聖女となる娘【前編】
「父さん、お父さん起きて、朝だよ」
「…………んっ……」
娘にぺちりぺちりと頰を叩かれる。
見上げた真美は見覚えのないネグリジェを着ていた。
一瞬「?」と目を細めた。
が、すぐに目が冴える。
(ネネネネネネグリジェエエェ!?)
シルク生地で、かなりたっぷり布が使われているノースリーブのワンピース型。
色は白で、真美が動いても皺一つ付かない。
こんな高くて子どもに着せるには大人びたデザインのネグリジェを、自分は買い与えた記憶がなかった。
つまり、城の方で用意してくれたのだが、寝起きの頭はそこに至るのに時間を要する。
起き上がるとふわっふわのベッドが揺れ、天蓋が朝日の光を弱めていると気が付く。
「お、おはよう、真美……そ、そのパジャマどうしたんだ? そんなの持ってなかっただろう?」
「おはよう。え? 昨日メイドさんが着せてくれたの。あ、それよりもあのね、メイドさんが来てるよ」
「っ!」
がばりと真美が指差した方を見る。
三人のメイドが無言で頭を下げてきた。
その姿に慌ててベッドの上に正座して彼女らへ頭を下げた。
まさかあんな若くて美人揃いのメイドさんたちに寝起きの姿を見られるなんて……。
テーブルには食事が並べられ、三人のうちの一人がベッドに近付いてきて「お着替えのお手伝いは……」と聞いてきた。
慌てて「大丈夫です! 大丈夫です!」と全力で断ると、今度は「お召し物はどれになさいますか?」と三十着は掛けられていそうなハンガーラックを持ってくる。
「……………………お、おいくらで……」
「え? いえ、聖女様に来て頂いたのはこちらですので……。ユウキ様と聖女様は国賓として扱うよう、陛下より仰せつかっております。遠慮は不要でございます」
「そ、そうは言われましても……」
タダで世話になる事ほど怖いものはない。
なにか、娘以外で差し出せるものはないかと考えを巡らせる。
寝起きの頭も手伝って、すぐに良い考えなど浮かばない。
まして、男の着替えをメイドに手伝わせるとは……『ハニトラか?』と、勘ぐってしまう。
娘の前でハニートラップに引っかかるわけにはいかない。
断じて、いかない。
「ユウキ様、聖女様、お着替えが終わりましたら聖殿へご案内するとジェーロン騎士団長より言伝を預かっております」
「ジェ……、……あ……」
一瞬「誰?」と聞きそうになった。
しかし、騎士団長という肩書きに淡いクリーム色の髪の騎士を思い出す。
リュカだ。
「確かに昨日、聖殿に行かなければ体調を崩すと聞きました……。本当にそうなんですか?」
「はい。異界の方は違うのですか?」
「え? えぇと……わ、分かりません」
「でしたら、万が一を考えて聖殿に通われた方がよろしいかと思います。聖女様はまだお小さいようですし……」
「…………」
メイドの心配そうな顔。
あれは母親の顔だ。
もしかしたら彼女も子どもがいるのかもしれない。
そう考えると「分かりました、そうします」以外の返事が浮かばなかった。
異界……そう、ここは悠来の生まれ育った世界ではない。
この世界にはこの世界のルールがある。
郷に入れば郷に従えという言葉もある通り、ある程度はこの世界の住人の生活に倣う必要はあるだろう。
まして、真美の事を気遣っての事ならそれは素直に受け取るべきだ。
真美を聖女と呼ぶのであれば、利用はしても進んで危害は加えないはず。
そんな事をすれば利用出来なくなるのだ。
「ところで、あの」
「はい」
「き、着替えたいので、隣の部屋を借りてもいいでしょうか?」
「はい、どうぞ」
***
「お父さん……どこへ行くの?」
「聖殿だ。そこでお祈りをすると、健康で過ごせるらしいぞ。ご利益がある神社参りみたいなもんだろう、多分」
「ふぅん?」
食後、メイドに案内されて城の中を歩く。
一階に降りて、階段の側にある部屋に通された。
こちらで待つよう言い残していなくなるメイド。
天気は良く、外からは小鳥の囀りが聞こえる。
「そういえば真美、体調はどうだ? 昨日の今日で変なところや痛いところは?」
「ないよ。平気。なんで?」
「なんでって、元気ないだろう?」
朝食の時、いつもより口数が少なかった。
顔色はいいが目を伏せったり逸らしたりが頻繁にあったり、ほんの少し遠くを見るような眼差しが増え、食欲もあまりないように見えた。
……若干、この世界の食事が『不味くはないが美味しいともお世辞でも言えない』料理だったのも原因かと思うが……おそらく真美も気を張っている。
ソファーから降り、しゃがんで目線を合わせ、頭に手を置く。
「大丈夫だぞ。父さんが一緒にいるんだ。何があっても父さんが真美を守るからな」
「! うん……」
やっと笑った。
その時にコンコン、とノックの音。
この部屋に自分たちだけなのを思い出して、悠来が「はい」と返事をする。
ガチャリと回ったノブ。
入って来たのは、昨日より少し豪華な鎧をまとったリュカだった。
髪も昨日と違い手入れがされているように見える。
「あ、おはようございます。真美、挨拶はちゃんとしよう」
「うん。えっと、おはようございます……」
「おはようございます。良く眠れましたか?」
「……疲れたのか爆睡だったよ」
食べ物はともかく、ベッドは高級品と一目で分かるものだ。
まさか天蓋付きのベッドに寝る日が来るとは思わなかったが。
それよりも、リュカの変化が気になる。
「ところで今日は昨日と少し……違うんだな? めかし込んでいるように見えるが?」
「聖殿へ聖女様をご案内しますので」
「はあ……?」
聖女。
真美の事だろう。
「…………」
真美の手を掴む。
睨むと、リュカが少しだけ驚いたように目を見開いた。
恩は感じている。
しかし、看過出来ない事もある。
「娘の名前は真美だ。『聖女』じゃない!」
「…………。分かりました、そのように呼ばせて頂きます」
「…………」
悠来が怒鳴った事にますます驚いた顔をされたが、リュカはすぐに笑顔で答えてくれた。
それに安堵の溜息が出る。
もう一度リュカを見ると、その後ろに赤い髪、紫の目の男が立っているのに気が付いた。
昨日見た騎士の一人だ。
リュカと歳は変わらなさそうで、長い髪をポニーテールにして一つにまとめている。
リュカが銀と白の鎧と赤いマントで、彼は白に赤のラインが入った鎧と、赤いマント。
見るからに二人とも『偉い人』感がある。
(スマホの乙女ゲームに出て来そうな奴らだなぁ……)
と、あまりに整った顔の男が二人並んでいて、そんな感想を抱く。
ここまで顔がいいと逆に嫉妬心も抱かない。
悠来が後ろの人物に気が付いたと分かったリュカが、体を少しずらして右手を彼に向ける。
「紹介する、ハーレン・イグルス。俺の部下で騎士団副団長を務めている。俺の留守の時などは彼が護衛の任務を遂行するので顔と名前は覚えておいてほしい」
「副団長……。はぁ……?」
「ハーレン・イグルスと申します、旦那様。……旦那様という呼び方で合っておりますか?」
「ゆ、悠来でいいよ。あんた達と歳も変わらなさそうだし敬語もいらない」
「い、いいえ、それはさすがに……」
「むず痒いよ、仕事相手でもないのに。なんかこう、距離作られてるみたいで苦手なんだ」
「「…………」」
顔を見合わせるリュカとハーレン。
思わぬ事を言い出した、とありあり顔に出ていた。
敬語が苦手なのは本当だが、とにかくこの世界で真美を守る為に味方が欲しい。
騎士という事は真美を側で守る役割があるはずだ。
この二人は早い段階で『味方』にしたい。
その為にも、まずは懐を探らねばならないだろう。
敬語は距離を詰めるのを阻む。
それを取り払わなければならない。
「わ、分かりました、善処したいと、お、思います……。あ、いえ、善処する」
「そうそう」
「ええ、と……では、まずは聖殿へ参りましょう。道すがらお二人の警備についてお話があります」
「敬語」
「は、はい、すみませ……あ、す、すまない。え、ええと、万が一、城に魔物や……その、マミ様の事を察知した魔女の手先が襲ってくる可能性もゼロではない。警備は必要になる、という事だ」
「なるほど……」
そういう話はしっかり聞いておきたい。
朝、昼、晩、二人体制で警護を付けようと思っていると言われた時はさすがに多いし、真美は年頃なので四六時中大の男が側にいては心が休まらないと反対した。
女騎士などはいないのだろうか、と提案してみたが、この国に女の騎士はいないという。
むしろ女性は剣を持つ事すらない。
女騎士というのはゲームの世界だけの話なのかもしれないな、と溜息を吐いて「それならせめて扉の外に二人とかにして欲しい」と提案してみる。
顔を見合わせる騎士二人。
頼むから理解して欲しい。
そんな状況は極々普通の一般人には馴染みがなさすぎる。
「分かった。外出時は四人に増やしても……」
「リュカ、待て。まだお二人が今後どのように生活していくのかも分からないのだから、まずは希望を聞いてからだろう」
「あ、そうかすまん」
「俺ではなくユウキ様に言え」
「……す、すみません、ユウキ様」
「はいストーップ。今度様付けしたら、返事しねーからな」
「「あ」」
クスクス、と横で真美が笑う。
今のやり取りのどこが面白かったのか、悠来はしかしそれでも娘の笑顔に目を細める。
(……今後の生活……)
昨夜は娘が『聖女』として戦争に駆り出されるかもしれない心配ばかりで、今後の生活について考える余裕はなかった。
だが、言われてみればその通り。
帰れない、と言われたが、帰る術を隠されているだけかもしれない。
それに、今はなくとも今後確立されるかもしれない。
ただ、その間はこの世界にいるしかないのだ。
ならば、この世界で生きていく事を考えなければいけないだろう。
「ところで、この世界の人は普通どんな暮らしをしているものなんだ?」
「「え?」」
「いや、真美が聖女をやるやらない関係なしに生活はしていかなきゃならないだろ? いつまでも城の部屋借りてるわけにもいかねーし」
そして何より、今朝、メイドに寝顔を見られたのはショックが大きかった。
意外と、ダメージが残っている。
出来るなら早急に……可能なら今夜にでも城を出たいと思うほど。
「前提として」
「あ、ああ」
口を開いたのはハーレン。
彼は一度立ち止まり、振り返って悠来へ向き直る。
「……娘さんを『聖女』とし、我が国にご協力を頂けるのであれば……貴族相応の生活をお約束出来ると思います。使用人、庭付きの屋敷、衣食住の保証、全て国で請け負うお約束をしますので。……しかし、もしも娘さんと二人、戦いとは無縁……正直申し上げて不可能に近いとは思いますが……そういう生活を望まれるのでしたら、恐らく殺されます」
「!?」
「ハーレン!」
「事実として知らねばその選択をされてしまうかもしれないんだぞ、リュカ」
「! し、しかし……」
スゥ、と背筋が冷えていく。
その後、頭に血がのぼる感覚。
それをなんとか抑えながら、二人を見上げる。
ハーレンはひどく真面目な顔で、声で、それを言った。
慌てたリュカの態度からもそれは冗談などではないと受け取れる。
「ど、どういう事だっ!」
「聖女は必要です、どうしても。しかし、聖女は世界に一人しか存在を許されない。もしお二人……マミ様が聖女として戦わぬと言うのなら、新たな聖女召喚を行わねばなりません。ですが、マミ様はすでに『聖女』としてここにいるのです」
「……!」
「先の聖女には、死んでもらわなければ……新たな聖女は召喚出来ない。魔物のせいでこの国は、貴方が考えている以上に追い詰められ困窮している。……時間はないのです」
「……ッ……!」
リュカをおずおずと見るが、彼も俯いて目を伏せっていた。
それが事実だと物語っている。
聖女として戦わなければ、真美は殺される。
そして恐らく、自分も。
生きる為には真美を聖女として戦わせるしかないのだ。
差し出すしかない。
そんな残酷な事を、どうして十歳になったばかりの娘に頼めようか。
あまりの事に頭を抱えた。
ショックすぎて怒鳴る気力も起きない。
「んっだよ、その選択肢……! そんなんありかよっ……」
「……………………いいよ、わたし」
「え?」
「殺されるんだったら、わたし、聖女っていうの、やるよ」
「ま、真美!? なに言ってんだ!」
目の前がクラクラとした。
そんな悠来の横で、真美がそんな事を言い出した。
俯いて、あまり感情らしいものを見せない。
リュカとハーレンも息を飲む。
それほどまでに、少女の表情は無感情だった。
「だから……お父さんにはひどい事しないでね……」
「…………っ、……よ、よろしいのですか?」
「うん。だってわたしがやらなきゃ殺されるんでしょう? ……お父さんも」
「!」
「だったら、やる。……聖殿っていうところ、早く行こう」
「…………御意のままに」
怒り、悲しみ、失意、絶望感、
娘に手を引かれてようやくふらふらと歩き出す。
でも、前が見えない。
はくはく、と口は上手く呼吸も出来ていなかった。
「大丈夫だよ、お父さん……」
「…………っ」
なにが大丈夫なものか。
そんなのは許せない。
しゃがみ込んで、真美の肩を掴んだ。
「真美!」
「!」
「俺はどうなってもいい。お前がやりたいかやりたくないか、それが大事だ。お前は本当にそれで良いのか? 自分でやりたいかやりたくないかを選ばなきゃ後悔する。もう一度よく考えろ! お前は『聖女』をやりたいのか!?」
嫌だ、やりたくない。
そう言って欲しい。
悠来も分かっている。
真美が「やりたくない」と希望を口にする事はイコール『死』だ。
この子は賢い。
だから言葉を懸命に選ぶ。
「……あんまり、やりたく、ない。けど……わたし、お父さんの事……死なせたくないし、死にたく、ないっ」
「…………」
ぐすっ、と泣き出す真美を抱き締める。
強く強く、抱き返された。
この許し難い現実。
幼い娘がこんな選択をしなければならないなんて……。
「ありがとう。お前は優しいなぁ。……じゃあ父さんもリュカ達から剣を教わる!」
「「え?」」
「え……?」
「父さんも真美を守れるように、強くなる! だから大丈夫だ、真美」
「……!」
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