第一章③
「
文献で見たことがある。
「あれが本物のあやかし……」
驚きのあまり立ち尽くしている斎木に、桜羽は早口で
「私たちだけだと手に余るわ。斎木君は陰陽寮へ戻って、冬真様に鵺のことを報告して」
腰に下げていた革製の小型
「桜羽さん、まさかあいつと戦うつもりじゃないよな?」
「冬真様たちが来るまで足止めするわ」
「無理だって! 桜羽さんも一緒に逃げよう!」
「目の前にあやかしがいるのに放っておけないでしょう! あいつが人に危害を加えたらどうするの!」
小声で言い合いをしていると、鵺がこちらを向いた。
「しまった、気付かれた」
桜羽は呪い札を人差し指と中指に挟むと、先手必勝とばかりに、思い切り宙に飛ばした。
「北方より生じたる
「あああ、もうっ! 東方より生じたる
斎木もやけくそ気味に叫んで札を放つ。すると、斎木の札からは勢いよく
蔓は鵺の体に巻き付き拘束しようとしたが、あっという間に引きちぎられる。虎の手が桜羽の矢を握りつぶした。
「
情けない表情を浮かべる斎木のそばで、桜羽も「失敗した」と歯がみする。
(さすが大あやかし。私や斎木君程度の術では太刀打ちできないわね)
「術が駄目なら、接近戦!」
桜羽は龕灯を地面に置くと、腰に差していた刀の
斎木が、好戦的な桜羽に
「東方より来たれ、セキエキ」
呪いを唱えて、木気の式神へと変じさせた。
「陰陽寮へ行って増援を呼んで来い」
「皆が来るまで頑張りましょう」
「うわ~、大丈夫かな」
「やらないと、こっちが死ぬわ」
二人は油断なく身構えたが、鵺は一向に降りてこない。
「あいつ、何をやっているの? ……あっ!」
鵺は一瞬、子爵邸の中へ姿を消し、すぐにまた門の上に現れた。背に誰かを乗せている。
「女……?」
つぶやいた桜羽の隣で、斎木が息を
「
彼の言う通り、鵺の背に
長い髪は豊かに波打ち、肌は月光に照らされ
桜羽と斎木の姿を見て、女の目が見開かれる。
「
女が叫び、鵺がひと飛びに二人の前に降り立つ。
異形の化け物を目の前にし、桜羽は一瞬
「お前たちのせいで、
「……っ!」
女とは思えない力で
焦った斎木が小型鞄に手を突っ込み、ありったけの札を摑みだすと、思い切り宙に
「東方より来たれ、クチナワ!」
札が次々と蛇の姿に変わり、女の上に降り注ぐ。
「キャアッ!」
女は悲鳴を上げ、桜羽を離して飛びすさった。彼女の足に蛇が絡みつき、動きを封じる。女が蛇と格闘している間に、斎木が桜羽の手首を摑んだ。
「桜羽さん、逃げるよ!」
二人は全速力でその場を離れた。
*
桜羽と斎木が鬼女に出会った翌朝、陰陽寮所属の陰陽師たちは、全員広間に招集された。
冬真が広間に入ると、整列していた陰陽師たちが一斉に頭を下げた。その間を悠々と通り抜け、最前列に立った冬真は一同を見回した。
「昨夜現れたあやかしへの対策を講じるため、皆に集まってもらった」
桜羽と斎木は、巡回中に鵺を従えた鬼女と遭遇したことを、昨夜のうちに冬真に報告していた。
冬真が隣に立つ青年に目を向け、名を呼んだ。
「
陰陽寮副官の志堂は冬真と同い年だ。冬真の幼なじみでもあり、二人の気心は知れているようだが、寡黙で眼光が鋭いので、他の陰陽師からは恐れられている。それなりに整った顔立ちをしており、決して目立たない外見ではないのだが、気配が薄く、気が付いたらいきなり背後に立っていたりするので、桜羽は何度も驚かされた。
促された志堂は冬真に軽く会釈をすると、朗々と響く声で話し始めた。
「昨夜、永田町を巡回していた陰陽師が、鬼女と鵺に遭遇しました。討伐しようとしたところ抵抗にあい、取り逃がしたとのことです」
一同の中から
「誰だ、そいつ」
「かつて
「静粛に」
志堂が注意をすると、再び皆が黙った。
「鬼女は子爵の
淡々と名前が読み上げられる中、桜羽は隣に立つ斎木に囁いた。
「同じ班だといいわね」
「そうだね。でも、二人一緒になったら、俺たちと組まされる先輩には嫌がられそうだ。俺たち下っ端だし」
「先輩の足を引っ張らないように頑張りましょう」
「そうだな。目指せ、一流陰陽師」
小声で励まし合っていると、二人の名前が読み上げられた。
「
同じ班になったと喜んだものの、次に志堂が続けた名前を聞いて、二人同時に「うげ」とつぶやく。
「末廣
天敵と同じ班に編制され、桜羽はこの上なく
*
馬車鉄道が走る様子を横目で見ながら、街路樹が植えられた
「俺たち、運が悪いよなぁ。ひよっこどもと組まされてさ」
「いや、これは志堂さんの俺たちに対する期待なんだよ。若輩者を鍛えてやれっていう」
先ほどから、末廣と毒島が適当なことを言って笑っているのを、桜羽と斎木は悔しい思いで聞いていた。
「志堂さんも、俺たちとあの人たちを組ませなくてもいいのにさ……」
ぶつぶつ言っている斎木に、桜羽は
「悔しいけれど、あの人たち、あれで意外と術に関しては優秀なのよ……」
末廣と毒島は、性格は悪いが能力は高い。末廣は
日が傾き始めた空を見上げ、末廣と毒島がだるそうにあくびをする。
「そろそろ交代の時間だよな。陰陽寮に戻るか」
「あーあ、今日も収穫なしだな」
二人から距離を取って後ろを歩きながら、斎木がぼそっとつぶやいた。
「収穫なしとか言って、陰陽寮を出る前は、巡回なんて面倒くさいって言ってたくせに」
斎木の呆れ声が聞こえたのか、前を歩く二人が振り向く。
「あ? なんか言ったか?」
「生意気言う前に、子鬼の一人でも見つけてきたらどうだ?」
「鬼女に驚いて逃げだすような奴は、子鬼相手でも失禁するんじゃないか?」
「ありえる」
末廣と毒島が馬鹿にしたように笑うのを見てこぶしを握った斎木を、桜羽は急いで
「本気で聞いたら駄目。手を出したら、こちらが不利になるわ」
「……長官や志堂さんに怒られたくはないもんな」
「そうでしょ?」
諦め口調でこぶしを収めた斎木に、桜羽は微笑みかけた。
陰陽寮の方向へ足を向けた時、前方から制服姿の巡査二人組がやってきた。こちらに気付き、何やらひそひそと話した後、馬鹿にするような笑みを浮かべる。
巡査たちの
「まずくないか、あれ」
斎木が焦ったように桜羽の耳元で
末廣は巡査の前まで行くと、
「お前ら、今、何を話してたんだ?」
と絡んだ。
「あやかし退治が職務だとか言って、日中からぶらぶらしている暇な奴らがいるぞと話していただけですよ」
三十絡みの巡査が答えると、今度は毒島が
「警視庁の方々は、お気楽そうで
「俺たちが無能だとでも言いたいのか!」
毒島と同い歳ぐらいの若い巡査が顔を赤くして突っかかった。どうやらこちらの巡査は怒りっぽい性格のようだ。
「
毒島がわざとらしく札を取り出し、ひらりと振ってみせる。
「
若い巡査が毒島の胸ぐらを
「やるか?」
毒島も挑発する。
桜羽は
(勘弁してほしいわ……)
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