第一章④

 警視庁とおんみよう寮は仲が悪い。

 犯罪から帝都の治安を守る彼らは、あやかしという陰の存在を相手にしている陰陽師たちを馬鹿にしている。

 警視庁は、平時の国家の治安を担う目的で設立された機関だが、かつて内乱が起きた際には、その力で平定に当たったこともある。国家を守っているという自負もある上、士族出身者も多く、月影家の一族以外は庶民の出が多い月影氏流陰陽師たちを見下していた。

「こんな街中でめ事を起こさないでほしい……」

 桜羽がめ息をつくと、斎木が、

「俺、ちょっと止めてくる」

 と言って、先輩と巡査のもとへ駆けていった。

「自分も」と、斎木の後に続こうとした桜羽だが、少し先の店舗から現れた女性の姿を目にし、息をんだ。

 豊かな黒髪に白い肌。ようえんな赤い唇の女性は、先日出会った鬼女に間違いない。

「あの人! 斎木君、末廣さん、毒島さん、あそこに鬼女が……」

 慌てて三人に声をかけようとしたが、いつの間にか毒島と若い巡査が殴り合いを始めていて、斎木と年上の巡査が間に入り止めようとしている。末廣はそばでゲラゲラと笑っていた。桜羽の言葉など誰も聞いてはいない。

 桜羽は去っていく鬼女と、喧嘩をしている男たちを見比べた。

「ああ、もうっ!」

 こうなったら、自分一人だけで行動しよう。

 桜羽は揉める彼らのそばを駆け抜け、鬼女を追いかけた。

(どこへ行こうとしているのかしら……)

 迷いなく歩いていく鬼女に気付かれないよう跡をつけながら、桜羽は思案した。

(こんな街中で鬼女と戦闘になれば一般の人々に迷惑をかけるし、もしぬえを呼ばれたら、私一人では手に余るわ……)

 鵺は鬼女に使役されていた。今のところ気配は感じられないが、現れてもおかしくはない。

(とりあえず今は彼女の行く先を突き止めよう。その後、陰陽寮に帰って冬真様と志堂さんに報告して指示を仰ごう)

 鬼女のすみがわかれば、万全の態勢を取って狩りにいくことができる。

 けれど桜羽の期待とは違い、辿たどり着いたのは鬼女の家ではなく、ルネサンス様式の立派な劇場──げきだった。主に西欧の演劇を上演しており、上流階級層の人々を中心に人気を博している。

(華劇座……ね)

 桜羽は以前聞いた噂を思い出した。ここで働く人々は、女優を始め、案内係の女性や楽団の紳士までが、皆、美しい容姿をしているらしい。

 冬真から鬼について教育を受けた際、異形のあやかしとは違い、鬼は人と見た目が変わらないので、人の世に紛れて暮らしている者も多いと教えられた。

 陰陽寮は鬼を探すため、有益な情報を持ってきた者に金一封を出している。犯罪事件の陰に鬼の存在がないかなど、様々な方向からも調査をしている。冬真は、美しい者ばかりが働いているという華劇座にも目をつけていたが、今のところどこからも密告はなく、なんの事件も起きていないので、確信が持てずに様子見をしていた。

 鬼女は華劇座の正面玄関には向かわず、横にある小さな扉から建物の中へ入っていく。

 桜羽は扉の前まで行くと、首を傾げた。「関係者以外立ち入り禁止」の札が掛かっている。

「あの鬼、劇場関係者なのかしら」

 もしそうだとしたら、華劇座は鬼と関わりがあると証明できる。

(確かめよう)

 桜羽は、関係者入り口の扉から、するりと中に忍び込んだ。

 廊下には誰もいなかったが、奥のほうから騒がしい音や声が聞こえてくる。

 用心深く先へ進み、物陰から様子をうかがった桜羽は、色彩があふれかえった光景に目を見張った。

 西欧の城や家具を模した大道具。武器などの小道具。動物のかぶり物。異国情緒のある布──

 ごちゃごちゃと物の置かれた中を、西欧の貴族風の衣装を身にまとった人々が行き交っている。発声練習をする者や、歌を口ずさんでいる者もいる。彼らは舞台俳優や女優だろうか。皆、はっとするほど美しい容姿をしていた。

 楽器を手にした男性たちは楽団員のようだ。年齢はまちまちだが、彼らもまた、噂通り見目が良い。

(ここは劇場の裏ね。陰陽寮の制服姿で入っていくわけにもいかないし、誰かに見つかる前に引き返したほうがいいとは思うのだけど……)

 功を焦っているわけではないが、せっかく鬼の手がかりが得られそうなのに、ここであきらめるのは惜しい。

 迷っていると、すぐそばの大道具にインバネスコートと帽子が引っかけられているのが目に入った。誰かが着てきたものを脱いで仮置きでもしたのだろうか。

 桜羽は手を伸ばすと、コートと帽子を取り上げた。素早くコートを身に纏い、一つにくくっていた髪を帽子の中に押し込む。うつむき加減に歩いていれば顔も見えないだろう。劇場関係者は開演前の忙しさで誰もこちらを気にしていない。

 目立たないように人々の間を通り抜けながら鬼女の姿を捜していると、ワンピースに白いエプロンを着けた若い女性の一団が、桜羽の横をぱたぱたと駆け抜けていった。彼女たちも美少女や美女ばかりだ。

「お客様のお迎えの時間よ!」

「急いで広間に入って!」

 すれ違った案内係の女性たちの中に鬼女の姿を見たような気がして、桜羽は慌てて振り返った。けれど、桜羽が確認するより先に、彼女たちは扉の向こうへと消えていった。

 桜羽は急いで彼女たちの後を追った。

 案内係の女性たちがくぐった扉は、玄関広間につながっていた。雑然としていた舞台裏とは違い、大理石の柱や色つきタイルが貼られた床が美しい。

 めかし込んだ紳士淑女が、切符売り場で今夜の演目の切符を購入している。案内係の女性たちが、切符の確認が終わった客人たちを次々と客席へ案内していく。客人たちは今夜の舞台を楽しみにしているのか、皆、上機嫌に笑っていた。

(なんて華やかなの……!)

 桜羽が今までに経験したことのない非日常の世界に圧倒され、玄関広間の隅で立ち尽くしていると、一人の案内係が桜羽に近付いてきた。

だん様、切符のご購入はお済みですか? 客席にご案内致しましょうか?」

 そう言って微笑んだ女性は、まさに桜羽が追いかけてきた鬼女だった。

「あなた……!」

 思わず声を上げた桜羽を見て、相手もすぐに先日の陰陽師だと気付いたようだ。愛想のよかった表情が憎々しげなものに変わる。

「どうしてここにいる、陰陽師! 我が仲間たちに害をなしにきたのか!」

 抑えた声で鬼女は桜羽を問いただした。

「あなたを捜しに来たのよ。ここで騒ぎを起こす気はないわ。ついて来なさい」

 桜羽が鬼女の腕をつかもうとすると、彼女はぱっと身を翻した。身軽な動きで広間を横切り、階段を駆け上がって客席へと入っていく。

「待ちなさい!」

 桜羽は急いで彼女を追った。帽子が脱げてリボンがほどけ、上げていた髪がさらりと落ちる。

 開け放たれていた扉から客席へ飛び込むと、ていけい状に多くの椅子が並んでいた。既に半分ほど座席は埋まっている。

 舞台を正面に緩やかな傾斜がかかる通路を駆け下りていく鬼女を見つけ、追いかけようとした時、背後から肩を摑まれた。

「おい、女」

 突然声をかけられ、心臓が跳ねた。警備の者に、不審者だと思われたのだろうか。「ここで足止めされるわけにはいかないのに」と、焦りながら振り向いた桜羽は、自分を引き留めた相手を見て息を吞んだ。

 桜羽の肩を摑んでいたのは、洋装姿のせいかんな顔立ちの青年だった。髪はつややかな漆黒。眼鏡をかけているが、硝子ガラスレンズ越しにも、意志の強そうな目元をしているのがわかる。桜羽の顔を見て何か驚くことでもあったのか、形のいい唇はほんの少し開いていた。

 見つめ合っていたのは、どれぐらいの間だったのだろうか。長いようで短い時間の後、先に話しかけたのは桜羽だった。

「あなたは誰? ここの劇場の方?」

 肩を摑んだままの青年の手を振り払い、尋ねる。

 青年は無言で、桜羽が纏うインバネスコートに手を伸ばした。きちんとボタンを留めていなかったので、コートは簡単に青年にぎ取られた。現れたおんみよう寮の制服を見て、青年のまなざしが鋭くなる。

「お前は陰陽師か。どうしてここにいる?」

「鬼を追ってきたのよ」

「鬼など、ここにはいない」

「私は見たの。かくまうつもりなら──」

 桜羽は腰に下げていた愛刀のつかに手をかけた。一般人の多いこの場所で刀を抜く気はない。ただの脅しだ。

「こんなところで物騒なものを抜くのは止めろ」

 青年が素早く桜羽の手首を摑みひねり上げた。

「痛っ!」

 強い力で締め付けられ、思わず声が漏れる。

「離せ!」

 抵抗していると、舞台前のオーケストラ・ピットから音が聞こえた。楽団員が集まり、調律を始めている。

 音に気を取られた隙に、青年が桜羽に近付いた。身構えるよりも早く、桜羽の体が宙に浮く。

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帝都の鬼は桜を恋う 卯月みか/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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