第一章②

「ひどい行いはやめてください!」

 二人と子狸の間に駆け込み、両手を広げる。子狸をかばう桜羽に、末廣と毒島はムッとした表情を向けた。

 二人は陰陽寮に属している月影氏流の陰陽師で、桜羽の先輩にあたる。二十代前半の血気盛んな若者で、末廣は狐顔で背が高くひょろっとしており、毒島は背が低く小太りという、対照的な外見をしている。

「チッ!」

「桜羽かよ」

 末廣と毒島が舌打ちをする。烏と犬が札に姿を変え、地面に落ちた。

 桜羽は二人をにらみ付けると、低木の下に逃げ込んだ子狸に手を伸ばした。小刻みに震えながら、子狸は口を開けて桜羽を威嚇したが、

「大丈夫。何もしないわ」

 と、優しく声をかけて、ふわふわの体を抱き上げる。子狸の黒いひとみが潤んでいる。追い回されて、よほど怖かったに違いない。

「よしよし、怖かったわね。ごめんね」

 安心させるように子狸の背をでる桜羽に、末廣と毒島が手を伸ばす。

「桜羽。そいつをこせよ」

牛蒡ごぼうと煮て狸汁にしたら、きっとうまいぞ」

「絶対に渡しません。弱いものいじめは反対です」

 先輩たちをキッと睨み付けると、末廣と毒島はうそぶいた。

「弱いものいじめじゃない。あやかし狩りの練習だ」

「そうそう。修行の一環だ」

(修行だなんて……噓ばかり!)

 狸汁にするというのがどこまで本気なのかわからないが、二人は式神を使って子狸を追い込み、いたぶって遊んだ末、捕まえて殺そうとしていたのだ。

「お二人はまがりなりにも月影氏流の陰陽師。相手が鬼ならともかく、罪のない動物に、こういったひどいことはおやめください」

 ぴしゃりと注意した桜羽を見て、末廣と毒島は顔を見合わせ、わざとらしく肩をすくめた。

「我らが後輩殿は口が達者だ」

「長官の秘蔵っ子、月影家のお姫様だからな。身分違いの俺たちのことを見下しているのさ」

「見下してなどおりません!」

 彼らの言う通り、桜羽は確かに月影家の血を引いているが、それを鼻にかけているつもりはない。母が先代頭領の長女だったとはいえ、半分鬼の血を引いている自分が月影家の一員だと名乗るのは、むしろふさわしくないと思っている。

 今でこそ普通に接してもらえるようになったものの、冬真に引き取られた当初は、月影邸の使用人たちから怖がられていた。人々にとって鬼はの対象だ。陰陽寮では桜羽が人と鬼との間に生まれた子供だということは伏せられており、冬真の遠縁の娘で、事情があって引き取られたという話で通している。

 三人が言い合いをしていると、

「何を騒いでいる?」

 頭上から落ち着いた男の声が聞こえた。桜羽はぱっと振り向き、末廣と毒島も驚いた様子で、声のしたほうへ顔を上げた。

「長官!」

 末廣と毒島が慌てた様子で頭を下げる。

「冬真様」

 桜羽はばつの悪い思いで二階の長官室を見上げた。桜羽のいとこ、月影冬真が、長官室の窓からこちらを見下ろしていた。

 陰陽寮の制服を身にまとった冬真は、黒くつやのある長い髪を首元で一つに結び、背中に垂らしている。肌は白く、細面で中性的な美しい顔立ちだ。歳は今年で二十八になるが、十八歳で頭領を継いだだけあって、振る舞いにはかんろくと落ち着きがあった。

 冬真はゆっくりと、順に三人の顔を見た。

「末廣、毒島」

 外見から受ける印象よりも低い声で、冬真が二人の名を呼ぶ。

「桜羽をおとしめる言葉を耳にしたようだが、私の気のせいか?」

 口調は静かだったが、威圧感があり、二人の肩がびくりと震える。

「心からの言葉ではありません」

「申し訳ありません」

 頭を下げ続ける先輩たちを見て、桜羽はいたたまれない気持ちになった。

「冬真様。末廣さんと毒島さんは、ほんの少し私をからかっただけなのです。私は気にしておりません」

「…………」

 桜羽の言葉を聞き、冬真は口を閉ざしたが、「わかった」と言うように一度うなずいた。

 再び末廣と毒島に目を向ける。

「遊ぶ暇があるなら、巡回に行け」

「ですが、この時間は当番ではなく……」

「行け」

 末廣の言葉を遮って、冬真が命じる。

 二人は一礼すると、逃げるように駆けていった。

 一人残った桜羽は、窓の下に歩み寄り、

「申し訳ございません」

 と、冬真に向かって謝罪した。

「何を謝る?」

 冬真の鋭い視線が桜羽へ向く。

「冬真様に、末廣さんと毒島さんとのいさかいを止めていただきました。本来なら、私一人で対処するべき問題でしたのに、お手を煩わせてしまいました」

 桜羽は、母が亡くなった後、自分を引き取り育ててくれた冬真に恩を返したいと常日頃から思っているが、彼の厳しい物言いや態度には緊張する。

 桜羽にとって冬真は、身内であると同時に月影氏流の頭領であり、今は職場の上司でもある。彼の手足となり、働く立場にあるのだから、甘えていてはいけないと気を引き締める。

「これからはきちんと一人で対処します」

 ぜんとしている桜羽を見て、冬真はおうように頷いた。

「精進するように。それから、その狸はどうするつもりだ?」

 冬真に指をさされて、「あっ」と腕の中に目を向けた。桜羽は慌てて、抱えていた子狸を地面に降ろした。

「お行き。もうここへ来てはいけないわ」

 そう言い聞かせ、軽くしりを押す。子狸は一度桜羽を振り向くと、さっと駆けて、草むらへ姿を消した。俊敏な動きだったので、怪我はしていなかったようだと、ほっとする。

 子狸を見送っていると、背後でぱたんと音がした。見上げると長官室の窓は既に閉まっていた。


    *


「肌寒いけれど、今夜は月がれいね」

 詰め襟の上着に、はかまのような洋装のスカートを組み合わせた制服に身を包み、腰に刀を下げた桜羽は、がんどうを手にながちようのお屋敷街を歩きながら夜空を見上げた。

「こんなふうに明るい夜だったら、巡回中に鬼やあやかしが現れても見つけやすいわ」

「できれば出会いたくないけどね」

 桜羽の隣を歩く少年が苦笑する。彼もおんみよう寮の制服を身に纏っているが、桜羽とは違い、ズボンをはいている。

 不平等条約の改正を目指し、欧化政策の一環として建設された鹿ろくめいかんにおいて連日西洋式の舞踏会が開かれている裏で、桜羽たち陰陽師は日夜、帝都を巡回し、あやかし狩りに励んでいる。

 今夜は、同僚のさいすぐると共に、夜間巡回の当番となっていた。

「鬼は怪しいようじゆつを使うんだろ?」

「斎木君は鬼に出会ったことがないのだったっけ?」

 桜羽が尋ねると、斎木は「うん」と頷いた。

「陰陽寮に入ってから、まだ半年だからね。桜羽さんは会ったことがあるの?」

「私も、冬真様のお手伝いをするようになった時期が斎木君とそんなに変わらないから、陰陽寮に入ってからはまだ……。でも、子供の頃に見たことがあるみたいなの」

「へえ! どんな外見だった? 鬼はあやかしと違って人の姿をしているけれど、とても美しいんだろ?」

 斎木が興味津々という顔で尋ねる。彼は桜羽と同い年で、陰陽寮で働き始めたのも同時期であり、気心が知れている。

「さあ、どうだったかしら……。あまり覚えていないわ」

 桜羽は夢の中で見る、母を殺した鬼の少年の顔を思い浮かべた。あの夢が本当にあった出来事ならば、彼は確かに美しかった。

「見た目なんて関係ないわ。現れたら殺すだけ」

 桜羽がそう言い放つと、斎木は、

「桜羽さんは血気盛んで、時々怖くなるよ」

 と苦笑した。

 桜羽たち陰陽師は、政府の機関である陰陽寮に属している。

 陰陽師の素質のある者は、生まれながらに多かれ少なかれ神力を持っていて、修行によって神力を高めると、まじないの札を介し、五行と呼ばれる術を使えるようになる。

 代々陰陽寮の長を務めてきた月影氏一族の一人である桜羽も神力を持っているのだが、力が弱くさいな術しか使えない。

 月影家の血を継いでいても神力が弱かったり、今まで身内に一人も陰陽師がいなかったのに、突然高い神力を持った子供が生まれてきたりすることもあるので、このあたりの具合はよくわかっていないらしい。

 ただ一つ言えるのは、神力を持って生まれる者はまれであり、その上彼らの全てが陰陽師を目指すわけではないということ。現状、桜羽程度の者でも、陰陽寮にとっては貴重な戦力だった。

 桜羽と斎木がたあいない話をしながら子爵邸の前を通りかかった時、不意に怪しげな鳴き声が聞こえた。

「……今の聞いた? 斎木君」

 警戒して足を止める。

「聞いた。鳥の声……?」

 鳴き声の主を探して、龕灯を照らしながら周囲を見回した桜羽は、子爵邸の門の上に立つ獣に気付いて「あっ!」と声を上げた。

「あそこ!」

 桜羽が指さした先を見て、斎木が目を見開く。

「何だあれ?」

 猿の顔、狸の体、蛇の尾、虎の手足を持つ異形の化け物に、桜羽は鋭いまなざしを向けた。

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