第26話 エデンの恋人 ①
シャワーから上がると、僕の部屋は母が片付けてくれていた。
換気のために窓が開け放たれて、臭いのこもっていた部屋が新鮮な空気に入れ替わっていた。
ベッドパッドとシーツが剥ぎ取られ、スプリングのマットレスだけがシミを作ってそこに佇んでいた。
現実逃避からくるのか、そのシミを見つめながらテーブルの上で、世界地図を広げた海賊になっているような気がしてきた。
「七つの海をまたにかけ、まずはこの国の財宝をいただくことにしよう!」
「ガッハハハハ〜ッ!」
母に怒られた妹が、とぼとぼと自室で登校の準備をするために廊下を歩いていた。
「ガッハハハハ〜ッ!」
兄の部屋の中から豪快な笑い声が聞こえてきた。
『お兄ちゃん、ショックでおかしくなっちゃったのかもしれない。』
心配でたまらずに、兄の部屋のドアを少しだけ開けて中を覗いてみた。
兄はマットレスのシミの前にパンツ一枚の姿で立って、おねしょのシミに指を向けて笑っていた。
「さぁ、出港だ〜!!」
『やっぱり、かなり参っているのかもしれない。』
奇行が 酔っ払った父親の姿に少し似ていた。
『それは、お兄ちゃんの、お・ね・しょ・・・♡』
『誰かに言いたい。』
この事実を知り合い全員にぶちまけてしまいたかったが、母にきつく言われている。
でも言いたい。
この馬鹿を極めた兄貴の奇行を!
私は、こんな身近にこんな面白いおもちゃがあった事に、なぜ今まで気づかなかったのだろうか!
おねしょをしてしまった手前、なんとなく母にも妹にも顔を合わせるのが恥ずかしくて、朝ごはんもそこそこに家を出てきた。
妹のかけたという消毒用のアルコールの影響なのだろうか、どうにも世界がゆっくりと動いているような気がしていた。
「おはよう。」
初めてこんなに早く家を出てきたからだろうか、クラス委員長の〇〇さんが後ろから声をかけながら肩を叩いた。
「何?珍しいじゃないの、こんなに早く登校するなんて。」
「私は、今日は朝練が無いから遅いんだけどね。」
「さては、選挙のことが気がかりで早く来ちゃったとか?」
明日で転校をしてしまう〇〇さんと、通学路が同じ方向であるとは知りもしなかった。
「こっちだったの?」
僕は驚きを隠せずに問いかけていた。
「一緒の方向だと知ってたら、毎日手をつないで登校できたのにね。」
そう言いながら彼女のそばにすり寄り肩を寄せる。
「??」
「なんか変ね。」
「〇〇君、昨日お酒とか飲んだりした?」
そう言いながら僕の前に顔を近づけてくる。
僕はだいぶ興奮しながら目をつぶって彼女の口唇を求める。
〇〇さんは僕の口唇に、右手の人差し指と中指をムニッと押し当てて近づくのを防いだ。
「お酒の匂いはしないけど、なんかやっぱりちょっと変ね。」
「昨日、何かあったか教えてよ。」
彼女は僕の口唇に押し当てた、揃えた指先でぎゅっと押し返しながら聞いてきた。
「いいじゃん、別にさ。」
昨日のことは、何としても隠し通さなければならなかった。
「いいから、教・え・て!」
彼女の瞳が僕を正面から直視して、ピシャリと言い放った。
その表情には、不正を絶対に許さない正義の光が宿っていた。
「・・・??」
「・・・エッ?何?それで・・・。」
聞いてはいけないことを聞いてしまった彼女は、ちょっと表情を柔らかく崩してていた。
「なんか変なこと聞いちゃってごめんね。」
「でも、そこまで正直に言わなくても良かったんだよ。」
「とにかく、このことは誰にも言わないで二人だけの秘密にしておきましょう。」
「私も絶対に言わないから安心して。」
どうにも、〇〇さんに見つめられると、話さなくていいところまで話してしまう。
不思議な魅力を持った女の子だと思う。
「なんだ?仲良さそうだな。」
僕らの後ろには、今日の最大のライバルである〇〇さんが、僕を威圧するように立っていた。
「あっ!〇〇ちゃん、おはよう。」
「珍しく〇〇君も早く学校に行くみたいなんで、初めて会っちゃった。」
委員長は〇〇さんに会えて、なんだか嬉しそうだった。
「あぁ、同じバスケ部だからな。」
「今日は朝練ないんだけど、最後だから一緒に学校に行くんだよ。」
「でも昨日、委員長は放課後制服だったよね?」
「あぁ、もうこいつ練習出てねえからな。みんなに挨拶するんだってよ。」
〇〇さんが代わりに答えてくれた。
そうなんだ。と思ったが、二人が同じバスケットだったことも今初めて知った。
なんとなく僕がいては邪魔なような気がした。
僕は気配を消すように、彼女たちの少し後ろを何も聞かないように気をつけながら歩いていた。
キャー、キャーと楽しそうな二人が、歩くスピードを遅くして、僕を二人の間に挟んだ。
!!
『もしかして委員長は、あの話をしたのか?』
緊張する僕に〇〇さんが話しかけてきた。
「なぁ、今日のホームルームで、私とお前でこいつの後釜を決めるじゃん?」
「実は私、投票する奴がいるんだよ。」
「昨日までは、私が私がって思ってたんだけど、こいつと話したらそいつなら私のこと大事にしてくれるかもしれないなって思ったんだよ。」
「だから、私はそいつに入れることにしたんだよ。」
「うん、そうだよ。〇〇ちゃんは、可愛い女の子がしたいんだもんね〜。」
!!えっ?
『二人きりの投票で入れる奴とは、僕のことなのではないだろうか?』
「〇〇ちゃんの事は、君が守ってあげるんだよ。」
意味が分からなかったが、二人は再び僕を後方に残して二人だけの世界で話しを咲かせていた。
後ろから見える〇〇さんの横顔は、彼氏に寄り添う女の子のように、優しく華やかで美しい女の子の微笑みだった。
「〇〇君、おはよう。」
「今日は早いのね。」
まだ早い時間にもかかわらず、〇〇さんが黒板をきれいな緑色にしていた。
まだシンとした教室に〇〇さんと二人でいると、なんとなく仕事を終えて家に帰ってきたような妄想が沸き立ってくる。
「うん。ちょっとね。」
そう言いながら、もじもじとしていると後ろのドアが開き、部室から教室に来た二人が入ってきた。
「あれ〜?お邪魔でしたかね〜?」
委員長が僕らをからかうが、すぐに二人の世界に戻ってイチャイチャとしている。
「そんな・・・ねぇ。」
からかわれた〇〇さんも、なんとなくぎこちなくなってしまったが、彼女たちの仲良し具合を見て呟いた。
「私たちの方がお邪魔だったのかしらね。」
後は続々とみんなが登校してくる。
最初にいた僕と〇〇さんの周りの輪が大きく増えていく。
「あっ!〇〇君おはよう。」
「何か最近早いよね。今日は特に早いし。」
隣の席の〇〇さんが、鞄を机に掛けながら話しかけてくれる。
〇〇さんも引き戸を開けて、嬉しそうに僕の前の席に座って後ろを振り返る。
「最近カッコよくなって、女の子に人気あるもんね。」
〇〇さんがさらりと僕を持ち上げてくれる。
「何だよ、ハーレムじゃねえかよ!」
「トゲはどうしたんだよ、トゲは!」
〇〇さんが僕の横を通りながら声をかけてくれる。
「なんか、あいつちょっと良くなってきましたね。」
「じゃあお前、お嫁さんにしてもらえよ。」
「えっ!ちょっと、まだ勘弁ですね。」
「じゃあ、もうちょっと良くなったらいいってことだな。ギャハハハハ、」
「うん、まぁ、えぇ、そうですね・・・」
ちょいワル娘たちを引き連れて、〇〇さんがいつもの廊下の水道の前に出ていった。
「ケッ!」
『なんだか朝から面白くないな!』
男子生徒達は登校した瞬間に苦虫を噛みつぶすしかなかった。
『なぜあいつが?』
明らかに、俺の方が良い男なんじゃないのか?
口には出せなかったが、全ての男子生徒達がそう思っていた。
今日のクラス委員長選挙は、面倒事をあいつに押し付けようとしていたが、部活も忙しく申し訳ないが、〇〇さんに投票しよう。
男子生徒の誰もがそう思った。
『もうこれ以上〇〇に人気を取られる訳にはいかないのだ。』
つづく
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