第一章③

ぬえよ」

 文献で見たことがある。へいあん時代に御所を騒がせ、天皇を悩ませたという伝説のあやかしだ。

「あれが本物のあやかし……」

 驚きのあまり立ち尽くしている斎木に、桜羽は早口でささやく。

「私たちだけだと手に余るわ。斎木君は陰陽寮へ戻って、冬真様に鵺のことを報告して」

 腰に下げていた革製の小型かばんふたを開け、呪い札を取り出す桜羽を見て、斎木が焦った声を出す。

「桜羽さん、まさかあいつと戦うつもりじゃないよな?」

「冬真様たちが来るまで足止めするわ」

「無理だって! 桜羽さんも一緒に逃げよう!」

「目の前にあやかしがいるのに放っておけないでしょう! あいつが人に危害を加えたらどうするの!」

 小声で言い合いをしていると、鵺がこちらを向いた。

「しまった、気付かれた」

 桜羽は呪い札を人差し指と中指に挟むと、先手必勝とばかりに、思い切り宙に飛ばした。

「北方より生じたるすいよ、玄武の力で矢を放て!」

「あああ、もうっ! 東方より生じたるもくよ、せいりゆうの力で鵺を捕らえろ!」

 斎木もやけくそ気味に叫んで札を放つ。すると、斎木の札からは勢いよくつるが伸び、桜羽の札は水の矢へと変じた。

 蔓は鵺の体に巻き付き拘束しようとしたが、あっという間に引きちぎられる。虎の手が桜羽の矢を握りつぶした。

こんしんの一枚だったのに、あんなに簡単に破られると思わなかった」

 情けない表情を浮かべる斎木のそばで、桜羽も「失敗した」と歯がみする。

(さすが大あやかし。私や斎木君程度の術では太刀打ちできないわね)

「術が駄目なら、接近戦!」

 桜羽は龕灯を地面に置くと、腰に差していた刀のつかを握った。

 斎木が、好戦的な桜羽にあきれた視線を向ける。「もうどうとでもなれ」という顔をしながら小型鞄から札を取り出し、

「東方より来たれ、セキエキ」

 呪いを唱えて、木気の式神へと変じさせた。

「陰陽寮へ行って増援を呼んで来い」

 蜥蜴とかげが素早い動きで、夜の闇の中へと消えていく。

「皆が来るまで頑張りましょう」

「うわ~、大丈夫かな」

「やらないと、こっちが死ぬわ」

 二人は油断なく身構えたが、鵺は一向に降りてこない。

「あいつ、何をやっているの? ……あっ!」

 鵺は一瞬、子爵邸の中へ姿を消し、すぐにまた門の上に現れた。背に誰かを乗せている。

「女……?」

 つぶやいた桜羽の隣で、斎木が息をんだ。

れいだ……」

 彼の言う通り、鵺の背にまたがる若い女は美しい姿をしていた。

 長い髪は豊かに波打ち、肌は月光に照らされほのじろく光っている。鵺が、桜羽と斎木の存在を知らせるようにうなると、彼女は憂いの漂うひとみをこちらに向けた。

 桜羽と斎木の姿を見て、女の目が見開かれる。

おんみよう!」

 女が叫び、鵺がひと飛びに二人の前に降り立つ。

 異形の化け物を目の前にし、桜羽は一瞬ひるんだ。それが隙となり、刀を抜くよりも早く、鵺の背から飛び降りた女に首をつかまれる。

「お前たちのせいで、さきは……仲間は……!」

「……っ!」

 女とは思えない力でのどを絞め上げられ、桜羽の体が浮き上がる。

 焦った斎木が小型鞄に手を突っ込み、ありったけの札を摑みだすと、思い切り宙にいた。

「東方より来たれ、クチナワ!」

 札が次々と蛇の姿に変わり、女の上に降り注ぐ。

「キャアッ!」

 女は悲鳴を上げ、桜羽を離して飛びすさった。彼女の足に蛇が絡みつき、動きを封じる。女が蛇と格闘している間に、斎木が桜羽の手首を摑んだ。

「桜羽さん、逃げるよ!」

 二人は全速力でその場を離れた。


    *


 桜羽と斎木が鬼女に出会った翌朝、陰陽寮所属の陰陽師たちは、全員広間に招集された。

 冬真が広間に入ると、整列していた陰陽師たちが一斉に頭を下げた。その間を悠々と通り抜け、最前列に立った冬真は一同を見回した。

「昨夜現れたあやかしへの対策を講じるため、皆に集まってもらった」

 桜羽と斎木は、巡回中に鵺を従えた鬼女と遭遇したことを、昨夜のうちに冬真に報告していた。

 冬真が隣に立つ青年に目を向け、名を呼んだ。

どう。皆に説明を」

 陰陽寮副官の志堂は冬真と同い年だ。冬真の幼なじみでもあり、二人の気心は知れているようだが、寡黙で眼光が鋭いので、他の陰陽師からは恐れられている。それなりに整った顔立ちをしており、決して目立たない外見ではないのだが、気配が薄く、気が付いたらいきなり背後に立っていたりするので、桜羽は何度も驚かされた。

 促された志堂は冬真に軽く会釈をすると、朗々と響く声で話し始めた。

「昨夜、永田町を巡回していた陰陽師が、鬼女と鵺に遭遇しました。討伐しようとしたところ抵抗にあい、取り逃がしたとのことです」

 一同の中からわずかに失笑が聞こえ、取り逃がした当の本人たちはうつむいた。

「誰だ、そいつ」

「かつてせいりよう殿でんの屋根に現れた鵺を射殺したという、伝説の武士のようにはいかなかったってわけか」

「静粛に」

 志堂が注意をすると、再び皆が黙った。

「鬼女は子爵のうばがいきようやしきから姿を現したとのこと。昨夜のうちに長官が姥貝邸に様子をうかがいに上がったところ、当主の姥貝いち卿が、突然押し入ってきた鬼女に襲われ、怪我を負わされたという話でした。鬼女の目的は不明ですが、再び現れる可能性も高く、今夜から交代で姥貝邸の警備にあたります。それに加えて、永田町を中心に帝都内の巡回を強化。これから班の編制を述べます。まずは壱班──」

 淡々と名前が読み上げられる中、桜羽は隣に立つ斎木に囁いた。

「同じ班だといいわね」

「そうだね。でも、二人一緒になったら、俺たちと組まされる先輩には嫌がられそうだ。俺たち下っ端だし」

「先輩の足を引っ張らないように頑張りましょう」

「そうだな。目指せ、一流陰陽師」

 小声で励まし合っていると、二人の名前が読み上げられた。

よん班、月影桜羽、斎木克──」

 同じ班になったと喜んだものの、次に志堂が続けた名前を聞いて、二人同時に「うげ」とつぶやく。

「末廣りくろう、毒島しげひこ

 天敵と同じ班に編制され、桜羽はこの上なくゆううつな気持ちになった。


    *


 馬車鉄道が走る様子を横目で見ながら、街路樹が植えられたれん敷きの歩道を、桜羽たちは歩いていた。

「俺たち、運が悪いよなぁ。ひよっこどもと組まされてさ」

「いや、これは志堂さんの俺たちに対する期待なんだよ。若輩者を鍛えてやれっていう」

 先ほどから、末廣と毒島が適当なことを言って笑っているのを、桜羽と斎木は悔しい思いで聞いていた。

「志堂さんも、俺たちとあの人たちを組ませなくてもいいのにさ……」

 ぶつぶつ言っている斎木に、桜羽はあきらめ口調で応える。

「悔しいけれど、あの人たち、あれで意外と術に関しては優秀なのよ……」

 末廣と毒島は、性格は悪いが能力は高い。末廣はの術に、毒島はごんの術にけているので、すいの術が使える桜羽と、もくの術が使える斎木と組み合わせたのだろう。

 日が傾き始めた空を見上げ、末廣と毒島がだるそうにあくびをする。

「そろそろ交代の時間だよな。陰陽寮に戻るか」

「あーあ、今日も収穫なしだな」

 二人から距離を取って後ろを歩きながら、斎木がぼそっとつぶやいた。

「収穫なしとか言って、陰陽寮を出る前は、巡回なんて面倒くさいって言ってたくせに」

 斎木の呆れ声が聞こえたのか、前を歩く二人が振り向く。

「あ? なんか言ったか?」

「生意気言う前に、子鬼の一人でも見つけてきたらどうだ?」

「鬼女に驚いて逃げだすような奴は、子鬼相手でも失禁するんじゃないか?」

「ありえる」

 末廣と毒島が馬鹿にしたように笑うのを見てこぶしを握った斎木を、桜羽は急いでなだめた。

「本気で聞いたら駄目。手を出したら、こちらが不利になるわ」

「……長官や志堂さんに怒られたくはないもんな」

「そうでしょ?」

 諦め口調でこぶしを収めた斎木に、桜羽は微笑みかけた。

 陰陽寮の方向へ足を向けた時、前方から制服姿の巡査二人組がやってきた。こちらに気付き、何やらひそひそと話した後、馬鹿にするような笑みを浮かべる。

 巡査たちのちようしようを目にし、末廣と毒島が顔色を変えた。おおまたで彼らに近付いていく。

「まずくないか、あれ」

 斎木が焦ったように桜羽の耳元でささやく。桜羽も表情を険しくした。

 末廣は巡査の前まで行くと、

「お前ら、今、何を話してたんだ?」

 と絡んだ。

「あやかし退治が職務だとか言って、日中からぶらぶらしている暇な奴らがいるぞと話していただけですよ」

 三十絡みの巡査が答えると、今度は毒島がいんぎん無礼に言い返す。

「警視庁の方々は、お気楽そうでうらやましいですなぁ。なにせ、貴殿らのお相手は普通の人間ですからな。犯罪が起こればトコトコと歩いていって、適当にその辺の人間を捕まえて拷問すれば、あっという間に犯人のできあがりだ。市井の人々があやかしの脅威におびえることなく、安心安全に暮らせるよう、我々は昼夜を問わず、真面目に仕事に励んでいるのですよ」

「俺たちが無能だとでも言いたいのか!」

 毒島と同い歳ぐらいの若い巡査が顔を赤くして突っかかった。どうやらこちらの巡査は怒りっぽい性格のようだ。

ただびとは持っていない特別な力を持つ俺たちは、貴殿らよりも有能だと思いますよ」

 毒島がわざとらしく札を取り出し、ひらりと振ってみせる。

まじない師風情が!」

 若い巡査が毒島の胸ぐらをつかみ、

「やるか?」

 毒島も挑発する。

 桜羽はけんを始めた先輩と巡査を見て、額を押さえた。

(勘弁してほしいわ……)

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