような内容の話で、休憩時間に花を咲かせる者も多い。

周遊サーカスが街にやって来た、なんて内容と同等に、娯楽のひとつとして話題にされるのはまっぴらだ。


サシャとの関係は、そっと大事に育てたいものなのだ。


それなのに、二人の関係はどこからか漏れていて、既にコリーの耳にも入っていたのだろうか。

このニヤけた顔でハイスを見つめる侍女は、ハイスをからかうつもりでこんな質問をしたのか。

コリーは、領主館の使用人の中で、一番口が軽くて噂好き。

コリーに知られた秘密は、次の日には領主館で知らない者はいなくなると言われる程だというのに。



「さあ?……サシャに恋人なんていたの?」


辛うじて表情を変えず、ハイスがとぼけて返事をすれば、コリーは嬉しそうに笑みを深めた。


「厨房仲間のハイスも知らないんだ。じゃあすごいネタを掴んじゃったんだ!」

「どういうこと?」


ふっふ〜ん、とコリーは目を細め、もったいぶって一度姿勢を正した。

しかし、言いたくて堪らないのだろう、すぐに再びテーブルの上に身を乗り出して、顔を近付ける。


「私、昨日見たの。サシャが裏庭の隅で男と会ってるところ」

「男? 誰!?」


ハイスが食い付いてきて、コリーはさらに興奮気味に顔を近付ける。


「ベックよ!」

「…………ベック?」

「そう! 二人でコソコソ話してね、ベックが顔を寄せたら、サシャったら真っ赤になっちゃってさ!」


楽しくて堪らないというように、コリーは指先を口に当ててクスクスと笑う。


「サシャってば、最近キレイになったと思ってたけど、やっぱりがいたのねぇ」



ウキウキと話すコリーの声は、ハイスに戸惑いしかうまない。

ベックは、使用人宿舎でハイスと同室の料理人だ。

年は一つ下。

厨房仲間は割と仲が良く、下男下女達も皆親しい。

ベックも勿論サシャとは仲が良いが、それは特別に気に掛けている、というものではないはずだ。


そこでハイスはハッとする。


いや、実は気付いていなかっただけで、サシャのことをで見ている者は、たくさんいるのかもしれない。


何しろ、サシャは魅力的だ。

ものすごく。

少女のような可愛らしさを持ちながら、大人の女性へと変わりゆく彼女は、最近特に綺麗になって、時々ドキリとさせる表情を見せる。

それが自分にだけ向けられているものだと思い込み胸を熱くしてきたが、他の男が惹かれないなんてことがあるだろうか。


いや、ない。

絶対ない。

皆サシャが綺麗でかわいいと思うはずだ!



一人おかしな思考にハマったハイスに気付かず、話すだけ話して満足したコリーは、鼻歌混じりに用意ができた盆に布を掛ける。

「サシャの想い人はザックなんかじゃない」と否定しなければならなかったのに、ハイスが我に返った時には、コリーは足取り軽く厨房を出て行ったところだった。


追い掛けようにも、短い休憩を終えて、夕食の準備に取り掛かる料理人仲間達が続々と厨房に戻って来ている。

いや、そもそもザックは違うと否定したとして、実際の相手は誰だとコリーに言うつもりなのか。

自分だと宣言すれば、明日には使用人達の娯楽の餌食だ。



「ううぅぅ!」

「お前、何一人で悶えてんの?」


カゴいっぱいの甘藷かんしょを抱えてきた副料理長が、製菓台の前に蹲って頭を抱えたハイスを呆れて見下ろした。





深夜、厨房にはまだ明かりが灯る。

手間のかかる仕込み作業を、静かに集中してやりたいハイスは、この時間を好む。


時々手伝いに入ってくれるのは、サシャだ。

二人の想いが通じ合ってから、この時間は互いに特別なものになった。



ハイスが大きな鍋の蓋を開ければ、白い湯気と共に蒸した甘藷かんしょのほの甘い香りが広がった。


「わあ、美味しそう」

「うん、今年のは出来が良くて、とっても甘いよ。後で味見する?」


嬉しそうに頷いたサシャに、ハイスは微笑みを返す。


蒸した甘藷は、熱い内に皮を剥いて裏漉うらごしする。

それに砂糖を加えてペーストにしたものを、菓子やパンに使うのだ。


「熱いから、気を付けて」


ハイスの一言に、サシャは照れたように笑って頬を染めた。

ハイスが不思議そうに首を傾げれば、その笑顔のまま、道具を手にして作業を始める。


「思い出したの、去年のこと。ハイスのことを好きだって分かった日も、甘藷を蒸してたのよね」


今夜のようにハイスが甘藷を蒸して仕込みをしていた時、手伝いに来たサシャと、想いを伝え合った。

まだ自分の気持ちに無自覚だったサシャは、初めて自分の胸の内に“恋心”というものが育っていたことを知ったのだ。



「今年も一緒にここにいられて、嬉しい」


幸せそうに微笑んだサシャの顔は、去年の笑顔よりも少し大人びて、輝いている。

ハイスは思わず手を伸ばし、指先で桃色に色付く彼女の頬に触れた。


サシャの栗色の瞳が、潤んだ。

自分の指先が触れただけで、その瞳がとろりと熱を帯びるのを見れば、胸の奥が疼いてしまう。


こんな彼女は、誰にも見せたくない。

そんな独占欲が頭の中を渦巻くと、昼間から引っかかっていたことが、口から自然と零れ出た。


「ザックと何を話したの?」


言ってから、しまったと思った。

独占欲どころか、嫉妬と焦りが滲みまくっているではないか!


不快に感じるだろうと思ったのに、しかし、それを聞いたサシャは、より顔を赤くした。

そして、歯切れ悪く、小声で言った。


「あのね……、次の休日は、ベック、実家に帰るから、一晩戻らないんですって」

「え?」

「……だから、その日の夜は、ハイス一人だよって……教えてくれたの」


使用人用の男女宿舎は離れていて、女性用宿舎には、領主より男子禁制がキツく言い渡されている。

つまり、夜に男女で過ごそうと思えば、男性宿舎に女性が忍んでいくのが暗黙の掟だった。

しかし、役職持ちの者以外、使用人宿舎の部屋は基本二人部屋だ。

ハイスもベックと同室である為、サシャが宿舎に忍んで来ることはない。

二人だけで会いたいのなら、互いに休みが重なった日に、領主館の外で会うしかないのが現状だった。



サシャは赤い顔のまま、俯き加減にハイスを上目に見た。


「……あのね、その日……ハイスの部屋に行っても、いい?」



次の瞬間、ハイスはサシャを抱きしめていた。

彼自身どう動いたのか分からないが、何かを考える前に勝手に身体が動いていた。


胸に抱いた柔らかな身体から、そっと腕が伸び、その手が背中に回る……前に、大きくて固い手がハイスの背中をバシッと強く叩いた。


「はいっ、終了〜っ!」

「痛ったっ! ふ、副料理長!?」


サシャを離して飛び上がるようにして振り返れば、ヒョロリと背の高い副料理長が、半笑いで腰に手をやって立っていた。


「ど、ど、どうしてここに!?」

「お前、動揺しすぎ。今夜は芋の量が多いから手伝うって言っといただろ。明日の朝にポタージュで使うんだ」

「そ、そういえば、聞いたっけ……」


サシャとベックのことで、結構頭がいっぱいだったのだと改めて気付き、ハイスは恥ずかしさに額を掻く。

余裕がないにも程がある。


「そんなんだから厨房の皆にバレバレなんだよ」


今度はバシッと肩を叩かれて顔をしかめたハイスだったが、慌てて問い返した。


「皆知ってるんですか!?」

「そりゃそうだ。駄々洩れなんだよ、お前たちはっ!」



そうか、それでザックは、お節介にもサシャに休日の予定を教えたのだ。

より恥ずかしくなって背を丸めれば、側に立ったサシャもまた、恥ずかしそうに俯いていた。


「隠してたつもりだったのに、ごめん」

「……隠さないと、ダメだった?」


ガシガシと頭を掻いたハイスを見上げ、サシャが不安気に問う。


「そうじゃないけど、皆に色々からかわれるの、サシャも嫌でしょ?」

「嫌じゃないわ。だって、私の彼はステキでしょって、いつ自慢してもいいってことでしょ?」


頬を染めて、しかし、とても嬉しそうにサシャが言ったので、あまりのかわいさにハイスは瞬間沸騰する。


「ええい! 仕事せーーーいっ!!」


副料理長の叫びと共に、ハイスの顔に布巾が叩き付けられた。





翌日、ハイスは朝からサシャの恋人宣言をして、厨房で大いに呆れられた。

実は、厨房どころか、領主館の使用人の多くがハイスとサシャの関係を知らぬふりで見守っていたのだと教えられ、ハイスがその場で羞恥に崩れ落ちたことを、コリーはまだ知らない。



《 終 》

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