厄気と魔物【前編】



 真美との距離が戻ってきてから一週間。

 悠来は今日も城の騎士宿舎で剣の訓練をした後、騎士団寮の家事を手伝いに来ていた。

 もうこのままここに就職してしまおうか。

 割と本気でそんな事を考え始めていた。


「相変わらず仕事が早いわねぇ、ユウキちゃん」

「いえいえ、普通ですよ」

「謙遜しなくてもいいのよ。だって本当に素晴らしいんですもの」

「あ、ありがとうございます」


 家事をこんなに褒められるのは、なんともむず痒い。

 帰ってきた騎士たちにもお礼を言われるし、家事にやりがいを感じ始めている。

 元の世界ではそれが当たり前だった。

 妻の歩美は稼いで帰ってきてくれるが、家事は苦手だったので手伝ってもらった記憶はない。

 苦手なのなら得意で、苦に感じない自分がやればいい。

 なにより稽古や舞台以外で出掛けない悠来は、言い方は悪いが暇だ。

 自由にさせてもらっているのだから家事ぐらいは頑張ろうと思っていたのもある。

 それが当たり前になりつつあり、家事をしてお礼を言われる事もなくなっていたのは少し寂しさを感じていた。

 離婚の理由は経済的な事だったものの、やはりこの世界でこんな風に褒められたり感謝されれば嬉しいものだ。


「……そういえば、この世界では芝居とか、そういう娯楽はないんですか?」

「お芝居? そうねぇ、昔はあったわ。でも、厄気が広がってしまって……魔物も増えて……大地が腐ってからはみんな食べ物を育てる事に一生懸命になったのよ。今でも歌は娯楽として好まれているけれど、お芝居を演じたり観たりするよりは畑を耕せとみんな思うでしょうねぇ~」

「なるほど……」


 確かに歌ならば作業しながら楽しめる。

 歌う事で気分が高揚し、作業効率も上がるだろう。

 芝居は、演じる方も観る方も余裕がなくて出来ないという事か。

 それはとても悲しい。

 だが、それほどまでにこの世界は……。


「あ、そうだわ。今日はお庭の方のお手入れをしたいと思うの。お料理に使う香草もあったはずなんだけど、すっかり雑草に呑まれてしまって……」

「なんですって! なんてもったいない! 今すぐ毟り取りましょう!」

「まあ、やる気になってくれて嬉しいわ~。道具はもう用意してあるから案内するわねぇ」

「是非!」


 食堂から出て、玄関に回る。

 そこに用意してあった箒やちりとり、鎌や熊手を持ち、別館側へと進む。そこに広がっていたのは……!


「うっわあ! こんな事になってたんですかっ!?」


 あまりにも。

 あまりにも凄惨な現場だった……。

 背の高い草が生い茂り、植木は蔦に覆われ、樹木は枝が伸び放題。

 ガゼボなど草や蔦に覆われすぎて緑の塊のようになっている。

 中に見えるテーブルや椅子は見るからに泥だらけだ。

 アーチ状の薔薇ロードは剪定がなされない為、もはや閉鎖状態。

 まさしく、荒れ放題の庭。


「昔はお城の庭師が手伝ってくれていたのよ。でも、人手不足で完全に放置されてるの。わたくし、さすがに庭仕事はこれが初めてなのよ」

「そうなんですね。……(そうなんだろうなぁ……)……俺に任せてください! 庭師のような芸術的な仕事は出来ないですが、草と香草の見分けは付くので必ずや香草たちを助け出します!」

「まあ! 頼もしいわぁ~」


 香草、と聞くとハーブを思い浮かべる。

 ハーブもまた草花の類なので、もしかしたら凶暴で危険なのかもしれない。

 しかし、なにも危害を加えるわけではないし、扱いを間違えなければ料理の幅が広がる。

 鶏肉の香草焼き、魚の香草焼き、香草入りのパーン、鳥と野菜の香草炒め……。

 他にもデザートや、食べ物に限らずお茶や匂袋などにも使える。

 やる気満々で腕のストレッチをしていると、横からカタン、と音がした。


「俺も行くので待っててください」

「「あ」」


 がら、と開いたのは別館の窓。

 おかしい、こちら側はハーレン副団長の執務室と自室がある方のはずなのに、なぜリュカが顔を出すのか。

 そう思っていたら苦笑いのハーレンも顔を出した。

 他にも小隊長たちが後ろに控えている。


「あらあらまあまあ、会議中だったの?」

「そんな大層なものではありませんよ。簡単な人事異動と調整です。志願者が来たので、どこの隊に配属させるかなどを決めていただけですよ」

「へえ、新人が入るのか!」

「幸い部屋は余っていますからね。四階の第二小隊の四人部屋に放り込む予定です」

「メイリアには後で詳しく話す。……ローズンと木の枝の剪定は危険だから俺がやる!」


 と、リュカが少し怒った様子で窓枠から引っ込む。

 ハーレンと小隊長たちの困った笑顔。

 悠来とメイリアは顔を見合わせて、クスクスと笑ってしまった。

 騎士団長が庭の手入れの手伝いを自主的に言い出すなんて……。


「良いのか? 騎士団長が庭の手入れなんてしてて。会議は会議だろう?」

「もちろん構わないさ。団長はユウキの護衛なんだからな。まさか忘れてないだろう?」

「…………」


 軽く冗談のつもりで投げ掛けた。

 しかし、ハーレンには笑顔でなげかえされてしまう。

 おかげで悠来の方がそのストレートな答えに困り果てる羽目になった。

 団長は『悠来の』護衛。

 そう、まだまだ悠来は護衛が必要なのだ、と。

 確かに一ヶ月そこらで護衛も不要なほどに強くはならない。

 そんな事は分かっているが、男としてとても複雑なのだ。


「くっ……み、見てろよ……! そのうちお前らなんかに護衛されなくても良いくらい強くなるからな!」


 意地を張って指差しながら宣言すると、隊長格はクスクスと笑う。

 まったく失礼な奴らだが、笑われても仕方のない実力なので頰を膨らます。

 そして間もなく、鎧を脱いだリュカが大きな枝切り鋏と梯子はしごを持って現れた。

 鎧を身に纏いながらも平然と動き回るので、さぞやと思っていたが悠来の想像以上にがっしりとした体型。

 片手で三メートルほどの梯子を抱え、なんとも贅沢な胸板を惜しげもなくさらす。

 他にも肩、腕、腿。

 服の上に浮かぶ割れた腹筋に、苦虫を噛み潰したような顔をする。


「ユウキちゃん? どうかしたの?」

「……男として負けた気分になってるだけです……」

「どういう事だ?」

「あらあら? まあまあ?」

「気にしないでください……」


 ——この世界に来て驚いた事は数多い。

 その中の一つに、お城の人たち、騎士団の人たち、とにかく出会う人が皆、容姿の整っている人が多い事。

 リュカはその中でも、女子が憧れるような『王子様顔』だろう。

 それがあまりにもむきむきで、少しやるせないものもあり……その逞しさに男として憧れるものもあり……とにかく様々なものがゴチャゴチャと入り混じる。


「いや! うん! とにかくやっちまおう! リュカは上の方を頼む。俺は香草を救出する!」

「了解した、任せろ。メイリアはあまり無理をしないように。あとちゃんと帽子を被って。今日は陽射しが強いんだから」

「あらあらまあまあ……相変わらず心配性ねぇ、誰に似たのかしら」


 枝切り鋏を持つ手に掛けていた布は帽子だったようだ。

 二つ折りになっていたそれを受け取り、開くとなんだかんだ嬉しそうなメイリア。

 もう一つを、リュカは悠来に差し出した。


「俺はいらな……」

「ダメだ、作業中に頭を守るのは大切な事だろう? うっかり枝でも落としてしまうかもしれない」

「お前本当に過保護だなぁ?」

「過保護に関してユウキにだけは言われたくない」

「うっ……」


 暗に真美の事を言われている。

 それに、確かに異世界の庭は……植物は凶暴なものが多い。

 もしかしたら頭を齧られたり、種や果汁を飛ばされたりと激しい抵抗も予想される。

 素直に帽子を装着した。


「手袋も忘れないでね」

「はい」

「団長、俺たちも手伝います」

「お前たちは持ち場に戻って構わないぞ。書類仕事があるなら片付けろ」

「は、はーい」

「そうでした……」


 窓から顔を出した部下たちの申し出を断って、梯子を柵に掛け、固定すると枝切り鋏を持って登っていくリュカ。

 なんとも逞しい体だ。

 いや、比べてはいけない。

 あれは完全に外国人の体格だ。

 日本人である悠来も舞台の為に最低限鍛えてはいるものの、外人の体格にはさすがに敵わない。

 そう、この差は仕方がないのだ!


「じゃあ、私は香草のあった場所をやるから手伝ってくれるかしら?」

「はい!」


 それから、一生懸命草を抜いた。

 幸いに雑草の抵抗は小さな悲鳴程度。

 それでも悲鳴を上げられるのはちょっと気持ちが悪かった。

 有毒なものはメイリアが教えてくれるので、避ければいい。

 そういうものはメイリアの契約聖霊が燃やしてくれる。


「ふう……」

「ありがとう、ユウキちゃんのおかげで終わりそうだわ。それじゃあ、今日の夕飯はこの香草でなにか作りましょうか。はい、これ厨房に持っていってくれる?」

「ありがとうございます!」


 無事に香草を摘み、それを厨房に持っていってから戻ってくるとメイリアに「柵の外も頼めるかしら」とのんびりとした声で言われた。

 もちろん構わない。

 むしろ、こうして頼まれるのは嬉しい事だ。

 柵の外へと回ると、改めてなかなかの光景に肩が落ちる。

 毎日通う石畳の道はともかく、その周りも草が伸び放題。

 道の周りは森なので、草が生い茂るのは構わないが……柵の周りは些か放置しすぎではなかろうか。


「……よし、やるか!」


 ざくざくと、小石畳の合間に生えた草を引っこ抜く。

 どのくらいそうしていたのか。

 別館の側面辺りまで来た時に、さすがに同じ体勢が辛く感じて立ち上がった。


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