異世界【後編】




「さて、では改めて……」


 目の前のソファーには王が座る。

 王の斜め後ろにリュカが佇み、その反対にはローブの男が立つ。

 フードを外した二人のローブの男はどちらも若い。

 悠来よりやや年下、だろうか。

 濃紺の髪を切り揃えた、いわゆるおかっぱ頭と、艶のある紫色い髪の男。

 どちらもリュカのように顔立ちは整っている。

 タイプは、全員違う系統だが。


「まず、先に謝罪を」

「しゃ、謝罪?」

「うむ……あなた方をこの世界に呼び出したのは間違いなく我だ。我……、我が国である。しかしながら、先に申し上げておくが……あなた方を元の世界へと戻す術はない。召喚は一方通行の聖霊術故に、あなた方は元の世界へは帰れない」

「……………………なん……ですっ、て?」

「申し訳ない」


 王が頭を下げる。

 それに追随し、リュカとローブの二人も頭を下げた。

 特にリュカの表情は、悲痛だ。

 本当に申し訳なく思っているのが伝わって来る。

 ……しかし、それとこれとは話が別だ。


「か、帰れない? そんな……ど、どういう事ですか!」

「お父さん……?」

「っ……」


 テーブルを殴って立ち上がる。

 リュカが「落ち着いてください!」と制すが落ち着いてなどいられない。

 だが、脳裏に蘇るのはあのシーン。

 車が目の前に迫った、あの瞬間だ。

 もし、例え帰れると言われても……あの瞬間に戻されたなら自分も真美もあの車に確実に吹き飛ばされるだろう。

 心が異様なほどに落ち着きを取り戻す。

 娘の肩を抱き寄せ、拳を握り締めた。


「……きちんと説明してください。真美が聖女だとか、わけの分からない……! 聖女って一体なんなんですか?」

「無論、ご説明致します」


 王はそう言って頭を上げる。

 そして、ローブの二人を見上げた。

 どうやら彼らが説明してくれるらしい。

 無意識に睨み付けてしまうが、仕方ないと諦めて欲しい。


「この世界は『ヘルエデレーラ』。太古より『聖霊』を信仰し、崇めている世界です」

「現在、この世界では悪しき力……厄気が満ち溢れております。原因は隣国『ハルバンド』。『ハルバンド』は幼い王を打ち立て、傀儡とする事で貴族たちが実権を握り、やりたい放題しております」

「そのせいで民より厄気が溢れ、魔物が絶え間なく産み落とされている」

「このままでは、我が国は『ハルバンド』の産み出す厄気と魔物に侵食され、飲み込まれてしまうでしょう」

「…………」


 すらすらと、まるでスマホゲームのような事を語る二人。

 隣の国が『ヤクキ』なるものを産み、それが溢れ魔物が産まれ、この国まで危機に晒されている。


「まさか、それをなんとかする為に真美を……? 馬鹿げてる! この子はまだ十歳になったばかりですよ!」


 魔物だと?

 聞いただけでそれが『危険』と分かる。

 そんなものを真美と関わらせるなんて冗談ではなかった。

 あの事故から結果的に助けてくれた事には感謝するが、それとこれとは話が別である。

 愛しい我が子を危険な目に遭わせたいと思う親がどこの世界にいるというのか。

 まして、縁も所縁もない異世界の為に——。


「俺たちには、関係ないでしょう! 元の世界に帰してくださいっ!」

「落ち着いてください。どうか最後までお話を聞いて頂きたい」

「くっ」


 王が再び頭を下げる。

 歳上らしき王にそのような態度を取らせては、自分も真美も立場が悪くなるかもしれない。

 現にリュカはハラハラとした表情をしている。

 彼にも色々世話になった。

 仕方なく彼の顔を立てる意味でもソファーに再度腰を下ろす。

 その様子に王たちがほっと息を吐く。


「実は、聖女には聖霊たちの力を100%借り受ける事が出来る、と伝承にあります」

「100%……?」

「はい。聖霊を見る事の出来る者でも50%が限界なのですが、聖女は100%の力を借りられるのだそうです。これは雲泥の差」


 紫の髪の青年の言葉をリュカが引き継ぐ。

 そして、メイドさんに紅茶を「もっと甘いのがいい」と話し掛ける真美を見下ろす。

 完全に我が事ではないと思ってる娘に、悠来は焦りに似た感覚を覚えた。


「お父上たる貴方が娘を案じる心は当然の事と思う。しかし、どうか協力願えないだろうか。先ほども言ったが『ハルバンド』は貴族が厄気を生み出している。恐らく……『ハルバンド』に魔女が住み着いたのだろう」

「……え、魔女?」

「厄災の魔女……イーフェンの血を継ぐ者たちです。魅了の魔力を持ち、男を服従させ、国に取り付き、人々を操って厄気を生み出します。魔女は厄気を得ると力を増し、強力になっていくといいます」

「…………」

「対して聖女と聖霊は厄気を鎮め、浄化する事で聖なる力『霊気』を得る。聖霊は霊気を得る事で力を増します。聖霊が強くなれば聖女も強くなる」

「ま、待ってください」


 二人のローブの青年が、王のあとを交互に引き継いで説明を続けた。

 しかし、その内容はあまりにもショッキングだ。

 頭がぐるぐるとしてくる。

 今度は魔女ときたものだ。


「魔女? に、乗っ取られているから……? 真美に魔物をなんとかしてほしい、という、風に……聞こえたのだが……それは、つまり最終的に隣国に攻め込んで魔女を退治するとか、そんな話ではないですよね?」

「その通りです」

「そうしなければならない。……隣国の民の為にも、一刻も早い解放が必要だろう」

「っ……」


 王が真顔で頷く。

 目の前がクラクラと揺れ始めてきた。

 思わず頭を抱える。

 これは、本当に現実か?

 他国に攻める。

 それはつまり戦争という事ではないか。

 十歳の娘に?

 そんな馬鹿な。

 そんな酷い事が許されると?


「タカトウ様、そう不安にならずとも大丈夫です。もちろん最大限に配慮は致します。聖女様にはただそこにいて頂き、我々が聖女様を加護する聖霊と眷属契約を交わして、代わりに戦いますので」

「…………」


 そう言い出したのは、リュカだ。

 頭を抱えた悠来は、なんとかリュカを睨み上げる。

 しかし、リュカの眼差しは真剣だ。

 彼は、きっと本気でそう思っている。

 だが、彼がそう思っていても王はどうだろう。

 次に王を見据える。

 ここで信じて頷けば、真美は異世界人とやらに連れて行かれるかもしれない。


(考えろ。考えろ、考えろ……!)


 頭が痛む。

 この場をどう乗り切るべきか。

 そんな話は反対だ。

 絶対に受け入れる事は出来ない。

 娘を戦争に巻き込むなんて!


「……やはり反対だ。俺たちを元の世界に帰して欲しい」

「…………。それは、無理です。最初に申し上げた通りその術はない」

「! そんな話信じられるわけがないでしょう! 娘はまだ十歳なんだぞ! 戦争だの魔物だの魔女だのわけの分からない事ばかり並べて……果ては帰れないだなんて、そんな理不尽、ありえないだろう!」

「……、……陛下、聖女と父君は突然の事できっと混乱しておられます。今日のところはお部屋でゆっくりおやすみ頂いてはいかがでしょう?」

「!」


 王にそう進言したのはリュカ。

 驚いてリュカを見る。

 悠来が目にしたリュカの目は、まるで『それ以上はダメだ』と言わんばかり。


(……他にも、なにか……あるのか)


 娘を抱き寄せる。

 王たちは全てを話しては、いない。

 リュカの表情にそれを確信して、奥歯を噛み締めた。

 ここは、大人しく一度引き下がるべきだろう。

 少なくとも、この中ではリュカは信用出来る気がした。

 王に意見するなど、彼の若さを思えばなかなか出来る事ではないはずだからだ。


「む……う、うむ、まあ、其方が言うのなら……」

「お待ちください。では最後にお二人の正式なお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか? この国にいる間はお客人として聖殿へのお立ち寄りをお願いしなければいけません。それには名前が必要です」

「……せいでん……?」


 聞き馴染みのない言葉。

 それに、名前が必要とは一体どういう事なのか。

 紫色の髪の青年ではなくつい、リュカを見上げる。

 するとそれに頷いて、リュカが答えてくれた。


「聖殿とは聖霊を奉る場所……聖霊が集まる場所です。厄気が増えた為、定期的に聖殿に赴き厄気を払ってもらうのです。そうでないと厄気が体の中に入り込み、病を引き起こします。肉体に厄気が蓄積されすぎると、人でさえ魔物になる」

「!」

「なので、定期的に聖殿で聖霊に厄気を払ってもらわねばならない。そして聖霊に厄気を払ってもらうには簡易契約として名を明かさなければならないんです」

「……簡易契約……?」

「聖霊は意志を持っている。タカトウ様も名を知らない相手を易々と信用は出来ないでしょう? それと同じです」

「じゃあ、この国の人はみんな聖霊に名前を教えているのか?」

「というよりも、名付けの登録は聖殿で行われるんです。一度聖霊に名を明かせば、聖霊は忘れない。聖霊に感謝を捧げれば、聖霊は厄気を払ってくれる。そしてまた感謝を捧げるんです」

「そ、うなのか」


 疑ってかかった方が良いのか、判断に迷う。

 しかし、リュカの事は今しがた信用出来るかもしれない、と思ったばかり。

 それに、その話が本当なら悠来も真美もその厄気とやらが纏わり付いて体調を崩す恐れがある。

 なにより、悠来はともかく真美は名前がとうに彼らに知られているのだ。


「……それは、俺もか?」

「お願いします」

「……悠来だ。高遠悠来。……えっと、高遠は苗字で、名前が悠来、だよ」

「?」

「ミョウジ……?」

「ファミリーネームって言えば伝わるか?」


 と言うと「ああ」という顔をされる。

 ファミリーネームで合っていたようだ。


「ではユウキ様とマミ様とおっしゃるのですね」

「分かりました、聖殿にはお伝えしておきます。明日にでも聖殿に足を運んでください。そこで聖霊にそのお名前を直接教えれば、簡易契約は完了です」

「あ、ああ……」


 濃紺の髪の青年が紫色の髪の青年に指示を出すと、彼はそそくさと退出していく。

 腕の中で真美が「お話終わった?」と小声で聞いてくる。

 この距離では王たちにも丸聞こえだろうが……。


「ああ、終わりだ。今日のところはな。今日はゆっくり休まれよ。食事は部屋へ運ぼう。なにかあればメイドたちへ申し付けて欲しい」

「…………」

「本当に申し訳ない。……だが、世界の命運は聖女に懸かっている。それだけは、理解して欲しい」

「…………」


 メイドの一人に促されて、ソファーを立ち上がる。

 謝罪を聞いて再び頭が冷えていった。

 そう、『帰れない』のだ。

 帰る術はない。

 帰ったところで、あの瞬間に戻るのなら自分も真美も命はない……間違いなく。


(帰れない。本当に帰る方法はないのか? 奴らが隠しているだけ、って事は? ……隠しているとしても、そう易々とは教えてくれそうにない。なら、奴らの信頼を得てから聞き出すのが一番手っ取り早いかもしれないな)


 長い廊下をメイドに先導され、娘の歩調に合わせながら歩いた。

 お茶とお菓子で随分元気と落ち着きを取り戻した真美は、悠来の手に手を重ねてくる。

 繋いで、笑い合う。

 緊張感はないが、それが逆に救いでもあった。

 とにかく、今夜は大人しく休もう。

 自分が混乱していると気付いていない場合もある。

 もしかしたら、変な夢だった、という事もありえるだろう、と。

 だが、歩きながら考えるのはやめない。

 もしここが本当に異世界だとして、真美を守る為にどう動くべきか。


(味方が欲しいな)


 そう思った時真っ先に思い出したのはリュカだ。

 あの男と、もう少し話してみたい。


(……異世界とか…………ゲームじゃねぇんだから……)

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