娘の反抗期?【後編】



 この世界には厄気と呼ばれる悪い気配のようなものが満ち溢れつつある。

 それは濃度が濃くなると魔物になり、人を襲う。

 厄気だけでも、人の体に悪影響を及ぼすのだそうだ。

 うっかり厄気を吸い込むと、疫病に罹ったりする。

 そんな物が溢れている隣国は……果たして『人』が生きているものなのか……。


「真美! 真美ーー! どこだ、真美ーー!」

「ユウキ、一人で先走るな! お前は地理に明るくないんだぞ!」

「くっ!」

「ルイス、場所はどの辺りなんだ?」

「鳥の森の方です。あちらは副団長がすでに探し始めています」

「そうか、分かった。俺は捜索隊を編成する。お前は、ユウキ様をハーレンのところへご案内しろ。言っておくが……」

「わ、分かっています! 聖女のお父様は必ずお守り致します」

「分かっているなら良い。頼むぞ」

「は、はい!」


 そうしてリュカと別れ、ルイスとともに真美が消えた『鳥の森』へと急ぐ。

 たが、足元が悪い。

 人の入らない森なのか、草が伸び放題だ。

 これでは迂闊に走って足を取られかねない。

 日々訓練している騎士のルイスに気遣われながら、なんとか十分ほどで森まで来る。

 すでに何人もの騎士が、大声で真美を探していた。


「聖女様ー!」

「どちらですかー、聖女様ー!」

「ご無事でしたらお声をお聞かせくださいませー!」


 真美、と悠来が声を漏らす。

 草の背は高いが、森は木々の合間が比較的広く、見通しが良い。

 騎士がどこをどう探しているのかも、一目瞭然だ。

 恐らく、これほど見通しが良いからこそなにかあれば他の騎士も駆け付けられる。

 戦闘になれば、存分に戦う事も出来るだろうと『安全地帯』の一つとしてここに連れて来られたはずだ。

 それなのに、いなくなった。


「真美、どこに……」

「ユウキ様!」

「ハーレン!」


 騎士の間をすり抜け、森の中へ進む。

 黒い髪、最近は聖女の正装の一つだという白いワンピースを着ていた。

 そんな愛娘の姿を、必死になって探す。

 そこへ、ハーレンが声を掛けた。

 焦った表情、慌てた様子に、悠来の心はひどく騒つく。


「真美は!?」

「まだ見つかっていない。申し訳ない、我々が付いていながら……。しかし、聖女様は聖霊王様と契約している。魔物に襲われたとは考えづらい。事故、だとしても聖霊王様が必ず聖女様をお守りくださる。むしろ、聖女様のご意思で……いなくなられたように思うのだが」

「…………遅かったか……」

「? な、なにか心当たりが?」


 はっきりとは言い切れないが、と前置きして、先程リュカと話していた事をハーレンにも話す。

 聖霊王が一緒だから、真美は魔物に襲われても事故に遭っても、聖霊王が守ってくれる。

 彼らからすれば、聖霊王が一緒、というのはとにかく絶対的な信頼の根拠、らしい。

 その上で、真美は「自分の意思でいなくなった」かもしれないと言う。

 頭を抱えた。

 まさかこんなに早く行動に移すとは思わなかった。

 時々驚く程の行動力を見せるのは、悠来に似たのかもしれない。


「とにかく、最後に真美を見た場所に案内してくれ!」

「は、はい! こちらです!」


 不安で胸が痛む。

 あの子が——真美がいなくなったら……。

 いや、必ず見つかる。

 悠来には確信めいたものがあった。

 あの子は、賢い。

 自分がいなくなった後の事をとても真面目に考えるだろう。

 それでも、その上でいなくなったという事は————!


『みーつけた』

『ほんとだ、見つけた』

『見つけた』

『くすくす』

 頭の中に子どもの声が聴こえたような気がする。

 鈴が鳴るように、とても自然に心の中に染み込む声。

 森の中をハーレンのあとに続いて進む。


(……なんだ? 変な、気配?)


 辺りを見回した。

 薄暗い森。

 木漏れ日が漏れ、ほのかに温かみのある光が長く伸びた草や茂みを照らしている。

 くすくす、くすくす。

 なにやら無邪気に笑う声は悠来に向けられているらしい。


『ねぇ、あなたがマミのおとうさん?』

『あなたがそうなの?』

『おとうさん?』

『マミの?』

『マミのおとうさん!』


 ざわ、ざわ、と、森の木々が風で揺れる。

 その不穏な空気に、悠来はまだ気が付かない。

 太陽が翳り、森全体が明暗を繰り返す。

 娘を探す。

 その気持ちはまだぶれる事はない。


(なんか、変だな?)


『つまんないって』

『ねぇ、おとうさん、あそぼう』

『あそぼ、あそぼ』

『マミ、つまんないって』

『さみしいって』

『構って欲しいんだよ』

『くすくす』


(…………っ)


 ざわ、ざわ。

 森が囁く。

 足を止める。

 ここでようやく、悠来は自分の心の中に自分以外の声が聴こえる事に気が付いた。

 複数の、子どものような声だ。

 楽しげで、しかし、どこか危機感を煽ってくる。

 その言葉たちに、心がどんどん嫌な予感に支配された。

 森はますます暗くなる。

 明らかに、異様だ。


「……まさか……聖霊?」


 しかし、悠来には聖霊を見たり声を聞いたりする才能はないはず。

 珍しいらしいが、そういう体質の人間は平民に普通にいると聞いた。

 辺りを見回すと暗い森の中に一人、佇む状況。

 声は急に聴こえなくなる。


「なあ! 真美がどこにいるのか知ってるのか!? たのむ、居場所を教えてくれ! あの子はどこだ!?」

『いいよ』

『いいよ、いいよ!』

『くすくす、くすくす』

『こっちだよ、こっち。はやくはやく』

「? あ、ああ?」


 生暖かい風が頰を撫でていく。

 その気持ちの悪さに思わず目を瞑る。

 それから森がまたもや騒めき始めた。

 不穏な空気に、周囲を見渡す。

 誰もおらず、気が付けばたった一人。

 前を走っていたハーレンも見当たらない。

 その状況を理解して、じわじわと自分が今、かなり危険な状況なのではないかと自覚し始めた。


『こっち、こっちだよ』

「ま、待ってくれ!」


 だが、この先に真美がいるのなら……。

 木の間から強烈な光が漏れる。

 それがあまりにも眩しくて、腕で顔を覆った。

 少しずつ光に慣れ、ゆっくりと目を開くと大きな石がある。

 その上に、膝を抱えて縮こまった真美。


「真美!」

「! お父さん!」


 ぱあ、と花開くような笑顔が向けられる。

 こんなに人を心配させて……という怒りも吹き飛ぶ程嬉しそうに飛び上がり、石から降りて駆け寄ってきた。

 飛び込むように抱き着いてきた娘を受け止めて、しっかりとその温もりを確認する。

 大丈夫、聖霊に化かされているわけではない。

 これは真美だ。

 間違いなく娘だ。

 ああ、良かった、と一つ安心した。


「真美! 無事か!? ……一体どうしたんだ!? 急にいなくなったって聞いたぞ!?」

「……うん……あ、あの、ごめんなさい……でも……」

「…………」

「うっ……。……だって……最近お父さん、真美に構ってくれないんだもん……」


 体を一度離して、真美が怪我をしていないか確認した。

 その最中に上から聞こえてきたのは随分と可愛らしく、しかし可愛くない言葉だ。

 むう、と怒った表情で娘を睨み上げる。

 もちろん、それ程怖くはないように。

 役者なのだ、その加減くらいわけはない。

 だが、内心はもう一度抱き締めて「こおおぉいつううぅ!」と可愛がりたい衝動を抑えるので必死だった。

 なんで可愛い。

 だが、今はそれを耐え、娘のした事をしっかりと叱らねばならない。

 それが親としての務めである。


「真美、だからって急にいなくなったらみんな心配するだろう! 今だって騎士団総出でお前の事を探していたんだぞ!?」

「……!」

「聖殿の人たちも、お城の人たちも……みんなお前の事を心配してる! ……確かに、それはお前が『聖女』だからだろう。でも、真美……お父さん言ったよな? 最初に……聞いたよな?」

「…………」

「やりたくないなら……やらなくていいんだぞ」


 それは、死を意味する。

 分かっている、この子にとっては悠来の命も左右する決断。

 やりたくないと望むのなら、悠来は共に死ぬ覚悟で逃げよう。

 仲良くなったリュカやハーレン、メイリアに追われるのは悲しいが……聖霊王の協力があればあるいは——。


「…………違うの。本当に、お父さんと……お父さんともう少し前みたいに、一緒に、いたかっただけ、なの……っ! ごめんなさい!」


 涙を浮かべた娘を胸に抱き締める。

 頭を撫でながら、揺れる肩をポンポン、と叩いた。


「聖女になんか、なりたくなかった……だってこわいもん。こわい。でも、でもお父さんもわたしも殺されるって……そんな事言われたら……わたし、やるしかないじゃん」

「うん、うん」

「でも、でも……でも、みんな、優しいの……わたしのこと、たいせつに、して、くれるの!」

「……そうか」

「知らない人も見に来るけど! ……知らない人が、ずっとわたしの事見てるし! こわいよ! あんなのぉ!」

「? 知らない人……」

「顔笑ってても、絶対悪い事考えてる人、側にいるし……いやだあの人たち、きらい! きらいっ!」

「……悪い事……」


 それはリュカやメイリアの言っていた『聖女を利用しようとする者たち』の事だろう。

 こんな状況でも、自分たちだけは助かりたい。

 安全な場所で、より甘い蜜を吸いたいと目論む者は少なくないのだと言う。

 国王や聖殿長は、そんな者たちに頭を悩ませている。

 そんな話を、最近は良く聞かされていた。

 真美はそんな者たちを肌で感じていたのだろう。

 それは、さぞや怖かったに違いない。

 話に聞いただけでも恐ろしいと思うのだ。

 真美の頭を撫で、大丈夫だよ、お父さんが守るから、と告げる。

 真美は首を振った。

 それがどんな意味合いなのかは言ってくれなかった。

 ただ、一番は——……


「お父さんと、一緒にご飯作ったりお買い物行ったり……また、したいよぉ!」

「…………」


 なんとも、簡単な願い事だ。

 頭を撫でて、そして少しだけ体を離す。

 今度は我慢する事なく、満面の笑みを娘に向けた。

 十歳の娘は、賢い。

 背中にしがみつく手のひら。


「じゃあ帰ろう。今日はオムレツにするつもりだったんだ」

「…………オム、レツ? わたしたちの世界の?」

「それに似た感じで作れそうなんだ。真美、お父さんと夕飯作るか?」

「……っ! うん!」

「よし!」


 真美の頭を撫でる。

 そして、立ち上がって真美を引っ張り上げた。

 その夜は久しぶりに、娘と一緒に夕飯を作り食べられそうであった。


「あ、でも野菜は俺がなんとかするから真美は触っちゃダメだぞ。危ないからな?」

「? 野菜が危ない? お父さん何言ってるの?」


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