聖女となる娘【後編】



 ぐずった娘を背負い、聖殿への道を進む。

 基本的に悠来は道を覚えるのが苦手だ。

 現場に行くのに地図アプリは毎回必須。

 間違いなく、「今度一人で来てください」と言われても道順は覚えていないと言える。

 ただとても広いホールがあり、その先に祭壇がある程度。

 石像のようなものもなく、実にシンプル。

 その祭壇の上は太陽の光が入る作りなのか、眩い光が降り注いでいる。

 柱が定間隔にあり、壁はない。

 あるのは石畳の床と、石造りの天井。

 そして光の注ぐ祭壇。


「……あなたは誰?」


 聖殿へ入ると、真美が床に降りて手を伸ばし祭壇の方へ問い掛ける。

 それにリュカとハーレンが驚いた顔をしていた。

 悠来も祭壇を見上げるが、なにもない。

 とても空気が澄んでいる場所だとは思う。

 だが、それ以上でも以下でもない。


「ま、真美? 誰かいるのか?」

「え? お父さんには見えないの? あそこに綺麗な人がいる」


 指差す先は祭壇だ。

 悠来にはなにも見えない。


「ふーん……あのね、エウレイラっていうんだって」

「聖霊王が!?」

「せ、聖霊王?」


 ハーレンが声を上げ、慌てて己の口を抑える。

 大層な名前だ。

 王、というだけあり、きっと一番偉い聖霊なのだろう。


「そんな、まさか……召喚もなしに聖霊王が自ら会いに来たというのか? ……これが聖女……!」


 リュカが目を見開く。

 相変わらず悠来にはなにも見えない。

 真美はそんな大人たちを一瞥すると、一歩一歩祭壇へと近づく。


「真美! お、おい、なんかいるんだろ!? そんな近づいて……!」

「……わたしは、真美だよ。高遠真美」


 人の声が聞こえて、聖殿に仕えるらしい白ロープの者が祭壇奥から現れた。

 そして、なにが見えたのか腰を抜かす。

 真美は祭壇の前まで来ると手を伸ばした。


「……うん、いいよ。……やりたくないけど……殺されるっていうから……」

「!」

「…………新しい聖女を召喚するのに前の聖女がいると出来ないんだって。……………………うん、だからわたしがお父さんを守るの……、…………そうなの? …………うん、分かった……」


 なにかと会話している。

 そして、なにやら話はまとまっていったように思う。


「契約する。約束して……わたしとお父さんを守って、エウレイラ」


 ブワッと正殿の中を、真美を中心に風が巻き起こった。

 小さな光の粒がその風に乗って正殿の中を渦巻く。


「聖女様が聖霊王と契約された!」

「聖女様が聖霊王と契約されたぞ! 陛下に報告だ!」


 聖殿の者たちが興奮したようにはしゃぎ、バタバタ動き出す。

 腰が抜けるかと思った。

 あまりにも、非現実的な光景だった。

 座り込み、光の中に佇む我が子を凝視する。


 ——聖女。


 その言葉が重くのしかかるようだ。


「ユウキ、大丈夫か?」

「あ、ああ……えっと、な、なにが起こったんだ? 俺にはなにも見えなくて……」

「マミ様が聖霊の中で最も高貴な聖霊王と契約されたのだ。聖霊王の眷属となれば、俺たちも魔物と戦える……厄気を多少だが退けられるようになる! これはすごい事なんだ!」

「そ、そうなのか……」


 興奮気味のリュカとハーレン。

 なんだかそのすごさとやらを分かってやれなくて申し訳ないくらいだ。

 真美は光が治ると悠来の元へと戻ってくる。


「お父さん、エウレイラと契約したよ。もう大丈夫だよ」

「エ、エウレイラ?」

「うん、聖霊の一番偉い人だって。わたしとお父さんを守ってくれるって」

「…………真美……」


 悔しい。

 最初に悠来の中に浮かんだ感情。

 こんな幼い娘に、守られる。

 グッと堪えて、しゃがむ。

 娘の頭を撫でてぐしゃりと笑った。


「そうか……真美は強いなぁ。でも、父さんだってすぐに強くなるぞ! 真美より強くなって真美の事を守るんだからな!」

「っ! うん!」


 強くなる。

 改めて誓った。


 それから、名前の登録を手早く済ませ二人の騎士を伴ったまま昨夜泊まった部屋へと戻ってきた。

 真美が契約したばかりの聖霊王についてあれやこれやと話を聞き出し、悠来やリュカたちに話して聞かせているとあっという間に昼食の時間になって食事が運ばれてくる。

 職務中という事でリュカたちには食事を断られたが。


「よし、腹もいっぱいになったし、今後の事を色々話したいんだが……時間は大丈夫か?」

「ああ、もちろん」

「我々は本日護衛ですから」

「こら、ハーレン敬語!」

「あ、す、すみませ、いや、すまない。しかし、それなら聖殿長を呼んでこよう。聖女、ではなかった、マミ様がこれから一番時間を共にするのは聖殿長だろうから」

「ふーん、そうなのか?」

「ああ、それと宰相も!」

「そうですね、分かりました」


 聖殿長せいでんちょう——先程の聖殿のおさ

 宰相は、日本で言うところの総理大臣レベルの偉い人だ。

 そんなのを呼んでくるとは……。


「ん? 真美、これ残ってるぞ?」

「……あんまり美味しくないから食べたくない」

「こらこら、好き嫌いするな。父さんを見ろ! 全部食べたぞ!」

「じゃあお父さんが食べて!」

「ちゃんと食べなきゃお腹すくぞ」

「うー……」


 文句を言いつつ食事は半分ほど食べた真美。

 美味くも不味くもない料理だが、食事は体を作る上での資本だ。

 まして真美は成長期。


「真美はしっかり食べないとダメだぞ。大人になる為の栄養ってたくさん摂らなきゃいけないんだから」

「う、うん」


 その様子に、自分の皿を見下ろす。

 この世界の料理……美味くはないが不味くもない。

 素材が違うのだろう、かなり独特な味わいだ。

 これが異世界か、と改めて思う。


 二十分後、ハーレンが二人の男を連れて戻ってきた。

 それは昨日の紫の髪の青年と、初めて見る翡翠の髪の紳士。


「どうも」

「「は、はい……」」


 軽く挨拶したつもりだが、二人は怯えた声で返事をする。

 お茶を飲んだカップを置いただけでビクッと肩を跳ねる四人と、メイドたち。


「今後について話をしたいのですが」

「「は、はい」」


 もしかしたら昨日威圧的に接してしまった事が原因だろうか。

 他に理由が思いつかないが……。

 とはいえ、具体的にこの子を……真美守る為になにをしたらいいのか。

 どうすれば良いのか。

 なによりも優先すべきは真美の身の安全だ。

 それを確保するには、どうしたら良いのか。

 そこの話は重点的にしなければならない。

 異世界人の信用なんて出来ないと思っていたが、ハーレンとリュカは自分たちに不利な事もきちんと話してくれた。

 話せば分かるのかもしれない。

 そんな期待を込めて、聖殿長たちを見つめる。


「まず真美を守る為に、そちらはどんな事をしてくださるのですか」

「え、ええと」


 初老に見える紳士がリュカを『助けて』と言わんばかりに見る。

 今日は笑顔で優しく言ったはずなのだが……。

 第一印象がよほど怖かったのだろう。

 大変申し訳ない。

 しかし、真美の安全に関しては譲る事は出来ない。


「……ご、護衛や戦争に関しては俺から……よろしいですか?」

「はい」

「まず、先ほどユウキ様が拒否された交代制、二人体制。部屋の前でも無理でしょうか?」

「自分たちの時間は確保してほしいな。それに、聖女って具体的にどんな事をするんだ? 俺もその聖女の役目とやらに付いて行って良いのか?」

「ええと……」


 今度はリュカが紫色の髪の青年を見た。

 見られた方はいかにも「げっ」という顔をする。

 しかし、わざとらしく咳き込み、悠来に向き直って口を開く。


「主に聖女様には聖霊との眷属契約を行なって頂きたい。護衛に関しては聖霊王と契約された分、人間の護衛は正直に不要だと思われます」

「どういう事だ?」

「聖霊王は名の通り聖霊たちの王なのです。かのお方と契約した聖女は、歴代でもほんの数名と言われています……! そんな聖霊王と契約したマミ様は、大変清い御心をお持ちの方なのでしょう」

「そんなの当たり前じゃないか。真美はまだ十歳だぞ」

「…………すみません……」


 大切に育ててきたのだ。

 大人のように心が汚れているはずもない。

 ……しかしそんなに恐縮されては話が進まない。


「えっと、話を戻しますと……マミ様には、聖霊王以外の聖霊と契約して頂きたいのです。マミ様と契約した聖霊に、例えばジェーロン騎士団長と『眷属契約』して頂くと、ジェーロン騎士団長も聖女様のお力で聖霊の力を100パーセント引き出した状態で聖霊術が使えるようになります!」

「んー、つまり……真美と同じように聖霊術? という力をリュカも使えるようになる、という事か?」

「はい、そうです……あ、ではなく、そうだ」


 リュカが頷く。

 それなら……。


「あれ? じゃあ……真美は戦争に行かなくても良いんじゃ……?」

「ああ、そうだ。戦争には俺たちが行く」


 そう見上げて聞けば、リュカが優しい笑顔で頷いた。

 その言葉に……胸を撫で下ろす。

 安堵の溜息。


「な、なんだ……」


 真美は危険なところに行かなくて良い。

 そして、真美の事は聖霊王が守ってくれる。

 隣に座っていた真美を思わず抱き締め、頭を撫でた。


「良かった……良かったな、真美!」

「…………」

「……真美?」

「…………うん……」

「…………」

「もしかしたら、聖霊王様と契約されてお疲れなのかもしれません。ユウキ様、別室で続きのお話を致しませんか?」

「そ、そうか、そうだな。……真美、お父さん、隣の部屋にいるからな? ゆっくり休むんだぞ?」

「……うん」


 メイドに真美を預けて、隣の部屋へと移動した。

 こちらも隣室に負けず劣らずの部屋。

 扉一枚隔てて隣の部屋に行く事が出来る。

 その部屋で、色々と話を進めた。

 衣食住の保障。

 真美の身の安全の確保。

 戦争に関しての事は、平和な日本生まれの悠来には芝居の台本でも読み聞かせられているような気分だった。


「真美にはたくさんの聖霊と眷属契約してもらえば良い、という事なわけだな」

「騎士団としては、それがありがたい。マミ様と契約した聖霊と眷属契約出来る人数が増えればそれだけ戦力が増えるという事になる。なにより、多少だが『厄気』を払う力を我々も持てるという事だ」

「ふむ、なるほど……」

「それから、マミ様には是非、この世界についても勉強して頂きたい。ああ、もちろんユウキにも。魔女を倒すまでには慎重に準備を整えなければならない。最低でも二年……。それまでの間、この世界について知っていって欲しい。それは君達の為にもなるはずだ」

「この世界について、か。そうだな。知らないより知ってた方がいいに決まってる」


 リュカがずっと機嫌良さげに微笑んでいるので、心が軽くなったのもあり素直に頷く。

 それに実際、もう元の世界に帰れないのならこの世界で生きていくしかない。

 生きていくには、この世界の常識を学ばなければならないだろう。

 リュカの言う事は最もだ。


(あとは、リュカに剣の扱いとかも教わりたいな。鎧とか高そうだけど……あ、そうか、金を稼がなきゃダメなのか。俺でも出来る仕事……騎士団に入団するか? 今から新人とかイケっかなぁ?)


 生きていく上で必要となるのは仕事だろう。

 それはこの世界でも同じはずだ。

 そして、仕事に必要なものといえばその職に関する知識。

 真美を守る術が欲しい。

 殺陣は芝居で学んできたが洋剣はあまり覚えがない。

 なによりこの世界には『聖霊術』というものもある。

 自分がどの程度太刀打ち出来るのか未知数すぎて手を出していいのかすら分からない。

 他の仕事も視野に……。


(あ、文字!)


 他にも、仕事をするなら文字の読み書きは必須だろう。

 言葉は不思議と通じるが、読み書きはどうだろうか?


「そうだ、読み書きを覚えたい! 言葉は分かるけど、その辺りはどうなんだ?」

「文字の読み書きですか? なるほど、分かりました。教育係をつけましょう」

「ああ、頼む」

「という事は聖女様にも必要でしょうか?」

「そうだな。手配しておいてくれ、リツシィ。リュカ、君は彼と聖女様の護衛役を……」

「すでに手配済みです。しばらくは私とハーレンで彼とマミ様をお守りします」

「!」


 見上げるとリュカはその視線に気付いて、微笑んだ。

 確かに、リュカは一番最初に出会った人。

 悠来を『聖女の父』と知らなくとも優しく接してくれた。

 彼ならば信用が置ける。

 側にいてくれるのは心強いと思った。


「ありがたいけど、俺に戦い方を教える約束忘れてないだろうな?」

「も、もちろん覚えているとも! だが一朝一夕では無理だぞ? その間は我慢して守られてくれ」

「ぐぬぅ……」


 こうして、帰れなくなった父娘は異世界で『聖女』、『聖女の父』として生活する事になる。

 前途多難な異世界生活。

 不安はあるが、やるしかない。


(まあ、何事も経験だ。変な事になったが、真美は俺が守る! ……嫁に出すまでは……だろうけどな)


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