帝都の鬼は桜を恋う

卯月みか/角川文庫 キャラクター文芸

第一章①

 目の前で倒れた母を見て、おとぼうぜんと立ち尽くした。

 山の中の小さな茶屋で暮らしていた母のもとに、その日、一人の少年がやってきた。印象的な赤い髪。意志の強そうなひとみもまた、赤色をしている。背はすらりと高く、しくも美しい顔立ちをしていた。

 接客に出た母は彼の顔を見て驚き、二人は何やら口論していたが、少年は突如刀を抜き、母を斬り殺した。

『お母さん!』

 桜羽は後先も考えず、母に駆け寄った。倒れた母にすがりついて叫ぶ桜羽を、返り血に染まった少年が見下ろしている。

 彼が桜羽に手を伸ばした。

 自分も殺されるのだろうかと思い、

『い、嫌……』

 桜羽は頭を抱えて、その場にうずくまった。どうしていいのかわからず、ただ丸くなって、悪鬼のような少年から顔を隠すことしかできない。

 桜羽の頭上から、大きな手が伸びてくる。

(誰か助けて……)

 桜羽が震えていると、『貴様!』と叫ぶ声が聞こえた。

 誰か来てくれたのかと思い、おそるおそる顔を上げると、赤髪の少年よりも年上の少年が、一つにくくった長い髪をなびかせて、茶屋の入り口から飛び込んでくるところだった。女性と見まがうような中性的な顔立ちだが、怒りで厳しい表情を浮かべている。

 新たに現れた少年が札のようなものを宙に投げると、それは刃物へと変わり、赤髪の少年を襲った。赤髪の少年は身軽にかわしたが、状況が不利と悟ったのか、茶屋の外へと逃げていった。

 助けに来てくれた少年が駆け寄ってきて、桜羽の体を抱き起こした。

『もう大丈夫だ』

 力強く低い声で呼びかけられ、桜羽の瞳が潤む。少年は桜羽に向かって安心させるように優しく微笑みかけると、体を引き寄せて抱きしめた。

 助かったというあんと、目の前で母が殺されたという悲しみで、桜羽は大粒の涙をこぼした。


    *


「とうま……さま……」

 つきかげ桜羽は、夢の中の少年を呼ぶ、自分の声で目を覚ました。

 頰に触れているのは冷たい木の感触。鼻孔をくすぐるのは墨の香り。身を起こそうとしたら、汗ばんでいた手に、くしゃくしゃになった短冊がくっついてきた。

 どうやらおんみよう寮の詰め所でまじない札を描いているうちに眠くなり、机の上に突っ伏して、意識を手放していたようだ。

 桜羽はゆっくりと目を瞬かせた。頭の中に、まだもやがかかっているような気がする。

(また、あの夢……)

 直前に見ていた夢の内容をぼんやりと思い返す。

 いつの頃からか、桜羽には繰り返し見る夢があった。

 目の前で母が赤髪の鬼の少年に殺され、陰陽師の少年が助けに来てくれる夢。

 ──鬼は、古来から存在するあやかしの種族の中の一つであり、彼らは人と同じ見た目ながら、そのようぼうは美しく、炎や水を操るようりよくを持っている。その力を使い、時代、かんちようや暗殺者として幕府を支えていたといわれている。

 あやかしには鬼以外にも、知恵の低い異形の種族もおり、彼らもまた鬼の手先として人に害をなしてきたそうだ。

 幕末、開国かじようかで、この国が大きく揺れた時も、鬼たちは舞台裏で暗躍を続けていた。最終的に、日本は海外への門戸を開くこととなり、彼らも争いの中で数を減らしたとされている。

 そして、現在。めい二十年。帝都。

 八歳の時に親を亡くした桜羽が、母の従弟いとこで、自分を危機から救ってくれた月影とうに引き取られてから九年が経過していた。

 冬真は、祖は古代までさかのぼる月影氏流陰陽師の現頭領で、陰陽寮の長官を務めている。桜羽もまた、陰陽寮に属する陰陽師だ。

 かつての陰陽師たちは、天文観測や暦の作成に携わる朝廷の官僚だったが、それと同時に、鬼を狩る役目も担っていた。

 現在、官僚としての職掌は失ったものの、生き残った鬼の報復を恐れる明治政府により、陰陽寮には「鬼とあやかしを見つけだし、抹殺すべし」との命令が下されている。

(今夜は巡回の当番だから、ある程度の枚数を用意しておかないと)

 手にくっついていた短冊をがし、丁寧にしわを伸ばす。墨が乾いていなかったのか、手のひらに呪いの図柄が写っていた。

 桜羽はすずりに墨をすり直しながら、育ての親である冬真のことを考えた。

 陰陽寮に入ったのは、自分を育ててくれた冬真に恩義を返したい思いと、母のかたきを取りたいという思いからだ。

 母は、桜羽が八歳の時に鬼に殺されたらしいが、桜羽には八歳以前の記憶がない。桜羽が記憶を失っているのは、母が殺されるところを目撃した恐怖心からなのではないかというのが冬真の見解だった。

 冬真から教えてもらったところによると、母は少女の頃に鬼にさらわれて、婚姻させられ、桜羽を産んだのだという。長らく行方不明だった母を捜し出し、冬真が助けに向かった時には、父の仲間の鬼によって、母は殺害された後だったらしい。

 桜羽の夢の中に現れるのは母だけで、鬼だという父の姿はない。

 父が今どこにいるのか、生きているのか、死んでいるのかさえもわからないが、桜羽は、母に無体を強いた末に仲間に殺させた父を恨んでいる。いつか出会うことがあるならば、母を直接手にかけた赤髪の鬼だけでなく、父も討ちたい。

 鬼は人に害をなす憎い存在。自分に、その血が流れているのかと思うとぞっとする。

(私は鬼とは違う。私は人よ。私はお母さんの仇を討たなければいけない)

 鬼への憎しみの気持ちを新たにし、筆をとる。呪い札は、気を込めながら複雑な図形を描かねばならないので、集中力が必要だ。

 短冊に筆先を下ろそうとした時、窓の外から騒がしい声が聞こえてきた。鳥の羽音と犬の鳴き声がするので、何事かと外をのぞいてみると、二人の陰陽師が烏と犬をけしかけ、小さな狸を追い回していた。子狸だろうか。キューキューと鳴き声を上げながら逃げ惑っている。

「なんてかわいそうなことを」

 桜羽はまゆをひそめた。

「逃げるな、畜生め。式神、捕まえろ!」

「待てよ、あいつを仕留めるのは俺の式神だ!」

すえひろさん、ぶすじまさん! 何をなさっているのですか!」

 桜羽は窓から二人の陰陽師に向かって叫ぶと、詰め所の扉を開けて外へ出た。

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