第三章 榊春日

第9話 目が覚めたら。

目を開くと、私の視界に飛び込んできたのは、夜の街並み。

ぽつぽつと明かりがついた住宅街。妙に明るい高層ビル。視線を下げると足元には、灰色のコンクリートブロック。

場所は、どこかのビルの屋上。

下を除くと、足がすくむほどの高さ。

夜の闇が私の恐怖心を掻き立てる。


「……どこ、ここ?」



_____ここは過去、未来現在、非現実もが交わる場所。


頭の中に声が響く。高めの若い声。性別は分からない。

ガンガンと内側からしゃべりかけられているような感覚が、なんだか気持ち悪い。

私は頭を押さえながら声を絞り出す。

「あんた、だれ?」


_____ここは貴方がいる世界とはまた違う場所だけれど、全く無関係というわけじゃない。

さん、あなたの望みはなんですか?


私の問いかけになど答えず、その声は私の頭の中で問い続ける。


……………私の望み?なんだよそれ。


夜景に背を向けると、カンっと足に何かが当たる音がした。


足元をみるときらりと何かが光っていた。

しゃがみ込み、それに手を伸ばしてみる。

触れた指先に伝わる冷たい感覚で、私はそれが何か気が付く。


ナイフ。


ぐにゃりと曲がった刃がきらりと月の光に反射して光る。

その光が刃の鋭利さを物語っている。

私はなぜかそのナイフを手に取っていた。


手が震える。


そんな私にまた声が囁く。


____あなたの望みはなんですか?


だからなんだよそれ。

自分が何をしたいのかも、ここがどこなのかこの頭に響く声が何なのかも分からない。

ちっとも、わからない。


最後の記憶は、親と大喧嘩をして家を飛び出して学校近くの公園まで行ったこと。

たしかそのまま私は公園の隅にあったベンチで寝てしまったはずだ。

自分の服を確認する。

白いTシャツにダメージジーンズ。

昨日と同じ服装。

違うのはこの場所だ。

公園ではないし、見たところ私の住む町でもない。ここはどこなんだ。


___あなたの望みはなんですか?


私は自分の頭をがんと叩く。

また頭に響いた声は、気味が悪い。

服が昨日と同じならポケットにスマホを入れてたはず。

ポケットに手を突っ込み、スマホを取り出す。

一瞬電源が付かないかと思ったが、ちゃんとホーム画面が表示された。


8月31日

23:00



「ねえ、あんた、だれ?」

低めの女の声が、背後から聞こえる。

振り返ると、そこにはショートカットの短い髪、切れ長の細い瞳にセーラー服を着た女がいた。


暗がりでよく見えないが、私はこの女が誰なのかすぐに分かった。


「わたし、?」


瞬間また頭の中で声が言う。


___ここは過去未来、現実、非現実もが交わる世界。

ここは現実ではないが、現実にもつながっている。

あなたの望みはなんですか?



私によく似た顔が、私と同じように頭を押さえながらこちらを見る。

「もしかして……なの?」


中学時代の私?この目の前の女が。

ひだが少ない紺色のスカートに、かわいげのない紺色のリボンが胸についた制服は、私が昔よく見た制服そのものだ。


そして、もう二度と見たくないと思っていたものだ。


瞬間、私の頭の中をよぎったのは中学時代の記憶。

私をみる周りの目線、親の顔。孤立する自分。黒い感情の行き場を探していた時期。

壊したもの。手放したもの。見ないふりをしたもの。すべてが私の頭の中で高速回転をしながら駆け回る。

嫌い。嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い。このころの自分が嫌い。消したい黒歴史。暗黒時代。

頭に流れる記憶を消すように私は頭をガンガン叩く。

消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ!!!!


ふと静寂の中、またあの声が私に囁く。


貴方の望みはなんですか?



私は、私が嫌いだ。くらいに。


夜の冷たい風がさぁ、と私のショートカットの髪を撫でる。

私はいつの間にか、曲がったナイフを握りしめていた。


「……おい、なんなんだよ」

セーラー服の私はジリっと後ずさる。


私は気にせず足を一歩踏み出す。


消えてほしい、ただその思いが私を突き動かし、ただただ夢中に、曲がったナイフを振り翳した。


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気がついたら私の手は赤く染まっていた、

というようなことはなく、まるで最初から私一人のような静かな空間があるだけだった。


ナイフで刺したはずのは、いつの間にか消えていて今は何も残っていない。

夢だったのかとさえ思う。


空を見上げると灰色の雲が空を覆っていて今にも雨が降りそうだった。


私はもう一度自分の手に握られたナイフを見る。ぐにゃりと曲がったナイフは、鋭利な光を宿している。

怖いくらいに明確に、このナイフをに刺した感覚が手にありありと残っている。

私は刺した。

殺したんだこの手で私を。


と、タイミングを見計らったように頭に声が聞こえる。


____これで16歳の榊春日は消えました。

ここから一番近い榊春日の位置を教えますか?



16歳の榊春日は消えました。

心の中で言葉を反芻する。

本当に?あれで消えたの?

私は、殺したの?


ぽつん。


雨粒が頭に当たる。


だんだんと雨粒は増えていき、次第に雨となって線を作り降り始める。


私は濡れた頬を拭い、屋上の扉に手をかける。


……もう訳わかんない。

私には、受け止めることができない。


ただどこに向かうでもなく、私は屋上の階段を降りる。


ここはどこかの廃墟ビルだったようで、外観もボロく廃れていた。

なぜこんなところに私はいたのだろう。

そして……。


ズキン


頭が痛む。

ナイフで私を、16歳の私を刺した感覚を思い出してしまう。

私は必死にその記憶を消そうと頭を振る。


私は榊春日を殺した。私は榊春日を殺した。


これは罪に問われるのだろうか?

というかこれは現実なのだろうか?

わからない。分かりたくない。


私は行く先もなく、ただ雨の中歩く。


「……寝たら、いつも通りに戻んのかな」


雨の中につぶやきは消えていく。


雨音が強くなる。

全てを流していくように。

強くただ強く降る。



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