厄気と魔物【後編】



 ——魔物は厄気が高濃度で凝縮して生まれるものだと習った。

 聖霊術以外の方法で倒すと厄気を振りまき、大地を腐らせる。

 とはいえ、普通の人間が聖霊術で倒しても、聖女のように『浄化』出来るわけではない。

『浄化』は『厄気』を『霊気』……いわゆる人間の持つ『霊力』のようなものに変化させる特殊な力。

 聖霊にとっては食事に近いらしく、『霊気』が足りない場合聖霊たちは人間の霊力に依存する形になるそうだ。

 そして、人間と契約していない聖霊はどんどん弱り、消えていく。

 聖霊が消えれば、万物が弱体化する。

 そう、それは滅びだ。

 それに喜ぶのは『魔女』だけ。

 そして魔物を倒すほどの霊力を持つ人間は、それだけ貴重となる。

 例えば騎士団、団長のリュカや副団長ハーレン。

 聖殿長リツシィ・ハウ、副聖殿長マオイ・エーダ。

 それを聞いた時、自分がそんなすごい人に四六時中護衛されているのはやはりおかしいのでは、とも思った。

 だが、国王がそれほどに『聖女の父』を重要視しているのだとも言われたのだ。

 それに些かのプレッシャーを感じたのも事実だが、真美の話を聞いてからは、では真美の感じるプレッシャーはこんなものではないのでは、と思うようになった。


(もっと強くならねーと……俺よりもリュカには真美を守って欲しい)


 その思いが強くなる。

 そしてなにより、自分も真美を守りたい。

 出来る事なら直接……この手であらゆる危険から。

 しかし、聖霊を見る事も出来ない悠来には……それは無理だ。

 戦いの中に身を置いてきたわけでもない。

 そういう役を演じる事はあっても、その経験をした事はないのだ。

 それ以上の事を、想像で補うしかなかった。

 実際剣を習い始めてからも、リュカや他の騎士たちとは決定的な『差』を感じている。

 明らかに、違う。

 熊手で雑草を集め、袖で垂れた汗を拭った。


「ん……」


 気が付くと随分寮の端っこまで来てしまっている。

 もはや辺りは森だ。

 そろそろいいだろう、こんなところまで綺麗にしたところで見る人間がいるわけでもない。

 しゃがみ続けていたせいで少し足腰も痛かった。

 それにじりじり暑くなっている気がする。


「……?」


 いや、なんとなくそれだけではない。

 不思議な違和感を感じた。

 言葉に形にするのは難しいのだが、奇妙な無感覚なのだ。

 とても静かで、不気味な感覚。

 なんとなく、役者仲間たちと肝試しで幽霊の出る廃トンネルに行った時のような空気感が立ち込めているように感じた。

 だがここは慣れた騎士団寮の柵の端。

 真昼間から幽霊に怖がる程、悠来は自分を心霊好きだとも思っていない。

 なので首を傾げた。

 妙な違和感は次第に『嫌な感じ』に変わる。


(森が……大人しい?)


 先程まで虫や鳥の声が聞こえていた。

 それに気付いた時、『嫌な感じ』は『嫌な予感』に変わっていく。


(なんか変だな。戻るか)


 門の前へと向かう。

 だが、遅かった。

 振り返って、すぐに立ち止まる。

 その道を塞ぐ……なにか、黒いモヤモヤとした塊。

 空に浮かび、それは次第に肉塊のようなものに色を変えていく。

 ぎょろりと目が現れて悠来を見る。

 ……現実感が、ない。

 恐らく、異世界から来た悠来には『実感がない』状況だった。

 CGかなにかのようなそれが、不気味な音を放ちながらバキバキと成長していく。

 ただ気味が悪い現象が目の前で起きている。

 頭が追い付かない。

 テレビや映画で見ているような気分だった。

 行く手を阻むように現れた肉塊は、鳥の形に近い姿になる。

 あまり大きくはない。

 しかし、赤黒い液体を牙の生えた嘴から垂らしながら『ケケゲゲゲ……』と笑い声のようなものを漏らす。

 ゆっくり近付いてくるそれに、頭の回路がようやく繋がる。


「っ……?」


 魔物。

 一瞬頭に浮かぶ、その単語。

 そう、単語だ。

 なんとなく逃げなければ、と頭の片隅で警告音はしていた。

 その音が、ゆっくり近付くその恐ろしいモノに対して大きくなっていく。

 まるで、溶けた肉の塊。

 浮かび上がった血管のような部位からプシュ、プシュ、と出るどろりとして体液が、地面に落ちるとそこから腐敗臭が広がった。

 大地を腐らせている。

 

(まも、の……)


 理解、した。

 確信した。

 は魔物だ。


「っ!」


 自分の手にあるのは熊手だけ。

 剣など、素人に毛の生えた程度の悠来は持ち歩かない。

 帯剣が許されているのは騎士のみだ。

 いや、剣があったところで悠来は魔物と戦う事など出来ない。

 魔物と戦えるのは……戦う勇気のある者だけだ。

 悠来は動けない。

 目の前の非現実的なモノに、理解は出来ても常識が追いついてこないのだ。

 目の前にいるのは魔物。

 それは理解した。

 では戦えるのか? どうやって?

 熊手しかない。

 無理だ、勝てるはずもない。

 では逃げるのか? どこへ?

 寮への道は魔物に塞がれている。

 それに魔物は鳥の形をしていた。

 追い付かれて……その後どうなる?


(……喰われるのか?)


 魔物は人を襲う。

 人を食べる。

 そう、教わっている。


『ケケゲゲゲゲゲゲ……』


 自分でも驚いたが、体が動かない。

 腕や足に力が入らない。

 ゆっくりと近付いてくる魔物。

 そのあまりにも気味の悪い姿に、目を背けたい。

 しかし、目を背ける事が出来なかった。

 背けた瞬間に……襲われる。

 本能でそれを感じ取っていた。

 なんと情けのない姿だろう。

 真美を守ると息巻いて、剣まで習い始めておきながら……いざ敵対する魔物に出会したらこの様とは。

 

(やべぇ、やべぇ……)


 口を大きく開けた魔物。

 思い出すのは真美の事。

 逃げなければいけないのに、逃げなければ。

 そうだ、死ぬわけにはいかないのだ。

 娘を一人、遺してなど……。

 せめてもの抵抗に睨み付ける。

 ギョロリと魔物の目が細まった。

 湿気ったような空気。

 へばりつくように悠来の周りを重苦しくしていく。

 呼吸が荒くなり、息がしづらい。

 なんだ、これは。

 夏の寝苦しい夜でも、こんなに息が苦しくなる事はない。

 体の周りを漂うこの腐臭。

 震える足で、後退りした。


「はあ……はあ……はぁっ」


 がく、と膝が折れる。

 ただ力が抜けたという感じではない。

 眠気にも似た『なにか』の侵食。

 目を閉じる。

 正確には、開けていられない。

 生温かい気配と吐息のような風が辺りを包んだ。

 喰われる。

 そう思った時、バギィ、と鈍い音がした。


「?」


 どんどん重苦しくなる体に耐えられず、上半身も小石畳の上に横たえる。

 それでも、音の方をなんとか見上げた。

 痛みはいつまでも襲って来ず、魔物の悲鳴のような、悶え苦しむような音が聞こえてきて不思議に思う。

 金色の髪と、黒いインナー。

 逞しい背中と、右手に携えられた剣。


「……リュカ……」


 かろうじて分かった、その背中の主。

 背中越しになにか言っていたようだが、体がどんどん重くなって意識が遠のき始めた。

 目を開けている事も難しい。


「聖なる加護よ、我に力を! 行くぞルーナ!」


 気分がひどく悪い。

 頭も痛む。

 けれど、彼の声が微かな希望のように心を温かくした。

 不思議と意識を手放しても大丈夫だと。


「…………」


 ドス黒いなにかが体と心を押さえ付けるような感覚に襲われた。

 重い。

 重いが、娘の姿を思い浮かべると抵抗が出来ないほどのものではない。

 なにより——……。


(リュカが……来てくれたから……きっと大丈夫……。……悔しいけど……これが……)


 人の悲鳴のようなものが耳の奥から聞こえた。

 人の手のようなものに、身体中を押さえ付けられるような感覚は……どんどん強くなる。

 でも大丈夫だ。

 抵抗出来ない程ではない。

 真美の為に……そして、あの背中があった。

 戦う事に関してこんなにも役に立たない父親だが……あの背中は……信頼出来る。



「ユウキ!」



 その声も遠い。

 とても。

 闇に飲み込まれるような。


(あー……くそ、カッコ悪ぃ……)



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