第11話 また一人、ぽつり
「あの、どこまで行くんですか。」
「どこまでも」
「あの、そろそろ休みませんか、体も冷えてきましたし。」
「休まない、意味がないから。」
意味はあるでしょう……と反論する少女を無視して私は雨の中歩き続ける。
はぁ、と軽くため息をつく。
ついてきたいならついてくればいいと言ったものの、彼女はとんだお荷物だった。
私は軽率に許した自分を恨む。
二回に一回は水たまりにハマるわ、こけるわ、服が濡れた、髪が崩れたやら何かにつけては文句を言う。
独り言を呟くだけならまだしも、行手を阻もうとしてくることもしばしばあるのは非常に困る。というか迷惑だ。
私は足を止めて、後ろを歩く少女を見る。
「貴方、本当に逃げる気あるの?」
私が聞くと首を傾げる。
「逃げる気、とは?」
「追われてるんでしょう、だから私に助けを求めた。」
「はいそうですそうです」
にっこりと笑って答える少女には緊張感のかけらもない。
この世界について何も知らないくせに。
自分を追う子どもが誰かも知らないくせに。
能天気にも程がある。
私はあえて突き放すようにいう。
「私は貴方を守るなんて一言も言ってないし、何もするつもりはない。子どもが追ってきても、貴方が死んでも私は知らぬふりをするから。」
「分かってます。それは、さっきも聞いたし、私が勝手に本当についていくだけなので。」
それが迷惑なんだが。
私は大袈裟にため息をついて、少女を見る。
「逃げたい、死にたくない奴が、ベラベラと喋ってよく転んだり休もうとしたりするかな普通。どんな神経をしてるんだか。」
またにっこり笑顔を見せてくるかと思ったが、私の予想に反し、少女は動揺したように目線を宙にやる。
「………あれ、私なんでだろう」
小さなつぶやきの後、少女はまた私を見る。
「とりあえず、雨宿りだけしませんか?」
近くに一軒だけ家があったから、その中に入りしばし休むことになった。
少女は濡れたスカートを絞りながら、文句を言っている。
「なんで夏なのにこんな雨降ってんの、最悪」
……あぁ、そうか今は夏か。
ここにいると時間感覚がバグる。
ずっと雨だし、疑問に思うこともなかった。
彼女は来て間もないのだろうか。
まぁ、私には関係ないか。
私は家の中をぐるりと見渡す。
一階建ての小さな家。
グレーの壁紙に物は真ん中に置いてある小さなテーブル以外何もない。
椅子を引き、座るとどっと力が抜ける。
自分が疲れていたことを今初めて自覚した。
一日は過ぎるが寝たという感覚もあまりなかったし、嫌な緊張感がずっとあった。
手を見ると、小さく震えていた。
私は、怯えているのだろうか。
何に?
この世界に?
それとも、私自身に?
「あの、」
少女が呼びかけ、私ははっと顔を上げる。
少女はこちらの顔色をうかがいながら、おずおずと話を切り出す。
「あの、お礼がまだでしたよね。拾ってくれてありがとうございます。私、真白海子って言います。
えっと……名前って?」
私は短く端的に答える。
「
「榊さん」
嬉しそうに少女、真白は私の名前を繰り返す。
私はなんだか気恥ずかしくなり、少女から目線を外す。
すると閉めていた扉がぎいっと音を立てて開く。
私は反射的に服の中に隠していたナイフを握った。
「おーい、いるんだろうわたしぃ?」
扉を開けて入ってきた人物を見て、真白は目を丸くする。
「榊さん……?」
私はナイフを強く握りなおす。
……なぜかあの“声”が聞こえなくなってきていたから、そっちから出てきたのはありがたい。
今私がナイフを握っていることに気がついたのか真白は怯えたように後ろに後ずさる。
「え、榊さん?あの子どもと同じナイフ……どうして?」
私は真白の言葉を無視して、もう一人の私に問いかける。
「ナイフを出せ、小賢しい真似はやめろ、うざい。」
もう一人の私は、ふっと笑い手元に握られた私と同じようなナイフを出す。
「やっぱり分かるか、私だもんなぁ」
「五月蝿い」
私が強く言うと、もう一人の私は嫌そうな顔をして両手を頭に組む。
「未来の私まじババァじゃん、母さんに似すぎでクソキモいんだけど。」
私は一歩踏み出す。
私は、私を一人残らず殺す。殲滅する。
この世界に来て、そう決めた。
やらなきゃ。そうしないと、いけないんだ。
もう一歩踏み出そうとした時、後ろから服を掴まれる。
私は振り返りながら睨みつける。
真白は私の顔を見て、少し怯えたように体をびくりと一瞬震わせる。
「邪魔」
真白はふるふると首を振る。
「嫌です。逃げましょう、榊さん。ナイフも、しまってください。」
「邪魔だって」
「ナイフを、離してください。」
真白はまっすぐ私を見る。
ぐらりと、揺らぎそうになった。
私はギリっと奥歯を噛み、ぶんとナイフを振って真白を引き剥がす。
ズンズンともう一人の私に近づく。
もう一人の私は隙を伺うように前屈みの姿勢でこちらを見ている。
殺す。一人残らず。
私は、やらなくちゃいけないんだ。
ぴたりと眼前で足を止める。
「未来はどうだったんだ?わたし。」
もう一人の私が聞く。
私は心臓の位置に目をやり、答える。
「察しろクソガキ」
私はグサリと心臓を突き刺す。
同時に頬にナイフが当たる。
血は出ていない。
目の前の私がばたりと倒れるのを見ながら私は切り付けられた頬を撫でる。
傷跡はない。ただ、冷たい感覚だけが脳裏に残る。
私は消えた死体の位置に残ったナイフを拾いあげる。
「榊さん……榊さん、なんで、何これ、どうして?」
目の前で何が起こったのか理解できていない真白はただその言葉を繰り返す。
理解してもらう必要なんてない。
私はへたりと座り込む真白を静かに見下ろす。
「もうついてくる気はなくなっただろ?」
世界で一番嫌いな君と八月三十二日の夜 流川縷瑠 @ryu_ruru46
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